3
バタンと閉じられた扉の音が、まるで彼女の苛立ちを表しているようでもあり、俺自身の苛立ちを表しているかのようにも思えた。
「くそっ」
手に持っていたグラスを乱暴におき、さっきまでマナーだなんだと言っていた自分に腹が立つ。
何がしたいと言われたら困る。
別に彼女を苦しめたいわけじゃないのに、上手くいかない。
大切に抱きしめていたいのに。心も体も全部。
飲み明かそうかと言った、彼女と晴れて恋人になった日。
隣国行きの船に乗る為には、翌朝には移動をして大河の支流へと行かなくてはいけない。
彼女は早起きが身についているからきっと問題ないだろうと思って、前日にも泊まった宿場街で飲み明かす事にした。
意外だった。
いや、あれだけ酒の匂いを漂わせていても正気を保っていたのだから、そこから予測すれば容易くこの結果は導き出せたはずだ。
が、俺の人生において、これだけ酒の強い女にあったのは初めてだ。
例えば酒に強かったとしても、俺を前にして酔ったふりさえもしない女なんていなかった。皆一様に酒のせいにして、俺に身体を預けようとしてきた。
しかし彼女は淡々としているというか、テンションも変わらないし、本当に水を飲んでいるかのように飲み続ける。
それこそ顔色一つ変えずに。
ああ、多少は口が軽くなるかな。
言うなっていうのに、何度も俺の名を呼びそうになる。
彼女だけが呼ぶ、俺の名。
他の誰も俺の名を呼ぶ人はいない。実の親も、兄弟も。
だから、彼女が俺の名を呼ぶのは特別な証。
思えば誤魔化す為に彼女に告げた俺の名。あの時、彼女になら呼ばれてもいいと思ったんだろうか。
いや、そんな大それたものじゃなかったはずだ。
でもどうしてなんだろうな。あの時別に名前を聞く必要なんて無かったはずだよな。
そんな昔の事を反芻してみても答えなんて出るはず無い。
とにかく、何度も俺の名を呼ぼうとする彼女に、その都度ダメ出しをしたわけだ。
それが今回の事の発端でもあるような気がしないでもない。
俺の横に並ぶのに相応しい女になって欲しい。
手に入っただけでも十分だったはずなのに、手に入れたら今度は色々求めてしまう。浅はかだが。
一度掴みかけ、そしてこの手をすり抜けていってしまった彼女。
彼女を失う事に、必要以上に臆病になっているのかもしれない。
きっと全てが上手くいくはずわけがない。絶対に横槍が入るに決まっている。
この国においては大概のことは思い通りになると思うが、こと結婚となるとそう簡単にはいかないだろう。
俺の意思とは関係なく、国にとってどういう人物が妃として必要なのかだとか、外野の声も大きい。
実際に、王族にとって正妃を選ぶ事は大変難しい問題だ。ありとあらゆる角度から検証して問題ないと貴族どもが認めない限り、妃を娶る事は難しい。
俺の兄二人もその辺はてこずっている。
結局長兄は正妃を立てず、次兄は和平の対価として隣国から妃を娶り正妃とした。
気軽な三男。
故にどんな相手でも許されていたであろう時期は過ぎた。
今はのちの「皇太弟」として、将来仮に即位した時に立后しても問題のないような人物で無い限りは難しい。
だから彼女の事をあっさりと周りが認めるわけが無い。
彼女の隠し玉を披露してしまえば、あっという間に同意を得られる事はわかっている。
けれど彼女はそれをしたがらないだろう。
彼女がしていた仕事や、それに関わる呼び名。そして彼女だけが持つ二つ名。
その全てを隠して生きていくつもりなんだろう。ならその気持ちを守ってやりたいと思う。
あの呼び名で呼ばれることを、きっと彼女は好まない。
自らが吟遊詩人の紡ぐ物語の主人公になっているというのに。
酒場で小銭稼ぎの吟遊詩人が彼女の物語を詠いだすと、いたたまれないといった風情で彼女は顔をしかめる。
「他所で飲みなおそ。ね?」
俺も彼女の物語を酒のつまみにするつもりは無かったので、酒瓶をいくつか購入して店を後にする。
その間中、彼女は俺の腕に顔をこすり付けるようにして、まるで泣いているかのようにして、吟遊詩人に一瞥もくれなかった。
それが彼女の心中を物語っている気がした。
「どこがいい。他の店に行くか、それとも月夜の下で飲むか。はたまた宿に戻るか」
振っておきながら、俺が動揺しそうになった。
「……他の人がいないところがいい」
おーい。すっごい前向きに取るぞ、その発言。
という浮ついた気持ちは、彼女の暗い顔付きで一気にしぼんでしまう。
「どうした?」
俺の腕にしがみ付いたままの彼女が顔を上げる。その瞳は少し潤んでいるようにも見える。酒のせいもあるのだろう。
「詩なんて嫌い」
口を尖らせる彼女の頭を片手で抱きしめる。
「そうか。俺も別に聞きたくないから、とっとと帰るか」
「どこへ?」
「雑音の聞こえないところ」
消え去りそうなくらいの声で「うん」という返事が返ってきて、俺はそのまま荷物置き場にでもしておこうかと思っていた宿へと向かう。
決して安宿でもなく、高級なというわけでもないといった宿の部屋を開けると、彼女の足が入り口で固まってしまう。
「どうした」
扉を開けておいて面倒なのに見つかっても後々ろくなことにならないので、彼女の背をポンと押して部屋の中に押し込む。
困ったような顔で俺を見上げ、彼女が何か言いたそうに、それでいて言い難そうな顔をしている。
「他の人がいなくて、雑音が聞こえないところだろ」
「そうなんだけど」
ん? と思って彼女を見ると俯いてしまう。
「飲みなおすんだろ。でも朝まで飲むには足りないか。この量じゃ」
「え。ああ、うん。大丈夫じゃないかな」
明らかに動揺している。
酔いとは関係ないよな。急にどうしたんだ。
とりあえず酒瓶で腕が痺れそうだったから、それをドンと机の上に置き、入り口で固まる彼女を見やる。
「座れば? グラスは適当でいいよな」
視線を泳がせた後、彼女がテーブルを挟んで向かいの席に座る。
よくよく見ると、彼女の頬がほのかに赤い気がするのは気のせいではなさそうだ。
「酔った?」
言いながら手を伸ばすと、彼女の肩がびくりと震える。
「酔ってないよ。大丈夫」
なんかさっきから挙動がおかしいんだよな。こういう時は何かを隠している時だな。
頬に指が触れると、彼女がぎゅっと目を瞑る。
あれ、もしかして。そういう事?
思わず笑みが零れてしまった。それを彼女はどう思ったのかわからないが、ポッと頬が染まる。
やばい、その表情可愛い。しかも苛めたくなる。
「意識しまくり?」
笑みを浮かべると、彼女が困ったように上目遣いで見てくる。
こんな表情めったに見られない。いや、むしろ初めてかもしれない。
「だって、同じ部屋で寝るの?」
ぷっと噴き出してしまったのはご愛嬌だ。
「アイツと数ヶ月旅に出てたくらいなんだから、こういう状況に慣れてるんじゃないの?」
そんなことは無いという事は見てればわかるけれど、敢えてそれを言うのも芸が無い。
「いつも部屋は別だったもーん。ねえ、着替える時は外にいてくれる? お化粧する前の顔は見ないでね」
ぶほっと酒を噴き出しそうになった。そんな事、涙目で言うなよ。
どれだけ純粋培養されてるんだよ。今時貴族のご令嬢のほうが擦れてるぞ。あいつら平気で自らの身体を使って誘惑しに来るくらいだし。
まあ、さすが俺の選んだ女だよ、うん。
どこまでもぶっ飛んでて、俺の想像をはるかに超える。
答えは聞く前からわかってるけど、聞いておこう。
「アイツと何も無かったのか」
「当たり前じゃない」
「当たり前?」
「そうよ。だってあの人の愛情表現ってば、血肉を喰らって自らの血肉にしてしまいたいっていう、私たちには到底理解出来ないようなものなんだから。触れ合う事さえ、食事の一環でしかないのよ」
まあ。アイツは人間じゃないからな。
そういう表現方法だとしても、あまり不思議は無い。
「だから、ちゃんとお化粧して準備が整うまでは私のこと見ないでね」
笑みが漏れるのを堪えることが出来ない。
「あのさ、明日の身支度よりも前にさ、お前化粧落とさずに寝るのか。着替えもせずに」
それ以前に寝る気があったのかと聞きたいが、それはまあこの際置いておこう。てっきり朝まで飲み通しかと思っていたけどな、あのペースだったし。
「ウ……」
心底困ったような顔をして、俺の名をまた呼ぼうとした彼女の口を指で触れて塞ぐ。
みるみるうちに頬が上気していくのがわかって、おやおやと思ったのは内緒。
意識しているんだったら、どうせなら限りなく意識してもらっておこう。
酒のグラスを置き、テーブルを回りこんで彼女の腕を引いて椅子から立たせる。
緩慢な動きだけれど、拒絶はされていない。
「俺の名前、呼ぶの禁止って言っただろ」
彼女の返答はキスで飲み込んでしまう。
くぐもった声で俺の事を呼ぶけれど、聞こえないふりを決め込む。
息も絶え絶えといった様子になるまで彼女の口内を楽しみ、コテンと俺の腕の中に納まる彼女の耳元で囁く。
「どうしたい?」
意地悪な質問だというのはわかっている。十二分に。
「どうしたいって?」
「ん? お前は今何がしたい。酒飲むか、寝るか。それとも続き、する?」
泣き出しそうな顔をした彼女が俺の顔を見上げる。心中を推し量ろうとしているかのように。
「あなたはどうしたいの?」
「別に。お前のしたいようにすればいいよ。別に焦ってないし」
唸り声のような声を上げて、俺の顔を見ながら唇を尖らす。
苛めすぎたかな。でももうちょっとだけ楽しませてもらおうか。
「手、出して欲しいなら出すし、出して欲しくなければ出さないよ」
思いっきり真っ赤になって目を見開く彼女に爆笑してしまった。
「とりあえずボトル開けてしまった分は飲むか」
彼女から手を離し、椅子に彼女を座らせる。何か言いたげだけれど、放置しておこう。言いたくなれば勝手に言うだろ。
ふとそんな幸福な時間を思い出してしまって溜息をつき、椅子から立ち上がる。
どうせ戻ってきてまた食事なんて気分になるはずが無い。
料理を片付けて廊下に出しておく。
カチャカチャと音を立てながら片付けていく間、心の中には虚しさが一杯になる。
俺は何がしたいんだ。
深く溜息を吐き出し、彼女と一緒にいるようになってから吸わなかったタバコを取り出す。
でも彼女はあまり煙の匂いが好きじゃないんだよな。
今吸ったら部屋に匂いが染み付くな。
やめとくか。
箱ごとぎゅっと握り締め、ゴミ箱に投げ捨てる。
ガコンという音がしてタバコがゴミ箱に当たり、窓際に置いたゴミ箱が倒れる。
こういう時って何をやっても上手くいかないよな。
渋々もう一度ゴミ箱に投げ込もうと思いつつ窓際に寄ると、一瞬だけ視界が闇に覆われる。
何だ。
窓の外を凝視すると、信じられないものが空を舞っている。
その姿を目にし、不安でいても立ってもいられなくなる。
彼女を迎えに来たのか。
次の瞬間、俺は部屋を飛び出していた。彼女を取られたくなくて。
竜が彼女に接触するとするならば、甲板以外には無い。
一気に階段を駆け上り、彼女がいるであろう場所を目指す。
一度は手にしかけた彼女の心を奪ったのは、竜。
人外の化け物だというのに、何故か彼女と心を通わせた蒼い色の竜が俺と彼女の間に割って入った。
彼女が大切に思っているあの人とは蒼き竜。
今は眠りについている蒼い瞳の竜。
あれはまだ起きないはずだ。なら、今空を舞うのは紅の竜のほうだろうか。
なんにしてもこんな陸地から離れた場所に竜がくるなんて、よっぽどの事態があったとしか思えない。
やはり彼女を……。
いや、それは無いはずだ。新たな生贄なら献上してある。それなのに何故今ここに。
わからない事というのは、必要以上に不安を煽る。
今もうこの瞬間には、彼女はこの船から姿を消してしまっているのではないだろうか。もう竜に連れ去られてしまったのではないだろうか。
焦って階段を上がった先に、彼女の姿が見える。
ほっとした。彼女は奪われていないのだと。
しかし誰かと話しているようなので、そっと物陰に身を潜める。
会話は聞こえてこない。知り合い、なわけないよな。
この航路は最近になって運行されるようになったもので、この船に乗るのは隣国との貿易など限られた目的を持った人間に限られる。
そのような人物の中に、彼女の知り合いなどいるわけがない。
よくよく見ると、相手はそれなりの身分のようだが、言葉に独特のイントネーションがある。
それが、俺のよく知る人物に似ている。恐らくこの船の着く隣国の人間だろう。
そして実際にその男と会話してみてわかった。
非常に厄介な人物である事が。
そしてこの男に船に乗っている事がばれてしまった以上、隣国に入る事は厳しいかも知れない。
しかし、その事は後で考える事にしよう。今は彼女のほうが大事。
部屋に戻って俺から逃げるようにして椅子に座った彼女を逃がさないように、肘掛に両手を乗せて彼女を見る。
不機嫌そうな様子も無く、いつもどおりの彼女だったのでほっとする。
「欲しくて手に入れて、そうしたら今度は絶対手放したくなくて、外から奪われる事にばかり頭がいってた。それ以前にお前の心を繋ぎとめる努力をすべきだったな」
本音を吐露すると、彼女が不思議そうな顔をする。
「ちょっとスパルタが嫌になっただけで、嫌いになんてなってないよ」
真っ直ぐに俺を見て言う彼女にほっとした。
こんな俺といるのは嫌なんじゃないかっていう疑念が浮かんでいたから。
「本当に俺でいい?」
それでもなお、彼女に問いかけてしまう。
俺と一緒にいるの、辛くないだろうか。これからもっとこういう嫌な思いをする事があるかもしれない。
幸せな甘い時間だけを過ごす事は出来ない。
楽しい思い出だけをあげるなんてこと出来ない。
「むしろ本当に私でいいの? あなたには私以上に相応しい人がいるのに。私は、あなたが思い描くような上品な女性にはなれないかもしれないのに」
「それでも構わないんだ。お前は俺のたった一つのワガママなんだから」
「え?」
「見失ってた。俺はどうしたいのかを。他の男と話している姿を見て気付くなんて滑稽だな」
本当は竜を見て思ったんだが、それはナイショにしておこう。
俺にとって竜は本当に鬼門だ。
出来るならその姿、二度と見たくない。
見るたびに彼女を奪われるという思いに駆られる。いつになったらそう思わなくても済むようになるのだろう。
「誰にも渡したくない。離したくない。俺を選んだ事を後悔させたくない」
本気でそう思っているのに、きっと後悔させたんだな。
瞳が揺れ、俺から視線を逸らすからわかってしまった。嫌な思いをさせてしまったんだろう。
もっと大切に、今しかない彼女と二人だけの時間を過ごしていきたいのに。
ただの恋人としての時間なんて、これからの俺たちの間には存在しない。
あるのは義務と血の枷。それ以前に猛反対の嵐。
「どうして好きだけじゃ上手くいかないの?」
「そうだな。どうして上手くいかないんだろうな。俺とお前が違いすぎるからか、な」
生まれた環境も、育った環境も、そして取り巻く環境も何もかも。
俺たちの間には相容れないたくさんの障壁がある。
今必要なのは、それを全て乗り越えられるだけの強い気持ち。
「私は初めてあなたに出会った日から、全然身分も立場も違うけれどあなたに惹かれていたのに」
ん? どういうことだ。初めて会った日からって。
「それ初耳だな。ゆっくり聞かせて貰おうか」
俺のほうを見ているんじゃないかなって感じる時はあったけれど、まさか初めて会った日からとは。
頬がにやけてしまうのを押さえる事が出来ない。
「じゃ、じゃあ、あなたはいつから私のこと好きだったのよ」
「知りたいー? 教えてもいいけど、まずはお前が答えてくれたらね」
教えるつもりはないけどね。
とりあえず正攻法で聞いてみるものの、答える気はさらさら無いらしい。
こうなったら強硬手段で。
腕の中に抱きしめた彼女のくすぐったがるポイントを的確に抑えて、指先でくすぐりまくる。
涙を流しながら悶える彼女が、しばらくすると床に倒れこむようにして俺の腕から逃げる。
「言うわよ。言うから許してぇ」
あははという笑い声が、本気で嫌がっている悲鳴のように変わってきたので一旦やめる。
座り込んだ彼女の前に屈みこみ、その顔を見つめる。
「最初から白状してればいいのに」
ふんと鼻で笑うと、ぎりっと涙目の彼女が睨んでくる。
まだそんな余力があったか。
彼女の首筋に指を這わすと、真っ赤な顔の彼女が身を捩る。おもしれー。
「あなたに会わなかったら、私はあの仕事に就こうと思わなかったの。幼馴染と結婚してたかもしれないの。これで満足?」
「俺がお前の運命を変えたって事?」
「……畏まっていえばそうかもしれないわね」
何やら不満そうだけど、まあいい。
「それより、いつから俺の事好きだったの?」
答えるもんかというような雰囲気で口を一文字に結ぶから、今度は顎に手をかけて首筋にキスをする。
「……やっ」
くすぐったいから? それとも?
「だから、仕事に就いた日にはもう好きだったの」
「へー。そうなんだ」
それは知らなかった。俺は特別何かをしたつもりはないけどな。恋愛に結びつくような事は。
ただ、彼女は俺の運命を変えるって預言されていたし、その仕事に就いてくれないと俺の立場が非常に不味いものになるから手を尽くしたつもりではあるけれど。
そうか。そうだったのか。
「じゃあ何で俺の事よりもアイツのことを見るようになったわけ?」
なかなか答えようとはしない彼女を再びくすぐると、思いがけない答えが出てくる。
「だって、婚約者の人の事を好きだと思ったから。私の事なんて見てないと思ったから。いつも二人でいると楽しそうにしてたから、割ってはいるのは邪魔者なのかなって思っていたし」
彼女が俺からアイツに目線を動かしたのは、俺の責任って事?
しかも些細な誤解から。
別に婚約者と話していても楽しかったわけではなく、社交辞令の応酬をしていただけなのに、彼女には伝わらなかったのか。
いつも彼女にだけは本音で接するようにしていたのに、全くもって伝わらなかったという事だな。
俺、超だせー。
思わず溜息が漏れると、彼女が瞳一杯に涙を浮かべながら俺を見る。くすぐりすぎたらしい。
「遠回りしたんだなってわかったよ」
今腕の中にいる彼女、次は絶対に手放さないようにしよう。
本当なら容易く手に入れることが出来たはずなのに、馬鹿だな。本当に。
彼女の胸の中に今もなお生き続ける蒼い竜。
その姿を追い出せないのは、過去の自分のせい。今の自分を苦しめてるのは、過去の俺か。
「他の人を見ないでね」
思いがけない言葉で、再び意識が彼女へと向かう。そんな事を言われるなんて思ってもみなかった。
嫉妬なんてしないんだろうと思っていた。
あくまでも、俺はアイツの二番手なんだろうと思っていたから。
「私以外の人を見たら嫌。すごく嫌だったの。だから」
「ああ、約束するよ」
当時も彼女以外に目を向けていたつもりはないが、彼女にはそのようには思えなかったのだろう。
「俺は、お前だけが好きだよ。何度でも何度でも言う。お前が不安になったのなら。だからその時には言えよ」
くだらない行き違いで彼女を失いたくない。
こくりと頷く彼女を抱きしめ、後悔と喜びの入り混じった思いを一緒に抱きしめた。
「明日は座学にしよう。この国の歴史や諸外国について少しは学んで貰わないとな」
空に星が瞬く頃、そんな話をすると彼女が思いっきり眉をひそめる。
「スパルタ方式はやめてね」
「はいはい。わかりました」
そんなに厳しくしたつもりは無かったけれどな。
「はい、は一回でしょ」
思わぬツッコミに笑うと、彼女が釣られて笑う。
「とりあえず今晩は何する? 酒飲む? それとも?」
彼女がふふっと微笑む。想定外の反応だぞ、それは。
「あなたがいつから私を好きだったかって話を聞くんだもん」
言うもんか。言ってたまるもんか。
くすぐろうとする彼女の手を押さえて逃げる。
「俺のどこが好きかを教えてくれたら答えてもいい」
「そんなのずるーい!」
絶叫は夜の帳に飲み込まれる。どうやら俺は彼女をからかうのが最高に楽しいらしい。