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「花織先輩、ちょっといいですか?」
私立麓原学園女子高等学校〈しりつろくはらがくえんじょしこうとうがっこう〉。
今年で開校50周年。
モットーは『常に優雅たれ』。
全校生徒450名。教員30名。
文化部の数、20。
運動部の数……3。
「花織『先生』でしょ。ここは学校ですよ、りっくん」
「……」
理事長である千種冬弓〈ちぐさ ふゆみ〉は、この学園の創始者である高名な資産家の孫娘であり、弱気を挫き強気を助け、無駄に虚栄心が強く金銭に目が無い、いわゆる下衆である。
スポーツ嫌いな彼女の方針により、この学校には極度に運動部が少ない。
生徒には厳しく接するだけでほとんど褒めようとはしないくせ、自分や自分に従う者にだけはとことん甘い。
外面ばかり気にしているため父兄や地域住民からの信望は根強いが、実情を知る生徒間での人望はほぼゼロに等しく、その支持率はどこぞの国の内閣よりも、格段に劣る。
それにここの教員達はそのほとんどが、絶対的な権力者である彼女の奴隷だ。
こんな愚昧な専制君主が理事を務めてもやっていける位なのだから、俺はこの国の政治に対する不安をまったく感じていない。
「ところで、なんの用? さっきひなせちゃんとなにかにぎやかにお話してたみたいだけど」
暴走機関車新田号から下車し、寒いほどに冷え冷えとした職員室に舞い戻った俺は、返す刀でそのままひとりの女教師のもとへと向かった。
あくせくと小テスト後の採点作業に忙殺されている。赤ペンが右に左に上下にと警戒にペーパーの上を走る。
彼女は佐々木花織〈ささき かおり〉。
今から持ちかける俺の馬鹿げた話を、この学園内で唯一まじめに聞いてくれるであろう人。そして部長にするにふさわしい発言力と信望を備えた人。
さりげなく近づき、小声で訊ねる。
「突拍子も無いことをお聞きしますが、この夏休みから野球部の顧問――なんてする気はないですかね……って、ないか! あっはっは~」
まぁ、いくら鷹揚なこの人でも拒否するだろう。これはそのくらい無謀なことだ。
だが俺としてはまったく構わない。むしろ心置きなく水着ギャルと戯れるためには、ここであっさりと拒絶してもらったほうが助かるのだ。
これはそう、新田への義理だ。
教師たるもの一応生徒との約束は守るべきだからな。
「うーん……」
花織先輩はペンをすべらせる手を止め、俺の予想に反してなにやら深く悩みこんだ様子でうなると。
「いーよ!」
俺を見上げ、笑顔で快諾した。
「……え」
「いーよ。顧問、やってみるっ」
「あの、考え直したほうが……」
彼女、佐々木花織はこの学校に勤めて三年目の、いわゆるマドンナである。俺より二歳上で、天然な癒し系お姉さん的存在として、なんというか俺、もう大好きである。
なんと彼女とは高校、大学と学び舎を共にした仲であり、さらにはこうして就職先をも同じくしている。
「なんで? 楽しそうじゃない?」
ニッコ~♪
だが勘違いしないでいただきたい。この経歴、偶然なんかではない。
俺が一方的に先輩をストーキングしているのだ。かわいいし、やさしいし、おっぱいだし。まさに三冠王だ。
花織先輩かわいい。
かわいいもの大好き。
花織先輩大好き。
人間愚直に生きるべきだ!
だが――。
「いや、楽しくないです! だからやめたほうがいいですって!」
「ん~? りっくんから聞いてきたくせに、変なの」
「そ、そもそも部員が足りてないんです。だからたぶんこの話はなかったことになるかと――」
だが、だがここはNOと答えてほしかった……!!
……と、そのとき。
ガラガラガラ――!
「センセー!」
憧れの花織先輩からの意外な返答にどうしようどうしようと狼狽する俺の背に、ついさっきまで耳にしていた元気いっぱいな声が浴びせられる。
嫌な予感がする……。
「――さっそくふたりゲットしちゃったですよ! えへへ!」
ブイ! ブイブイ! と何度もピースサインを突き出しながら、新田は得意げに告げた。
あー、やっぱり……。
「あ、またひなせちゃん来た~。ねぇりっくん、ひなせちゃんも野球部やるの?」
「ヤバイ……、海が、波が、水着ギャルたちが遠のいていく」
「よぉーし、この調子でガンガン勧誘するですよぉっ!」
「だが待て、落ち着け。まだ3人じゃないか……。何をか恐れることやあらん……」
「こーしえんすっごく楽しみですねっ、センセー!」
人の気も知らず、意気揚々といった様子の新田。
その瞳は太陽のごとくらんらんと燃える。
「え、なになに~? ふたりとも甲子園いくの?」
えぇすごいね~、私もいきたいなぁ~!
採点中の小テストをほっぽり投げ、にわかに色めき立つ先輩。
うん、無邪気すぎ。まだ女子高生でいけますよあなた。
「あー花織センセーです! こんにちはですー!」
「ねぇひなせちゃん、私も甲子園行っていい?」
「もちろんですっ! センセー、ちゃんと部長候補見つけてくれてたですね! うれしいです~っ」
「……あ、あぁ。ははっ」
甲子園の予選にはもうとっくに間に合わないということは、黙っておいたほうがよさそうだ。