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お嬢と近衛を追って王都に戻った。
しかし何日もあの酒場に寄ったけれど、貴族の男は現れない。当然のように祭宮も。
窓際の席で外を眺めて過ごし続ける日々。
日中はお嬢の住む貴族の屋敷付近の広場で大道芸をしたりもするが、お嬢の姿を一度も見ることは無かった。命を狙われているくらいだから、篭りきりなのかもしれない。
自称兄のゴツイ男は、近衛の制服を着て毎日のように出かけるし、その父親も頻繁に王宮や他の貴族の屋敷に足を運んでいる。
それなのに、お嬢だけは見かけない。
元来貴族の娘なんていう深窓の令嬢は、街中へ出たりしないものなのかもしれない。
お嬢を神殿で匿った報酬は、神殿の方へ直接届けられたそうだ。
何故、俺に直接渡さない。
何割かは懐に入れようかと思っていたのに。割に合わない仕事引き受けちまったもんだ。
日付も変わる時間に差し迫ってきたので、口に咥えたままの煙草を灰皿で押し消して溜息をつく。
お嬢のことは心配だし、その動向を探る事が俺の仕事とはいえ、こう何日も無駄に過ごすのは無益だな。やはり新しい情報源を模索するか。
ジョッキの底に残った酒を飲み干して、席を立ち上がろうと腰を浮かせると、まばらになってきた店内にやたら優雅な男が現れる。
一応変装らしきものはしているようだけれど、どうにもその育ちは隠しきれないらしい。
俺のほうに気付いたようで、片手を軽く上げて合図を送ってくる。
あー。もう少し早く店を出れば良かった。
そう思うのに、心のどこかで会えて良かったと思っている。
犬にはなりたくないのに、もう飼い犬気分か。俺は。
いやいや、神殿にとって貴重な情報源だから接触出来た事を喜んでいるのだ、俺は。そうだ、絶対に。
テーブルまでやってくると、4人掛けのテーブルの対角線上に祭宮が腰を下ろす。
「久しぶりだね、片目」
「どうも」
普段に比べると心持ち声が低くなってしまう。飼われていても、どうしても警戒心が拭えない。
神殿組織を崩壊させるべく巫女であったお嬢を毒殺しようとしたり、神官長様を妃にしてしまうことでその地位を空位にしようとした男だ。
神殿にとって諸悪の根源と言ってもいい。
「相変わらず無愛想だな」
祭宮は片手を上げて店主に酒を注文し、懐から煙草を出して咥える。
ふーっと吹く息が白く曇り、煙草の臭いが辺りに広がっていく。
「連れは今日はいないのか」
「ああ後で来るだろ。現地集合って言っておいたから」
あまり興味もないといった様子で、運ばれてきたばかりの酒に手を伸ばす。
俺の分まで頼んでくれたので、新しいジョッキを手に取る。
「乾杯」
そう言ってジョッキを軽くぶつけるが、一体何に乾杯したらいいんだ。
何もめでたいような事は一つも無いぞ。
あ、どうせならそれに託けて聞いてみるか。
「結婚するそうで。おめでとうございます」
しまった。ついつい敬語になってしまった。コイツと外で話している時には敬語を使ってはいけないんだった。
そんな嫌な目で見るなよ。俺だって失敗したと思っているよ。
視線が鋭くなったのは一瞬だけで、次の瞬間には笑みを浮かべている。絶対に無意識に表情変えるなんて事ないな、祭宮。全て計算づくに見える。
「ああ、兄が勝手に日取りを決めたから、式を挙げなきゃいけないんだ。もう噂になってる?」
「城下はそれなりにお祭りムードだが。本当に結婚するのか」
ぎゅっと祭宮は煙草を押し消す。
「するよ。対外的な問題もあるし」
「だが、婚約者には断られたんだろう」
何が面白かったのか、はじけるように大声で笑い出す。腹を抱えて笑うとは、まさにこの事といった風情で。
笑い声をあげたままの祭宮は無視し、運ばれてきたばかりの冷えて飲み頃の酒を喉に流し込む。
俺は何でも知っていますみたいな感じで、本当に腹立たしい若造だ。
「そのうち判るよ」
ひとしきり笑った後、祭宮はやけに冷静な声で答える。
「兄は彼女の事は公表する気は無いという事か。情報通の片目が知らないんだし」
馬鹿にされたのかと思ったが、どことなく穏やかな顔をしていて、どちらかというと物思いに耽っているようだ。
視線を窓の外へと向けたままで、何も話そうとはしないので、俺も黙って酒を飲む事に徹する。
しばらくして祭宮のジョッキが空になった頃、背後から祭宮よりも低い声の男が話しかけてくる。振り返らなくともわかる。祭宮の護衛のごつい男。お嬢の自称兄。
「お待たせしました」
「遅かったな」
「なかなか家を抜け出るのに苦労したんですよ」
振り返りもせず、二人の会話に耳を澄ます。
「そりゃそうだ。よく許可が下りたな」
「下りるわけないじゃないですか。見つかったら大事ですよ」
「無理を言ってすまなかったな」
こんなゴツイのが外を出歩いたところで、危険も何もなかろう。むしろその鍛えた腕で、暴漢の一人や二人は軽くのせそうだ。
しかし一応曲がりなりにも貴族のご子息なわけだから、深夜に外を歩き回らせるのは両親も心配というところだろうか。
カタンと椅子を引く音が左手でし、顔を上げると男と視線が合う。
けれど一瞬だけで、男は俺じゃなくて祭宮を見る。
「詰めてくださいよ。あなたが片目の隣に座ればいいでしょう」
「ヤダね。何で俺がお前に指示されなきゃいけないんだ」
「そういう暴君的発言は、優秀な部下を失いますよ」
「暴君じゃない。何でお前が彼女の隣に座るんだよ。って、俺を押しのけるな」
男はぐいぐいと祭宮を押し、スペースを作ろうとしている。何やってるんだ、こいつら。
「ちょっと本当にどいてくださいよ。兄である私を、妹の隣に座らせないつもりですか」
「うるさい。何が兄だ」
二人のどうでもいいじゃれあいを放置して、背後から聞こえる高い声の笑い声の主へと振り返る。
クスクスと笑い声をあげて二人を見つめているのは、紛れもないお嬢その人。
咄嗟に立ち上がると、こちらに気付いたようでお嬢の目がみるみる見開いていく。
「何でいるの」
それを言いたいのはこっちだ。
「こんな夜中に出歩いて何しているんですか」
問いかけるとお嬢が少し困ったような顔をする。
「美味しいお店があるから行こうってお兄様が」
「ああ、もう面倒だ。片目、お前が一つ横にずれろ」
お嬢の声とゴツイ兄の声が重なる。
この夜中にお嬢を連れまわしているのはお前かっ。男を睨みつけるけれど、全く怯む様子は無い。
「とっととずれろ」
はいはい。わかりましたよ。この青二才が。
席を一つ右側にずれ、ジョッキや皿などを引き寄せると、俺の座っていた席に男がどかっと座る。その隣にお嬢が座り、どうやらこれでくだらない言い争いにも終止符が打たれたらしい。
それにしても何で祭宮一派とお嬢が一緒にいるんだ。しかも仲良さそうにして。
「何でお兄様もウィズもくだらない喧嘩するの」
間に挟まれているお嬢が、呆れ顔で運ばれてきた酒に手を伸ばす。
そうだよな。酒場で飲まなくてどうするって感じだよな。でも頼むから飲まないでくれ。
ああ、いい飲みっぷりだ。
わかっているさ。俺の中の巫女像なんてとうの昔にぶち壊されているんだ。お嬢は酒も飲むし、恋もする。
って、恋だよ恋。その相手は誰なんだよ。神官長様に下さいって頼んだ「彼」は。
「くだらなくなんか無いだろう。兄としては悪い虫がお前につかないように細心の注意を払っているだけだよ」
「だーれーが、悪い虫だって」
「おやおや。心当たりがありませんか。それは随分とご自分の評価を過大評価していらっしゃるようで」
「……おい。お前が妹にベタぼれなのはわかったから、そのあまり面白くない茶番はこのくらいにしておけ」
吐き捨てるように言う祭宮を、ふふんと男は鼻で笑う。
やっぱりこの自称兄がお嬢の恋人って事か。
二人の間で動揺する様子も見せずにニコニコしているお嬢の頭を、男が無骨な指でゆっくりとした動きで撫でる。
「お前は俺の可愛い妹だからね。誰にも触らせたくないくらいだよ」
クスっとお嬢が笑い、祭宮のほうに視線を送ると、祭宮はこの上なく不機嫌そうな顔でお嬢を見る。
「むやみやたらに触るなって言ってるだろ」
パチンと軽い音を立てて、祭宮がお嬢の頭に載せられた男の手を叩く。
男は肩をすくめるような仕草をして、お嬢に笑いかける。
「男の嫉妬は醜いな」
「お兄様、そのくらいにしておかないと、後で百倍返しされるから」
そう男に話しかけたかと思うと、お嬢は祭宮を首を傾げて見つめる。
「嫉妬した?」
「今更するか、バカ」
「ふーん。つまらないの」
クスクス笑ったまま、お嬢は兄とつまみを摘んだりしている。
二人の仲睦まじげな様子を、俺と祭宮はただただ見守るだけだ。
この恋を前にしたら、神官長の座なんてどうでもいいのか。間近で二人の遣り取りを見つめていると、お嬢がそう思っても不思議は無いなと自然と思えてくる。
神殿にいる時のような緊張した様子では無く、自然に笑い、甘え、とても楽しそうにしている。
いくら神殿の為とはいえ、無理やり神殿に閉じ込めようとしたのは間違いだったかもしれない。年相応の女性らしい華やかな笑顔に、後悔のようなものが浮かんでくる。
「お前ら、兄妹寸劇はその辺にしとけ」
「ごっこじゃないですよ。兄妹愛を確かめ合っているだけです」
男が言い切ったのを見て、お嬢がまた頬を緩める。
あー。もう。ご馳走様でした。
っと。あれ? 兄妹劇を演じているわけじゃないってどういう事だ。恋人なのに兄妹のフリをするなって事か?
何かおかしい。何かがひっかかる。
ぷいっとそっぽを向いた祭宮の腕を、お嬢が掴む。
「怒った?」
「怒ってない。こんな事くらいで怒るわけ無いだろ。けど」
「けど?」
少し不安げに瞳を揺らすお嬢に、今度は祭宮がポンポンと頭を軽く叩くように撫でる。
「久しぶりに会ったんだから、少しは嬉しそうな顔の一つもしろよ」
「ゴメンね」
ふふっとお嬢が微笑むと、不機嫌そうだった祭宮の表情も柔らかくなる。
頭を撫でていた手がお嬢の頬を撫でると、くすぐったそうにお嬢が身を捩る。
自分の恋人に手を出されて不快じゃないのかと思って男を見たけれど、溜息をつくばかりで何も言おうともしない。
兄である男に甘えるような仕草をしていたけれど、もっと、何て言うのが的確かわからないが、うーん、じゃれあって楽しんでいるような度合いは祭宮に対してのほうが大きい気がする。
いやいや、待て待て。祭宮と恋人って事は無いだろう。
仮にも自分を殺そうとした男に恋愛感情なんて湧くのか。それは無いだろう。
じゃあ何故、祭宮なんかに肌に触れたりされても拒否しないんだ。
何で何だ。一体二人の間に何があるんだ。
「どうでもいいですけれど、片目が置いてけぼりですよ」
どうでもよくは無いだろう。本当に失礼な男だな、このゴツイのは。
祭宮とお嬢が同時に俺のほうに目を向け、きょとんとした表情のお嬢を祭宮が横目で見る。
「片目、この間はありがとう。色々面倒を掛けてごめんなさい」
ペコっと頭を下げ、お嬢が更に続ける。
「こちらの都合で振り回してしまって、他のみんなにも申し訳なく思っているの」
「……いえ。たとえお役目を終えた後であってもお守りするのが我々の使命です」
かつてはそうではなかったのかもしれないが、今は過去に巫女であった者全てに手を差し伸べ、その命尽きるまで守るつもりでいる。そのための人員配置はなされた。
「今後は君たちの手を煩わせないよ。なあ」
祭宮が男に同意を求める。
「はい。妹は全力で守る。だから、お前らは心配するな」
いや、お前らが一番信用ならない。
そもそも祭宮はお嬢を過去に殺そうと。
「それを伝える為に、ここに来たのか」
まるでお役御免だと言われているようで、俺では力不足だと言われているようで、外野は引っ込んでろといわんばかりのその口調に腹が立つ。
ずっと影ながらお嬢を守ってきたつもりだ。確かにお嬢にかかりっきりで守れたわけではないが。
「いや」
それっきり会話が途絶える。
重苦しい雰囲気の中、各々酒を飲み、つまみを摘む。
この空気が居たたまれなくて煙草に火を点けようとすると、両側から手が伸びてくる。
「彼女の前では吸うな」
「妹の前では禁煙しろ」
異口同音の言葉を吐き出すと、祭宮と男が肩をすくめて笑う。目と目で通じあってますってか。
「ごめんなさい。胸の病が最近あまり良くないの。煙は体に悪いって言われているの」
お嬢がフォローするように言うが、この完全アウェイ戦。分が悪すぎる。
「そういえばあんた、結婚するんだよな。お祝いは何がいい。大したものはやれないが」
気まずさを紛らわせる為に言ったのに、祭宮がにやりと笑う。
「じゃあ王宮で芸の一つでもして貰おうか」
「お断りだ」
きっぱりはっきり断ったのに、意外な人物に食いつかれた。
「えー。片目の芸、一度でいいから見てみたいのに」
「嫌です。大体、あなたが祭宮の結婚式に参列するんですか」
ついついお嬢相手では敬語になってしまう。しかし誰も咎めようとはしない。
いくら貴族の娘でも、急造貴族なんだから、とびきりの王族の祭宮の結婚式に参列なんて出来ないだろう。
まだこの兄とも正式に結婚しているわけでもなさそうだし、配偶者として参列するっていうのも難しそうだしな。
それなのに、全員鳩が豆鉄砲くらったような顔をしている。
何だよ。別におかしい事なんて言ってないだろ。
「参列じゃなくて、結婚するんだけど」
首を傾げてお嬢が言う。
「ああ、だからそちらの方が結婚するのは知っています。街中でも婚礼があるって噂が流れていますから」
不思議そうな顔でお嬢が祭宮を見つめる。
もしかしてお嬢は祭宮が結婚するのは知らなかったのか。ここ数ヶ月は神殿にいたし、その前は村にいただろうから当たり前か。
「あのね、そうなんだけど、そうじゃなくって」
困ったような顔で、お嬢は今度は兄のほうを見る。
しかし助け舟は出さないようで、お嬢はまた祭宮を見つめる。
「言ってない?」
「言わなくても知っていると思ってた」
祭宮にそう言われると、今度は困ったような顔をして俺を見る。
いやいやいや。そんな目で見られても、知らないし。
祭宮がお嬢の肩をポンっと抱いて俺を見る。
「こういう事。わかった?」
こういう事って何だよ。さっぱり……って、ちょっと待て。
恥ずかしそうに頬を染めるお嬢と、そのお嬢を愛おしそうに見つめる祭宮。
「え? 嘘だろ」
考えるよりも言葉が出てくるほうが早かった。
「嘘じゃないけど。証明してみせようか?」
にやりと笑う祭宮を、真っ赤な顔のお嬢が睨みつける。
「どうやって証明するのよ」
「ひーみーつ。どんな方法がお好み?」
「答えになってないじゃないっ」
目の前で繰り広げられる痴話喧嘩? にあっけに取られていると、横からぼそっと重低音が響く。
「そういう事だ。理解したな」
理解できるか。そんなの擬装しているだけだって言われたら、そうだって信じられるレベルだぞ。
ゴツイ男と話している時だって、こんな感じだったじゃないか。
一体どっちが真実なんだ。
祭宮か。それともゴツイ自称兄か。
「お前、聞いたことがあるだろう。宝石の人の噂」
「宝石の人?」
ああ、何でも祭宮がその心を捧げている唯一人の女性がいるとかって噂か。
王都の流行にのった、一つの石を二つに割って作った宝石を持っている相手こそ、祭宮の意中の相手ってやつ。
そんな大分昔から流布されている噂とお嬢に接点は無いだろう。
噂が王都で持ちきりだった頃は、お嬢は巫女だったし。
「サーシャ。見せてごらん」
兄がお嬢に言うと、お嬢は服の胸元から青い石のついたネックレスと取り出す。
これ、ずっと昔から、巫女だった当初から着けていたやつだ。大祭の時なんかの、首が大きく開いている服を身につけている時に見かけたことがある。
「相方がこっち」
祭宮が腕に光る青い石を見せる。確かによく似た色の石だけど、まさかなあ。
「そうやって俺を謀ろうとしているんだろう。その石、蒼のほうにいる初期から着けていたぞ。今更それが流行のものと言っても、とってつけたようにしか聞こえないな」
「その当時に渡したんだから、当たり前だろう」
さも当然と言わんばかりに踏ん反り返り、祭宮が俺を蔑むように見る。その目、気に入らない。俺は馬鹿扱いか。
いやいやいや、そんなことよりも重要な問題があるだろっ。
「ってことは、そんな昔から付き合っていたって事か。俺らや水竜様を謀って」
「声がでかい。少しは落ち着け」
重低音でゴツイのに苦言を吐かれたが、そんなことよりも大事だろう。事実確認しなくては。
大体だな、巫女であった当時からコイツと付き合っていたとかって事になれば、神殿にとって大問題だぞ。
「付き合ってないよ。これ、立派に仕事をやり遂げられるようにってくれたから、そんな意味があるなんて知らなかったもの」
ね、と祭宮のほうを見て同意を求めるお嬢に、祭宮は苦笑を浮かべる。
わからない。その表情に籠められた本心が。
「ならばやはり違うのですか。そちらのお兄さんとは揃いの指輪をしていますし、非常に仲睦まじい様子ですし」
俺が言うのを遮り、祭宮が笑い声をあげ、ゴツイのは笑いを堪えきれないといった様子で肩を揺らしている。
お嬢はというと、そんな二人を交互に見ては不思議そうな顔をしている。
「これはうちの家の全員が着けている。当家の紋章が入っているものだ。そうか。片目さえも騙せたか」
「擬装だよ。指輪も、仲睦まじいのも、二人の仲を誤解される為のね」
二人が言うのを唖然として見ていると、間に挟まれたお嬢が憮然とした顔になる。
「擬装ってどういう事」
冷ややかなその声に、男性人の顔が固まる。
「お兄様。私に優しくしてくださったのは、全て彼の命令なの」
「いや、いやいや。そういうのではなくてだな」
睨むお嬢を宥めるようにしているが、どうやら焼け石に水のようだ。
だからさ、こうやって怒るから、兄が恋人なんじゃないかって思うわけだ。だって全然本気度が違うじゃないか、祭宮に対する時と。
「本当の兄妹になりたいって私、言いましたよね」
「ああ」
「なのに、お兄様は彼に命令されたから、仕方なく私と接していたって事ですか」
「そんなことは無い。命令は無かったわけではないが」
「やっぱりそうなんですね。もうっ、お兄様なんて大っ嫌い」
ゴツイのは、がーんとショックな面持ちになり、はーっと溜息をつく。
「あのな。命令が無かったら、お前は俺のとこには来なかっただろ。最初は命令があったからだが、ちゃんと妹として大切に扱ってきたつもりだし、それはこれからも変わらん。一生続けるんだろう。兄妹ごっこ」
「だから、ごっこじゃないですってば」
口を尖らせるお嬢の頭をゴツイのが撫でる。
「俺はいつ何があってもお前の味方だ。たった一人の兄妹じゃないか」
「本当に?」
「ああ、絶対だ。だから喧嘩したり嫌になったりしたら、いつでも戻ってきていいからな」
「はいっ」
どうやら痴話喧嘩は終了したらしい。火がついたかと思ったら、あっさりと終焉を迎える。
まるで予定調和のような、俺はお前が大切だというアピールが為されれば、それで満足がいったかのように。
兄妹と口では言っているけれど、どう見ても恋人としか思えない。お互いの愛情を測る為に、この遣り取りは繰り広げられたとしか思えない。やはりこのゴツイのがお嬢の意中の相手で間違いないな。
そう思いつつ酒に手を伸ばすと、左側から不機嫌そうな声が上がる。
「お前らさ、それが正しい兄妹像だと思っているのか」
問われた二人はきょとんとしてお互いの顔を見つめたかと思うと、にやりと笑う。
「嫉妬?」
「嫉妬ですか」
異口同音の言葉に、祭宮は不機嫌そうな顔を更に強張らせる。
「うるさい。お前ら俺をからかって楽しんでるんだろう」
ニコニコというよりかはニヤニヤという笑みを浮かべて兄妹は祭宮を見る。
「楽しんでるなんて、人聞きの悪い」
「そんなことないって。考えすぎよ」
不機嫌極まりない祭宮は、ぐいっと酒を飲み干してお嬢を見つめる。
「お前、俺よりもギーのほうがいいの?」
「そんなこと言ってないでしょ。安直すぎる思考は時としては有効だが、得てして不利益を生じるって言ったのはあなたじゃなかった?」
柔らかな苦笑で祭宮に語りかけるお嬢が、何故か巫女だった頃のお嬢と重なる。どこか危うい線の上で駆け引きをしているかのようで。
ピンと背筋を伸ばし、計算しつくされたかのような首の傾げ方。
笑っているのに、どこか笑っていないような。まるで仮面を被っているかのよう。
「うるさい。俺だって不安に刈られたりするんだから、あんまりギーとベタベタすんなよ」
「ふふっ。ごめんね」
その言葉をキッカケに、二人の間の空気が一気に変わる。
「会いたかった?」
「俺に聞いてんの。愚問だろ」
「だって今日の分聞いてないもん」
「こんなところで言えるか」
なんだ。この急展開な甘ったるい会話は。
会話の内容は当たり障りの無い、ごくごく普通の会話のようだけれど、二人だけにわかる会話を繰り広げ、二人だけの空間を作り出している。
やっぱり祭宮がお嬢の相手だというのか。
「なんで、自分を殺そうとした相手なんかを」
口から思わず疑問が飛び出してしまった。
ぴたっと二人の口が止まり、視線がゴツイのも含めて三人分、俺のほうへと向けられる。
あからさまに祭宮の表情が曇った。やはり心当たりがあるという事だな。
俺の中のグレーは今この瞬間、真っ黒に変わった。やはりお嬢殺害の実行犯だな、お前が。
お嬢は眉をひそめ俺の顔を見たかと思うと、ふっと口元に笑みを浮かべ、祭宮のほうへと視線を向ける。
「もしもあの時私が倒れた事を言っているのだとしたら、違うわ。殺そうとしたわけじゃない。不可抗力の事故よ」
俺にじゃなく、まるで祭宮に言い聞かせるようにしている。
「それにね、人を好きになるのは理屈じゃないわ。誰がなんと言おうとも、私の中の答えは変わらないわ」
「……ありがとう」
祭宮の謝罪とも感謝とも取れるような言葉に、お嬢が溜息交じりの笑みを浮かべる。
「もう終わった事でしょ。もういいよ。私はここにいる。それでいいじゃない」
「ああ。そうだな」
頷いた祭宮に、にっこりとお嬢が笑いかける。
「折角美味しい料理とお酒があるんだから、暗い話はもうおしまい。あ、お酒無いね。頼もうか」
手を上げて店主を呼び、あれこれと注文するお嬢の様子を眺めている。
この切り替えの早さ。鮮やかさ。
これがお嬢が人の心を掴む理由の一つかもしれない。
唖然とした俺や若造たちをよそに、お嬢は一人楽しそうに店主と会話し、上機嫌で酒に手を伸ばす。
全然重苦しい会話をしていた風には見えないし、言葉通り気にしていないと体現するように。
「本当にお前には叶わないな」
苦笑交じりに言う祭宮を横目で見ながら、お嬢がジョッキを口に運ぶ。
「そんなこと無いよ」
お嬢はそれきり、過去については触れようともしない。
並べられた食事を口に運び、酒を飲み、終始楽しそうにしている。
はしゃぐようにし、よく笑い、上機嫌で他愛も無い話に興じている。
二人の男に挟まれているお嬢を見ると、一体どちらが本当のお嬢の恋する相手なのかさっぱりわからない。
どちらとも愛情を確認するかのような会話を繰り広げていたのに、今はどちらとも一定の距離を保っている。
本当に恋しい意中の相手って誰なんだ。
「ところで、結婚式に呼ぶつもりですか。紅の」
会話に加わる事も無く観察しつつ酒を飲んでいると、唐突にゴツイのが祭宮に話しかける。
紅のって、紅竜様のことか。
何で祭宮の結婚式なんかに呼ばなきゃいけないんだよ。
「さあ、ササの気分次第じゃないか」
ササと呼ばれたお嬢は、ジョッキを手放して祭宮を見る。
「呼ばなきゃいけないのかな」
「いや。兄上は呼んだほうが良いような事を言っていたが」
「んー。でもさ、呼ばなくても面白がって来そうな気がするのよね。あの人のことだから」
「ああ、確かに」
クスっと笑う祭宮に「でしょう」とお嬢が同意する。
「気まぐれだから、呼べば来ないだろうし、呼ばなければ来るよ、きっと」
「だな」
二人の姿が、以前神殿の中で見ていた二人の姿とは決定的に異なる事に気付く。
以前も対等だったけれど、お互いの地位や立場を尊重したもので、そこには壁が存在していた。
なのに、今の二人はとても気安い関係に見える。
業務上表裏一体だった二人が、今は個人として表裏一体の場にいるような。
なんて表現するんだ。この感じ。
「いちゃいちゃしたいなら、他所でして下さいよ。妹がたとえあなただろうと仲睦まじくしているところを見て腹を立てないでいられるほど、寛容では無いので」
うーん。ゴツイのがそう言うということは、やっぱりゴツイののほうが。
もうさっぱりわからない。
「一体どっちがあなたの本命なんですか」
「え? ウィズだけど」
搾り出した疑問を、あっさりとお嬢が一蹴する。
「ウィズって誰ですか」
「だから、彼」
祭宮を指差し、俺のことを不思議そうな顔で見る。
「結婚するの。さっきそう言ったじゃない」
ガタっと椅子から崩れ落ちそうになると、ククっと二人の男は肩を揺らして笑っている。
カーっと頭に血が上る。こんな若造二人にせせら笑われたのが腹立たしい。
ここに三人が揃ってからの会話を思い返すと、確かにそう言われてみればそうだと納得出来る。
兄は擬装。本命は祭宮。だから祭宮の結婚式に参列するわけじゃなくて、結婚するって答えたのか。
全ての糸は繋がったが、だからといって信じられるかっ。それさえも擬装かもしれないわけだ。
「俺は自分の目で見たものしか信じません」
それが諜報員たる俺のポリシーだ。確固たる裏づけが無い限り……。
「何してるんですかっ」
思わず叫ぶ。
お嬢の肩を抱き、その頬に口付けをする祭宮が視界に入ったからだ。
「証明しただけだろ。見たものしか信じないんだろう、片目は。結婚式にも呼んでやるよ」
ニヤっと笑う祭宮。頬を染めるお嬢。呆れ顔のゴツイの。
その三者三様の表情が、これが事実なのだと納得せざるを得ないものだった。
何で、祭宮なんだ。何でだ、お嬢。本当にそれでいいのか。
「だから結婚式で芸を披露して貰うよ、片目」
お嬢を片腕に抱きながら言う祭宮に、心の底から叫んだ。
「絶対にお断りだっ」
こんなヤツラに振り回されるのはもう御免だ。
「ふーん。来たら、王宮にフリーパスで入れるようになるかもしれないのに。本当にいいのかな、片目」
お嬢を守ると、かつてある方と約束した。
その約束を守る為には、王族である祭宮と結婚したお嬢と接触する為に、王宮の中に足を踏み入れなくてはならない。
それを逆手に取りやがって、祭宮め。絶対に嫌だと言えないのをわかって言っているな。
祭宮とゴツイの以上に、お嬢の傍近くに寄れる人間はいないだろう。お嬢に直接接触できなくとも、この二人以上にお嬢の情報を握る者はいないだろう。
口を開くのも億劫なほど、頭が痛む。
さっきの「今後は君たちの手を煩わせないよ」という発言は、俺への挑発だったんだな。絶対にそう言われて俺が引かないのを知って。
くそっ。若造二人の手のひらの上で転がされているのが悔しい。こいつら十以上俺より下なんだぞ。それとも魍魎跋扈するといわれる王宮の中で生き抜くには、このくらいのしたたかさも必須という事か。
だが、これからもこいつらと関わっていかなくてはならないだろう。
憂鬱な気分に、深い深い溜息が漏れ出た。