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国王と七音の旋律 ~ムジーク王国記~  作者: 卯月慧
第六話 国王と平和への祈り
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国王と平和への祈り(1)

 何も言わずに出たのは、確かにまずかったなと思う。

 そういう時に限ってこのような事態になるのは、きっと罰なのだとも。

 

 それでも、俺はこの目で見ておきたかったのだ。この国が抱える問題を。現状を。



 今朝の会議は紛糾した。議題は当然、昨日俺が城下町で襲われた件についてだ。

 視察の帰り道。一般居住区とスラムを隔てる川沿いの道を馬車で移動していた時、突然馬の嘶きと御者の悲鳴が聞こえてガクンと止まった。

 数人の物盗りに襲撃されたらしく、扉を開けて中に入ろうとした男が俺を見てひっくり返り、怖気付いて逃げようとしたところを、近くを巡回中の騎士が取り押さえた。

 まさかあんな質素な馬車に国王が乗っているとは思わなかったのだろう。

 近衛騎士の証言もあり、犯人は白い髪をしたスラムの住人であることが確定。現在は拘留中で、すぐにでも尋問が始まるだろう。

 逃げた仲間の行方もソル騎士隊が追っているところだ。駐屯から帰ったばかりで緊急招集をかけてしまって、何だか申し訳ない気分になる。

 大臣が口角泡を飛ばしてスラムの無礼者を厳しく非難し、ついでに迂闊に近づいた俺を詰る。

 会議の参加者たちも皆同じ論調で、強い言葉の応酬にさすがの俺も辟易してきた。

 大した護衛もつけず出かけたことについては反省している旨を伝え、穏便に収束させようとした時――


「……白鬼街(びゃっきがい)の連中を、このままのさばらせておいていいのですか!」


 発せられたある一言が、俺の胸に深く突き刺さった。

 と同時に言いようのない怒りに見舞われる。その感情のままに、俺は机を拳で叩きつける。

「差別的な表現をやめろ。――スラムの住人も俺の大事な国民であること、よもや忘れたわけではないだろうな」

 自然と声が低くなり、発言者だけでなくその場の全員が息を飲んで固まった。

「議論するのは結構だが、単なる悪口に成り下がっては駄目だ。人としての品位のない者の意見など採るに値しない」

 大きく息を吐いて。

「国を憂えてくれての言動だとは重々承知している。ありがとう、そしてすまなかった。……今日のところは各自頭を冷やして、一旦仕切り直そう」

 有無を言わせず立ち上がる。これ以上、この殺気立った会議の場にいるのは苦痛だった。

 逃げなのかもしれないが、今の俺にこの場を上手く収める妙案など思い浮かばない。

 何か言いたげな大臣の視線を避けるようにして、俺は会議室を後にした。


 私室に戻り、乱暴に扉を閉めた途端――俺は脱力してその場に座り込んだ。

 城下町の視察に行って、馬車のルートをスラムの方向へ変えさせたのは紛れもなく俺だ。

 シャープを連れていれば止めてくれたのだろうが、あの時の弟はとても連れ歩ける状態には見えなかった。

 俺の軽率な好奇心と、中途半端な責任感が、あのような事態を引き起こしたのだと言っても過言ではない。

「……俺が、追い詰めてしまってどうする……!」

 国王の乗る馬車を襲ってしまったことで、さらにスラムの住人への風当たりは強くなったのだ。それはあの会議が証明している。俺は自己嫌悪に頭を抱えた。

 その時、背中の扉越しに声が聞こえてくる。

「陛下? ……大丈夫ですか?」

 控えめな声音は、俺の気持ちを慮っていた。

 しばらく放っておいてくれと言おうとしたが、このまま一人で凹んでいてもひたすら落ちるだけだな、と思い直して立ち上がる。

 扉を開けてやると、俺の顔を見たフラットが心配そうに眉尻を下げた。

「酷いお顔ですよ。今、お茶をお淹れしますから」

「……あぁ、ありがとう」

 連れ立って奥へと入り、俺は長椅子に沈む。

 熱の精霊による保温が施されたポットから茶葉にお湯を注ぎながら、フラットが言う。

「すみません、大変な時に不在にしていて。私もつい先程部屋に帰ってきたところなんです。朝議には遅れて行こうと準備していたら、兄さんの足音と扉の閉まる音が聞こえてきたので驚いて」

「そうだったか、騒がせたな。……まぁ、朝議の様子は大体お前の想像通りだと思うぞ」

 俺は天井を仰いで溜め息をつく。

「『高い塀で囲って隔離しろ』だの、『国から追放しろ』だの、挙句の果てに『一掃するべき』だのと、放っておいたら道端のゴミすら許さないくらいエスカレートしていたな。一掃なんてできるわけがないだろう、極端すぎる」

「……お疲れ様でした」

 過激な内容に同情するような声で、フラット。俺は鬱憤を吐き出したことで少し溜飲が下がる。

 しかしそうなると今度は、自身の迂闊さに対する嫌悪感が首をもたげてくる。

「……俺のせいで、スラムの住人はさらに行き場をなくすのだろうか……」

 片手で、痛む頭を押さえる。

 昨日王宮に戻ってからは、臣下に報告や通達をしたり騎士団に指示を出したりとバタバタしていたが、就寝前に一人になってからはずっとそればかりを考えていた。

 不満を溜め込んだ住人たちによる蜂起の噂。――今回の件が、彼らの決断を後押ししてしまったりはしないだろうか。

 目の前に静かに置かれたティーカップから、俺の好きなハーブの香りが漂ってきた。

「今回は、お互いに不運だったのです。ただでさえ怖い思いをなさったんですから、あまりご自分を責めてはなりませんよ」

 フラットの優しい声が心に沁みて、思わず目の奥が熱くなるのをグッとこらえる。

 泣いている場合ではないのだ。過ぎてしまったことは仕方ない、これから俺にできることを考えなくては。

「それにしても……昨日戻られてからの兄さんの側にいられなかったのが悔やまれます」

 向かいの椅子に腰かけたフラットは、心底口惜しそうに呟いた。

 修道院に外せない用事があるからと、俺の視察の供を辞退していたのだった。

「もう子供じゃないんだから気にしなくていいぞ?」

 俺の言葉に、フラットは首を振る。

「いいえ、一報をいただいた時は、兄さんの身に何かあったらと気が気ではありませんでした」

 怪我がなくて良かったです、と苦笑と共に言い添える。

「お前も何だか忙しそうだな」

「えぇ、例のスラムの子供の件で――あ」

 その時、扉が唐突に開いた。ノックがないことを咎めるより先に、俺は立ち上がって開けた人物の元へ駆け寄る。

「シャープ! 起きて大丈夫なのか」

「あぁ。……悪ィ、心配かけた」

 まだ少し顔色が良くないが、身なりはきちんと整えてあるし足取りもしっかりしている。

 俺はホッと息を吐いて、シャープを長椅子へと促した。フラットが「コーヒーはやめた方がいいですね」と呟きながら再び立ち上がり、新しいカップに紅茶を注ぐ。

「さっき、フラットから聞いた」

 シャープはいつになく神妙な面持ちで口を開いた。

「勝手にブッ倒れたオレにスラム行きをどうこう言える権利はねェし、兄貴があの時気ィ遣って嘘ついてくれたのも知ってる。……でも」

 膝の上で、拳を握り締めて。

「こんなことになるくらいだったら、次は無理だろうが何だろうがついてくからな」

 強い意志の籠った視線を向けられて、息を呑む。

 俺だって弟のことを心配する気持ちでいっぱいだ、体調が悪い時は遠慮なく休んでほしい。――だが今そんな反論をしても無駄だろう。シャープは強情だからな。

「分かった。頼りにしているぞ」

 そう、正面から目を見て伝える。

 シャープは駄目だと言われると思っていたのか一瞬驚いていたが、すぐに頷いてみせた。少し嬉しそうに見えるのは、兄である俺だから分かるちょっとした表情の変化だ。

「はぁ、喧嘩になるかとハラハラしました」

 フラットが微笑を浮かべながら椅子に座る。

「そういえばフラット、さっき何か言いかけていなかったか」

 俺が問うと、フラットは紅茶を含んだ姿勢のまま数度瞬き、あぁ、と思い出したように声をあげる。

「……良い知らせと悪い知らせ、どちらが先がよろしいですか?」

「何だ、怖いことを言うな」

 どちらも結局聞くことになるのだし、後も先も関係なさそうだが。

 とりあえずこの場の雰囲気を継いで、「では良い知らせから」と答える。

「先日の、スラムの子供がいつの間にか洗礼を受けていた件。子供は結局一切口を割らなかったんですが、その子に直接洗礼を施したという者が名乗り出たため、どうやら解決ということで決着がつきそうです。スラムの方々のご理解をいただいて、子供も無事に元の孤児院へお返しできました」

「そうか、それは良かった」

 シャープが鎮圧に行ったあの喧嘩が起きてから十日ほど。保護の名目で修道院に預けていたとはいえ、長い間友達と離されて寂しかっただろうからな。

 頷いたフラットがティーカップを置いた時、その表情は真剣なものに切り替わっていた。

「そして悪い知らせ……その洗礼を施した者というのが、レミーです」

「何だと!?」

 俺は机を叩いて身を乗り出す。カップとソーサーがカチャンと小さな音を鳴らした。

「……ンの馬鹿、何考えてんだ」

 シャープも苦々しい顔で毒づく。

 ムジーク王国の王立修道院は精霊信仰を崇め、精霊に寄り添った生活をしながら祈りを捧げる施設である。

 基本的に信仰の有無に関わりなく誰でも精霊魔法を扱っていいのだが、さらに大きな力を借りたくばより深く道を修めよという方針で活動している。

 特に、この世に生を受けて最初の洗礼である『染髪の儀』は彼らの活動の最たるもので、一生モノの精霊の祝福を赤子に授けるという大いなる力と神秘性から、寄付金を納めた者の子のみがその洗礼を受けることができた。

 寄付金の是非についてはたびたび論争があるものの、洗礼自体は精霊との相性が分かりやすく表に出るので、赤子に受けさせることを修道院は義務と称し、また国民の間でももはや常識となっている。

「レミーは名乗り出てから言い訳もせず、私にさえ話をしてくれないので何を思ってそんなことをしたのかはまだ分かりません。ただ、この一件で修道院の上の方もざわつきましてね。けじめとして、レミーは今日から宣教師としてスラムへ派遣されることが決まりました」

「けじめというより、見せしめではないか……!」

 無意識に拳が震える。スラムに修道院はないから、生活する場所が用意されているわけではない。

 女の身一つで放り出されるようなものだ。喧嘩や物盗りが日常茶飯事なあの場所へ。

「私は身内ということで、発言権がないに等しく……修道院長を拝命していながら、この体たらく。自分が情けないです……力及ばず、申し訳ありません」

 と、無念さを滲ませて言葉を吐き出した。

 フラットがこの部屋に来た直後は俺は自分のことでいっぱいで気付かなかったが、その憔悴した様子から、弟も昨夜は一睡もせず奔走していたのだろうと分かる。俺はどうしても彼を責める気にはなれなかった。

「いや、謝るな。どうしようもないことだってある。ならば俺の権限で、レミーを連れ戻させて――」

「それはなりません」

 ぴしゃりと、フラットが低い声で俺を制した。

「……っ、何故だ」

「私ですら身内だからと意見を封殺されたのですよ。兄さんがそれを無視して国王権限を振るったら、もっと大きな反発を招きかねません」

「それは……だがレミーが心配で」

「そのお気持ちも、表に出してはなりません。危険と隣り合わせのスラムで暮らさざるをえない女性は、今もたくさんいるのです。罪を犯して正式な手順で送り込まれるレミーを心配だからと呼び戻したりしたら、それは住人たちへの侮辱になってしまいます」

 俺は反論できずに唇を噛む。

 フラットの言うことはもっともだった。俺が率先して身内贔屓をやらかしては、いつぞやの見合い騒動のようなことになりかねない。

「では……どうすることもできないのか」

 俺の呟きに、フラットも悲痛な表情で沈黙する。

 無為な時間だけが過ぎていくように思われた――その時。

「……しゃーねェな。ついでに見てきてやるよ」

 溜め息と共に立ち上がるシャープ。

 えっ、とフラットが驚いた様子で双子の片割れの顔を見上げる。

「前に兄貴から頼まれてたんだ、遠征から帰ってきたらスラムに潜入捜査してこいってよ。今から行く」

「今からって……シャープお前、体調がまだ」

「寝すぎて疲れた。動いてたら治ンだろ」

 肩を回しながら平然と言ってくるシャープに、俺は二の句が継げない。フラットも若干呆れ顔だ。

「あの馬鹿のことは、あくまでついでだからな、ついで。兄貴、アイツに会ったら一発殴る許可くれ。武装はしねェから、素手だ」

 今度は殴る権利を要求してきた。

 以前の喧嘩仲裁では国民相手だったからやめさせたが、妹相手ならいくらシャープでもそうそうおかしな殴り方はしないだろうという妙な理論で自分を納得させる。レミーのことは心配であると同時に、叱ってやらねばならないのだ。

「シャープ、俺の分も頼む」

「兄さん!?」

「了解、んじゃ二発な」

「ちょっと! 手加減はしてくださいよ!?」

 フラットの悲鳴じみた訴えは、シャープの意地悪い笑みで流される。

「あぁそうだ、フラット、幻視魔法でオレの髪を別の色に見えるようにしてくんねェか。念の精霊語覚えてなくてよ」

「はぁ……構いませんけど、本当に大丈夫なんですか、いろいろと……」

 一気に疲れた表情で、フラットも立ち上がった。

 俺は二人の顔を交互に見て言う。

「シャープ、くれぐれも無理はするなよ。フラット、お前もシャープの補佐に回ってほしい。今は俺たちにできることを、ひとつひとつ確実にやっていくしかないのだからな」

 双子は同時に俺を見て、

「ん。ま、どうにかなるさ」

「分かりました。創樹祭も近づいていますし、後顧の憂いは絶っておきたいですからね」

 と笑顔で頷いてくれた。

 二人は早速準備をするからと、一礼して部屋を出ていく。

 残された俺もぼーっとしてはいられない。長椅子から立ち、気合いを入れ直して次の執務へと向かう準備を始めた。

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