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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第七話 国王と幼姫の慕情
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国王と幼姫の慕情(3)

「スラーに何してくれたのよ!!」


 ばぁん! とすごい威力で扉を開けて私室に入ってきたのは、顔面を怒り一色で染め上げたレミーだった。

「……レミーか……」

 ノックもせず入ってくるなとか、夜だから静かにしろとか、そういう説教もする気が起きなくて、机に突っ伏したまま返事をした。

 そんな俺を見て、レミーがみるみるうちに勢いをなくす。

「……なんか、お兄ちゃんの方が深刻なダメージ受けてそうね」

 呆れ口調で呟いて、レミーは静かに扉を閉めるとこちらへ近寄ってきた。

 開口一番スラーの名を叫んだことから、用件は夕方のアレだろう。

 分かっている。俺だってあれからそのことばかり考えていて、夕食もろくに喉を通らなかったのだ。

 ムジーク王国で引き取って以来、俺は弟や妹たちと同じようにスラーのことも可愛がってきた。

 血の繋がりに関係なく、分け隔てなく愛情を注いできたつもりだ。

 スラーもそれに応えてくれていると思っていた。

 少なくとも、あの時までは。

「……スラーはきっと、俺の愛情が鬱陶しい年頃になったんだ……」

「は?」

「女子は難しいからな……レミー、お前だって反抗期は凄かったもんな。ソファラはまぁ、昔からずっとあんな調子だが……それもどうかと思わなくもないし……」

「ねぇ、ちょっと」

「いいんだ。慰めはいらん。例えスラーに嫌われたとしても、俺のスラーへの愛情は嘘偽りないものだから――」


「聞けっつの!!」

「ヒエァ!?」


 だん! と耳元の机を激しく叩かれて、俺は跳ね起きた。

「何なのよ、国王様ともあろうお方がウジウジウジウジみっともない」

「ごめんなさい」

 レミーの眼差しが強烈なので、反射的に謝ってしまった。

「スラー、部屋に戻ってくるなり大泣きして、泣き疲れてご飯も食べずに寝ちゃったわ。あの子があんなに泣くなんてお兄ちゃんのこと以外にないから、ここに来たの。さ、夕方スラーに何を言ったのか話しなさい」

「ん? ……どうして、そうなる?」

 スラーが涙を流す理由=俺のこと以外にない、という方程式が俺の中で成り立たない。

 あのくらいの年の子供が泣く理由などたくさんありそうなものだが。誰かにいじめられたとか。いやそれは俺が許さないな。

 頭に疑問符を浮かべている俺を見て、レミーは大仰な溜め息をつく。

「……本っ気で分かんないワケ? 鈍感ここに極まれり、ね。馬鹿じゃないの」

 何故かものすごく罵られているが、肝心なことを教えてくれない。

 尋ねてみたところで火に油を注ぎそうな気がするので、素直に白状することにする。

「最近スラーが食欲がないらしいと聞いて、話を聞くために部屋へ行こうとしたら、その前に廊下で会ったんだ。ちょっとその時驚かせてしまって、スラーが持っていた本を落としたので、一緒に拾おうとしたのだが遮られて」

「ふんふん。で?」

「何か悩み事があるなら、父親代わりの俺に話してほしくてな。今夜また一緒に寝ようと提案したんだ。……そうしたら、泣かれた」

「父親代わりって、それ、スラーに言ったの?」

「あぁ。それでスラーから返ってきた言葉が、『父と呼べるのは本当のお父さまとオクトさまだけです』……俺は父親代理失格だ、とな。それで俺も凹んでいたところだ」

 レミーはそれを聞いて一瞬言葉に詰まった後、今度は長く重い息を吐き出した。

「なるほど、ね。……よく分かったわ」

「何だ、何が分かったんだ」

 机に身を乗り出して問いただすが、さぁ、と肩を竦めてレミーは笑った。

「そんなの自分で考えてよ。わたしが答えを言ったって意味ないんだから」

「では、やはり……俺は父として力不足ということなのか」

「当たり前でしょ、お兄ちゃんはどう頑張ったってお父さんの代わりにはなれないわよ」

 うぐぐ。そんなに威厳ないか俺。

 椅子に沈んで頭を抱える俺を尻目に、レミーはすっきりした顔でサッサと扉へ向かっていく。

「ま、待ってくれレミー、今度城下町のケーキ何でも買ってやるから」

「懐柔しようったって無ー駄。わたし、スラーが起きたら慰めてあげなきゃいけないんだから。……でも、そうね、じゃあヒントだけあげる」

 またヒントか。今日は何だか皆が回りくどいな。

 だがまったく情報がないよりマシなので、真剣な面持ちで頷く。


「スラーが鏡を覗いた時、映ったのは誰だったかしら? ……じゃ、ケーキよろしくね」


 それだけ言うと、レミーは颯爽と部屋を出ていってしまった。

 閉まる扉の音を耳に残しつつ、今の言葉を反芻する。

 鏡を覗いた時に映ったのは誰か。

 通常、鏡というものは覗いた人物の顔をそのまま映し出す。つまり映ったのはスラーだ。

 だがヒントと言うからにはそんな単純な答えではあり得ない。

 鏡と聞いて思い出すのは、以前王宮で起きた悪魔の鏡騒動。

 スラーが悪魔に魅入られてしまったのが原因で、兄弟全員てんやわんやの大騒ぎだったわけだが……つまり、あの時スラーを騙すために悪魔が変身したのは――

「……俺……?」

 そうやってヒントから導き出した答えを、俺は呆然と呟くしかなかった。


   * * *


「本日お見えになったのは、リタルダンドの王太子殿下だったなぁ」

「……そのようですね」

 使用人の居住区へと向かう道すがら。

 ぽつりと呟いた上司――ルグレの、やや曲がった背中へ向けて無難な返事をする。

「リタルダンドは、我らが祖国フェルマータにとっても隣国。交流も盛んであったし、先程お姿を拝見して、懐かしさでより一層郷愁の念が増したよ」

 フィーネは気づかれぬようそっと溜め息をついた。この後ルグレが語る話の展開は大体想像がつく。

 フェルマータ王国にいた頃の主君ヴェルテとの思い出話。

 侍従が主君を差し置いて生き長らえていることへの恥辱と悔恨。

 ムジーク王国に世話になり続けていることへの疑問。

 同じことを何度語ろうとも、『我らが祖国フェルマータ』での懐かしい日々が戻ることは決してないのに。

 フェルマータという国は、もう地図上のどこにもない。

 七年前のあの日以降、すでに滅んだ国として歴史に名を刻んでいるだけだ。

 現在その場所には、『グランディオ皇国』と名を改めた知らぬ国が居座っている。

 それを分かっていながら、かつて侍従長だった男は過去の幻影に取り縋る。

 そんなルグレを上司としては尊敬しているものの、時折こういった長い懐古話を聞かされることには辟易していた。

「王の証も現れた。だからいずれスラー様には、グランディオを打ち倒して祖国を取り戻すために立ち上がっていただければと思っているのだ」

 鼻息荒く、拳を握り締めるルグレ。

「ヴェルテ様がお世話になった先代ムジーク王ならまだしも、二代に渡っていつまでも甘えているわけにはいかんだろう。トーン陛下もそろそろ身を固められる頃だし、これからますます居辛く――」

「ルグレ様、お声が大きいですよ。どなたが聞いておられるか分かりませんから、滅多なことは」

 フィーネは長い話を遮るように声を挟んだ。

 ぐっと言葉に詰まる上司に笑顔を向けて。

「わたくしはこちらで。おやすみなさいませ」

「あ、あぁ。……おやすみ」

 ちょうど自室の前に差し掛かったのは幸いだった。

 ルグレの何か言いたげな顔を横目に、部屋の中へと身体を滑り込ませる。

 閉まった扉の向こうで遠ざかっていく足音を聞きながら、フィーネは長く息を吐いた。

「……ルグレ様は、何も分かっていらっしゃらないのよ」

 真っ暗な部屋で、扉にもたれる。

 他国から来た一介の侍女にあてがわれた個室。

 広くはないが設備も調度品も行き届いていて、ただの使用人には過ぎた待遇だ。

 スラーの世話だけに心を砕けるよう計らってくれたのは確かに先代のムジーク国王だが、現在の国王であるトーンも事ある毎に不便はないかと声をかけてくれる。

 少なくとも邪険に扱われていないのは分かるし、こんなに世話になっておいて、後足で砂をかけるような真似はしたくない。

 何より。

「スラー様の気持ちはどうなるの……?」

 まだ小さくてあんなに心優しいスラーが、革命の象徴となることを望むだろうか。

 国を追われた末姫に、今更ついてきてくれる人がどれだけいるだろう。

 仮に革命が成ったところで、その後も凄まじい重圧に苛まれることになるのではないか。

 フィーネにはそれがどうしても承服しがたい。

 最近何事かで悩んでいるらしいスラーのことを、トーンに任せてみようと提案したのはフィーネだった。

 もしかして、と思うような素振りを何度も見たからだ。

 それはいわゆる、女の勘というやつで。

「……どこであろうと、スラー様が幸せであればそれでいいの」

 自分に言い聞かせるようにはっきりと言葉にする。

 それから小さく紡いだ火の精霊語は、壁のランプに暖かな色を灯した。

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