国王と過去の記憶(4)
それを合図にして、兵士たちが一斉に武器を構える。俺はシャープに目配せし、シャープもまた頷いた。
《ムジーク四人の姿を闇に隠せ》
《目が眩むほどの光を!》
シャープが闇、俺が光の精霊語を叫ぶ。
強烈な光が広い室内を満たし、目を灼かれたグランディオの者たちが次々に悲鳴を上げた。
「親父、母さん! 逃げるぞ!」
闇の薄衣で視界を確保した俺たちだけが動ける空間。
影に紛れて謁見の間を抜けると、シャープが先陣を切って道を作り、俺が精霊魔法で援護して、父は母を庇いながら殿を務める。
国が成って間もないこともあってかグランディオ兵の練度はそれほどでもないものの、どこにこれだけ隠れていたのか次から次へと追っ手が迫ってくる。
「最初から、俺たちを素直に帰すつもりはなかったってことか……!」
剣の軌跡を避けながら毒づく。
グラッセは、フェルマータだけでなく、兄ヴェルテが愛したムジークをも乗っ取る算段だったのだ。
城門で既に交戦していたムジークの騎士と合流し、預けていた武器を取り戻す。
槍斧を受け取ったシャープは、水を得た魚の如く躊躇ない武器捌きで敵を薙ぎ倒していった。
城の入口、乗ってきた馬車までもう少し、というところで。
「――あ……っ!」
すぐそばで小さな悲鳴が聞こえて振り返る。――母の背に、矢が深々と刺さっていた。
「ノーテ!!」
崩れ落ちる母を、父が抱きとめる。
血に濡れていく服を見て、まるで自分が出血しているかのような錯覚が俺を襲い、手足が急速に冷えていく。
「……くそッ! 親父、兄貴、お袋を連れて馬車に乗れ! オレは馬で先に行く!」
シャープは言葉が終わらないうちに護衛の騎馬に飛び乗り、槍斧を振り回して道を塞ぐ兵士たちに突っ込んでいく。
近衛騎士に護られながら父と共に母を馬車に乗せると、扉が閉まったと同時に馬が勢いよく走り出した。
激しく揺れる客車の中で、母を椅子に横たわらせる。
「傷は」
「分からん、かなり深い。体力的にも、時魔法の治療に耐えうるかどうか」
ひとまずの応急処置として父が時の精霊語で止血を施していると、母が何かを言いたげに口を動かした。父はその口元に耳を寄せる。
「……そうだな」
真剣に聞いていた父はやがてぽつりと呟くと、こんな状況にも関わらず笑みを浮かべた。
それが諦めの境地に達したと見えて、俺は動揺する。
「いいか、よく聞けトーン」
「死ぬつもりだとか言う気なら、聞かない」
「まぁそう言うな。……最後に、親らしいことをさせてくれ」
俺の肩を、父が両手でがっしりと掴んだ。
「国へ戻ったら、王位を継げ。国民には、俺たちは事故で谷に落ちて死んだと伝えろ」
「やっぱり死ぬ気なんじゃないか!」
「いいから聞くんだ。馬は扱えるな? 橋まで辿り着いたらこの客車を切り離し、馬に乗ってリタルダンドへ逃げろ。グラッセはお前が第一王子であることを知っている、このままではお前も殺されかねない」
「嫌だ。親父と母さんも一緒に」
父は首を横に振る。
「俺とノーテは、国に帰ることはできない」
「どうして!」
「グランディオ皇国にムジーク国王夫妻が襲われた、という痕跡を持ち帰ってはならぬ。平和に生きるムジークの民を巻き込むような戦争の火種になりたくはない。そしてお前も、恨みを晴らすことを大義名分にするな。負の連鎖はここで止めてくれ。……お前には酷なことかもしれないが、どうか隠し通してほしい」
言葉を失う俺に、父は優しく笑いかけた。
「お前は兄弟の要だ。きっと皆をまとめ上げてくれると信じている」
「……!」
卑怯だ、と思った。俺に取れる選択肢は、もう既にひとつしか残されていないのだ。
「……トーン……顔を見せてちょうだい……」
母がか細い声で俺を呼ぶ。
視界が歪んで、死を目前にした母の顔を判然とさせない。
「貴方なら、きっと大丈夫よ……! 弟と、妹を……国民たちを、守ってあげて」
「母さん……っ」
「泣かないで……愛しているわ、トーン」
母の指が、俺の頬に伝う涙を拭う。
父が、ただ黙って俺を抱きしめた。
両親から託されたものの重みを想像しきれずに、心臓が早鐘を打つ。
――俺に、できるだろうか。いや、できるかどうかじゃない、やるんだ。
決意する。泣いている場合ではない。
「……分かった。どうか心配しないでほしい」
俺の瞳を見て、満足そうに頷く両親。
「この剣を、お前に。精霊王にもよろしく伝えておいてくれ」
父は腰につけていた一振りの剣を鞘ごと外し、俺の手に握らせる。
初代国王が精霊王から賜ったものと言い伝えられ、国王として立つ父の姿を見る時には常に視界に入っていた剣だ。
金色の柄を握ると、歴代の国王の思いが伝わってくる気がした。
その時突然馬車が急停車し、馬の嘶きが響く。
窓の外を見ると、ちょうど橋の上に差し掛かったところだった。
シャープが横付けに騎馬を止め、叫ぶ。
「脚を射られた、馬車じゃこれ以上進めねェ! 降りて別の馬に乗れ!」
頷き、剣を腰元に据えて客車を出る。近くの騎士から馬を受け取ると、飛び乗って周囲の状況を確認した。
橋の両端から兵士が迫ってくる。挟み撃ちになった形だが、リタルダンド側で待ち伏せしていた兵は他国の領地ということもあってか若干手薄だ。
「シャープ、俺が援護する。道を作れるか」
「了解、親父とお袋は?」
「すぐ出てくる。――行くぞ!」
思いを振り切るように馬の腹を蹴り、猛然と駆け出す。
先を行くシャープが歩兵を蹴散らし、俺は陸地の弓兵の目の前で光の精霊魔法を展開し視界を奪っていく。
周囲の安全を確保し、陸地へ辿り着いて振り返ると、父が血塗れの母を横抱きにして馬車の横に立っていた。
「親父! 何やってンだ早く!」
いつまでも馬に乗ろうとしない両親に痺れを切らしたシャープが、馬首をめぐらして再び橋の中央へ戻ろうとする。
「行くな、シャープ!」
え、とシャープが驚愕の表情で俺を見た。
「戻ってはいけない。……このまま、見届けるんだ」
「な、……何を、だよ」
シャープの、槍斧を持った手が垂れ下がる。
俺の腰に下がる父の剣の意味を知らぬ弟ではない、言葉の意味をきっと頭では理解している。
だが心がそれを拒んでいるのだと思わせる問いかけに、俺は答えを返すことができなかった。
無防備な父と母に、武装したグランディオ皇国の兵士たちが迫る。
吹雪の中、マントをはためかせて立つ父の背中は堂々としていて、どんな災いにも屈しない凛とした強さを見せつけた。その姿を、しっかりと目に焼き付ける。
《――……!!》
父が何かを叫ぶ。
間髪入れず、先頭の兵士の剣が煌めき、赤い花弁が散るかの如く鮮血が雪と共に舞った。
ほぼ同時に、足元から轟音が響く。
橋の上に詰め寄っていた兵士たちの勝鬨は、すぐに悲鳴に変わった。
頑丈な一枚岩の石橋が、まるで最初から砂でできていたかのようにその形を保てず崩れ落ちていく。――父から命を受けた地の精霊が、石を風化させたのだ。
石橋は一欠片も残らず分解され、父と母の身体を巻き込み深い谷へと飲み込まれていく。
落下を免れた兵士たちは慌ててグランディオに引き返していき、やがて静寂が訪れた時その場所に立っていたのは、俺とシャープ、そして数名の近衛騎士だけだった。
「親父……お袋……!」
シャープが呆然と馬を降り、崖下を覗き込む。
谷底に流れる川は深く速く、全てを押し流した後だった。
強くなった風の音の合間に、複数の嗚咽が響く。
父と母を――護るべき主君を、目の前で失った悲しみ。
俺の心も悲鳴を上げて、胸の奥がずきずきと痛む。だが、俺はここで一緒になって泣くわけにはいかなかった。
たった今から、責任を負うべき立場になったのだから。
リタルダンド側の陸地にも、わずかに残ったグランディオの兵士が戦意を失って座り込んでいる。
俺は敵の武器を谷に落とすよう近衛騎士に命じ、光による目くらましが解けて立ち上がった弓兵の一人に剣を突き付け、言った。
「グラッセ皇帝に伝えよ。石橋が事故で崩落し、ムジーク国王、王妃および幾多のグランディオ兵が犠牲となった。双方の被害の大きさを鑑み、ムジークは此度の国王夫妻襲撃を表沙汰にするつもりはない。その代わり、今後一切の関わりを絶つ――とな」
兵士は怯え切った目で二度三度頷くと、仲間を置いて森の小道へと走っていった。
以前使われていた古い吊り橋があるのだろう。グラッセに対する忠誠心の高さが読めないのでしっかり伝言が届くかは疑問だが、少なくとも俺がグランディオを表立って糾弾しなければ意図くらいは伝わるはずだ。
グランディオ側も戦力が減り、さらにリタルダンドとの石橋が落ちたことで、物理的にもムジークへ侵攻することは難しくなる。
「さて、いつまでもここにいては凍ってしまうな。ムジークへ帰還しよう」
噴出する気持ちを極力抑え、皆を安心させるべく努めて明るい声を出した。
それを聞いたシャープが立ち上がり、馬上の俺を仰ぎ見る。
「どうして兄貴は平気でいられるンだよ……!」
泣き腫らした弟の目を、まっすぐ見ることができなかった。やめてくれ、と言いたかった。せっかく必死で抑えている感情が、表に出てきてしまうから。
「……平気なわけが、ないだろう」
震える手を握り締め、喉の奥から何とか言葉を絞り出して、俺は一度馬から降りた。
肩に顔をうずめる弟の背中を叩いてやりながら、様々な思いが錯綜する視線を受け止め、この場にいる者たちに言い渡す。
「ムジーク王国、第十八代国王トーン=スコア=ムジークの名において命ずる。皆がグランディオで見たことは全て、胸の奥にしまって墓まで持っていけ。――いいな」
そうして俺たちは、ムジーク王国へと戻った。
王子のみの帰還によって俄かに浮き足立つ国民たち。
それもそのはず、ムジークを守護する化身たる中央広場の『精霊の樹』は、見るも無残に枯れていた。
周囲で悲嘆にくれる人々の姿。その光景は否応なしに、大きな喪失を実感させた。
俺はその場で、国王夫妻が事故で谷に落ちたこと、第一王子である自分が国を継いだことを宣言し、――その後のことは、あまりよく覚えていない。
精霊の加護を長く途絶えさせるわけにはいかないと、すぐさま即位式の準備が進められた。
本来墓標になるはずの父の樹は枯れてしまったため使い物にならず、切り倒され更地になった。
葬式もしないまま、最初の『創樹祭』が執り行われたのはわずか二日後。
暖かい気候のムジークにおいて、珍しく雪が降る中での式典となった。
雪の深い地で散った父と母が、最後に見に来てくれたのかもしれない、と思った。
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