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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第八話 国王と過去の記憶
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国王と過去の記憶(3)

 思えば、以前から母ノーテはその時が来るのを分かっていたのだと思う。ある年を境にして、それより先の未来を見たことがない、と遺品の手記に書かれていたから。

 いつも笑顔を絶やさなかったその裏で、迫り来る死期をどういう気持ちで待っていたのか、俺には想像もつかない。

 父とだけその不安を共有して、子供たちには余計な心配をさせないよう、死の間際までそれを隠し通したのだ。


 そして分かっていたからこそ、二人はあんな状況でも安らかに死を受け入れたのだ。



 二年前の冬、父オクターヴのもとにグランディオ皇国からの使者が訪れた。

 当時は友好宣言こそ解消したものの、人や荷物の行き来は比較的自由だった。

 父がグランディオの使者を迎え入れたのも直接的な遺恨はなかったからで、建国から既に五年が経ち、改めてムジークと友好的な関係を結びたいという意思を個人的な感情で突っぱねるのは悪手だと判断したのだろう。

 使者はグラッセ皇帝の親書を携えており、返事を書く間の数日ムジーク王宮に滞在したのち、父の返書を持ってグランディオへと戻っていった。

 そしてその日の夜、俺は父の私室に呼び出されたのだった。

「グラッセ皇帝の招待を受けて、俺とノーテでグランディオに赴くことにした」

「親父と母さんが、わざわざ?」

「本当は俺だけで行くつもりだったのだが、ノーテが共に行くと言って聞かなくてな」

 本来あちらから訪ねるのが筋ではないかと疑問を抱く俺に、父はグラッセからの親書を見せてくれた。

 そこには、要約するとこのようなことが書いてあった。


『兄ヴェルテが友人として世話になったのに、この手にかけてしまったことを今更だが詫びたい。そしてこちらの言い分も聞いてもらいたい』

『姪のスレイアが世話になっていると聞いた。是非一緒に連れてきてほしい。叔父としての責任を果たしたい』

『ムジークとはフェルマータ時代と変わらぬ友好関係を続けていきたい』

『まだ国が安定しておらず、空けるわけにはいかないので、無礼を承知でどうかそちらから来てもらえないだろうか』


 内容はあくまで友好的で、血生臭い革命劇を乗り越えて新しい一歩を踏み出そうとしているように見えた。

 だが、ヴェルテ国王との思い出が濃い俺にとって、彼を殺して手に入れた玉座に座る者を素直に受け入れきれない。仮に直接手を下すに至った正当性がグラッセにあるとしてもだ。

 そんな男のところに両親が自ら出向くという。

 やめておいた方がいいのでは、と進言するも、既に使者を帰した後だし撤回する気はないと返された。

「俺は、アイツが――ヴェルテが愛した国の『今』を見てみたいのだ」

 昔を懐かしむような目でそう言われてしまうと、俺には何も言えなかった。

 父オクターヴを初めて『オクト』という愛称で呼んだのが当時のヴェルテ王子で、父は「大切な友人につけてもらった」とその名を大層気に入っていた。

 お互いに国を治める者として夢を語り合った友人をあんな形で喪った無念は、グランディオに残るかすかなフェルマータの残滓を追うことでしか昇華されないのではないかという気がした。

 だがそれ以上に、暴虐な君主の元へと両親を行かせる心配が勝って、俺は身を乗り出して言った。

「では、俺も行く」

「駄目だ」

「何故!」

 間髪入れずに却下されたが尚も食い下がる俺に、父は不自然な説得を始めたのだった。


 曰く、俺は大事な第一王位継承者であること。

 自分も年老いてきたのでそろそろ息子に王位を譲るべき時であること。

 子供たちが成長し、お互い助け合って国を支えていく力が備わったこと。

 そして、自分たちの意志を継いで、スラーをきっと守ってくれること。


「スラーは一緒に行かないのか? グラッセ皇帝は連れてこいと言っているが」

「あの子は幼い、故郷の真実の姿を受け入れるにはまだ早いだろう。グラッセは何を考えているか分からぬ輩だ、わざわざ危険な目に遭わせたくはない」

 確かに、スラーはフェルマータという国がどういう経緯で滅びたのかをまだ知らないから、スラーのために連れて行かない選択をしたのだという理由は分かる。

 グラッセ皇帝が何かを企んでいるのではないかという予感も察せる。

 だが、それらを踏まえた上で遺言を思わせる言葉の羅列は、俺の心に不安を募らせる。

「危険だと思っているのなら尚更、親父と母さんだけで行かせるわけにはいかない」

「まったく、お前も強情な奴だな」

 父は苦笑し、顎に手を当てながら一時(いっとき)思案した。

「……そうだな、それでは共に行こう。お前もその目で、今のグランディオの姿をよく見てくるがいい。ムジークを継ぐ者として、今後関わることは最早避けられぬ国だ」

「はっ」

 許可が下りたことにほっとして、敬礼する。

 出立の日時や必要な準備などを一通り確認して、父王の御前を辞する時、俺は呼び止められて振り返った。

「お前たちは本当にまっすぐ良い子に育ってくれて、俺もノーテも幸せ者だよ」

「……どうしたんだ、突然」

 父が急にガラにもないことを言い出すものだから、恥ずかしくなって半眼で睨みつけてしまう。

 そんな俺の視線を父は豪快に笑い飛ばし、じっと真正面から見つめ返してきた。

「お前たちになら、安心して国を任せられる」

 普段は畏怖すら感じる鋭いロイヤルブルーの瞳が、いつになく柔和な光に満ちていた。

「俺たちに何かあったら、後は頼んだぞ……トーン」

 その言葉に有無を言わさぬ覚悟を感じ、俺はただ頷くことしかできなかった。



 オクターヴ・ノーテ国王夫妻の外遊へ俺が同行することに対し、絶対についていくと一歩も譲らないシャープを護衛隊長に据え、フラットも行きたがってはいたものの父に説得されてムジークに留まった。

 普段はしない厚着を備えて、王族用の馬車へと乗り込む。

 グランディオ皇国へは、リタルダンド王国を経由した陸路を辿ることになる。

 道中で谷沿いの狭い雪道を通るため、護衛は馬車の周囲を護れるだけの最小限に留めた、少人数での旅路となった。


 途中、深い谷にかかる石の橋を通った。

 大きな客車がすれ違えるほどの幅があり、頑強な石が継ぎ目の分からぬほど滑らかに組まれていて、緻密な彫刻が目を惹く。強さと美しさを兼ね備えた橋だ。

「内緒なんだけど、この橋はね、ムジークとリタルダンド、フェルマータの三国が協力して造ったものなのよ」

 母が言ったので、俺とシャープは窓から見える石橋を確認する。

 長くはないが、それでも矢が届かないほどの距離はある。

「すごいな。こんな深い谷を繋ぐ橋、対岸に基礎を渡すだけでも結構な人手と工期が必要だったんじゃないか」

「いや、そこは一日だ」

「はァ!?」

 父が指を一本だけ立てると、シャープが裏返った声を上げる。

「しかも造ったのは三人だ」

「……親父、酔っぱらってるのか?」

 さらに指を二本追加した父に、俺も呆れ声で突っ込みを入れた。

 いやいや、と子供たちの冷ややかな目をものともせず、父は得意気に顎髭を撫でる。

「ヴェルテが飛竜を使って両岸に鉄鋼の網を渡し、俺がそれを覆うようにして地魔法で石を固めたのだ。その後、芸術肌のリタルダンド国王が考案した彫刻を俺とヴェルテの二人で施した」

「この人ったら、最初の一日で魔力を使い切っちゃったものだから、フォルスが縮んじゃって元に戻すまで大変だったのよ」

「王気が通用するのはムジーク国内だけだとすっかり忘れていてな、わっはっは」

 無駄に規模のでかい話にぽかんとする俺とシャープ。

 改めて石橋を見る。よくよく観察すると確かに、普通の造り方ではあり得ない特徴がこの橋にはあった。

「なるほど……石の継ぎ目が見えないのではなくて、そもそも無いのか。精霊魔法で作った巨大な一枚岩の橋なんだな」

 曰く、芸術の国リタルダンドはフェルマータの鉱石を重宝していたが、山奥の細い吊り橋しかなくて不便だから、太い橋を渡して貿易がやりやすくなるようにしたいと相談されたのだという。

 元々友好国として国民レベルでの交流を望んでいた父オクターヴとヴェルテ国王は、経由地となるリタルダンド国王からの提案に二つ返事で了承した。

「リタルダンド国王も、まさか二国の王が自らの力でこんな橋を建造するとは思わなかったらしい。『お前たちは敵に回したくない』と苦笑いされた」

「飛竜使いと精霊魔法使いが本気出したら、ただの人間なんざひとたまりもねェもんな」

 オレだって親父と本気の喧嘩はしたくねェし、というシャープのぼやきに対し、馬車の中で笑いが起こった。

「何でそんな功績を内緒にしてたんだ。橋を使う民にはどう説明した?」

 俺の問いに、父は困ったように頭をかいた。

「ムジークは精霊魔法で何でもできる、と思われても困るからな。過ぎた力は争いのきっかけにもなり得る。あくまでフェルマータとリタルダンド二国間の橋だから、計画段階から俺の協力があることは伏せてもらっていたのだ」

「なんて格好つけたことを言っているけれど、本当はほうぼうに自慢したくてうずうずしていたくせに」

「言うな、ノーテよ」

 照れくさそうに取り繕いつつ、いいかここだけの話だぞ、と改めて念を押す父。

 それを笑って了承しながら、俺には到底真似できないなと内心で苦笑した。


 石橋を越え、そこから先はグランディオの領地だ。

 森の中の一本道を抜けて視界が開けると、城下町へと続く石の街道が現れた。

 何でも太陽光を蓄積して微弱な熱を発する特殊な鉱石を使っているそうで、記録的な大雪にでもならない限り片っ端から解けていくらしい。

 これもヴェルテ国王の功績なのだと、父が自分のことのように自慢気に話してくれた。

 説明の通り、石畳は吹雪(ふぶ)いている天候をものともせず、客車を引く馬たちも調子を上げて、しばらく雪のない道を進む。

 城下町の門をくぐり、目抜き通りを行く。

 馬車から見る街並みは白くけぶって、窓も戸も固く閉ざされており、人の往来もまばらで寂寥感が漂っていた。

 同じ冬でもムジークの景色とはまるで違う。厳しい寒さに晒されながらも人々がこの地を離れないのは、きっと俺には想像もつかない様々な理由があるのだろう。


 飛竜の棲んでいた霊峰フェルメトに抱かれるグランディオ城は、旧フェルマータ王宮だった頃はなかった堅牢な石の城壁に守られていた。

 気軽な来訪者を拒む雰囲気はこれもまたムジークと真逆で、馬車を降りた俺は緊張して唾を飲み込んだ。

 城門で身体検査を受ける。当然ながら武器の類は持ち込めないので、シャープは外で待機する護衛の近衛騎士たちに愛用の槍斧を預けた。

 先導する兵士の後について、城内をまっすぐ進む。

 冷たい色をした石の床、飾り気のない壁――まるで牢を思わせる内観と、妙に殺気立った兵士たち。

 全体を包む物々しい空気は、グラッセが血を伴う革命で成った為政者であると改めて感じさせた。

 最終的に通された謁見の間。

 重々しく扉が開かれると、打って変わって豪奢な玉座で悠然と足を組む男の姿が目に入ってきた。

 初めて会うが、その男が現在のグランディオ皇国を統べる、グラッセ=トラウム=フェルマータであることに疑う余地はない。


「我がグランディオ皇国へようこそ、ムジーク国王とその他大勢」


 姿勢すら変えず発せられた第一声は、尊大の一言だった。

「どうした? 皇帝の御前だ、跪け」

 横でシャープが気色ばむ。俺は腕を叩いてそれを宥め、両親に倣って片膝をついた。

 俺と五歳しか違わないらしいが、肥え太った身体と、自己顕示欲にまみれた派手な装飾、自らを初代皇帝に据える性根の貪欲さが、異様な貫禄となって顔に滲み出ている。

 親書のへりくだった印象とはかけ離れた、高みからの態度。懐に呼び込んでしまえば後はこちらのものだ、という思惑が透けて見えるようだった。

 兄ヴェルテと似ているところは、髪と瞳の色くらいか。

「久しいな、グラッセ。以前会ったのは七年前にお祝いでここを訪ねた時だったか」

 父は跪いたまま顔を上げ、笑みを含んだ声で言った。

 相手の顔を立てるため膝は折っても、国王としての矜持までは折らないようだ。

「もっとも、あの頃はもっと根暗な男だったと記憶しているが」

「フン、そんな旧時代のことは忘れたな。今の姿が本来の余である」

 グラッセは玉座から、俺たちを舐めるように見回す。

「後ろにいるのは嫡男と――ノーテ王妃も、よくぞ参られた。相変わらず美しい」

「ふふふ、あなたは相変わらず子供っぽいわ。辞書を引いたような口説き文句では心に響きませんよ」

 母から煽るような言葉が出て、俺は同様に驚いたシャープと顔を見合わせる。

 はたから見た構図こそ目上の者に(かしず)く臣下だが、言葉の応酬はその真逆を行く。

 玉座の周囲に控える兵士たちから、射るような視線を感じる。

 グラッセも恥をかかされて顔色が赤黒くなっていくが、強がるような態度を見せた。

「口が減らぬ女だな。気が強いところもますます好みだ。このまま我が城に留まってはどうか」

「冗談もほどほどになさいませ」

 一笑に付す母。

「夫の目の前で妻を略奪しようなど、皇帝陛下はなかなか豪胆なことを仰る。……客人をもてなす余興としては、いささか悪趣味だがな」

 後ろから見る父の背に、静かな怒りが仄めくのが分かった。

「余興などではない」

 グラッセが厭らしく口の端を上げる。

「そう……余興でも、冗談でも、ましてや相談や懇願でもない。これは王より偉い皇帝からの命令だ。ノーテ王妃はグランディオに残り、余の妃となってもらう。一目見たその時から決めていたことだ」

「なっ……」

 予想もしない発言を聞いて、俺とシャープは同時に腰を浮かせた。それを後ろ手に制した父が立ち上がる。

「七年前に一言二言交わしただけの人妻を、妃にしたいだと? 笑わせるな」

「ふふ、運命の出会いとは実に奇なるものだな。余はあの瞬間、妃に娶るべしと天啓を受けたかのようだった」

「では、あの差出人不明の恋文はあなただったのね。どこの物好きが毎年こんなものを、と気持ち悪くて捨ててしまっていたけれど」

 母がグラッセに向けて、冷たい声を放つ。

「貴女に想いを寄せる者がいると認識さえしてもらえていたなら十分だ。恋とは秘してなお燃え上がるものだからな」

「俺が妻をそうやすやすと手放すと思うか」

「思わぬな」

 グラッセも立ち、右手を前にかざす。それを合図に、周囲の兵士たちが一斉に俺たちを囲んで武器を構えた。

 俺とシャープは、父と三人で母を背に守る形で身構える。

「余はこの玉座を力で奪い取った。欲しいものは力尽くで手に入れる」

 くつくつと笑うグラッセ。

「ムジーク国王。恵まれた貴様には分からぬだろうなぁ、奪われる屈辱というものが」

 足音を響かせて、ゆっくりと近づいてくる。

「余と兄ヴェルテは、欲するものがいつも一緒だった。生まれる順番が早かったというただそれだけで、兄は余から全てを奪っていった。親の愛も、女も、能力も、人望も、権力も! だから奪ってやったのだ!」

「ヴェルテは信望厚い国王だった。よくそれで革命が成ったものだな」

「頭と金を使えばどうとでもなる。何でも持っている人間を羨む者は、常に一定数いるものよ」

 その会話を聞いて思わず身震いする。

 恨み、(つら)み、妬み、(そね)み――そんな物の上に立っているこの国の、何と不安定なことか。

「兄が貴様ら夫婦のことを友人として大切にしていたからな。これはもう奪うしかないと思った。だからノーテをもらってやる。ムジークもグランディオの領土にしてやろう。小さいが肥沃な土地だ、困窮している我が国民たちもきっと喜ぶ」

「何を馬鹿なことを」

 唾棄する父は、詰め寄ったグラッセに胸倉を掴まれた。

「……スレイアも連れてこいと言ったはずだが、姿が見えぬぞ。何故おらぬ」

「ヴェルテの忘れ形見を、お前のような男に任せるわけにはいかん」

 父は怯まず、正面から眼光強く睨み据える。

「わたくしも直接見に来てよかった。ここの環境は、スレイア姫の健やかな成育に(さわ)りがあります」

 母も父を援護する言葉を放つ。

「……あの娘がいなければ、余の復讐は完成しないのだ」

 恨み言のように、グラッセから低く発せられる声。

 父の服を掴む手がブルブルと震え始め、肉に埋もれた顔の造形は怒りの形相に変わる。

「ノーテもスレイアも、国土すらも差し出さぬとは……! 傲慢たるムジーク国王よ、皇帝の命に背いたことを後悔するがいい!」

 グラッセが腰の短剣を引き抜き、父の胸元めがけて突き出す。

 俺は即座に飛び出し、父の厚手の服を掠めた白刃の根本――グラッセの腕を叩いて、取り落とした短剣を遠くへ蹴り飛ばす。続けてシャープが低い姿勢で体当たりすると、丸い身体がごろごろと転がった。取り囲む鎧が俄かに音を鳴らす。

もがいていたグラッセが上体を起こし、わななく手で俺たちを指差した。


「生きて帰れると思うな!!」

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