星星の悲しみ(山田)
今年も例年と同じように、年賀状を一通たりとも出さなかったのに、山田の元には二通の年賀状が届いた。その二通は年賀状の束を家族の宛名それぞれに振り分けた父親が「ほれ」といって山田に手渡した。残りは弟のぶんを省いてから、テーブルの綺麗な箇所に二分して載せた。
一枚はメガネスーパーからの年賀状でメガネを掛けた龍が微笑んでいた。去年の暮れにメガネのつるを折ってしまい、メガネスーパー横浜店で新調したばかりなのだ。もう一枚は、中学生時代友人であった内川淳平君から届いたものであった。
彼が自分に年賀状はおろか手紙の類を一度でも寄越した覚えなど山田にはなかった。中学の途中で九州のほうへ引越したので彼の性格に関する記憶は曖昧だった。それに、何の拍子かしらないけれどもずっと連絡を取っていない相手に年賀状を書くほど律儀なやつではなかった。
「見て。内川君から来てるんだけど、どうして今更」
「内川君ってあなたが歯を折った子でしょう。覚えてるわよ」
「うん、まあそうだ。あの事故以来、内川君がぼくに口も聞いてくれなかったわけではなかったけど、彼の見送り会でぼくは妙によそよそしい気分だったのを覚えている。あんまり思い出したくない」
「でも本当に折ったっけ。お母さんがすごく素敵な方だったけど、遠慮したのかしら」
「さあなあ・・・。血がドバーッとでたのは確かだった。あのとき泉先生はぼくを叱らなかったでしょう。だからぼくのほうもあの子が治るまでは罪悪感を引きずっていたが、その後彼の家へ遊びに行って、彼も彼のお母さんもにこやかな表情で迎えてくれたから安心したよ。ただ、それっきりだった」
「あんた、ちゃんと謝ったの」
「当たり前だろ」
母親は雑煮の鍋を携えて家を出た。車で彼女の実家へ、雑煮の鍋を届けにゆくのだった。それから父親と弟は揃って初詣にでかけた。ぼくは風邪気味だからといって正直に断った。
内川君ともう一人、同じ部活の仲間であった林君とぼくの三人で、暑い夏の日に自転車での山登りに挑戦したことがある。山頂には淡いピンク色のホテルがあり、あとは峰々のあちらこちらに電波塔がそびえているのが見えるだけだった。ホテルを目指そうということで、コンクリートで舗装された一本道を上ってゆけば良かった。
坂道で自転車を普通に漕いでいては埒が明かない。立ち漕ぎといって尻を浮かせて重心を両足に掛けることで馬力を上げる方法があるが、そうやっているとすぐに足が疲れてしまう。汗だくになりながら無心に自転車を漕ぎ、木陰に入る度に自転車を降りて休憩せざるを得なかった。しかし、シャツの裾をぱたぱたと仰いで服の裏地と皮膚のあいだに風を送るのはひやりとして気持ち良かったように思う。
現在のぼくとして、かれこれ一年以上、自転車を漕いだ覚えがない。自宅の門を入って玄関の脇から裏庭へ続く暗くじめじめした通路に塀にもたせ掛けるようにして野ざらしにしてあるぼくの自転車はチェーンがすっかり錆びきってしまっている。四帖半程の裏庭の隅の物置へ出向くのにこの通路を通る際には邪魔で「捨ててしまえよ」とか「いらないだろう」とか山田の家族は誰もが口にするが、やはりそのままブロック塀に倚りかかっているのであった。また、諸々の鍵はまとめて自室にある机の引き出しに入れてあったが、自転車の鍵がどれであったかさえ忘れてしまう始末で、それを確認するまでのちょっとした行程さえ面倒であった。
山登りに自転車が不向きなのはわかっていたが、山のてっぺんから麓まで坂道を急速で下るのはとても楽しいということを、ぼくらは知っていた。また苦労したぶん、あのホテルの温泉に浸かるのが至高のひとときとなるだろうということも三人は確信していた。ホテルが彼らの間近に迫ったときにはもう夕暮れ近く、東の空には一番星が光っていた。しかし一番星をいつどこで見たか覚えているはずもなく、これはぼくの作り話である。