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CARAMEL  作者: 来生尚
補完篇~舞台裏の困惑~
25/28

 妹って何だ。

 妹を辞書で引くと「きょうだいのうちの年下の女」と書いてある。

 そう。妹なんだ。目の前にいるこの女性は。



 主人であり幼馴染であり親友であり、悪友。

 先々王の第三王子であり、先王と現王の弟。直系王族を示すカイの称号を持つ者。

 共に育った幼少の頃。共に軍属になった青年期。そして今は確固たる線が互いの間に引かれている。

 王弟とその腹心の部下。

 しかし内情は決してそんなことは無く、酒を飲みに行った時などは対等と言っても過言ではないかもしれない。こちらの嫌味もからかいも正面から受け止め、受け流す。たとえ不躾な事を言ったとしても、酒の席の事。翌日にその関係が差し支える事は無い。

 父などは、それこそが王者の器の証明だと言うが、俺にはさっぱりわからない。

 先王の治世の後期。といっても僅か数年の御世のうちの、戦乱や天変地異を畏れて奥に引き篭もってしまった後、王宮は後継問題に揺れた。

 現王であらせられる先々王の第二王子か、はたまた俺の仕える第三王子か。

 共に王の資質は十二分にあると見られていた。実際に先王の即位が決まった後、大臣や貴族たちの中には異論を唱える者も多かった。

 その急先鋒が我が父であるが。

 第二王子が重症で床に臥せっている間、そりゃもう暗躍しましたよ、俺も父も。「殿下を玉座に」を合言葉に。

 子供の頃にはウィズと呼んだ幼馴染である殿下の地位を磐石のものにと思って動いたのに、結局殿下は玉座には納まらず、あっさりと第二王子に玉座を譲ってしまった。

 脱力感と無力感に襲われた。殿下を玉座に着ける為に全力を尽くしたのは、当然王宮内の権力闘争の面もある。

 ほぼ勝ちだと思われていた勝負は、殿下の「王は兄上」という短い一言で敗北に転じた。

 その後、殿下のお傍を離れた者もいる。何のために我々は殿下の為に働いたのかという失望は、殿下への忠誠に影を落とした。

 一度聞いた事がある。何故玉座を捨てたのかと。

 答えは至ってシンプルではあるものの、理解しがたいものだった。

「自由が欲しい」

 王族に生まれたのに、玉座を欲しないのか。即位する機会は二度もあったのに。

 権力と財力を持った国民の頂点に立つ存在に、何故なりたくないのか正直理解が出来なかった。

 しかし殿下がその道を選んだのならば、それについていくのが腹心の部下の役目。

 王冠は手に入れなかったものの、王宮内のゴタゴタを片付けた功績により、殿下の存在は閑職に就いているとはいえ無視しがたいものになっていた。

 権力と影響力は水面下で維持し、表向きはのんびり自由自適な一宮生活。

 それを楽しんでおられるようにも思え、そのことに口を挟まれるのも好しとなさらなかったので、黙って数年も過ごした。

 ある年、思い立ったかのように殿下が俺に言う。

「どこか養女を取れるような家ないか」

「は?」

 思いがけない言葉に、どんな意味で言われているのか全くわからなかった。

 それは奇跡の巫女と巷で言われていた巫女が退位した年だった。そのことと殿下の発言が結びつくなど、その時には思いもしなかった。

「ちょっとさ、妃にしたい女がいるんだけれど、身分が低くて困っているんだ」

 わいわいがやがやと賑わう酒場の雑踏に紛れそうなほどの声だったが、衝撃はかなりのものだった。

 ついに、ついに殿下が結婚を考えるようになったとは。

 宝石の人と呼ばれる意中の女性がいるというのは、王宮では周知の事実であるのも関わらず、その相手は謎に包まれていた。

 もっとも俺はその相手を知っている。

 殿下が祭宮という祭事を司る宮になって、一番最初に水竜の神殿の巫女になった女性。

 しかし対になる宝石の片割れを渡したのはかなり前の話。それ以来艶っぽい話も聞いていないので、結局その恋は駄目になったのだろうと思っていた。

 そしてついに殿下の心を射止めた女性が現れたのかと、屋敷に帰るとすぐに父に相談した。

 父は二つ返事で、殿下の相手を当家の養女にすると決めた。

 俺に話を振ったという事は、恐らく当家で養女にしろという暗喩であったのだろうと。

 そうは思っていたものの、家の実権は父が握っているので口出しするのも憚られると思い、父の意思に従う形にした。

 そして養女を受け入れる準備が整ってから一年弱。

 ついに紆余曲折を経て、俺には妹が出来た。

 王都に軍艦で乗りつけた殿下は、甲板に一人の女性を残して王宮へと行く。

 降りてきた殿下と入れ違いに、階段を上って女性のところへと足を向けた。

 驚いた。

 8年ほど前に見た、小さな村出身の巫女だったと気付いたからだ。

 間近で見なくては気が付かなかった。初めて見た時とは、同一人物とは思えないほど風貌も印象も変わっていた。

「はじめまして。殿下の部下のギールティニアと申します。殿下よりお聞きになられるかと思いますが、当家で保護させていただく事になっております」

「はい。今日からお兄様とお呼びすれば宜しいのですね」

 異国の香水の香りを漂わせ、胸元には殿下から贈られた大きな青い宝石を身につけた女性が微笑んだ。

「お兄様、よろしくお願いいたします」

 俺が何かを言う前に、女性は、いや、妹は優雅に頭を下げた。

 知っている村娘と、目の前の妹が同一人物には見えなかった。

 月日が人を変えたのだろう。

 若干田舎臭かった幼い少女は、優雅でたおやかな女性へと変身していた。立ち方、微笑み方、話し方。指先にまで神経を行き届かせたかのような立ち居振る舞いに度肝を抜かれた。

 あまりにも完成された貴婦人のようだったから。

 てっきり殿下が困るほどの躾もなっていないような田舎娘だと思っていたから、素で驚いた。

 驚きのあまりに固まっている俺に、妹はにっこりと微笑んだ。

「私、兄妹がいないんです。お兄様が出来ると聞き、楽しみにしておりました」

「そうですか。自分も一人っ子でしたので、兄妹が出来て嬉しく思っております」

 それが妹と俺の、最初の会話だった。


 妹を屋敷に匿ってはいるものの、俺と父は全くそしらぬ顔で王宮に出仕していた。

 しかし、どうやっても殿下には会えない。

 陛下側の人間にもそれとなく聞いてみたが、殿下の姿は見てはいないという。

 一体どうしているのだろう。

 父と俺が違う方面から手を回して調べだすと、今度は陛下に釘を刺される。

 溜まっている仕事をさせているだけだから、気にする事はないと。暗に関わるな、手を引けと言われたわけだ。

 だがなんと言ってもこちらは殿下の指示なくては動けない直轄近衛。

 ねじ込んで殿下との対面まで持ち込んだが、陛下の監視の下での対面で、表面をさらうような指示が出ただけだった。

 部下たちにはそれぞれ課題と訓練をさせていたが、俺はやる事が無い。

 日頃の訓練はしていたが、それ以上の事をする必要が無いので、必然的に家に篭りきりになってしまった。

 で、妹にダンス特訓。

 まあ、そうだな。神殿にはダンスなんて必須項目ではないな。外の世界とは遮断された世界であり、社交界などとは全く関わりの無い場所なのだから。

 それなりの格好をして着飾っていると、身のこなしや話し方なんかは貴族として十分に通用するものだ。

 しかし、貴族にはイヤと言うほどダンスをする機会がある。ありがたい事に、陛下に当家の姫を紹介しろと夜会の手筈まで整えられてしまったのだから、何とかワルツだけでも踊れるように仕込まなくてはならない。

「1、2、3。1、2、3」

 嫌になるって程ステップの確認。それから優雅に見えるようにターン。

 ダンスなんて元来そんなに好きでもないのに、殿下の妃に仕立てるのだからそれなりの水準のものにはなってもらわなくては困るので、何時間も何日も特訓に特訓を重ねた。

 暇だから仕方なく。

 そう自分に言い聞かせ、殿下の為にと尽力した。しかし人間、無理をすれば疲れるものだ。

 夜になり、馴染みの女のところに顔を出す。

「あれ、どうしたの。珍しい、こんなところに来るなんて」

 むせ返るくらいの花の匂いを振りまきながら、女が上機嫌で俺の首に腕を絡ませてくる。

「来てくれて嬉しいわ。今日はいっぱいサービスしちゃうからね」

 ちゅっと音を立てて唇を重ねてきたが、どうにもそれに応える気にならない。

 女にされるままになっていると、ぷーっと頬をわざとらしく膨らませて俺の顔を覗き込んでくる。

「ちょっと。何しにきたのよ。こっちばっかりヤル気なんて恥ずかしいじゃない」

 安っぽいな。

 ふっと頭の中に妹の笑顔が浮かんだ。

「いや、別に今日はそういうつもりで来たわけじゃない。ただ酒が飲みたかっただけなんだ」

 ぷいっと横を向いたかと思うと、女はふてくされた顔で俺をじとーっと見つめる。

 何でこんな女が気に入っていたんだ。こんな芝居臭いの、鼻につくだけだ。

「何だ。言いたいことがあるなら言えよ」

「……ねえ、好きな女出来たでしょ」

「断定か」

 笑いながら酒に手を伸ばすと、女は体を離して溜息をつく。

「例の婚約者?」

「今更そんな感情抱くかよ。大体十も年下の年端もいかない娘だぞ」

 ふふっと女は鼻で笑う。

「年齢じゃないわよ。恋なんて思いもかけない相手に落ちるものよ」

「そんなもんか」

「そんなもんよ。あんたたちお貴族様は自由恋愛なんて出来なくて、本当の恋なんて知らないんでしょうけれどね」

「そうだな。結婚は義務であって、恋愛の延長線上にあるものではないしな」

「かわいそうね」

 哀れむような目をされ、馬鹿にされたような気もしたが、事実なので言い返しもせず酒を煽る。

 さっきから頭の中でちらちらと妹の顔が横切る。

「女はどんなものが好みなんだ」

 呆れ顔で女が溜息をつく。

「世間一般のことを言ってんの。それともあたし?」

「どっちでもいい。婚約者に贈る贈り物に悩んでいてな」

 ふーんと女がそんな言い分信じていないと言わんばかりの顔で俺を見る。まあ、事実、婚約者に贈り物をしたいわけではなく、さっきから頭の中に現れる篭りっぱなしの妹の気の晴れるものは何か無いかと考えただけなんだが。

「大概の女は老若問わず甘いものが好きなんじゃないの」

「そんなもんか? そんなものでいいのか?」

「贈り物は消えもの。親しくない相手なら余計にね。ちなみにあたしが欲しいのは金と宝石だけどね」

 クスクス笑う女に釣られて笑みが零れる。

「金と宝石か。それはまた欲深だな」

 冗談交じりの言葉は、女の笑い声で肯定されたようだ。結局、酒を飲みくだらない話に興じ、店を出た。


 流行の店の色とりどりのお菓子。

 少しでも妹の気晴らしになればと思い、片っ端から買ってみた。

「これ食べた事あります。美味しいですよね」

 何日目かにそれを言われ、王都にいなかった妹がどうして王都の菓子を食えたのかと聞いてみた。

「神殿で、たまに神官長様が出してくださったんです。王都から取り寄せてくださってるとおっしゃっていたので、これと同じものだったんですね」

 にこにこと笑いながら、お菓子をパクリと口の中へと入れる。

「彼が選んでくれていたらしいんですよ。神官長様が以前そのようにおっしゃっていました。彼がこれを選んでいるところ、想像つかないですけれど」

 クスクス笑いながら、指で摘んで目の前に持ってくると、遠くを見つめるような顔をする。

「ちゃんとありがとうって言えるかな。まだお礼を言っていないんです」

 会えなくて不安だったのか。

 今までそんなこと口にも出さなかったから、そんな風に思っているとは思いもしなかった。

 毎日楽しそうにしていたし、いつもニコニコ笑っていたから。

「会えると思いますよ。案外しぶといですから、あっさりあなたを諦めたりはなさらないと思いますよ」

「そうだといいですね、ありがとうございます。お兄様」

 言いながら妹がそっと溜息をつく。会いたいんだろうな。やっぱり。

 小さなお菓子を手に取ったまま、妹の瞳は暗く沈みこんでしまった。なんとか不安を払拭できるといいが、俺には女の扱いなんかわからん。

 黙ってそのまま皿に手を伸ばし、本当は好きでもない甘いものを口に放り込む。こんな機会が無かったら食べないだろうな、きっと。

 広い応接間で二人で黙々とお菓子を食べている光景は滑稽だろう。

 だが、掛けるべき言葉が見つからない。

 殿下になら軽口を叩く事も出来るし、嫌味の一つも言う事が出来るが、この妹に何て言葉を掛けてやればいいのだろう。

 会いたいかなんていう愚問を口に出すのも憚られる。

 暇かなんて聞いたら、どうせこの妹の事だから笑顔で首を横に振るだけだろう。

 生真面目でびっくり箱。

 殿下が彼女の事を総評してそう言っていたが、生真面目の部分に関してのみわかってきたような気がする。

 ダンスの練習でも弱音を吐く事はしない。苦手な部分も何度も練習して克服しようとする。

 元来不器用なほうなのかもしれない。

 手足が上手く動かない自分の事を、もどかしそうにしているようにも思える。

 今もそうだ。

 自分の内面は口に出さない。

 与えられた環境の中で、自分の与えられた役割を淡々とこなしているように見える。それはまるで人形か仮面を被った役者のようにさえ見える。

 笑っているのに、その心中が見えない。見えても、そこに踏み込ませようとはしない。

 笑顔の仮面の裏側で、妹は何を考えているのだろう。

 目の前で嬉しそうにお茶を飲んでいる妹の本音はどこにあるのだろう。

「一つお伺いしてもよろしいでしょうか」

 俺の問いかけに首を傾げるその仕草さえ、計算しつくされたもののように見える。

 パチンと指を弾いて使用人たちを部屋から退室させ、改めて椅子に深く座りなおす。

「もしもこのまま殿下とお会いになる事が出来なかったらどうなさいますか」

 そんなことは起こりえないと知りつつも、意地悪な質問を投げかけてしまう。

 妹の視線は横に逸れ、ふーっと息を吐いたかと思うと下唇を噛む。

 けれど悲痛な表情というよりかは、どちらかというと道化のような表情に変わる。

「それは無いですよ」

 ふふっと穏やかは笑みを浮かべ、じーっとこちらを見つめる。その視線にドキリと心臓が跳ねる。

「約束しましたもの。必ず迎えに来るって。ああ、でももし迎えに来ないようなら、こちらから迎えに行こうかな」

「今、なんと」

 イタズラを考えるかのように視線を上に投げかけて、指先を顎に当てて考え事をするかのような仕草をする。

「お兄様はそういう事態が起こるかもしれないと思っていらっしゃるのでしょう。ならば、こちらもそれに対する手立てを考えるだけですわ」

 にっこりと微笑んだかと思うと、唐突に恐ろしい事を口走る。

「いざとなったら紅竜呼んで、王城に乗り込むのもいいかもしれないですね」

「本気で言っておられるのですか」

「さあ。でも事を荒立てるつもりはありませんから、大人しくここで待っています」

 本気だ。絶対本気だ。

 間違いなく本気でやるつもりだ。そういう目をしていた。

 何考えているんだ、この妹は。そんなことをやるつもりは無いなんて嘘だろう。

「一つだけ約束していただけますか。絶対に殿下のお許しが出ない限り、その切り札をお使いにならないで下さい。殿下はあなたの真実を隠し通そうとなさっておられるのですから」

「はい。わかっております。それを使ってしまったどのような事になるのか、それは嫌というほど知っていますから」

 表情に影がかかる。

 そんな風に顔色を曇らせるような事が過去にあったのだろうか。

 妹の全ての過去を曝け出してしまったほうが物事の都合がいいだろうに、殿下が妹が巫女であった事を隠そうとしているのは、もしかしたらそんな過去が関わっているのではないだろうか。

 もしかしたら口に出しにくい過去ではないかと容易に想像がつくのに、どうしてか俺は口に出さずにはいられなかった。

「過去を他人に知られる事で、嫌な思いをされたのですね」

 断定してしまった俺に、妹は泣き笑いの表情を浮かべる。

「だって、巫女の血を欲しがる人は国中至るところにいますから」

 遠まわしな言い方だったが、非常に下卑た欲望に晒されたのだという事が伝わってくる。

 そのことを口に出した時、微かに体が震えたようにも見えた。

「そうでしたか。辛い事を思い出させてしまい申し訳ありませんでした」

 口元に笑みを讃えて俺を見る妹の瞳が揺れている。

 不安なんだろう。

 殿下と離れている事も、自分の過去ゆえに自らの身が危険に晒される事も。

「ここにいれば大丈夫ですよ。誰もあなたに手出しさせません。私があなたを守りましょう」

 あなたは殿下から託された大切な人なのだから。

 自分に言い聞かせるように付け加えた言葉に、妹は目を伏せる。

 涙を堪えているかのようにも見えた。俺のほうを見ようともせず、自分の殻の中に篭ってしまった。

 守らなくては。この細い肩を。

 その身に抱えている沢山の恐怖や不安から守らなくては。妹を傷つける者は許さない。たった一人の俺の妹なのだから。

 それが命令による義務以上の感情である事に気が付いたのは、ずっとずっと後になってからだった。

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