国王と過去の記憶(1)
何から話そうか、と顎に手を当てて思案する。
こうして過去を語るのはそうそうあることではないので、自分の記憶を探りながら順番に紐解いていく必要がある。
ましてや父と母のこととなると、伝聞や日記の記述なども思い出すことになるだろう。
一番初めに死の真実を伝えると、そこに至る背景を語る前にショックを受けてしまうかもしれない。
俺はスラーに関係する記憶の中から、一番穏当なものを選んだ。
「まずは、両親の人となりと、ムジークとフェルマータが友好国になった経緯から」
「わかりました」
その提案に、スラーはホッとした表情で頷いた。
* * *
父、ムジーク王国の第十七代国王オクターヴ=スケール=ムジーク。
俺の中では厳しくて恐ろしい存在だったが、それは多分次期国王としての期待を俺が重圧として勝手に感じていただけであって、人柄としては明るく豪胆で面倒見のいい父だったと思う。
濃い茶色の髪と同色の髭が国王としての威厳をより引き立たせていて、俺も王様になったら伸ばすべきかと尋ねたら「お前は童顔で似合わんからやめておけ」と笑われたことをよく覚えている。
国王としては――息子の俺が評価するのも何だが――賢君だったと言っていい。
俺の祖父にあたる第十六代国王が、継承争いの末に王位を勝ち取ったものの在位十年で病を理由に退位したため、父は二十歳の若さで王座に就いた。ちなみにその年は同時期に俺が生まれたこともあって、創樹祭はいつにも増して派手なお祭り騒ぎになったという。
そこから三十二年間、王気にひとかけらの翳りも見せることなく、民の不満も少なく、安定して国を率いていた。
そして母、王妃ノーテ=ムジーク。
俺より色素の薄い金髪は光の精霊の化身と噂されるほどで、若い頃は母の肖像画を描きたい画家が一夜に十人押しかけたなんて逸話があるらしい。
だが中身は一言で言うと、変わり者。
何事にもマイペースで周囲を翻弄し、こうと決めたら曲げない芯の強さは人一倍で、父も母の意見には唸ることが多かったとか。ただ国政にでしゃばることはせず、あくまで陰で国王を支える立場を一貫していた。
そして母にはもう一つ、不思議な力があった。それが『未来見』だ。
普段通りに生活している時に突然、不特定の未来の情景が脳に浮かぶのだという。
見える未来の長さも起こる時期もまちまち。頻度はそう多くなく、また、見ようと思って見られるものでもないらしい。
だがその的中率は百発百中で、俺が世継ぎとして誕生することはだいぶ早い段階で知っていたとか何とか。
それと、未来は見えるが自分の意思で結果を変えることはできないのだそうだ。どうあがこうと、何故か必ず見えた結果に収束する。
それゆえに、未来見の内容を予言として他者に話すことは滅多になかったという。
両親とも一人っ子同士で、『きょうだい』の存在を熱望していた。きっと、語らない中にいろいろ苦労があったのだと思う。
一度、俺も母に聞かれたことがある。あれはレミーが生まれたばかりの頃だったか。
「何故、子供がたくさん欲しいのか分かる?」
可愛いから? と脳天気に答える俺に、母は優しく微笑んで言った。
「貴方は王様になるけれど、一人で完璧じゃなくてもいいの。できないことはどんどん頼って、助け合って。そうして貴方も、弟や妹を守ってあげてね」
元々弟妹を溺愛していた俺だったが、この一言で少し、弟妹を見る方向性が変わったように思う。
一方的に愛でて守るだけの存在から、共に頼り頼られる仲間で在ろう、と決意したのはこの時だった。
フェルマータ王国は、ムジークとは隣のリタルダンド王国を挟む位置関係にある国だ。
国土面積の七割ほどが岩山と谷、高所にあるため夏は過ごしやすいが短く、冬は長くて辛い寒さとなる。
人が暮らしていくには厳しい環境だが鉱石資源が豊富で、夏の間に周辺各国へと売り捌き、食糧を買い貯めして冬に備えると聞く。
それとは正反対に恵まれた環境であるムジークとも、距離はあるものの元々交易は盛んだった。
フェルマータの象徴とも言えるほど有名なのが、王族が駆る飛竜だ。
霊峰フェルメトの岩山高くに巣を作る飛竜は、フェルマータ王家と『血の盟約』を結び、王族の意のままに空を舞う。
俺も目にしたことはあるが、これがなかなか……その、近くで見るには勇気が要る。
何せ火の玉は吐くし、堅い鱗や爪に覆われていて、人間の数倍大きな身体にぷちっと踏まれでもしたら一発で終わりだからな。弱虫とか、思っても言うんじゃない。
その飛竜に乗ってムジークに留学に来たのが、スラーの父であるフェルマータ王国第一王子ヴェルテ=トラウム=フェルマータだった。
ヴェルテ王子が来訪したのは十八歳、当時俺は――今のスラーと同じ九歳だったか。
国で役立てるために、ムジークの精霊魔法を学びに来た。
飛竜と共に王宮で過ごしていたので、勉学の時間以外は結構遊んでもらった記憶がある。
何事も豪快な父とは反対に、繊細で優しく、少し気が弱い人だったな。それでもあんな飛竜を操っているのだから、俺も尊敬の眼差しで見ていたものだ。
フェルマータの民は生まれつき髪が茶色く、父オクターヴもまた運命色が茶だったため親近感もあったのだろう。
ヴェルテ王子とは不思議と馬が合ったらしく、十一も年上の父が「まるで旧友のようだ」と嬉しそうに語っていた。ムジーク国王の肩書きに最初は恐縮していたヴェルテ王子も、やがて打ち解けて父の晩酌に付き合っていたという。
ヴェルテ王子が二十歳になって国に帰る直前、ムジークでとある事件が起きた。
この事件についての詳細を話し始めるとまたとてつもなく長くなってしまうし、あまり関係ないことなので割愛するが――困っていた父オクターヴのために、ヴェルテ王子が飛竜を駆って解決に尽力してくれたのだ。
その勇気ある行動に父はとても感謝して、将来ヴェルテ王子が国を継いだ際には力になろう、と約束したという。
そして五年後、フェルマータ王国君主としてヴェルテ国王が即位し、ムジークは約束通り『ムジーク・フェルマータ友好宣言』を締結したのだった。
* * *
少女にも分かりやすいように言葉を選び、要約しながらここまで話し終えて一息ついた。
スラーも、知らない単語はその都度確かめつつ、きちんと理解しようと頑張ってくれていたようだ。重い話もないため、時折笑ったり驚いたりする様子が可愛らしかった。
「お父さまとオクトさま、仲良しだったんですね」
「そうだな。ヴェルテ国王は即位後もよくムジーク王宮を訪ねてくれていたから、俺たち兄弟は皆知っている。ソファラなんて、三歳の時に飛竜の背に乗せてもらって大喜びしていたんだぞ」
ソファラ姉さますごい、とスラーが笑う。
確かにアイツの度胸は天性のものらしい、見ているこちらは気が気ではなかったが。
他にも、シドは飛竜のエサについてヴェルテ国王によく質問していたし、ヘオンも炎を吐き出す仕組みについて興味深そうに生態を観察していた。レミーだけは「でっかい羽トカゲ怖い」とか何とか言って遠巻きに見ていたのは、まあ無理もないか。
「ヴェルテ国王には、俺も大変世話になった。スラーが生まれた時に両親と俺でお祝いに行ったんだが、可愛い可愛いとそれはもうデレデレでな、上のお兄さんたちがヤキモチ焼いて大変だったようだ」
ふふっと笑った後、少しだけ俯くスラー。
「どうした?」
「えっと……スラーはお父さまとお母さまに、ちゃんと望まれて生まれてきたんだなと思ったら、嬉しくなっちゃったんです」
泣き出しそうな笑顔を向けられて、思わず心がきゅっとなる。
幼い頃に失った父と母の温もりが、スラーの胸の中にちゃんと残っていてくれて、俺も嬉しさのお裾分けをもらった気分になった。
「トーン兄さまは、スラーのお兄さまたちにも会ったことがあるんですね。スラー、フェルマータでのことはあんまり覚えていなくて」
「まぁ、二歳ではな……」
苦笑しつつ、言葉に詰まる。
スラーはわずか二歳で国を離れることになった。
ムジークに逃げてきたのはスラーだけであり、彼女の兄について語ることは即ち、七年前にフェルマータ王国で起こった辛い出来事を明かすことでもある。
「フェルマータやスラー自身のことについて、ルグレやフィーネからは、なんと?」
「……ほとんどなにも。一度だけ聞いてみたことがあるんですけど、二人とも悲しそうな顔をしたので、それから聞けていないんです」
「そうか」
あの二人も辛い逃避行をしたことに変わりはない。スラーのことを慮る以前に、口に出すことすらままならないのだろう。その胸中は察するに余りある。
「では、俺が知っている限りで七年前のことを話そう。辛くなったら、いつでも止めてくれていい」
「大丈夫です。ちゃんと聞きます」
俺はひとつ頷くと、再び口を開いた。




