表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なんて夢を見てんだ俺は!!  作者: rikka
西部動乱編
8/10

『 』と『剣士』

 あの少女との出会いから数日が立っていた。こちら側だけで10日といったところだろうか。

 どういうわけか、スレイは妙に自分をここに置いておきたいらしい。宿代を追加で払ってまでシノブの活動拠点を確保し続けた。

 さすがにお金を払ってもらい続けるのは悪いし、なによりそろそろここを立ち去ろうとしていたためにやんわりと断ろうとするが、気がつけば彼女は自分に仕事を持ちこんできていた。

 少し口出しするだけの簡単な仕事だとはスレイの言だが、彼女の持ちこんできた書類の数々はどう見ても少しの口出しで済むものではない。

 ここ数カ月の旧開拓民や先住民による暴動まがいのトラブルの発生した時期と場所をまとめた資料、賊の目撃情報の統計、商人からの嘆願書などなど……。どう考えても怪しい不審者に見せつけるものではない。

 おまけにそれらについて、いつも意見を聞いてくるのだ。一体何度、スレイの頭の中身を叩き割って覗いてみたいと感じた事か。

 

(なんだろうね、あれは。一人ぼっちにされたくない子供……とも違う何かか――)


 ここ数日の彼女の様子を、一体なんと形容すればいいのだろうか。

 あの少女と出会った時。つまり、彼女が『あの』ハウゼンと出会ってから妙に機嫌が良い。

 最初は、彼女が自分を拘束するのは自分が男だとばれたからか? とも思ったが、どうもそうではないようだ。

 そもそも、もしそうならば今頃自分は捕まっているだろう。

 彼女に、今どのような状況か? などとカマをかけた事もあったがその口から出るのは――


『リディア様にお前の意見を伝えてみた所、お前の事を褒めていたぞ!』


 などという有り難くない言葉が返ってくる始末。

 

(あれ、やっぱりバレてる? いや、でも捕まえに来るどころか一度来てた監視もすぐにいなくなったみたいだし……)


 そうなるとやっぱり気になるのは、なぜスレイが自分に固執するのかという疑問だ。


(なんというか変な感じだ。不安定というか、本当の意味で素が出始めたというか)


 そもそも、彼女は一番肝心な姉の事について自分から口を開かない。一度刀を返せたかどうか尋ねてみたのだが、受け取ってくれなかったという情報以外聞いていないし、続報もない。

 一応、今あの刀は城でスレイのあてがわれている部屋に保管されているらしい。


(――まぁいい。さて、今日はどうするか)


 耳を澄ませると、シトシトと雨が降りしきる音がする。ここ数日はずっとこのような天気だ。大降りになる事はないが、ぱらつく様な小雨がずっと降って――いや、舞っているのだ。おかげでジメジメとした空気になるため気分も滅入るし、せっかく買った保存食も持ちが気になるために、すでに食べてしまった。

 とりあえずスレイに頼まれていた仕事は仕上げ終わった。仕事といっても、ただ資料を見て気になった事を書き上げただけ。それだけなのだが、どうやらスレイや例のハウゼン卿はそれに一定の価値を見いだしているようだ。

 だからといって行軍計画書や警備態勢の草案をこんな不審者に容易く預けてもらっても困るのだが……


(あぁ、この書類の情報が漏れるか否かでこちらの素姓が信頼できるのか試しているのか?)


 それならばまだ少しは分かる。先日見せられた暴動関係のデータを見る限り、この西部一帯が今きな臭い事になっているのは間違いないだろう。

 そう考えると、有力者のお膝元であるこのユルフェイヌに留まっているのは案外正しいのか。

 いや、そもそも自分が男である事がバレる可能性が高いというリスクはあるが、それは今さら言ってもしょうがない。スレイの同行を断るという行動をためらった自分の自業自得である。


「やめだやめだ。これ以上辛気くさくなってたまるか」


 これ以上無駄な考えを続けていても仕方がない。シノブは預かっていた書類と自分の書いた羊皮紙を合わせて封筒に入れ蝋で封をする。まだ熱を持ったままの蝋に預かっている腕輪の一部――小さな紋様の部分を押しつけてから、固まるまでしばし待つ。

 それからその封筒を下のマスターに預ける事も兼ねて、財布を持って自室の扉を開けた。

 どうやら貴族ご用達の宿屋らしく、そういった貴重品を守る態勢もしっかり敷かれているようだ。書類をどうすればいいのか聞いた所、封をしてマスターに預けておけばそれでいいとスレイから聞かされていた。


(今日は何飲むかな……)


 どうせこうも雨が続いていては出かけた所で活気はないだろうし、旅の中でならまだしも、この中途半端な雨でいちいちマントを汚すのは嫌だった。

 スレイから仕事を受け持ってようやく警戒を解いてくれたのか、笑顔でこの色々な軽食をつまみにつけてくれるマスターの顔思い出しながら、階段へと足を進めて行った。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







 小雨が舞い降りる街の中を、一人の女がぶら付いていた。

 肩のあたりで切った美しいアッシュブロンドには、小雨が張り付き、まるでダイヤの欠片を塗したかのように煌めいている。そして、その腰にはロングソードを一回り以上短くしたような変わった剣が刺さっていた。女――テレーゼは、久しぶりにあった妹に、やはりいつまでも追いつけないのではないかという不安感を胸に抱いていた。


「いつの間に……いつの間にそんな者を……」





 ハウゼン家の応接室でおよそ二年ぶりに再会した妹は、相も変わらず美しかった。家にいた頃から人一倍お洒落や化粧には気を使っていた事は知っているし、そもそもの素材が最高なのだ。

 これで、未だに一人も恋人を作った事が無いというのだから驚きだ。

 今回の作戦に参加する事でようやく一歩前に進めた気がしたテレーゼは、多少なりとも胸を張って妹と向き合えるのではないかと、そう思っていた。

 今、幹部達が勢ぞろいしているこの会議が終われば話しかけてみようと。


 会議の内容は、近年多発している暴動一歩手前の騒動。旧開拓民や原住民との衝突に関してであった。

 どのような時期に集中しているのか、どのような場所で発生しているのかそれらを踏まえた上で、住民たちを刺激する事を避けるために、軍の行動に制限が出来てしまっている事。

 先日、一度聞かされた内容の再確認といっても良い。とはいえ、より細かい情報となっていたために、事態がかなり切迫している事がいやでも強調されている。

 それらを、今度の従軍で自分の指揮官となる赤毛の騎士――ベルヌーイができるだけ簡潔に述べると、今度はハウゼン卿が口を開いた。


『さて、これらの報告を聞いて皆はどう思う?』


 テレーゼには答えられなかった。

 今回の従軍でベルヌーイ将軍が率いる一隊に着いていけばいいというのは、キュベレから聞いていた。が、詳しい内容は聞かされていなかったのだ。

 昨日話を聞いた時には警備の増強かとも思ったが、軍や警備隊が住民に与えるだろう刺激と引き起こされかねないという事態が自分の想像をはるかに超えていた。

 恥ずかしい話、指示の元、与えられた任務――敵を倒していけばそれでいいとすら思っていた。

 このような一触即発の状況では迂闊に軍は動かせない。

 仮に自分が上の立場に立てば、どのように動けばいいのかテレーゼには分からなくなっていた。


『ふむ……では、スレイ=リアフィード。貴女はどう思う? 気付いた事があればどのような事でも構わない。述べてみなさい』


 そこでスレイが名指しされた。

 スレイは即座に敬礼して返礼を口にし、


『これらの暴動は偶発的に起こった物ではなく、何者かが意図的に計画して行った可能性が高いと思われます。それも帝国をよく知る者。おそらく旧開拓民や原住民達は利用されているだけでしょう』


 瞬間、参加していた武官や文官のほぼ全員にざわめきが走った。

 まったく動じず、静かなままなのは発言したスレイとハウゼン卿、そしてその脇に控えているキュベレとベルヌーイ将軍だけだった。

 将軍が鋭く、『静まれ!』と一喝してようやくざわめきは無くなるが、それでも熱気の方は収まっていない。

 ハウゼン卿が続きを促すと、スレイは更に言葉を続ける。

 全ての騒動が主要な交易路や運送路、あるいはそれに連なる町や村に集中している点。

 それらの時期が収穫期、あるいは大きな交易がある時の前後に集中している点。

 そして、それらの全てがことごとくハウゼン卿が進める融和政策にとって重要な拠点、あるいは政策のための行動を阻害するかのように行われている、と。


 それにハウゼン卿は微笑んで答えた。ただの笑みではない、威嚇を兼ねた笑みだ。


『その通りよ。どこかの愚者が、この私に政争を……いえ、戦争を仕掛けてきている。それが今の西部よ』


――戦争。


 思いもしなかった言葉だ。事が起きたとして、精々が現状に不満をもつ旧開拓民や原住民達の一斉蜂起による内乱。それも、今のハウゼン卿の融和政策で不満を持つ者は少なくなっているはずだ。数もそれほど多くはならないだろうと、レーゼは高を括っていた。

 武者震い――と信じたい――に身体を震わせながら、言葉の続きを待っているとハウゼン卿は、


『でも、それだけじゃないでしょう。他にもなにか言いたい事があるのではなくて?』


 そう言って再びスレイに向き合うのだ。

 スレイはなぜか一瞬こちらを一瞥し、そして、自信がないのかためらいながら、答えた。


『これらの暴動が意図的に起こされたものであるのならば、その相手は複数かつまとまりのない集団である可能性が高いかと。現状のままならば、相手に餌を見せつけ混乱を煽ってやれば、集団内での発言力を求め合い、内側からバラバラに崩壊すると思われます』


 今度は、ざわめきは起こらなかった。ざわめき『すら』起こらなかった。

 スレイは自分が口にした事が分かっているのだろうか。仮にも未だ騎士はおろか兵士としても認識されていない士官学校卒業を卒業しただけの女が、促されたとはいえ『戦術』を提案するなど、古くから仕える由緒ある騎士や貴族ならば不敬と訴えられてもおかしくない行動だ。

 確かに今の帝国ではそういった発言はむしろ奨励されているが、あまり多くても駄目なのだ。それでは指揮側の思考を混乱させる可能性がある。

 卑怯な言い方ではあるが、そこは発言を促されても『いえ、ありません』と断わるべきなのが『暗黙の了解』というものだった。

 事実、ベテランと言える騎士の何人かは、スレイを非難する様な目で睨んでいる。


 だが、ハウゼン卿はその言葉に目を丸くしてパチクリさせた後、大きな口を開けて笑いだした。

 将軍もキュベレも、その様子にまた驚いている。ひょっとしたら、このように笑う事は滅多にないのかもしれない。


『――ふぅ。……あぁ、久しぶりに笑わせてもらったわ。そして驚いた。えぇ、驚いたわ、スレイ=リアフィード。……そうよ、私もそう考えている』


 一体、どのような思考を持ってスレイはそのような考えにたどり着いたのか。

 ハウゼン卿が口を開いた時、テレーゼはそれを聞くのだろうと思っていた。

 だが、出てきた言葉は――


『だけど、最初のモノはともかく……後の戦術は貴方の考えじゃないわね?』

『……はい』


 スレイは、少し俯きながら答えた。まるでカンニングが見つかって教官に叱られているようだが、姉であるレーゼには違う様に見えた。

 確かだと胸を張っては言えないが……なんだか、少し自慢げだったように見えたのだ。


『黒衣の従者かしら?』


 ハウゼン卿が口にした二つ名の様なものを、レーゼは耳にした事が無かった。


『はい。従者ではありませんが……友です』

『友……なるほど。仕組まれた暴動である事もその者は見抜いていたのね?』

『……自信は少々ないようでしたが』

『自信があろうがなかろうか、その可能性を見つけたのは事実。興味深いわね……スレイ=リアフィード。その者、今度連れてくる事は出来ないかしら?』


 これに目を剥いたのはキュベレや他の武官、文官達だった。

 必死に『おやめ下さい!』だの『リアフィード家の者ならばともかく、素姓の知れぬものをここに招くなど……っ!』などといって全員が反対していた。

 ただ一人ベルヌーイ将軍だけが賛成も反対もせず、じっとしていた。

 結局スレイ自身が、その友が大火にその身を焼かれ、顔が見せられず声も出せないという事を理由に人目に引き出す事を断わり、その場は治まったが……。





(私が放浪している間に、妹は『知の女傑』が興味を引くような者を見つけ出していたのか……。当たり前だ。一体この二年で、私が何をしていたと言うんだ。むしろ――)


 むしろ、祝福してやるべきなのだ。優秀な妹の元に、有能と思われる者が友としていてくれるのだ。

 聞けば、自分が捨てたあの剣を拾って、わざわざ届けるためにここまで来てくれたと言う。もしそれが本当ならば、信じられないくらいのお人よしだ。そのような者が妹を裏切ることはないだろう。

 本当にお人よしすぎて、中々信じられないが……。


(だが、本当にあの剣を再び目にする事が出来たのは事実だ)


 あの会議が終わるやいなや逃げるようにハウゼン邸を後にし、兵士共用の宿舎へと戻った。

 一度妹と話し合うつもりだったのだが、今は会いたくなかった。この二年の間についてしまった自分とスレイの差から目を逸らしたかった。

 部屋に戻り、先日購入した剣。気がつけば、かつて手にしていたあの二振りの剣と酷似した物を買っていた。それを手入れし、磨きながら心を落ちつけていた時に――あの剣が戻ってきた。


『姉上……』


 部屋をノックされて扉を開けば、妹がそこに立っていた。ベルヌーイ将軍からこの場所だと聞いたらしい。そしてその一つしかない腕には、あの日自分が投げ捨てた剣が抱えられていた。


『さっき、少し話に出たでしょう? シノブという変わった旅人と知り合ったのだけど……これを拾って、わざわざ西部にまで届けに来てくれたのです』


 先ほどの会議の中で、話に出てきたスレインの関係者など一人しかいない。

 あの『知の女傑』リディア=ハウゼンの興味を引き、そして妹がどこか誇らしげに口にしていた友――『黒衣の従者』。

 こんなに胸がもやもやしたのは久しぶりだった。


『姉上……姉さん、もう一度この剣を握ってはもらえないでしょうか? この剣も、きっと姉さんに振るわれたがって――』


 その言葉を聞いた時、気がつけば口を開いていた。


『もう……その剣は捨てたんだ……』


 本当は無性に大きな声で叫びたかった。

 放っておいてくれと。私の事など忘れて先に――前へと進んでくれと。

 不甲斐ない過去と一度決別し、新たな一歩を踏み出すつもりだった所に、自分の過去を象徴するものを突きつけられて心がささくれ立っていたというのもある。

だがなにより、余りにも滑稽な自分の姿が情けなかった。

 気がつけば、その剣をスレイに押し付けていた。お前が受け取ってくれ、と言って。

 毎日の報告会議で顔こそ合わせているが、終わればサッと帰ってしまっていた。

 スレイもこちらの感情を察してくれたのか、軽く会釈を交わすだけに接触を留めてくれている。

 

(本当に……できた妹だ。私と違って……)


 放っておけば、どんどんと悪い方向に陥ってしまいそうだった。同室にいる傭兵からは酔狂だと笑われるだろうが、こうして雨具も身につけずに街を歩き回っているのはそうした思考を切り替えるためだった。

 雨は好きだ。子供のころからずっとそうだった。

 当時はまだ稽古が苦手で、外で身体を動かすよりも家の中で本を読むのが好きだった。

 スレイが言葉を話すようになってからは、彼女が好んだ騎士物語をよく妹に読み聞かせていたものだ。

 ふと、その時の事を思い出して笑みが零れる。そしてそれに気付いてテレーゼは安堵の息を吐いた。

 なんだかんだで、私は妹の事が好きなのだ、と。

 もし、ここで心の底から嫉妬と憎しみが溢れていたのならば、それこそテレーゼという女はどん底まで堕ちていたかもしれないと、彼女は確信していた。

 息継ぎをするように深く息を吸い込む。ただし慌ててではなく、雨に濡れた煉瓦や木材の香りを楽しむように、ゆっくりとだ。


(…………ん?)


 ふと、その香りに違和感を覚える。テレーゼが好きなのは、雨が降る事によって湧き立つ自然の匂いだ。だが、そこに何か鉄と生々しさが混じったような香りを感じた。


(……まだ、心がささくれ立っているのか。そろそろ帰ろうと思っていたが……もう少しだけ辺りを周っていくか)


 少しがっかりしたような気持ちになりながら、テレーゼは濡れた髪に手櫛を入れて、水気を振るいながら足を動かした。



 彼女が歩き出したその近くの路地から、赤い液体が――血がうっすらと流れていた事には気付かなかった。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







(雨……か)


 シノブはラムが入ったグラスに口を付けながら、窓の外の光景を眺めていた。

 昔から雨が嫌だった。嫌いではなく、嫌なのだ。理由は単純で外で遊べなくなるから。

 正確には特訓といった方がいいかもしれない。鬼ごっこやドッジボール、サッカーやバドミンントン。これらで得意な物が一つはないと、『男の子』という物は集団の輪から外れやすくなってしまうのだ。

 それほど運動が得意という訳ではなかったシノブは、父親に必死でキャッチボールの練習を頼んだ事が合った。――どちらかといえば、投げるより飛んでくるボールを怖がらない練習だった気がするが――今にして思えばなんてことはないし、父も自分が余りに必死すぎたために苦笑いしていたが、当時のシノブからすればそれこそ必死だった。


(あれもしがらみっちゃしがらみか)


 だからシノブは雨が嫌だった。雨が一日降る度に、学校で人気のある子達から一日分遠ざかる様な気がして……。

 では、雨が嫌いだったのかというとそうではない。雨が降った日は、そのような恐怖心を抱えながらも、自分の好きなゲームや漫画に打ちこんでいた。

 なにより、いつも出かけていた弟が隣にいた。


 弟は水泳部のエースだ。幼い時から泳ぐのが好きで、近所の子供達の中で一番夏を楽しみにしていた男の子は恐らく弟だろう。

 本当に幼いときは、市民プールや学校のプールに毎日のように出かけていた。

 自分もそれに着いていった事があるのだが、弟はプールを楽しむのではなくより早く泳ぐ事――つまりは自分を鍛える事を楽しんでいた。それが分かってから、いつしか弟と一緒にプールには行かなくなってしまった。

 だから、そこだけは雨の日が好きだった。プールに行けない弟とゲームをしたり、一緒に宿題をやったり出来たから……。


(……羨ましかったな)


 始めは運動が得意という事に、次に好きな事、打ちこめる何かを持っている事に。


 少しぬるくなったラムを飲み干し、鼻から抜けるアルコールを楽しむ。

 今のシノブの好きな事は、燻製を作る時の独特の燻煙、酒、茶、そういった香りを楽しむことだった。

 もっと言えば、何かを楽しむことが出来る自分が好きだった。まるで、自分も弟みたいに何かを持つ事が出来たようで、誇らしかった。

 だからだろうか、旅の邪魔になることもあって香り――臭いを阻害する雨というものがいやだったのだが……。


(こういうのも悪くない)


 蛍光灯の様な便利な物がないこの世界では、陰っただけで一気に薄暗くなる。

 店を構える様な者たちは、そうなると仄かに明るい昼からだろうとすぐにランプや蝋燭に火を灯す。明るくなければ人が入らないからだ。この宿屋も例外ではない。

 ランプの中の炎が揺らめき、それが作り出す影も揺れる。

 シノブが読んでいたハードボイルドの世界がそこにあった。


(少々……いやだいぶ不純な気持ちだけど)


 こういうのに憧れる自分は、やはり男の子なのだと再認識する。

 こういう楽しみがあるのならば、雨もそうそう捨てた物じゃない。

 マスターがお好みでと付けてくれたシナモンスティックを加え、やはり香りを楽しむ。


(ただ、それには旅をやめなくちゃならないんだよな……)


 自分が男で在る以上、この世界でどこかに定住するのは難しいだろう。

 いっその事、バラしても上手くいくのではないかと考えた事もあったが、何が起こるか想像できないために結局止めていた。


(…………ん?)


 ふと、香りを楽しんでいた鼻に引っかかるものを感じた。

 鉄の匂い、埃の匂い……この世界に来てから、おそらくもっとも嗅ぎ慣れた血の匂い――戦いの匂い。


(近い?)


 疑問に思うやいなや、シノブは立ちあがってカウンターに向かい、酒瓶のボトルを磨いていたマスターに割札を突きつけた。自分の荷物――剣を預けた証となる割札。


「……なにかあったのですか?」


 マスターが不安そうな顔で聞いてくるが、正直シノブにも分からない。分からないが、分かってから動いた時にはその大体が遅いのだ。

 騙すようで悪いが即座に頷くと、マスターは速足でカウンターの奥へと引っ込んでいく。

 そうしている間に、シノブはマントの下でスリングに石を取りつけセットする。


(どういう事だ? ここの治安はかなり良かったのに)


 もし治安が悪かったのだったらこの数日で何度かそういった臭いを嗅いでいるはず。事実、この数日一度もそのような臭いはしなかったし、危険を感じた事も全くない。

なのに今は――


(色んな場所から血の匂い……何があった?)


「シノブ様、お待たせいたしました」


 意外に力はあるようだ。軽い方とは言えそこそこの重量がある剣――ファルシオンを、顔に皺ひとつ寄せずにシノブに両手で差し出すマスター。

 シノブはそれを受け取り、腰に差してから彼女に頭を下げた。

 マスターは『やっぱり』と言いたげな顔でシノブのフードに隠された顔を見つめ、


「以前から思っていましたが、シノブ様はリアフィード家の人間と繋がりがあるお方にしては謙虚な方ですね」


 マスターはつぶやくようにそう言うと、シノブに向かって深く頭を下げた。


「お気をつけて、行ってらっしゃいませ」


 その言葉を受け取ってシノブは宿の扉を開き、外へと駆けだした。

 血の匂いは強く、そして広がっていっている。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「なんだ……一体なにが……なにを……」


 テレーゼは、自分の目に入り込んできた光景が信じられなかった。

 雨が降りしきる中、一人の女がテレーゼの前に立ちふさがる様にして立っている。それはいい。だが――

 その女はテレーゼに背を向けて、一心不乱に手にした槍で何かを差し続けている。

 何度も何度も。まるでそれが今に襲いかかってくるかと恐れている様にただひたすらに突いている。


 虚ろな目でじっと宙を見つめる、ただの一般人の既に事切れた亡骸を、延々と差し続けていた。



――ハウゼン家の紋章が刻まれた甲冑を着込んだ、近衛騎士が。



「貴様はそこで一体、何をしているんだ!!!!!」


 目の前の光景が、幻でも夢でない現実のものだと理解したその時、テレーゼは剣を抜いて斬りかかっていた。


「ぅ……ぁぁ……あああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


 テレーゼが声を上げたことでようやく彼女の存在に気がついたのか、近衛騎士は突きたてていた槍を抜き、奇妙な雄たけびを上げながらテレーゼに向かって横払いの一撃を放った。


(遅い! こんな及び腰の槍など……っ!)


 だが、テレーゼとて士官学校でトップの剣術を持ち、かつこの放浪の旅で幾度か実戦を経験している。

 剣の腹でその一撃を受け止め、そのまま金属でコーティングされた槍の柄の上を滑らせるかのように剣を振るう。そして、相手の槍を剣で振り払い、同時に鎧の隙間から相手の手首を斬りつける。

 音こそしなかったが、テレーゼは剣を伝う感触から間違いなくこの女の手首を斬ったと確信する。


(よし、これで――っ!!?)


 手首を斬られた所で、すぐに血を押さえれば死ぬことはない。だが、斬りつけられたその手で得物を掴んでいられるはずがない。はずがなかった。


「来るなぁっ! 来るなぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「馬鹿な――ぐっ!!」

 

 だが、目の前の近衛騎士は尋常ではなかった。得物を取り落とすどころかますます力を強め、そのまま勢いに任せてテレーゼを柄で殴り飛ばした。

 咄嗟に身体の力を抜きながら殴り飛ばされるだろう方向へ跳躍し、衝撃を減らすテレーゼ。

 おかげで傍から見る分には少々派手に吹き飛んだが、空中で回転して態勢を整えて綺麗に着地して見せる。

 もっとも、無傷とはいかなかったらしく、咄嗟に盾にした左腕の布地は破れて血が滲みだしている。


「来るな! この……なんで私がこんな目に! もう嫌だ……逃げよう逃げるんだここから……もう来るな、来るなぁーっ!!!」


 錯乱しているのか、もはや言っている事の意味が分からず、なぜこのような事になっているのかも分からない。


(いや、この目は……!)


 旅の中で、警備隊の数合わせに参加したことがあった。

 単純な物取りの取り締まりなどが大半だったが、一度だけ大捕り物に参加する機会があった。それが――


(まさか……阿片かっ!?)


 大規模な阿片窟、及びケシ畑。そしてそれを管理していた裏組織への奇襲作戦だ。

 阿片を吸いすぎた人間も当然目にしている。今対峙している、この錯乱した兵士の目はどこか彼女達の目に似ているように見える。


(いや、だが、阿片は吸った者は立つ事はおろか、座るのも困難な者ばかりだった! ならこれは違うのか? ――くそ、何も、何も分からん!!)


 唯一分かっている事は……もう、殺すしかないという事だ。

 幸い、甲冑を着込んでいるとはいえフェイスアーマーは外している。最大の弱点がむき出しになっている形だ。


(錯乱しているのか混乱しているのか……騎士とは思えない緩慢な動き。大振りになった所で首を狙えば……)


 剣を両手で構え、地面と水平にしたまま上段の高さまで持ち上げる。

 通常の戦闘ならば確実に手が読まれるため決してやらないが、相手はそもそも戦う姿勢を見せておらず、ただ暴れ回っているだけである。

 腕に力を込めて、狙いを定める。

 あの剣を振るう前、レイピアを得物としていた頃を思い出す。

 基本はあの時と変わらない、狙って腕を前に突き出き、そして引く。ただそれだけだ。


「ふ――っ!」


 騎士が槍を振りあげ、ガラ空きとなった首に向けて一閃が飛ぶ。

 あのスレイがかつて憧れ、真似をし、そして極めた技。その原型となる一撃が放たれた。

 まだ一度も実戦で使用した事のなかったその刃は、鋭い音を立てて近衛騎士の首へと突き刺さり、そして中へと沈んでいった。

 近衛騎士は『がっ!』と苦悶の声をあげるが、さすがに首を刺されて生きていれるハズが無かった。そのまま事切れ、突き刺さった剣に支えられるようにブラリと四肢が垂れる。

 死んでいる。もう二度と、この騎士が動く事はない。自分が『騎士』を殺した。


「何が……一体何が……」


 血が上っていて気がつかなかったが、耳を澄ませると辺りから声や音、そして臭いが広がっている

誰かが泣き叫ぶ声、怯えを含む絶叫、高笑い、肉を割く音、何かが破壊される音、剣戟の音、焦げる匂い、血の匂い――まるで戦場の香りに包まれている様だ。


(! ハウゼン卿はご無事なのか!? スレイも……っ!)


 とにかく、このユルフェイヌが異常事態に陥っている事は理解した。何から手を付けていいか一瞬迷ったが、テレーゼはハウゼン卿の元へと駆け付けることにした。

 今の時間ならばハウゼン邸ではなく、恐らく城にいるだろう。それならばここから真っ直ぐいける。

 余りの事態に混乱しかける頭をなんとか落ちつかせ、剣を引き抜こうと――


――カラ……ン……


「!?」


 いきなり背後から聞こえた音に、驚いてそっちの方に目をやる。


「お、お前もか? お前も私を……皆は? 皆はどこ? さっきからずっと一人ぼっちなのよ? さみしいのよ?」


 自分の背後――路地へと入る小道にいたのは、やはり近衛騎士。目は焦点が合わず、顔は青ざめている。先ほどの騎士と同じだ。

 とっさにその騎士の槍を見るが、そこに血糊らしきものは着いていない。まだ、この女は誰も殺していない。


「落ちつけ。状況はさっぱり分からないが私は味方だ。すぐに軍医を呼んでくるから武器を離して大人しくしておけ――」

「うわあぁぁぁぁっ! やっぱり! やっぱりお前もかぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!」


 咄嗟に説得しようと試みたが、やはり彼女も話が通じない。いきなり頭を掻き毟りだしたかと思えば、叫びながら槍を投げつけてきた。


「く……っ! おい待て! 私は味方だ! 頼む、話を聞いてくれ!!」


 投げつけられた槍を鞘で弾いてから距離を取ろうとするが、その時には騎士は腰の剣を抜き放ちながら走り出している。

 応戦するために剣を抜く。が――


(!? 剣が重い……しまった!!)


 ここにきて、テレーゼは致命的なミスを犯してしまった。

 先ほど突き殺した騎士の首から、剣を抜くのを怠っていたのだ。

 死んだ人間の身体という物は、驚くほどの速さで固くなる。小雨が降っているこの状況では、死体が冷えるのも早い。

 その結果、固くなった死体の筋肉が剣を押さえているのだ。


「この……」


 とっさに剣から手を離し、旅をしていた頃の癖で、常に腰に差していたナイフを抜く。

 だが、相手はただ暴れ回っていただけの騎士とは違い真っ直ぐこちらに走り込んでいる。


(仕方ない、一撃は覚悟するか……!)


 腕一本を犠牲にして、その後首をナイフで貫く。

 そう決めたテレーゼは怪我を負ったばかりの左腕を盾にするように構える。

 もう騎士はほんの4,5歩くらいの距離の所に近づいていた。

 すぐに来るだろう激痛を想像して顔をしかめながら、騎士の剣から目を離さない。

 騎士は叫びながら剣を振り上げ、更に一歩踏み出す。そして剣を勢いよく――

 

――ギィィンっ!!!

 

――勢いよくその手から滑らせ、取り落とした。


「!? ……っ!」


 何が起こったかは分からない。それは騎士も同じだったのか、混乱と怯えを含んだ目を右往左往させていた。

 反射的にテレーゼは、盾にするつもりだった左腕を伸ばして相手の髪を掴み、引きずり倒す。苦悶の声を上げるがそれには一切構わず、首筋に全力でナイフの柄を振り落とす。

 先ほどの騎士と同じような声をあげ、だが死なずにただ崩れ落ちる騎士を見て、テレーゼは安堵の息を吐いた。


(それにしても……今の音は……)


 剣が握り締められていた騎士の腕を見る。一見何の変哲もないようにみえたが、一つ決定的に違う箇所が合った。


「これは……石?」


 腕を覆う金属の鎧だが、当然の事ながら腕を動かすためにある程度遊びの部分が入っている。

 立った今倒した騎士。その腕の遊びの部分には、どういう訳か少し大きめの石が、まるで止め具のようにすっぽりと嵌っていた。これでは腕を動かそうにも動かせない。


「先ほど剣を取り落としたのはこれのせいか。しかしどうして……」


 瞬間、先ほど聞いた鈍い金属音が頭の中でもう一度響く。


(そうだ、先ほどの音。あれが石の音だとしたら――誰かが投げ入れたのではないか?)


 普通ならば一笑される話だ。目の前にいた自分が石を叩き込むというのならばまだしも、あの時少なくとも剣が届く距離には誰もいなかったのは確か。そうなればもっと離れた距離からという事になる。


(……スレイが言っていたな。あの女がそういった技を持っていると)


 あの妹が友と呼ぶものが、驚くべき投擲術を持っていると、

 テレーゼは、先ほどの腕の位置と鎧についた傷からおおよそ石が飛んできた方向を推測し、顔を向ける。


「……お前が……」


 そこにいたのは『黒』としか表現できない人物だった。

 身体全てを覆う黒いマント、左手には狩猟用のスリングを手にしており、右手には自分が今持っている剣をより短くしたような片手用の剣が握られている。

 その剣は血に濡れていた。おそらく、ここに来るまでに戦闘があったのだろう。

 やけに静かな足取りで、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


「お前が……『シノブ』か?」


 テレーゼの声が届いたのか、黒衣の女は一度足を止め、それからゆっくりと頷いて肯定した。



 彼女はまだ知らない。目の前にいるその人物こそ、彼女が西部へと舞い戻るきっかけとなった者だということに。

 少年はまだ知らない。目の前の女が、まさしく自分という存在を探すためにこの街へ来ていたことを。




 二人が知っていることはただ一つ。


「一人でも多くの住民を救いたい。力を貸してくれないか!?」


 今は、この状況を乗り越えるために、協力者が必要だということだ。

 黒衣を纏ったその怪しい強者は、ただ静かに、もう一度首を縦に振った。

 






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ