4
名乗りはしないけれど、絶対に国王だろうという確信が何故かあった。
周囲のその人を見る目が違ったし、そこに存在しているだけで、場の空気が変わった。
決して居丈高なわけではないけれど、支配者としての絶対的な威圧感を感じる。
こういう雰囲気をこの場で出せるのは、恐らく国王唯一人だろう。
よく見れば、彼に渡されたのとよく似たデザインの指輪を嵌め、その衣は金糸銀糸で見事な装飾がされている。
「王冠が無くとも、国王とわかるか」
陛下と呼ばれた事に対する疑問だろう。
「はい」
何かを付け加えるべきではないと思ったので、それ以上言わずにいると、くくっと国王は笑う。その笑い方が、どことなく彼と似ている。
「ただの田舎娘ではないようだな。来なさい」
言われるままに、国王の後ろに続く。
お兄様とお父様が動き出して、焦った様子で私の傍までやってくる。
「娘が何かご無礼を致しましたでしょうか」
先に辿りついたのはお父様の方だった。
目の前で頭を下げて問いかけるお父様に、国王は片手を上げて制するようにして、まるで口を挟むなとでもいったような動作でお父様を交わしてしまう。
お父様の横を通り過ぎる時、ふっと視線が合う。その瞳は心配をしているように見える。
ぺこりと軽く頭を下げ、通り過ぎて国王の後に続く。
粗相の無いように。気を張らなくては。お父様やお兄様にご迷惑をかけられない。
用意されていたのは広間が見回せるような一段高いところに作られていた席で、恐らく足が不自由な国王が座りやすいようにゆったりとした椅子が置かれている。
その傍に何客か椅子があるうちの一つを指し示される。
「そこに座れ」
拒絶は許されないような口調だけれど、視線は私には向けられていない。
席の傍に控えていた女官に何やら指示を出し、国王はゆっくりと椅子に座る。
しばらく沈黙が続いて居心地の悪い時間が過ぎると、先ほどの女官がお茶とお茶菓子を持って現れる。
目の前にセットされると、ようやく国王が口を開く。
「宝石の人だな、君が」
彼のもう一人の兄のようなギトギトギラギラ感は無い。その代わり、剃刀みたいな鋭さがある。
決して筋肉質というほどでもないスラリとした体型、そしてどちらかというと彼に良く似た面差し。だけれど氷のような冷たさが同居しているように見える。
今も笑っているのは口元だけで、目は笑っていない。
全身から滲み出る威圧感。
決して怖いとは思っていないのに、座っている膝が震えてしまう。
「そのように呼ばれていると、父と兄から聞いております」
ごまかしなんて通用しないだろう。
震える声を押さえ込むようにして、真っ直ぐに国王の目だけを見て答える。
私の声が震えるのを聞いてか、国王はにんまりと満足そうに微笑みを浮かべる。
ぐっと奥歯を噛み締めて、歯の根が合わないのを堪える。怯えていると思われてはいけない。
恐怖なのか緊張なのか、雰囲気に飲まれそうになる。
「君の父上からの報告によると、弟の任地で出会ったと聞くが」
間違ってはいない。彼が仕事で私の村を訪れたところから、全てが始まったのだから。
「はい」
「ただの田舎娘だと思っていたが、随分肝が据わっているようだな」
カチャっと音を立てて国王がカップを手に取る。
広間ではお酒が振舞われていたのに、この人はお酒を飲まないでお茶なのかしら。
「酒は判断力を奪うから、公の場では飲まない事にしている」
凝視しすぎていたのかしら。心の中を見透かされたかのような発言をされる。
「申し訳ありません」
咄嗟に謝ると、国王はふんと鼻で笑う。
「気にしていない。それよりも、君の事を聞かせて貰おう。弟をどうやって騙した」
騙した?
いきなりの言い分に、唖然としてしまって言葉を失う。
「どうせ田舎の商売女だろう。それにしては顔も十人並みだし、体つきも普通だな」
十人並み……。
王族に会うたびに、そんな事を言われているような気がするんだけれど。
「もっとも閨の相手だけが全てではないからな。酒の酌をしたりするような女か?」
商売女だと決め付けて話す国王に違和感を感じる。
この人は何も私のことを知らない。
恐らく調べればわかることなのに、私の過去には興味が無いのか、自分の思い込みだけで話を進めている。
「それともあれか、弟に子供が出来たから責任を取ってくれと泣きついたか?」
「そんなことしません」
カッとなって否定すると、にやりと国王が片方の口元を上げ、目に生気が宿る。
「ではどうして弟はお前なんかに執着する」
「知りません。それは彼にお伺い下さい」
「彼……ね」
しまった。頭に血が上ったとはいえ、この場で彼というのは語弊があったかもしれない。ちゃんと殿下って言わなきゃいけなかった。
「田舎娘のわりに、度胸が据わっているな。いや、逆か。田舎者ゆえに、へつらう事も知らぬか。さて、真実を教えてもらおうか」
「真実と申しますと」
「何があっても君でなくてはならない理由だよ」
それは、何なんだろう。私にもよくわからない。
じゃあ逆に私が彼じゃなくてはならない理由は何かと聞かれても、答えなんて出てこない。
「わかりません。恋をするのに理由付けは必要ではないと思います」
「恋ねえ」
くくくっと国王が笑い、ポンと手を叩く。
「そんな子供みたいな理由で、弟は君に執着しているというのか? 馬鹿馬鹿しい。聞いた私が馬鹿だったよ」
心底どうでもいいといった表情で、国王が言い捨てる。
「恋だの愛だの。そんな安っぽい文句を聞くとはね」
鼻で笑う国王に返す言葉が見つからない。黙っていれば、その言い分に同意した事になるかもしれないけれど、どんな言葉を尽くしても、伝わらないような気がして。
だって根本的に考え方が違うんだもの。
「では聞き方を変えよう。君は己が王家に嫁ぐに相応しい身だと思っているのか?」
「……いいえ」
庶民で村娘の私が、国王の弟の彼と結婚する。それは本来ならありえない事だと思う。まして私一人など、許されるわけも無い。
だから「いいえ」と答えたのだけれど、どうやら国王はその答えが気に入らなかったようだ。
「では何故、今なお宝石を身に着けこの場にいる。相応しくないと思うならば立ち去れば良いであろう」
「いいえ、それは出来ません。彼と約束しました。待っていると」
彼以外の誰も、私と彼の関係に終止符を打つ事は許されない。例え国王で、彼の兄だったとしても。
「では数年待ってくれ。弟にはその身に相応しい妃を用意している。その妃が子を為した後、側妃として迎えよう。それで異存は無いな」
畳み掛けるような言い分に、首を横に振る。
「それを決めるのは彼です。彼と話をさせてください」
「田舎娘の分際で私に歯向かうのか」
鋭い視線で射抜かれる。
けれど絶対に視線を外したらダメだ。敗北を認めて、国王の言い分を飲む事になってしまう。
本当は心が縮み上がるような思いがして、逃げ出したい。
逃げたら、もう彼には二度と会えなくなってしまう。その想いが、私に勇気を奮い立たせる。
「ご不快な思いをさせてしまいました事、大変申し訳なく思っております。わたくしは殿下のご意思に従うのみです」
「恋だの愛だのという、どうでもいいものの為に、君はその命を危険に晒す覚悟があるというのか」
「どういう意味でしょうか」
「言葉通りだよ。この国で私の思い通りにならないものは無いんだよ。よく覚えておくといい」
手を引かなければ命は無いという脅しってことかしら。
そういえば以前、彼も似たような事を言っていたわ。この国で思い通りにならないものはないと。
玉座に座る者と玉座に近い者には、そんな権力があるのだろうか。自分の思い一つで全てを思い通りにしてしまうだけの力が。
それってある意味では、神様以上の存在なんじゃなかしら。己の意のままに世界を操れるのだもの。
「殿下が私をいらないとおっしゃれば、手を引きます。殿下と話をさせてください」
もう一度彼と話をしたいと切り出すと、国王はこの上なく冷たい、ぞくっとするような笑みを浮かべる。
「残念だがそれは不可能だ。どうしても言う事を聞かないものだから、牢に閉じ込めてある。それに抵抗の為か絶食なんてものをしていてな。ここには来られんよ」
さーっと全身の血の気が引くのがわかった。
牢。絶食。
彼は、彼は今どうしているんだろうか。大丈夫なのだろうか。
「殺しはしないよ。私にとっても大事な弟なんでね。それに君に会いたいだろうから、自ら命を絶つような真似はしないだろうよ」
ここで私が手を引くといえば、彼は牢から出して貰えるんだろうか。
二度と会わないと言ったら……。
でも、そんな事をしても彼は喜んだりしないだろう。私だって、二度と彼と会えなくなるなんて嫌だ。
信じて待つって決めたんだもの。
絶対に迎えに来るって彼は私に言ったんだもの。
国王も殺したりはしないって言っていたから、彼の命までが危なくなる事はないだろう。
「私は殿下のご意思に従います。後は陛下と殿下でお話し合いくださいませ」
なるべく表情を変えないようにして告げると、国王は苦虫を潰したような目で見る。
「わかった。君にはもう用は無い。行け」
ひらひらと手を振る国王に最敬礼をし、席を立って心配そうに見守っているお父様たちの下に戻る。
背後から冷たい視線を感じるけれど、全く気が付かないフリをした。
彼の兄である国王。
人望があって、何もかも優れていると彼は言ったけれど、私には権力を行使して恐怖で人を支配しようとしているようにしか思えない。
整っているのに冷淡な瞳は、きっとその意思の強さも同時に顕示している。逆らう者を許すような寛容さはないだろう。
屋敷に戻り、国王との会話をお父様とお兄様にすると、二人とも深い溜息をつく。
私の受け答えは間違っていたのだろうか。
二人は顔を見合わせ、そして私の指に嵌まる指輪に目を止める。
「殿下はここまでの事態を想定はなさっていなかったでしょうね」
「だろうな。恐らくもっと簡単に陛下のご理解を得られると思っていたのだろう」
二人はうーんと唸り声をあげ、共に腕組みをしてそれぞれの考えに没頭している。
この指輪の持つ意味を今は私もきちんと知っているので、これがなければ公務の決裁が滞る事も知っている。
これが彼が成人した時に賜った、非常に大切な印章であり指輪であることを。
つまり、たとえ幽閉されていなかったとしても、この指輪がない限りは彼の決済は通らない。サインと印が対になっていなくては、その書類は効力を発揮しない。
指輪こそが彼の公人としての役割を裏付けるものであり、彼がこの国を動かすのに必要な物。それを私に託した意味は何だったのだろう。
帰ってくるという約束の印として渡しただけでは無さそうだ。
「どうしましょうかね。陛下が本気なら、明日にでも刺客が送られてきてもおかしくありませんよ」
「うーむ。本気なら既に我が家に侵入しているだろうよ」
非常に物騒な会話が繰り広げられている。
どうしてそこまでして、私を排除しようとするのだろう。それが私にはわからない。
ただわかるのは、お父様とお兄様に多大なる迷惑をかけているという事。
「あの……」
「何だね」
「本当に陛下は私の命を狙っておられるのでしょうか」
お父様は険しい顔から柔らかな顔に表情を変える。眉間に刻まれた皺が無くなり、目尻に皺が寄る。
「何も気にしなくていいんだよ。我が家の娘に手を出そうする輩は徹底的に排除するからね」
口調は優しいものの、言っている事はかなり物騒だ。
「私がここにいる事でお父様やお母様、お兄様にご迷惑が掛かっているのではありませんか」
「そんなことは気にしなくていいんですよ。迷惑だなんて思っていませんからね」
仏頂面を少しだけ和らげ、お兄様がお父様の言葉に付け足す。
けれど、あの国王に逆らうような真似をしたら、後々お父様やお兄様のお仕事や地位に響くような事になるのでは。
心配になってその事を聞くと、お父様が声を上げて笑う。
「そんなことで揺らぐような家ではないよ。それに元々殿下とは血縁がある関係で、当家が殿下寄りなのは王宮では周知の事実だからね」
「血縁がおありになるという事は、お父様やお兄様も王族なのですか?」
「そうだね。末端に名を連ねる程度だがね。それに妻は殿下の母上の従妹でもあるから、息子と殿下は又従兄弟という事になる」
さらりと言いのけたお父様の顔を見てから、お兄様の顔を見つめる。
彼と似ている部分を探そうと思っても、どこもかしこも違って見える。当たり前だけれど、兄弟の国王の方が彼に似ている。
「だからこそ、陛下も簡単には当家には手を出せないはずだ。だから君が気に病む事は無いよ」
ポンポンとお父様に頭を撫でられる。
その優しい手つきに彼の事が思い出される。
「彼は、大丈夫なんでしょうか」
「ん? ああ、殿下もそこまで無茶はなさらんだろう。それに王城の中にいる全てが陛下の味方というわけでもあるまい。我らを遠ざけたところで、沢山の貴族や兵たちが殿下の為に動くであろう」
ふーっとお父様の言葉の後にお兄様が息を吐く。
「また冠を巡る闘争になりそうですね」
「いいや、玉座は陛下のもので覆らんよ。その事を殿下ご自身が望んでおられる。ご自身が即位する事も可能であったのに、兄上を王としたのは殿下のご意思によるところが大きいだろう」
私の知らないところで、彼は色んな現実と対峙していたみたい。
神殿という囲われた場所にいた私には、そんなことは一言も話してくれなかった。
いつも私に会う時の彼は快活で自信たっぷりで、苦悩に満ち溢れているなんて事は無かった。ある種、能天気に見えるような時さえあった。
私が悩む時、愚痴を聞いてくれたり支えてくれたりしていたのに、私は彼に何もしてあげられていなかったんだわ。
何一つ、私には言わずにいた。
彼の為に何かしたいと思っても何も出来なかったと思う。過去の自分も、今の自分も。
けれど、悩むならば一緒に悩みたいと思う。
それは身勝手な考えかしら。せめて愚痴ぐらい言ってくれたら、少しは役に立っている気がするのに。
「しかし陛下が殿下が玉座と狙っていると疑えば、殿下のお立場が危なくなるのではありませんか」
「それも無いな。陛下は殿下に皇太弟としての立場を磐石にする事を望んでおられる。だからこそ娘が嫁ぐ事を嫌っておられるのだ」
権力闘争が起こるのではという疑念を抱くお兄様を、お父様はあっさり切って捨てる。
「しかし妹は、殿下の相手としては比類ない相手であるかと思います。その過去を知れば、誰もが己のものにしたいと願うはずです」
「その事実をご存知ないのであろう。敢えて知らせる義理もない」
お父様もまた、私の過去をご存知のようで、お兄様の発言を否定したりはしない。
二人ともじーっと私の顔を覗き込む。
「一つ聞いても良いかな」
「はい」
お父様に問われて、頷き返す。
「その瞳、蒼と紅であると聞いていたのだが、今は普通の色に見える。自分の意思で変えたりする事が出来るのかい」
「いいえ。今は竜神によって目くらましの魔法が掛けられているんです。魔法を解くと、私の瞳の色は本来の色に戻ります。ただ一度解いてしまうと、二度と元に戻す事は出来ないんです」
「成程。現状はそのままでいた方が良さそうだ。誰もが瞳の色こそ奇跡の証だと思っているからね」
「はい」
「今その姿でいるからこそ、陛下も恐らくそなたが奇跡の存在だとは気付いておらぬのだろう。今は秘しておくほうが良いだろう」
「はい」
頷き返すと、お兄様が横で険しい顔で考え込んでいるのが視界に入る。
「最悪の事態を想定した場合、どちらかに身を隠す事も考えておかなくてはならないかと思います」
低い声で告げられた内容をお父様は顔をしかめて聞く。
「しかし誰かに預けるなど出来んぞ。ここ以上に安全な場所はあるまい」
うーんという唸り声を上げて、お兄様が考え込む。
最悪の事態っていうのは、例えば私の本当の瞳の色がばれるとか、国王からの刺客が来るとかっていう事だろうか。
「わしかお前の目の届く場所におらぬようになると、殿下が当家にお預けになられた意味も無い」
「わかっております。しかし、もしもの場合を想定して、妹を隠す場所を確保しておくべきでは。陛下はやるとおっしゃったら、必ず成し遂げる方です」
はーっとお父様が溜息をつく。
「しかしまだどこまで本気で命を狙うおつもりがあるのかわからん。それを見極めてからでも遅くないであろう」
「いえ。陛下は迅速な判断と行動力をお持ちです。こちらが先手先手で動いておかなくては、陛下の目論見を潰す事は出来ません」
お父様はお兄様の発言を否定せず、腕組みをして宙を仰ぐ。
二人は思い思いの格好で物思いに耽り、部屋の中には長い沈黙が流れる。
ここを出たとしても、私には行く場所なんてない。
刺客が送られたとしても身を守りきれるような堅い守りを保持しているような人なんて、知り合いにいないもの。
当然実家にも帰れない。
今あそこに戻れば、ママを始め、村の人たちに多大なる迷惑を掛ける事になる。
本当に私は、彼の庇護が無ければ、自分の身を守る事以前に生活する基盤すら持っていない。
衣食住。毎日の暮らしを生き抜く事さえ、誰かに手助けして貰わないといけないなんて。
そう思うと、本当に彼の役に立ってないなって思って情けなくなってくる。
地位も身分も無い私を傍に置きたいって願った為に、捕らえられて絶食までして。
そこまでして貰う価値、あるのかな。
国王が言うように、たかが恋だの愛だのに、そこまでする必要あるのかな。
好きだけど、一緒にいたいけれど、自分の力で何も出来ない現状が歯がゆいし、お父様やお兄様に申し訳ない。
かといって私がいなければなんて悲劇に浸っていられるほど、暢気な状況でもない。
一歩外に足を踏み出せば、どこからともなく刺客がやってきて命を狙われる可能性だってある。
私、これからどうしたらいいんだろう。
本当に彼ともう一度会う事が出来るのかしら。