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王都のいつもの酒場。
別にここに立ち寄らなければあの連中と関わらなくて済むというのに、必ずここに足を運んでしまう。
しかも確実に会えるというわけではないのに。
国王の弟で祭宮の王子。そしてその配下の部下。俺が会いに来ているのはその二人だ。
飼われるつもりは無かったのに、いつの間にやら俺は祭宮の飼い犬に成り下がっている。
神殿の諜報員である俺にとって、一番有力な情報源であることは間違いないが、別に王宮内のごたごただとかの正確な情報が知りたいわけではない。
今日こそは切ろう。この関係を。
いつもそう思って酒場に来るのだが、何故かいつの間にかまた犬として働く約束をさせられている。
十以上も年下の小僧共に良いようにあしらわれている事も腹立たしいし、水竜様にお仕えする神官であるはずなのに王族の手足になっているのも腹立たしい。
大した情報は掴めないようになるかもしれないが、この関係からは足を洗おう。
紫煙を燻らせ、来るかどうかもわからない相手を待つ。
道化師の化粧は落とし、服装もごくごく普通のものに変えた。
俺が広場のど真ん中で大道芸をやっていたようには、ぱっと見にはわからないだろう。
ただ、特徴的な見えない片目によって、よくよく見ると道化師と同一人物だとわかるかもしれない。
なんで俺が道化師で、しかも神殿の人間ってわかったんだろうな祭宮。
何本目かの煙草を押し消し、グラスに残っていた酒を飲み干して立ち上がる。
どうやら今日は現れないようだ。
それならそれでいい。もうここに来るのはよそう。俺がここに立ち寄らなければ、あいつらに使われたりしないのだから。
立ち上がろうとしたその時、目の前にドカンと大きな音を立てて男が座る。
ちくしょう。今、ちょっとセンチメンタルな気分になって、お前らと縁を切る決意をしたとこなんだが。
「よう」
「どうも」
部下のごつい男だけか。今日は。まあ、とびっきりの王族なんだから、祭宮がそうそう出歩いたりもしないよな。
「今日は兄さんだけか」
「ああ。連れは仕事が忙しくてね」
ふーん。お偉いさんはお偉いさんなりに大変なんだな。てっきり閑職あてがわれているくらいだし、無能で仕事なんてないのかと思っていたよ。
帰るつもりだったけれど、とりあえず溜息をついてもう一本煙草を取り出す。
こいつだけなら恐らく無駄口も叩かず、淡々と業務連絡だけで終わるだろう。あえて一杯酒を頼まなくともいいよな。
と思ったら、ごつい男は片手を上げて店主に酒を頼んだ。
つまみは頼まないので、やはり長居をするつもりはないのだろう。
「単刀直入に聞くが、そちらに一人預かって欲しい人がいるのだが可能だろうか」
「は?」
何言ってるんだ。神殿で人を預かるだと。
「そんなこと出来る訳ないだろう。一般人が入れるようなところじゃない」
うーむと唸り声を上げたかと思うと、男は懐から紙とペンを取り出し、さらさらと何かと書き連ねていく。
手のひらよりも小さい大きさの紙に、よくもまあ書くもんだ。
関心して見ていると、その紙を折り畳み俺に差し出す。
口に出しては言えないような事でもあるというのか。
四つ折にされたそれを開き、文字を目で追う。
奇跡の巫女
その単語が目に飛び込んできた。
はっとして顔を上げると、男は皺を眉間に寄せた表情で俺にジョッキを差し出す。
「とりあえず飲め」
何でお前が命令口調なんだ。
そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、男に差し出されたジョッキを受け取る。
「どうも」
受け取ったのを確認すると、男は苦々しい顔のままでジョッキの中の酒を煽る。
飲み終わったのを確認して男に紙を手渡すと、灰皿の中でそれを燃やしてしまう。確かに間違ってそれを他人に見られたら俺とその紙片に書かれた人物の関わりが露見するが、そこまですることか。
ただの単語に過ぎないだろうに。
「まさか、預かって欲しいのは」
「ああ」
溜息と一緒に吐き出された回答に、一気に酔いが醒める。
何故こいつと接点があるんだ。お嬢は、奇跡の巫女は、巫女を辞めて実家に帰った。こんな王都の連中と一切関わりはないはずだ。
俺に、いや神殿に預かれって事は、お嬢に何かあったって事だろう。
「何故だ」
沢山の疑問があるはずなのに、短いその一言しか口に出せない。
周囲に耳を忍ばせている人間がいないとも限らない。
「理由は言えない。が、非常に危険な状態にあるので、そちらで保護していただきたい」
罠か?
咄嗟にそう思った。
お嬢と王都、いやお嬢と祭宮やこの兄さんとの接点が見出せない。
かつて祭宮はお嬢を毒殺しようとした事もあるくらいだ。何らかの裏があるに違いない。
「ここにいるはずが無い。村にいるはずだ」
「納得出来る訳も無いな。明日に外に連れ出すから、その時に確認しろ。本物かどうかは。預かるかどうかの答えはその時で構わない」
言い終わると男は立ち上がり、金貨を置いて店の外へと出て行く。
どういうことだ。何でお嬢があいつと王都なんかにいるんだ。俺が紅竜の神殿に行ったり、地方を回っている間に、お嬢に何があった。
水竜様からお嬢を守れとご命令を頂いていたのに。
目を離すんじゃなかった。俺は、俺自身に絶望した。守ると、水竜様にお約束したのに。
翌日、男の屋敷の傍で様子を窺っていると、昼過ぎに門が開く。
仰々しく開いた門の中から、手を繋いだ仲睦まじそうな男女が歩いて出てくる。
遠めにそれがいつものゴツイ男だとわかったが、その相手がわからない。
物陰から見ていると、徐々に二人が近付いてきて女の正体がわかる。髪を切り、その瞳の色も違うけれど、あれはお嬢だ。
繋いだ手とは反対の手で男の腕を掴み、嬉しそうな笑みを男に向けている。男もまた、酒場で見せるような表情とは違うやわらかな表情でお嬢を見つめている。
いつからそんなことになっていたんだ。俺は知らないぞ。
巫女であった期間に、男との接点は無い。祭宮の護衛で神殿に来てはいただろうが、お嬢と直接会話するような事も無かったはずだ。
では巫女を辞めた後か。
さては祭宮。お嬢の身辺の危険を悟り、配下の者を差し向けていたな。
そこで男と知り合い、こういう関係になったという事か。
ああ、そういえば以前お嬢と村で酒を飲んだ時に、恋人がいるような事を言っていたから、その時には既に恋仲だったということか。
けっこうキツイな。この光景。
俗世とは全く無縁な場所にいたはずなのに、あっという間に俗世に飲み込まれている。
穢れなき存在であったはずなのに、あんなゴツイ無愛想な男に引っかかって。いや、穢れが無さすぎたからいけないのか。
もっと選べよ。お嬢。あんなのじゃなくてもいいだろう。
脱力感と苛立ちを胸に抱えたまま、二人の後をつける。
二人は王都で人気のある店のショーケースの前で立ち止まってあれこれ注文している。
他愛のない事を口にしながら、決してその手を離さずにいる二人を見せ付けられ、ちょっと帰りたい気持ちになってきた。
それなのに二人の姿から目が離せない。
見るんじゃ無かった。でも、この目で見て確かめなくては、お嬢と男の接点があることを信じる事は出来なかっただろう。
その夕方、俺は男の屋敷に呼ばれた。
男はこの屋敷の主人である父親と共に、優雅に足を組んで跪いた俺を見下ろしている。
こいつも貴族の一人であったのだと、立ち居振る舞いに感じる。
どちらかというと祭宮に比べると肉体派で、ともすれば粗野な雰囲気さえも感じるというのに、今は立派な貴族のご子息だ。
「息子より話を聞いているとは思うが」
父親の方が口を開く。男に比べると線が細いが、眼光の鋭さは息子以上だ。
「預かって欲しいと窺っております」
「うむ。彼女は当家にとって非常に大切な娘だ。この王都においてその命を狙われている。そちらで匿って貰う事は可能だろうか」
命だと。やけに物騒な話だな。
「私一人の判断ではお応えしかねます。二週間お時間を頂ければ、水竜の神殿のほうでよろしければ可能かどうかの確認をしてまいりますが」
「ではよろしく頼む。今日もまたあまり友好的ではない贈り物が届いたりしているのでな」
ポンっと目の前に箱が投げられる。
この上から恵んでやるみたいな態度、腹立つんだよな。いくら俺が諜報員で道化師だろうが、そういう態度はどうかと思うね。人として。
視線で開けても良いかどうか確認すると、父親は神妙な顔で頷く。
何だよ。もったいぶりやがって。報酬の金ならとっとと渡せよ。
包装紙を取り除き、掛かっていたリボンも取る。
下っ端への駄賃にこんな手の込んだ事するか? もしやこれが友好的ではない贈り物ってやつか。
慎重にやけに作りのしっかりとした紙箱を開ける。
「うわっ」
思わず箱を投げ出してしまうと、ゴツイ男が立ち上がって箱から逃げ出したものを捕まえて箱に戻す。
毒蛇だぞ。恐ろしくは無いのか。素手で触って。
「こういった非常にわかりやすすぎる贈り物がきたり、毒薬入りの食べ物が贈られて来るので辟易している。そろそろ人が送られてくる頃じゃないかと思っているんだがね」
辟易とか、そういう問題じゃないだろう。
ものすごい悪意を感じるぞ、これ。
「何故このような形で命を狙われているのでしょうか」
疑問を口に出すが、父親も男も答えない。
「今後こちらでは守りきれない事も想像出来る。そちらの手を借りる事が可能か、二週間後でも構わないので回答をいただきたい」
理由は答えられないか。何か裏があるかもしれないな。
お嬢がこいつと恋仲になってもらっては困る輩がいるってことだな。
さては祭宮か。
自分を差し置いて部下が「奇跡の巫女」を娶る事に反対しているとか。あいつならやりそうだ。
「畏まりました。お任せ下さい」
その日のうちに王都を後にし、普段は使わない馬を使って神殿に戻り、そしてまた王都にとんぼ帰り。
俺はいつから伝言係になったんだ。ったく。
約束の期限より少し早く王都に戻り、例の酒場に顔を出す。
ゴツイ男はやはり現れた。俺が王都に戻るのを待っていたのかもしれない。
「どうだった」
挨拶もそこそこに切り出される。お嬢を預かれるかどうか。
「無理だ」
本当の答えは違うが、敢えてそれは伝えない。相手の出方を見ようと思った。
「何だと」
「無理なものは無理だ。こちらとはもう関わりは無い。預かる義理も無い」
「ほう……」
男の視線が俺を射抜こうとする。屈強な男の腕の筋肉がぴくりと動くのが視界の端に映る。
決して寒くは無い季節なのに、ぞくっとした寒気が全身に走る。同時に、カチャリという金属音が耳に届く。
「俺をやるかい? あんたの上司に何の話もつけずにそういう事したら、あんたクビにならないの?」
ケタケタという笑い声を付け足して酒を煽る。どうせこの店の中で切られる事もなかろう。
身分を隠しているのは俺だけじゃない。ゴツイ兄さんのほうだって、ここで面倒を起こして素性が明らかになるほうが不味いはずだ。
「この件に関しては全権を委任されている。残念だったな」
にやりと男が笑う。胸元に差し入れた手が短剣を握るのが見えた。本気だ。遅かれ早かれ俺を消す気だ、こいつ。
「冗談だ。預かる。無期限でな」
決して脅しに屈したわけじゃない。
現在、巫女も神官長もいない水竜の神殿を管理するのは長老と呼ばれる老神官。
その神官の答えは単純明快なもので、必要があればいつでも巫女であった者に門戸を開放するというものだった。
お嬢だけではなく、他の巫女であった者たちへも。
「それは良かった」
ほっとしたようで男の表情が和らぐ。あの殺気はどこにいったんだろうな。
その顔が、お嬢と一緒に歩いていた時の表情と重なる。
俺が普段見るこいつの表情とは全然違う。
こちらが本来の顔なのか。それともお嬢といる時が本当の姿なのか。
「なあ……」
「何だ」
仏頂面でジョッキに手を伸ばしていた男が吐き捨てる。一瞬にして顔色変えやがって。
「お嬢のどこがいいんだ?」
ぶっと思いっきり男が酒を噴き出した。きったねえな。
むせて真っ赤な顔で咳き込む男が俺を涙目で睨みつける。何だよ。そんな可笑しなことは言ってないぞ。
その育ちの良さからなのだろう。きちんと折り畳まれたハンカチを取り出して汚れた口元を拭く。見た目からはそんなきめ細やかな事とは無縁そうに見えるのにな。
「俺が聞きたいくらいだ。どこがいいんだろうな」
何故俺に聞く。そんなこと俺が答えられるわけがなかろう。
「びっくり箱だろ、あれは」
今度は笑いが堪え切れないといった様子でぷっと小さく噴き出す。幸い口内に酒は含んでいない。
ただ目尻がやたらと下がり、やに下がった顔になった。
「確かにそうだ。こちらの想像をはるかに超えた事をしてくれる。少女のような顔をしたかと思ったら、女王のように振舞う。不思議な娘だよ」
何か、やったな。お嬢。
その評価が下されるって事は、何かやらかした後だぞ。何やったんだ。俺の知らない短時間に。
この色恋なんて興味も全くなさそうな男が、無意識に甘い顔してんだぞ。どうやってくどき落としたんだ。
ホントにあの人は他人の心を掴むのが上手いな。
「可愛いよ。真っ直ぐに俺のことを見つめて好意を表してくれる。それは確かに認めよう」
男はあっさりと本心を俺に露にし、ジョッキに手を伸ばす。
「しかし全てを敵に回してまでとはね」
独り言を言ってククっと笑う。
こいつもお嬢に骨抜きになった一人なのか。
「まあいい。明日うちに寄ってくれ。打ち合わせしたい事もあるからな」
金貨を置き、男は席を立つ。
どことなくその背にいつもよりも親近感を感じたのは内緒だ。
まだ手付かずのままのつまみに手を伸ばし、口の中に放り込む。
祭宮と違って、男はいつも必要最低限の用件だけを済ませば帰って行く。俺とはあまり係わり合いになりたくないのだろう。そんな気配を感じる。
普段二人で俺の前に現れる時には、殆ど口を開かずに俺を睨みつけるだけだ。
屈強な鍛え抜かれた身体は祭宮を守る為のものだろう。祭宮配下の近衛の隊長だと聞いている。
筋骨隆々のゴツイ男が、お嬢の前では殺気を消して、その代わりに甘い空気を醸し出す。
まあ、あの兄さんが傍に入れば、大概の腰抜け野郎はお嬢に近付こうなんて思わないだろうな。確実に返り討ちにあうのが目に見えている。
その血を求める者に傷つけられる前に、ああいった男を恋人にしたお嬢の選択は間違っていないだろう。
間違ってないと思う。
なのに俺は認めたくない。あれがお嬢の相手だと。
いや、例え他の誰だとしても認めたくないのだろうな。俺は。
俺の中のお嬢は、いつまでたっても清く美しい巫女様のままだから。
翌日、再び男の屋敷を訪れると外出しているという。
人を呼びつけておいて外出とは。いい身分だな。実際にいい身分なわけだが。
俺の調べたところによると、公爵家のたった一人の跡継ぎ息子らしい。父母共に王家の血が流れている。生粋のお貴族様だ。
身分制度の最上位にいる王族。貴族の最高位たる公爵。
うーむ。ただのマッチョの兄さんじゃないって事くらい最初からわかっていたが、なんだかとんでもないヤツラに関わってしまっているな。
このフカフカすぎるソファも、かえって座り心地が悪い。沈み込みすぎて落ち着かない。
先日とは違い、今日はしっかり客扱いのようで、お茶を出されたりしたわけだが、口をつける気にもならない。きっと高級な茶葉を使った麗しい味のするものなのだろう。
毒が盛られている心配とかではなく、このキンキラキンの煌びやかな応接室で茶なんか落ち着いて飲めるかっ。
お茶が冷めると、また入れ替えてくれるわけだが、俺は飲まないから勿体ない事が繰り返される。
どのくらい待ったのだろう。カチャっという無機質な音と共に、無愛想な男が入ってくる。
「待たせてすまない。すまないのだが、明日から預かっては貰えないだろうか」
「明日だと」
そんな性急な。
「街で襲われてね。どうやら本気で命を狙ってきているようだ。王都にいては、その命が奪われてしまうかもしれん。お前らに預けるのは不本意だがな」
こっちだって不本意だ。しかし、この刺されても死にそうもない兄さんがそこまで言うという事は、よっぽどの事態なのかもしれない。
外部からの手が一切入らない水竜の神殿。そこならお嬢を守れる。
確かにそうなのだが、こいつとの恋を成就される為に預かるのは不本意だな。
だから、お嬢を目の前にした時「巫女様」と呼んだ。
決してこの男の恋人として預かるわけじゃない。巫女だから預かるのだとこの家の主たちに主張する為に。
しかし恋は盲目とでもいうのだろうか。
目の前では男とお嬢が互いの目を見つめあい、その手を取り合い愛の言葉を交わしている。
二人の指には揃いの指輪が挟まっている。
恐らく男の母親と思われる女性が、お嬢の指に嵌めていた。この家の大切な娘だからと。それが二人を繋ぐ大切な絆に見える。
父親がお嬢に来るようにと告げた時にも、お嬢は握り締めた男の手を離さない。これは重症だ。
片時でも離れたくないと、お嬢が懸命に告げているのを見て、俺の気持ちは冷める一方だ。
俺が引き裂いているみたいじゃないか。ったく。預かってくれって頼んできたのはお前らの方だ。
なんでこんな俗世にまみれた巫女もどきを守って差し上げなくてはいけないんだ。いやいやいや、ここに俺の私情は挟むべきではないな。
男に肩を抱かれたまま部屋を後にするお嬢の背中を見つめ、溜息が零れた。