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CARAMEL  作者: 来生尚
現実は涙味
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13/28

 彼女の横顔が、仮面を被った後の顔に変わる。

 あと数時間したら俺たちは別れなくてはいけない。

 それは恋人としての別れではなく、これから共に歩んでいく為に必要な別れ。

 必要なんだ。

 兄王と話をして、彼女の事を認めて貰わなくてはいけない。

 今まで手回しは十二分にしてきたつもりだが、どこまで上手くいくのか。

 昔から兄には敵わなかった。

 物静かな外見にはそぐわない行動力と身体能力。

 軍に所属している時、俺はお飾り将軍にしか過ぎなかったのに、兄はその実力を持って軍に君臨していた。

 剣の腕も一流。人心掌握術にも長けている。

 そんな兄が大将軍と呼ばれるのに対し、俺は皮肉も籠めて小将軍と呼ばれていた。

 剣の腕も、戦略も、人望も、何もかも兄には敵わない。

 だから父の跡を継ぐのは、この兄だと思っていた。

 この兄がいるのならば、俺にはお役は回ってくるはずもない。そう決め付けていた。

 もう一人の兄貴もいたことで、気楽な三男坊。遊び暮らしていける財力と権力を持ち、何もかも適当に生きていた。

 適当に軍で訓練し、適当に女遊びもしたし、飲み歩いたりして遊びまくっていた。

 身分とか地位とかっていうものも、遊びの要素の一つとしてしか考えていなかった。

 他人より楽に生きる事が出来る切符のような。

 それが一転したのが、八年前。

 父の叔父にあたる人が逝去した。

 それ自体は別段変わったことでもない。かなりのお年を召していらしたし、ごくごく普通に葬儀にも参列した。

 俺の人生がその事によって大きく変わるなど、思ってもみなかった。

 父の叔父であるその方は、祭事を司る仕事をしていた。

 それが何故か俺に回ってきた。ちょうど、父が後継者選びに悩み始めていた時期だった。

 祭事を司るという事は、血の穢れに触れてはならない。

 俺は軍を退任し、閑職とか名誉職と呼ばれているその仕事に就いた。

 つまり、玉座と王冠から遠ざけられたという事だろう。

 多少の不満は無かったわけではない。

 実際に時間は余りあるような日々が続き、鬱々として暮らしていた。

 遊び暮らすのにはいい身分であったけれど、それ以外にする事のない毎日は息苦しさを覚えた。

 ある日、俺に竜の住まう神殿から神託が届いた。

 次の竜の生贄であり、ご神託を聴く事が出来る女性が決まったと。

 あまり興味は無かった。が、好奇心はあった。

 一体どんな美女が選ばれたのだろうかと。

 その当時の生贄は俺の婚約者であり、従妹であった。

 絶世の美女というのは言いすぎだが、彼女の美しさは王宮でも定評があった。

 その彼女の次にと選ばれた女性。

 しかもその女性は田舎の村にいるという。

 何故そんな田舎の村から竜は生贄を見出したのか。国中の女性を吟味した結果選び出された女性とは、一体どんな人物なのだろう。

 珍しく興味をそそる案件だったので、生贄として神殿に捧げられる女性を生贄として承認する儀式に参加すると聞いた時には心が躍った。

 人ならざるものである竜によって選ばれた女性。

 しかも、ど田舎の村から。

 何でその村から、その女性を選び取ったのか。これは俺がその村で行くにあたって解明したい課題だった。

 つまり、いい退屈しのぎが出来たという事だ。


 そして俺は彼女に会う。

 夜明け前の、うっすらと空が白んできた頃に村を歩いていた彼女に声を掛けた。

 身分ゆえにあまり出歩く事も出来ないので、部下たちも寝ている時間帯を選んでこっそりと宿を抜け出して寝静まる村の中を歩いていると、正面から彼女が歩いてきた。

 何故この村から次の生贄、通称巫女が選ばれたのかと聞くと、彼女は不機嫌そうな顔をした。

 どうしてそんな顔をするのか、俺にはその時にはわからなかった。

 俺への不信感と不機嫌さを混ぜこぜにした顔で、夜明け前の村を案内する彼女。

 今でもその時のことを思い出すと疑問が浮かぶ。

 彼女の名を聞いたのは何故だろう。彼女に俺の名を教えたのは何故だろう。

 理由なんて今もわからない。わかるのは、これが決められていた事なのだろうという事実。

 彼女に出会う前に、俺は神殿で一つのご神託を聞かされた。

「そこで、運命に出会うでしょう」

 俺の婚約者で巫女である女性が俺に伝えた、今なお心に刻みつけられている神託。

 竜の真意などわからないが、本来なら俺のものだった婚約者。それの代替品として彼女が俺に与えてやるって部分もあったのではないだろうか。

 当時の俺も、竜も、婚約者も、誰もが彼女のその後の未来を想像はしていなかったはずだ。

 女性なら誰しもが憧れる巫女という職業になるかどうか、彼女は当時迷っていた。

 迷うような事でもなかろうと思っていた俺にとって、真剣に悩む彼女は理解できない存在だった。

 やりたいならやればいいだろう。やりたくないなら別にやらなくてもいい。実際に過去には辞退した人物が何人かいたようだし。

 ただ俺の事情は多少異なり、閑職に回されたばかりで後ろ指を差される機会も増えていたので、絶対に彼女には巫女になってもらわなくてはならなかった。

 もしも俺が祭事を司るようになって初めて選ばれた巫女に辞退なんかされたら、後ろ指どころか表立って笑われていただろう。

 俺のチンケなプライドは、それを許すことは出来なかった。

 故に彼女のよき相談者のふりをして、彼女を巫女にした。当時恋人がいたようだが、引き裂かせてもらった。俺の保身の為に。

 そこから彼女と俺の付き合いは始まる。

 付き合いといっても、巫女と王族としてのものでしかない。

 そう。それで終わるはずだったんだ。

 なのに彼女が巫女になって数ヶ月、意外な相手によって気付かされてしまった。俺にとって彼女が特別な存在であるという事を。

 その相手は、俺が引き離した彼女の恋人。

 一兵卒に過ぎないその男の行動は、本来なら咎められてしかるべき行動だったかもしれない。しかしこちらもお忍びで城下で遊んでいた手前、強く出る事も無く、その男が酒の席に同席する事を許可した。

 こちらから聞いてもいないのに、彼女との馴れ初めやら何やらを延々と聞かされた。

 同席していた腹心の部下は、呆れた顔で酒を煽って聞き流していた。

 俺も聞き流しても良かったはずだった。なのに、男が彼女との事を話すたびに、ムカムカとした不快感が胸の内で広がっていく。まるで悪酔いでもしたかのように。

 好きだった。彼女も俺のことを好きだったはずなのに。近衛になんてならなければ。

 上官として聞き捨てなら無いといった様子で咎めようとする部下を制し、更に話を聞いた。

 結婚したかった。彼女とこの街で暮らそうと、なけなしの金を溜めて宝石も買って用意していたのに。

 王都で当時流行りだした、一つの宝石を二つの装身具に分けて身につけると二人は一生一緒にいられるという、どう考えても彫金屋の策略としか思えないような呪いに則って作った花のような色の宝石の装身具を二つ俺に見せた。

 その時、心の中に垂れ込めていた形のないものが、形を描いた。

 彼女は俺の運命だ。誰がお前なんかにくれてやるか。

 口には出さなかったものの、明確に形作った想いは、俺に男と同じ愚かな行動を取らせた。

 青い色の宝石を手に入れ、城下で一番の腕前という彫金師に装身具を二つ作らせた。

 足しげく彼女のご機嫌伺いに神殿に通い、彼女と話せる僅かな時間を楽しんだ。

 裏もなければ表も無い。真っ直ぐで人を疑う事の無い彼女と過ごす時間が新鮮で楽しく、想いを自覚した部分もあったので、適当に理由を見繕っては神殿に足を運んだ。

 そして彼女に俺の石の片割れを渡した。

 戸惑いながらも頬を染めて俺と石を交互に見る彼女を目の当たりにし、彼女の心もまた俺に多少なりとも向かっているのだと確信した。

 色恋沙汰に関しては、騒動にならない程度には経験しているので、彼女の瞳が語るものが好意だという事は瞬間的にわかった。

 これならば、近い将来彼女が手に入る。そう思っていた。

 しかし、敵は意外なところから現れた。

 人外の生き物とどうやって心を交わしたのだろう。

 彼女を巫女として手許に置くと決めた竜が、彼女の心を奪っていった。

 好意をもたれているのはわかっていたけれど、徐々に少しずつ俺から竜へと視線を変えていくのもまた、手に取るようにわかった。

 竜が彼女にとって特別な存在だとわかっていたけれど、それでもなお、俺は彼女の特別な存在でありたかった。

 みっともない位、彼女が欲しくて彼女の本当の顔が見たくて、挑発したり駆け引きをしたりした。

 そして未だに後悔の念が絶えない事件を引き起こす。

 故意ではないにせよ、俺は彼女の命を奪おうとした。

 幸い命は取り留めたものの、今も彼女の体にはその時の後遺症が蝕んでいる。

 それなのに彼女は俺を糾弾しようともしなかった。彼女の命を奪おうとしたりしないと、俺が彼女を守り続けると決して疑いもせずに信じてくれた。

 もしかしたらそれに胡坐をかいていたのかもしれない。

 彼女が俺の運命という神託、そして彼女の絶対的とも思える俺への信頼。

 巫女としての任期を終えた時、俺は彼女を手に入れられると確信していた。ある瞬間まで。

 戦乱や様々な騒動を終えて、穏やかな日々が流れ始めたと思っていた頃、彼女が俺にその感情をぶつけてきた。

 竜と一緒にいたい。どうしてずっと一緒にいられないのか、と。

 百戦錬磨だった俺の、唯一の敗北。

 はらはらと流す涙を見て、彼女の心が俺には向いていないという事が嫌でもわかってしまった。

 こんな風に特別にはなりたくなかった。

 誰にも言えない恋心を打ち明ける相談相手なんてポジション、全く望んではいなかった。

 同時に竜との恋など成就するはずも無いと思っていたので、このポジションを上手く守れたら、ゆくゆくは彼女の心を手に入れられるのではないかという打算も生まれた。

 それがまたあっけなく覆されるわけだ。

 恋しい恋しいと訴え、どうやって竜を手に入れるかしか考えていない彼女に俺が出来る事といえば、憎まれ口を叩く事くらいしかなかった。

 彼女の気持ちはわかっている。俺の気持ちも明白だ。

 しかし自分の気持ちをぶつけたところで、他の相手しか見えていない彼女に何を言っても無駄であろうと思い、なるべく心中を悟られないように立ち回った。

 所詮異種族なわけだから、その恋が成就する事はない。

 ならば後悔しないように、後々未練が残らないように、思いっきり失恋してくればいいと思っていた。

 なのに、彼女は手に入れてしまう。

 それこそまさに、彼女の起こした奇跡。

 竜を具現化してしまった。人として。

 俺の目の前で、満面の笑みを讃えて幸福感に満ち溢れた彼女が、別の男と手を取って去っていく。

 神殿という囲いを越えて、二人はどこかへと旅立っていってしまった。

 決して想像していなかった光景に叩きのめされた。

 打ちひしがれてしまえたら、いっそ楽だったかもしれない。

 しかし俺には与えられた職務がある。

 巫女である彼女と、忌々しい恋敵である竜。

 そのどちらも守り通さなくてはならない。正確に言えば、檻の中に戻さなくてはならない。

 いつか二人の関係に破綻がくる事を、竜は予め予見していた。

 その時の為に俺が出来る事といえば、権力を総動員して国内において彼らに危害が及ばない事。とにかく、彼女を守るという約束を果たすべく手を尽くした。

 さほど長くない期間で、彼女は神殿に戻ってきた。

 そして心を閉ざしてしまった。

 俺だけにだったのか、それとも神殿の内部でもそうだったのかはわからないが、ともかく俺とは関わりたくないという感じで、取り付く島もないような雰囲気だった。

 何か俺がしたのだろうか。

 3年という決して短くない期間、俺は悶々とした気持ちを抱え続けた。

 彼女が欲しい。けれど、彼女には拒絶され続けている。

 全くなすすべが無かった。

 業務上のお付き合いはする。けれど、それ以上自分の領域を侵さないでといった様子だったので、敢えて手を出さず口も出さずにいた。

 そして彼女はその職務を終える。

 彼女が職務に着く時に俺はある言葉を彼女に言った。

 それがどう作用したかはわからないが、最後の最後に巫女になるという決断をしたその場所に、彼女ならば戻るのではないかと思っていた。

 職務を離れた彼女に会って、そして彼女の真意を聞こうと思った。

 ダメなら諦めるしかない。

 運命というのは、俺の運命を動かす人という意味で、俺と運命を共にする相手という意味では無かったのだろうと割り切ろうと思った。

 夏の日差しの中で、外野も一人もいない二人きりの空間で彼女が俺に見せた顔は、氷ついた笑顔なんかじゃなかった。

 俺を避けようと拒絶する彼女の態度に、俺は全てを諦めるつもりでいた。

 もう駄目だと諦めかけていたのに、彼女は再び好意を俺に向けてくれた。

 そして今、俺は彼女を手に入れている。


「どうなさいましたか」

 柔らかな笑みを浮かべる彼女の頬を撫でる。

 周囲の目を気にしてか、きょろきょろと視線を巡らせる彼女の腕を引き寄せる。

「昔の事を思い出していた。随分長いこと、俺って片思いだったんだよなと思って」

 耳元で囁くように言うと、首筋や耳が真っ赤になる。

 慣れない仕草が可愛らしいと思う。どこまでも純粋培養過ぎて。擦れてなくて。

 戸惑う彼女の様子をよそに、そっとその体を腕の中に抱きしめる。

 驚きの表情を浮かべる彼女が、顔を真っ赤にしたり青褪めたりと、くるくる表情を変える。

「みんな見てるのに」

「構わない。誰も俺の邪魔なんてしにこないだろ」

 王都を流れる大河の船着場に着き、部下たちが眼下で待っているのにも関わらず、彼女との別れる踏ん切りがつかない。

 本当なら手許から一瞬でも離したくないのに。

 腕の中の彼女を見下ろすように見つめると、彼女の瞳が真っ直ぐに俺だけを見つめる。

「今はもう片思いなんかじゃないでしょ。好きって言葉だけじゃ足りない?」

 いつか聞いたようなセリフを彼女が口にする。

「ああ足りないね。全然足りない。どうやって教えてくれる」

「さあ。お望みのままに」

「言ったな。後悔しないな?」

「後悔なんてしない」

 そう言って笑う彼女の唇を塞ぐ。

 最初は啄ばむように。そして徐々に深く彼女の呼吸する隙さえも奪うように。

 周囲の目もあるせいで抵抗を見せていた彼女も、徐々に全身の力が抜けていき、俺の腕に体重を預けてくる。

 他人なんてどうでもいい。

 今、彼女が欲しい。

 どんな噂が流れても構わない。彼女を手に入れられさえすれば、どんな悪評にも立ち向かっていける。

 衆人環視の元でこんなことして恥ずかしくないかって聞かれたら、だからなんだって感じだ。

 愛しい女との別れを惜しんで何が悪い。

 腕の中の彼女が息も絶え絶えといった様子になった頃、彼女から唇を離す。

「一日一回言わなきゃいけないんだよな。好きって」

「……うん」

「言えなかった日の分は纏めて後で言う。だから待っててくれるか」

「うん」

 潤んだ彼女の瞳を見つめ返して微笑む。

「好きだ。必ず迎えに行くから、その日までせいぜい花嫁修業でもしとけ」

 ぷっと彼女が噴き出す。

「何その上から目線」

 やっと彼女らしい笑みと言葉を聞けて、心が晴れていく。

「愛しているよ」

 彼女の返答を待たず、もう一度口付けを交わす。

 触れるだけのキスをして、彼女から離れようとすると、彼女の指が俺の服を掴む。

 こういう仕草をする時、彼女が俺に甘えようとしている時だという事を知っている。

「どうした」

「絶対よ。他の人のところにいかないでね」

「大丈夫だ。約束する。だからこれを持っていけ」

 以前にも彼女に託した事のある指輪を彼女の手のひらの上に載せる。

「これ……」

「前にも渡したことあるだろ。約束の印」

 指輪が印章を兼ねていて、俺が公的な書類にサインをした後にはそれを押す事になっている。ぱっと見は普通の指輪だが。

 彼女の右の親指にそれを嵌めて、彼女の手を握る。

「必ず戻る」

 離れがたい気持ちを押し堪えて、彼女から離れて部下たちの待つ場所に戻る。

 さあ、戦を始めよう。


 王城に戻り、私室に篭っているという兄王の下へと馳せ参じる。

 公務が滞って困っていると行き交う大臣たちに泣きつかれたりもしたが、今は兄と話をしなくては何もわからないので、後でと言い置いて王族のみが入れる区画へと足を運ぶ。

 兄の私室は、兄がまだ第二王子だった頃から変わっていない。

 コンコンと扉を叩くと、兄の声が聞こえてくるので部屋に入る。

 ごくごく普通の様子で、笑みを讃えて手招きをする。

 健康そうだし、何か問題があったようにも思えないのだが。何故私室に篭っているんだ。

「只今戻りました」

 その件に関しては触れず、帰郷の挨拶をすると、兄がにっこりと笑う。

「予定より随分早かったね」

「予想外の横槍に遭いまして、あちらに滞在する事がままなりませんでした」

「そうか。それは残念だったね」

 ソファで寛いでいた様子の兄が腕組みをして、未だ立ったままの俺を見る。

「座れ」

「はい」

 瞬間的に王の顔になる。

 俺の不在の間に何があったというのだろうか。

「気は済んだか?」

「それは休暇をもう少し続けても宜しいという事でしょうか」

 口の端を上げ、兄王はふっと鼻で笑う。

「そんな事、あるわけなかろう。お前がいないと色々滞るという事が、今回の件で身に沁みたよ」

「何か不手際がございましたでしょうか。申し訳ございません、陛下」

 一通り公務に滞りや支障がないように手配したつもりだったが、行き届かなかったようだ。

「お前は自分が無能だと思っているかもしれないが、この国の崩壊を押し止め、以前と変わらぬ体制を続けられているのはお前の功績ではないか。その時に国の中枢に食い込み、己の勢力を拡大していった。故に王の命令よりもお前の命令を優先する者も多い」

「そのような事は決して。陛下に背くような不心得者には、わたしからも注意をしておきます」

「別に構わんよ。それよりも周囲の期待や己の肩に掛かる重荷を見てみぬふりをしているのが、気になっている」

 兄王は立ち上がり、そして部屋の中を横断して、一通の書類を手にして俺に見せる。

 それは、隣国で二人の王子から言われた、俺の結婚式に関わる書状。

「お遊びは終わりだ。カイを継ぐ者よ」

 視線を走らせ、その書面の内容に目を走らす。

 秋に皇太弟になる儀式と共に結婚式を執り行う。しかし、その相手については何も書かれていない。

「これはどういうことでしょうか」

「お前の婚約者が首を縦に振らぬ。あの神殿を維持する為には確かに戻ってこられても困るわけだが、その辺りは先の方にもう一度職務に就いて頂ければ解決する」

「ご老体でかなりご無理があるかと存じます」

「子を為すまでで良い。そうすれば神殿に再び戻しても問題なかろう」

 まるで人を物のように。

 かつて神官長と呼ばれた老婆と、そして今現在神官長と呼ばれている許婚。その二人の身を思うと、兄王の言い分に素直に首を縦に振ることなど出来ない。

 まして、俺には彼女がいる。彼女以外を娶る気は無い。

「申し訳ございませんが、わたしは婚約者の姫を娶る気はございません。ただ一人の女性を愛しておりますので」

 兄王が冷笑を浮かべて俺を見る。

「どんな手練手管で落とされたんだか。どこの遊び女か知らんが、そのうち側妃として迎えるのは可能だが、正妃としては却下だ」

 ふと、疑問が過ぎる。

「陛下は彼女の事を何もお調べにはなられていないのですね」

 もし調べていたら、彼女を妃にという考えが頭をもたげるのではないかという疑念があったからだ。

 何せ彼女は近年稀にみる、類稀な巫女。

「その必要な無い。お前が表には出せない女性として何年も秘していたのだから、身分の低い女であろう。調べるまでも無い」

 確かに身分は低いな。しかし現在の彼女は、国中からその血を求められる女性。

 蒼い瞳と紅い瞳という竜に愛された証を持つ。

 思わず笑みが零れると、兄は不審そうに俺を見る。

「宝石の人。何をもってお前をそんなに虜にしたのだ」

 眉間に皺を寄せる兄に笑みを向ける。

「秘密です。身分も氏素性も関係なく、彼女の人柄に惚れただけですよ」

 ふふっと兄が笑いを浮かべるが、それはあまり良い意味での笑いではなかったらしい。

「その恋がお前を成長させたか。それには感謝しよう。しかし皇太弟の妃としては不適格だ。覆らんよ、お前がどんな手を使おうとも」

「陛下。しかしながら」

「王家の娘であり、巫女であった婚約者以上に、その娘が適任であるといえるのか。言えないであろう。ではこの話はこれで終わりだ。山積みの公務を片付けて来い」

 兄は背を向け、窓の外の街を見下ろすように見る。

 その視界の先には俺が乗っていた船も見えるのだろうか。俺の幸福な時間の象徴。

「この国を磐石のものにしたい。協力してくれるな?」

 その為に俺や婚約者、そして老婆を利用するというのだろうか。

 しかしそれは国王として最適の判断とも言える。

「わたしに出来る事はなんなりと。この身、陛下に捧げております」

 振り返られない兄に、更に言葉を続ける。

「ただ、心は唯一人の女性に捧げております」

「許さぬ。我侭は許されんぞ」

 怒りの表情の兄の瞳から逸らさず、兄を射抜くように見つめる。

「その他はどんな事でも致しましょう。ただこれだけは譲れません」

「ならばその女の命を奪ってでも、玉座に縫い付けさせてもらう」

「本気でおっしゃってますか」

「ああ」

「ならば、わたしの持つ全ての権限、地位を捨てるまでです。彼女の命よりも大切な玉座などありません」

 バチバチと火花が飛び散っているのではないかと思うような睨みあいが続く。

 兄に反抗するなど、今まで一度も無かった。

 かつてこの手で、危険に晒した彼女の命。もう二度と、あの時のような事を招きたくない。絶対に彼女を守りぬく。

 この手の中に抱いた柔らかな体、ふわりと漂う香水の香り。そして何よりも俺のことを真っ直ぐに見つめる瞳。

「俺から奪えませんよ。彼女だけは」

 たとえ兄を敵に回しても。この地位を投げうってでも。

「ならば残念ながら、こちらも力技に出なくてはならないな」

 パチンと兄が指を鳴らしたかと思うと、一斉に兵士たちが部屋の中に雪崩れ込んでくる。

 虚を衝かれていると、兵士たちに両腕をつかまれる。

「陛下、どういうことです」

 状況が読めて兄を睨みつけるが、兄は涼しい笑みを浮かべている。さも楽しいものでも見るかのように。

「反省するまで幽閉させてもらうよ。大丈夫、兄のように薬漬けにしたりはしないよ。大切なカイを継ぐ者だからね」

 読みが甘かったとしか言いようが無い。兄王は強硬な手段を辞さない構えだ。まさかここまでするとは思ってもいなかった。

 彼女は大丈夫なんだろうか。

 俺のことは何とでもなるが、腹心の部下に預けた彼女の事だけが気掛かりだ。

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