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1-1

夏休みの風物詩といえばなんだろうか。

祭。花火。かき氷。蚊取り線香。などだろうか。

だが外せないのは、海と水着ギャルだ。これに尽きる。


「わかってないですー! そんなの高校野球しかないですっ! こーしえん!」


あぁ、そんな汗くさい行事もあったな。

まぁ確かに聖地甲子園を目指して行われる全国規模の催しは、世界最大のトーナメント戦と言われるだけあって世間の注目度は高い。

一心不乱に青春の炎を燃やすハツラツとした球児達の、その汗と涙は儚くも美しいものだ。

そこには世代を超えて連綿と受け継がれるロマンがある。

認めよう。高校野球は確かに夏の風物詩だ。もはやこの国の文化でもある。

だから構わない。おおいに結構。

観るぶんにはな。


「いっしょに野球しようです! こーしえん行くですよ!」


でもやるのは勘弁して欲しい。

俺は白球を追うより水着ギャルを追いかけたいんだ。

土ぼこりのグランドを這いずり回るより輝くビーチの上ではしゃぎたい。

炎天下のもと汗だくで叫ぶよりも濡れた女の子に愛の言葉をささやきたい。


「センセーには監督をしてもらうですよー! 野球経験あるですもんね? どうせ野球が恋人ですもんね?」


ほっとけ!

経験はあるがもう縁を切ったんだよ。バツ1ってやつだ。よりを戻す予定もない。


「ひなをこーしえんに連れてってほしいですぅ!」


うんいい笑顔だ。わざわざ野球なんかしなくたって、今のおまえは十分に輝いているぞ。

それに野球ってのは男のスポーツなんだよ、基本的に。そもそもウチの学校に野球部なんてものはだな――。


「無いなら作るです! ひなと、野球部を作るですよ!」


冷房のガンガンに効いた節電意識の欠片もない大広間に、新田ひなせの熱血的な咆哮がこだました。

夏休みを一週間後に控え、どことなく弛緩した空気の蔓延する放課後の職員室が何事か、と静寂に包まれる。

周囲の教員達の視線が俺のデスクへと集中している。


「お、落ち着け新田」


俺はぺこぺこと周りに頭を下げながら、いきり立つ少女をなだめる。


「だってだってセンセーが乗り気じゃないですっ」

「あのな……、俺にも予定があるんだよ、わかるか? おまえの担任だからってなんでもかんでも付き合ってやるわけにはいかないんだから」


新米教師としてこの学校に赴任して四ヶ月弱。待ちに待った長期休暇だ。

すでに俺の胃はボロボロ。

夏休みを楽しみにしているのはなにも生徒だけじゃあないのだ。


「ぶーっ! どうせ毎日ヒマなくせに!」

「決め付けるなっ。俺だってまだうら若い健全な男子なんだ。予定だって山ほどある」


水着ギャルを観測し捕獲するという重要かつ甘美な予定がな。


「えー……。ひな、センセーとじゃなきゃヤダですぅ……」


甘えても無駄だ!


「なんでだよ……。大体そこまで言うなら、もう部員の確保はできてるんだろうな。野球するなら最低9人必要なんだぞ」

「あ、あてはあるですよ! まだ誘ってないですけど」


まだ集まってないのかよ……。


「――で、でも絶対にあと8人集めて見せるですっ」


新田は鼻息も荒くちっちゃな握りこぶしを振りあげた。やる気だけはビンビンに伝わってくる。

なんと言うか、いかにも高校生と言おうか……。

一時の激情にかられ、無鉄砲に無計画な暴走を続けているように見える。前しか見てないんだ。


「いや、部員集めだけじゃまだ半分だ。そのあとに野球部の発足要求書を作成する必要がある」

「そ、それはセンセーにまかせるです……」


新田は突き上げたままの腕をしおしおと下ろしながらつぶやいた。


「さらにだな、しかるべき立場にある教員を顧問として擁立しなくちゃいけないぞ?」


とにかく面倒なんだよ、色々と。

あの頭の固いクソ理事長を説き伏せるのは容易ではない。新米中の新米で信頼も発言力も皆無なこの俺じゃまず無理だ。

だから、もし本当にやりたいなら誰か別の人に部を代表してもらう必要がある。


「えぇ~。センセーじゃダメなのです?」


はた迷惑な暴走少女は、キラキラしたまんまるい瞳で俺を見つめる……。


「ハァ……」


俺は立ち上がり、諦めの悪い新田を誘って廊下へと出た。

職員室のドアを締め切った瞬間、18度設定の人工冷気に変わって、ここぞとばかりに湿った空気が体じゅうまとわりついてきた。

一瞬で噴き出す汗。


「いいか新田。ウチの学校はやけに封建的なところがあるんだ。ましてや新しい運動部の設立なんて、ルーキー極まりないこの俺には無理なんだ。わかるか?」

「ホオ……ケイ……的?」


小首を傾げる純真無垢な乙女。

そうそう、包け――。


「ふおおおおお! おい待て! ちょっとドキッとしたから許すが今の言葉は忘れろ!」

「……?」

「そ、それから、俺は仮性だからな! いいな! 忘れろよ!」


あたふたと周りを見回すも、幸い人の姿は無かった。なんだか焦って言わなくてもいいようなことまで言ってしまった気もするが――。


「……火星? へ?」


しかし新田はなんのことやらわからない、といった様子で首をかしげている。

別に知る必要のないことだ、うん。


「と、ともかく! 顧問候補は探すだけ探しといてやるが、新田が部員を集められなかったら話にならないからな。その場合はそこで試合終了だと諦めてくれ」

「そ、そうなったらセンセーは野球しないってことです……?」


先ほどまでの勢いはどこへ消えたか、新田はいきなりトーンダウンし、眉根を寄せて不安げに尋ねた。

その切なげ表情を見て、なぜか俺の心臓は数ミクロンほど垂直ジャンプしていた。


「そ、そういうわけじゃない。俺は監督なんだろ? でもそれとは別に顧問が必要なんだよ」

「わあ――」


ふたつの瞳と声色がふたたび無鉄砲な輝きを取り戻す。


「よかったですぅ! センセーがいないなんてひなは絶対ヤダだったですよ!」


う~ん……。


「なんでそんなに俺にこだわるんだ? いくら担任とはいえ万能じゃあないんだぞ」


むしろ俺なんかでは足手まといにすらなりかねない。

他に友達とかいるだろ。なにも正式な部として活動しなくたっていくらでも野球はできるはずだ。


「そ――」


新田は、ほんの一瞬俺から不自然に視線を逸らした。


「それは、いつかセンセー自身に気がついてほしいですっ。だから内緒ですー」


なんだそりゃ。


「ま、ともかく部員集まんなかったらお流れだからな? 期限は夏休み入るまでだ」


あと一週間。


「じゃ、じゃあ監督やってくれるですか!? こーしえん目指つえうすか!?」


新田はマンガのキャラクターみたいにぴょこんっ、と飛び跳ねんばかりの勢いで叫んだ。

興奮のあまり最後のほう噛みまくっている。


「早とちりするなよ。おまえが部員集めに成功したら、の話だ」

「粗茶の子ふぁいふぁいですぅ!」

「『お茶の子さいさい』な? 知らないなら無理して使うな?」


うえへへそれじゃあさっそく取り掛かるですーえへへええへーとか異常なことを口走りながら、喜色満面の新田は廊下を全力ダッシュで去っていった。

無駄にいいフォームなのが腹たつ。


「まるで台風みたいだな、あいつ……」


ふぅ。劣勢だったが、なんとか撃退してやったぞ。

この年頃の女子なんて総じてモンスターだからな。見た目は別として、中身が。

だがこの場さえしのげばこの話はきっと破談になる、そんな確信が俺にはあった。そもそも無茶すぎる計画だったんだ。

俺は渡り廊下を遠ざかっていく少女の背中につぶやく。

聞こえるはずもないだろうが。


「……ドンマイ新田。現実ってのはいつだって厳しいものさ」


だってここ、私立麓原学園は。


女子高だ――。


それも県下有数のお嬢様学校。


「……あ、そうだ!」


と、新田が今しがた去っていったはずの廊下の角に姿を現し、ひょいと顔だけこちらに出して、よく通る大声で叫んだ。


「――センセーはこーしえんだけじゃなくって火星にも行きたいですかーっ!?」

「忘れて!!」

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