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碧空の彼方 ~Change The Destiny~  作者: 蒼火
2.結婚式
3/6

 ウィアド=アッシャー、十七歳。無造作に伸ばした明るい茶髪に、どこか沈鬱な色を宿した、蒼い瞳。十七という年齢の少年にしては線が細く、生気の薄い印象を受ける。

 このロイガー帝国内において、アッシャー家の名を知らぬ者はいない。昔から軍家として知られる家柄ではあったが、もともとは、一個中隊の統率を任せられただけの下級貴族でしかなかった。そんなアッシャー家は、ここ十数年年で、【帝国御三家】と呼ばれる主要三家の一つに数えられ、帝国内の軍事を一手に担うまでに成長している。隣国との対戦に向けた、急速な軍国化・武力主義への動きが、軍家としてのアッシャーの地位を向上させたのだ。結果として現在、ウィアドの父・オセルが、アッシャー家当主と帝国軍の司令官を兼任している。


 今日はそんなアッシャー家の令嬢でウィアドの姉・ナウシズの結婚式当日なだけあって、邸内には、これまでにない慌ただしさと緊張した空気が漂っていた。早朝から、廊下を行き来する使用人達の足音や、指示の声が止むことは無い。

 アッシャー側がこれほど気を張るのも、無理のないことだ。ナウシズの夫となるのは、【帝国御三家】の一つ・マルバス家の次男なのだ。科学技術、特に機械工の名家であるマルバスは、同じ御三家といえども、成り上がりの新興貴族でしかないアッシャーとは訳が違う。機械工の技術により巨富を築き、帝国の基礎を創り上げた、古来より強大な力を持つ家柄である。二つの家の婚姻関係、その政治的意味合いの大きさは、はかり知れない。そもそもアッシャー側にしてみれば、今回の縁談まで漕ぎ着けたこと自体が、大きな成果と言えよう。


 七階の隅にある自室を出て、回廊を歩いている間も、邸内のあちこちで人が動き回る騒がしい雰囲気を感じていた。静かなのは東側ぐらいのものだ。

 この邸宅は、【御三家】の本家と皇居が、広い中庭をぐるりと円形に取り囲む形状になっている。北側の離れに皇居を配置し、西にアッシャー家、南にマルバス家、そして東に、【御三家】の残る一つ・タリアン家の邸宅が弧状に連なる、集合住宅形式だ。各家の棟はそれぞれ地上七階建てとなっており、偶数階に、他棟に続く連絡通路が網羅されている。

 アッシャー棟の三階にあるナウシズの部屋に向かうと、丁度部屋から出て来た年配のメイドがウィアドに気付き、やや驚いた顔になって頭を下げた。

「まあウィアド様、ご機嫌麗しゅう存じます」

「ん、ああ……」

 ウィアドが気の無い返事をすると、

「丁度ナウシズ様のドレスの着付けが終わったところでございます。是非ご覧になって下さいませ、きっと目を見張りますわ」

 彼女は微笑んで言い、丁寧に礼をして去っていった。

 ウィアドがやや緊張しながらその部屋の戸を叩くと、小さな声で返事があった。

戸を開けるのには、ある種の覚悟が必要だった。幼い頃から随分と良くしてくれた姉が、今日をもって他人のものになるということ……恐らく戸の向こうでその準備を終えているのであろう彼女の姿を想像すると、住処が遠く離れることは無いとは言え、何とも複雑な心境になるのだった。

 ようやく意を決して入ると、部屋の中央の姿見に映る自分の花嫁姿をしげしげと見ながら、ナウシズが立っていた。その背中に、どこか寂しげで沈んだ様子を見てとれたのは、入室後のほんの一瞬……彼女がこちらを振り返って嬉しそうな声を上げるまでの、僅かな間だった。

「ウィアド! ……良かった、来られたのね」

 心洗われるような、純白のドレス姿。普段は真っ直ぐに伸ばしている肩までの茶色の髪も、今日は頭の上で綺麗に結って……。そんな特別な姿でありながら、彼女の笑顔は、昨日までのそれと何も変わらなかった。

「貴方が思ったより早く来てくれて安心したわ。式は午後からなのに、もうこんな窮屈な姿にさせられて。ろくに動けずに一人で部屋に居るのは、凄く苦痛だったと思うから……」

 言いながら、ドレスの長い裾が鬱陶しくて仕方ないというように顔をしかめる。その様子を見たウィアドは、彼女らしい、と少し笑った。ナウシズは、アッシャー家の令嬢でありながら、その身に纏う空気感や衣服は素朴そのもので、派手を好まず、宝石等の高価な装飾品もほとんど持っていなかった。そんな彼女にしてみれば、今日という特別な日のための晴れの衣装でさえも、窮屈で煩わしいものに思えてしまうのだろう。

「なかなか、似合うじゃない」

 ウィアドがなだめるように言うと、ナウシズは鏡越しに微笑む。

「ありがとう。まあ、馬子にも衣装よね。今日くらい気取ってみるのも悪くはないわ」

 詞は自嘲的だが、弟に褒められたことはまんざらでもない様子だ。

「ところで、」

 と、彼女は思いついたように振り返り、

「貴方、昼の分の薬は飲んだの? 来てくれたのは嬉しいけれど、顔色が良いとは言えないわよ?」

「ああ……」

 花嫁姿に似合わず、心配そうに顔を曇らせるナウシズに、ウィアドは肩を竦める。

「いや、まだだけど」

「では、メムを呼んで持って来させましょう。外で待たせてあるわ」

 彼女はすぐさま言って、右手の人差指につけた銀の指輪を回した。

「すぐ戻るからいいのに」

 ウィアドは慌てて言ったが、

「それなら、貴方の部屋まで運ばせるわ」

 彼女は、時折見せる頑なな態度になって言う。程無くして、部屋の戸を叩く音が響いた。

「……お呼びですか」

 凛とした声と共に入ってきたのは、銀髪に黒い瞳の、若い女性。男性のウィアドに勝るとも劣らぬ長身で、短髪であるため、やや中性的な印象を与える。

メム・S・セカンド……ナウシズ専属の【従者】である彼女の靴音に耳を澄ますと、妙に高い金属音がするのが分かるだろう。その両脚は、彼女本来のものではない。メグレスの左目と同様、特殊な金属製の機械でできていた。普段は侍従としての仕事が多いため、その性能を発揮する機会は無いが、高速での移動を可能にするものだ。

「ウィアドの昼の薬を取ってきて欲しいの。彼の部屋まで運んで」

「かしこまりました」

 彼女はナウシズの命じを受け、一礼して踵を返し、部屋を後にした。と、入れ替わりに別の人物が部屋に入って来て、頭を下げた。帝国軍の黒い軍服を纏い、ぼさぼさの茶髪に口髭を生やした、大柄の男だ。

「あら、アレフ大佐」

 ナウシズが真っ先に声を上げた。

「どうなさったの? 今日は結婚式なのに、普段の軍服姿で……」

「へえ、」

 その男・アレフ=イェツィラーは、顔を上げて答える。

「三年前の反乱の残党……アルファルド家の奴らが、また壁外で暴動を起こしやがったもんで、これから鎮圧に。どうにも午後の式には間に合いそうにねえんで……せめて一言お祝いのご挨拶を、と思ったんでさぁ」

「また暴動……最近多いのね」

 ナウシズは沈んだ声で呟いた後で、

「大変ね。こんな時まで駆り出されるなんて」

 ふざけて怒るような、明るい調子で言った。……まるで、何かを振り払うように。それを見たアレフは、至極残念そうな表情を浮かべる。

「全く、今更アルファルドなんかが孤軍奮闘したところで、何になるってんだか。大人しく投降すりゃ、こっちもお家潰しなんざしねえで済むんですがねえ」

 彼はやれやれと首を振りながらぼやき続ける。

「こんなくだらねえ事のせいで、式に出られなくなるのは本当に残念でならねえが、こちとらお嬢さんの大事な日だ。そんな中好き勝手させるわけにはいかねえんでね。こうしてお嬢さんの花嫁姿を一目見られただけでも良かった。……本当に綺麗になられた。ビーナ奥さんを思い出しやすよ」

 最後はナウシズの方を見ながら、しみじみと言った。

「……ありがとう」

 ナウシズは少し寂しそうに微笑む。ウィアドには、彼女の心境が何となく分かった。

 アレフとは、以前から家同士の付き合いがあり、個人的にも身分を超えて父と親しくしていた。そのためウィアドやナウシズも、幼い頃から彼にはよく面倒を見てもらったのだ。特にナウシズは昔から、多忙な父に代わる存在として彼を特別慕っていたし、アッシャー家を襲ったあの【三年前の悲劇】以来は、彼を大きな支えとしてもいた。だからこそ今日の結婚式は、彼に居てもらいたかったのだと思う。あの深い悲しみから立ち直り幸せになる、それを象徴する今日の式を、彼にこそ見てもらいたかったのだろう。……傍に居ることのできない、あまりに遠くへ行ってしまった者達の代わりに。

「きっと喜んで見てやすよ。奥さんも、……ラメド坊ちゃんも」

 アレフがふいに呟いた。

「ええ……そうよね」

 ナウシズは頷く。と、また別の誰かが部屋にやって来た。

「おや、賑やかだな」

 タキシードに身を包んだ、長い黒髪の男。彼は意外な先客の存在に微笑した。

「こりゃ、ザイン様……」

 アレフが驚いた顔で頭を下げる。

「アレフか。壁外の暴動の話は聞いた。こんな時までご苦労だな」

「いえ……」

 アレフは急に当所のない様子で萎縮し始める。無理もない。その男こそ、ナウシズの夫となる人物でマルバス家の次男・ザインだったのだ。

「実家の方はどこに居ても使用人らが世話を焼いてきて、参ってしまってね。……何よりもまず、君の姿を見ておきたかった。とても綺麗だ」

 ザインはナウシズに向かって言う。あからさまな詞を人前で投げかけられ、彼女は少し罰が悪そうに顔を赤らめた。

「……そろそろ、あっしは失礼致しやす」

 アレフは完全に当惑した様子で、一歩後退しながらおずおずと口にした。

「大佐!」

 一礼して逃げるように退室しようとする彼を、ナウシズが慌てて呼び止める。その大きな声は、いささか場違いな程だった。

「……どうかお気を付けて」

 立ち止まって振り返ったアレフに、彼女は祈るように言う。

「任せてくだせえ。壁外の蛮族のアルファルドなんかに、おいそれと負けやしやせん。必ず、彼奴らに然るべき制裁を加えてきやす」

 アレフは少し先程までの調子を取り戻し、頬笑んで敬礼してから、部屋を出て行った。


「さて、」

 ザインは静かに切り出した。

「ウィアド。君も来ているとは思わなかったな。今日は幾分体調が良いと見える」

「……はあ」

 自分も外した方が良いのではないかと考えていたところに話を振られたので、ウィアドは、気の抜けた返事をする。

「今日は素晴らしい日になる。――両家にとっても、私にとっても。アッシャーとマルバスの婚姻関係……歴史に刻まれるだろう。私個人としても、君のお姉さんという素晴らしい女性を妻にできる」

 ザインは、彼の生来の穏やかな口調で言いながら、ナウシズの華奢な肩を抱いた。

「ええ……良いことです」

 ウィアドは、あくまで淡々と応じる。

「それだけではない」

 彼はウィアドの顔を覗き込むようにして続けた。

「君と義兄弟になれるということだ。優秀なラメド……三年前のことは本当に残念で悲しい出来事だったが……その弟の君と、こうしてまた新たな関係を築くことができる。喜ばしいことだ」

 ウィアドは、ザインを用心深く伺った。……物腰柔らかな好青年。それが、周囲の彼に対する評価だった。マルバスの名に相応しく優秀な人物でもあったし、実際、彼は諸事において完璧に思われた。

……だが。

「ええ、僕も嬉しいです。……義兄さん」

 単調に聞こえないよう注意したつもりだったが、発した自分の声は、恐ろしく何の抑揚も無かった。

「部屋に戻ります」

「……! ウィアド」

 ナウシズが心細そうに呼び止めてきたが、

「式の時間まで休むよ。少し気分が悪くなったみたいだ」

 ウィアドは言って、

「では義兄さん、また後ほど」

 ザインに軽く頭を下げ、早々にその場から立ち去った。


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