国王と幼姫の慕情(6)
国王には、定期的に王宮最奥の精霊廟で祈りを捧げるという執務がある。
精霊王ルク・フォンテと対話し、加護を与えられた王気が清廉なままであると示すためのもので、儀式の間、国王以外の者は精霊も含めて廟に入ることができない。
対話といっても精霊王と直接会話ができるわけではないので――いや世間話でもできたら楽しいだろうが――、精霊王が俺の王気を探っている間、俺自身はひたすら暇を持て余している。
誰もいないし静かで居心地がよくて眠気が襲ってくるが、もちろん寝てはいけない。読みかけの本とか持ち込めればいいのに。
普段は退屈でしかないこの執務だが、今日は考えることがあったのであっという間に時が過ぎていった。
結局朝のうちに謝りに行くことはできなかったな、次に会うタイミングはいつだろう。
今朝はちゃんと食事をとれたのだろうか。
昨日より以前で、スラーの変調に何か思い当たることはなかっただろうか。
誕生日のパーティーをするのなら、どこで、どんな風に、何をプレゼントしてやろう――
自分でも驚くほどスラーのことしか考えていなかったので、廟を出る時に思わず苦笑した。
悪魔の鏡を覗いた時のスラーも、きっとこんな感じだったのだろう。
さて次の予定は何だったか、とフラットに尋ねようとして、その姿が見えないことに気がついた。
いつもなら外で待っていてくれるし、用事がある時は前もって言ってくれるはずなのだが。
その代わりに待機していた小間使いの青年が、フラットからの言伝を預かっていた。
――それを聞いて、俺は少し胸騒ぎがした。
ついにこの時が来てしまったのか、と思った。
足早に私室に戻って双子から話を聞き、スラーに両親の死の真実を話すことを決めた。
あまりに突然のことだったので、心の整理がつかず、何をどこまでどう話すかさえまともに決められないまま午後の公務に追われ、気づいたら夜の帳が降りていた。
今夜、スラーが俺の寝室に来てくれることになっている。
呼んだ理由は伝えていないが、昨日今日の出来事から恐らくスラーは察しているだろうと思う。
まだ九歳。
真実を知るには幼すぎるという気持ちと、二年も隠し続けたことに失望されないかという気持ちとがぶつかり合う。
スラーは聡い子だから大人の事情を理解はしてくれるだろうが、それに甘えてしまうのは大人としてあんまりだろう。
俺の言葉が、どれだけスラーの心に届くのかは分からない。
ただ、それを秘密にする理由にして逃げることはできない。
寝支度を整え、少女の来訪を待った。
「失礼いたします、陛下」
ノックの音と、ルグレの声。
「入ってくれ」
入室を促すと、開いた扉の向こうから現れたのは寝間着に身を包んだスラーだった。
ルグレは少女の肩を軽く叩き、よろしくお願いいたしますと俺に一礼して扉を閉めた。
部屋に二人きりになり、沈黙が場を支配する。
以前一緒に寝ることになった日は、スラーははにかみながらも笑顔が絶えず、嬉しそうにしていた。
なまじその時の記憶と比べてしまうために、陰鬱な表情で立っている少女が同一人物であると心の中で結びつかない。
俺は、扉の前から動こうとしないスラーの元へと歩み寄った。
「昨日は、無神経なことを言ってすまなかったな。来てくれて嬉しいぞ」
少し屈んで、まずは最初に言おうと思っていたことを伝える。
スラーは首をぶんぶんと横に振った。
「スラーのほうこそ、ひどいことを言ってしまってごめんなさい……!」
「大丈夫だ、気にしていないさ」
ぽんぽんと、頭を撫でてやる。
スラーはおどおどしながら、上目遣いで俺を見た。
「本当ですか?」
「あぁ」
俺が頷くと、スラーは俯き、服の裾を握り締めて言った。
「トーン兄さまは……スラーに嘘をつくから」
「嘘?」
確かに昨日はスラーの言葉に凹んでいたが、今はもう気にしていないのも事実であって。
その前に何故それを嘘だとスラーが知っているのだ、レミーが告げ口でもしたのだろうか。
アイツめ後で文句言ってやる、などと考えていると、
「創樹祭の式典の前だって」
思わぬ単語が出てきてぎくっとする。
「あんなに青いお顔で、あんなに汗を浮かべて……トーン兄さまは大したことないって笑ってたけど、平気そうなお怪我に見えるわけがなかったです」
痛いところを突かれたな、と内心で苦笑した。
あの時、アクートに刺されたことを伏せて話をしたが、隠し切れなかった苦痛がスラーには見抜かれていたのか。
「スラーに心配させないようについてくれた嘘だというのはわかってます。だけど、さみしい」
「……うん」
「心配もさせてくれないのは、スラーが子供だからですか? 本当のことを言ってくれないのは……本当の家族じゃないから?」
泣き出しそうな表情に、胸が締め付けられる思いがした。
引っ込み思案で遠慮がちなスラーの性格に、もっと心の内を教えてほしいと伝えてはいたが。
こんな思いを抱えさせるようでは、俺は本当に不甲斐ない。
「スラー」
片膝をつき、下から瞳を見る。
「嘘を、つくつもりはなかった。ただ、本当のことを話した時に、スラーの心が壊れてしまうんじゃないかと思うと……怖くてな」
今まで俺が隠してきた理由は、確かにスラーの言う『子供だから、本当の家族ではないから』というのが根底にあったと思う。
真っ向から否定できないだけに、どんな言葉を並べても言い訳っぽくなってしまう。
それでも構わず続けた。
「だが俺が、スラーをとても大事に思っていることは本当だ。信じてほしい」
「……はい……っ」
スラーは顔をくしゃっとゆがめて、大粒の涙を落とした。
「ここは寒い、ベッドに入ろう」
泣きじゃくる少女の肩を抱いて、私室の奥にあるベッドへと促す。
横たわらず、二人で並んで座る形で足に羽毛の布団をかける。
しばらくして落ち着いたスラーは、まっすぐな視線を俺に向けた。
「トーン兄さま。今夜はスラーの知りたいこと、全部教えてほしいんです」
「全部、か……。何を知りたい?」
「スラーに関することで、トーン兄さまが知っていること。……一番知りたいのは、オクトさまと、ノーテさまのことです」
もちろん、両親の死に関する真実を話すと決めて呼んだのだから、その準備はある。
だが、知りたいこと全部となるとまた別の不安が首をもたげてくる。
一度に全てを知ることは、相当な心の負担になってしまわないだろうか。
「とても長くなるし、理解が難しかったり、聞くだけで辛かったりする話もあるかもしれないぞ。それでもいいのか?」
「がんばって聞きます。……覚悟は、してきました」
小さな手で胸元を握り締めて、真剣な表情で頷くスラー。
「……分かった」
俺もその意思に応えるように頷き返す。
子供でも大人でもなく一人の人間として、真摯に向き合うべきだと腹を据えて、俺はこれから話すべき過去に思いを馳せた。




