裏の顔
会社の打ち合わせコーナーだった。
ふと見ると、近くの席に座っている女性社員の後頭部が見えた。彼女は人の好さそうなおばさんで、偶に話すが印象は良かった。名前は塚原さん。なんとなく視界に入っただけだったのだが、俺はそこで妙なものに気が付いてしまったのだった。
目玉が、あったのだ。
彼女の後頭部には。
丸い大きな目で、ギョロギョロと辺りを見渡している。二つ。
“なんだ?”
俺は首を傾げる。
よく見てみると、口もある。後頭部の髪の毛に下に薄っすらと唇が見えたのだ。
つまりは、顔なのだろう。
俺は目を凝らしてもっとよく見ようと思ったのだが、そこで「おい」と声をかけられてしまった。同僚だった。打ち合わせの最中によそ見をするなと怒られてしまった。当然だろう。仕方なく、真面目に打ち合わせをした。塚原さんの後頭部をじっくり観察している暇などなかった。そして、終わると既に塚原さんはいなくなっていた。
非常に気になったが、もちろん、俺は目の錯覚だと考えた。
「……さっきはどうしたんだよ? 何か気になっていたみたいだが」
帰りに水屋でコーヒーを買って飲んでいると、そう話しかけられた。さっきの打ち合わせに参加していた同僚だった。
「ああ、いや、塚原さんの裏の顔が……」
と、俺は無意識に答えてしまっていた。“裏の顔”などと言っても何の事か分からないだろう。ただ、まさか、後頭部に目玉と唇が見えたなどと言えるはずもない。変に思われやしないかと俺は心配していたのだが、同僚は勝手に勘違いをしてくれた。
「ああ、可哀想だよな。協力会社の社員さん達」
そんな事を言ったのだ。
“はい?”と、内心で俺は疑問符を浮かべた。きっと変な顔ししていたと思うのだが、気付かずに同僚は話し続けた。
「こっちが雇っている側で強い立場だってのは分かるが、それにしたって厳しすぎだよ。もう三か月も休みなしで働ているのに、ちょっとした日本語のミスを全て直せって命令したらしいぜ。
どうせ内部資料だから、気にしなかったら何の問題もないのに」
「なんだよそれ?」と、俺は尋ねる。そんな話は知らなかったからだ。同僚は目を丸くする。
「なんだ、お前。知っていて、“裏の顔”なんて言っていたんじゃないのか?」
同僚の話によれば、塚原さんは協力会社の社員に、作成したテストケースの修正を命令したらしい。致命的なミスがあった訳じゃないが、文章に軽いミスがあったらしいのだ。テストケースは、似たようなパターンがあった場合はコピーして作る。だから、そのミスの箇所はかなりの数になる。修正しようと思ったら、それなりに大変で、何よりもう一度承認を貰う為にレビューの場を設けなくてはならない。それが地味に面倒だ。
三か月も休みなしで、しかも毎日残業している人にとっては、それだけでも面倒に感じるものだろう。人情があるのなら、少しくらいオマケしてあげても良いはずだ。テストケースだから、二度と使わない。直さなくても支障はないのである。
俺はその話を聞き終えて、とても意外に思った。先にも述べたが、塚原さんには良い印象を持っていたからだ。
――もっと優しい人だと思っていた。
「“権力者の腐敗”って言ってさ。上の立場になると部下を道具だと認識するようになるらしいぜ。つまり、同じ人間だとは思えなくなるのだな」
俺の考えている事を察したのか、同僚はそんな事を言って来た。
“まあ、そんなものかもしれない”
と、俺は思う。
だからこそ、世の中からブラック企業はなくならないのだ。
ある日の事だった。
ニュース番組を観ている時に、政治家の後頭部が目に入った。顔を横に向けた時に、ちらっと見えたのだ。
その時、俺にはその政治家の後頭部に顔があるように思えた。その政治家は国外からの労働力の受け入れに積極的で、それにより労働力不足を補おうとしているらしかった。ただ、聞いた話によると、その業界では多重派遣が横行していて、それを禁止にしさえすれば、それだけで労働力不足問題はかなり改善するらしかった。
多重派遣が減れば、中抜き業者がいなくなり、その分、労働賃金も上がる。労働賃金が上がれば、人も増える。中抜き業者がいなくなる事で、労働力もその分余る。中抜きをやっていた連中が真っ当に働くようになるからだ。
もちろん、多重派遣問題を解決せず外国人労働者を受け入れれば、その多重派遣による中抜きの犠牲者に外国人労働者達がなってしまうという話でもある。
あの政治家は、恐らくは中抜き業者を護る為に、日本人だけじゃなく、外国人労働者をも犠牲にしようとしているのだろう。
だから、“裏の顔”があったのかな?
俺はなんとなくそう思った。
人間は簡単におかしくなる。
小学校の教師が、同僚の教師をいじめている場面を撮影し、それがそのまま証拠となって世の中から糾弾された事があった。似たような事件は一般の会社でも起こっていて、その事件でも加害者は加害行為を自ら撮影していた。
そーいう時、もしかしたら、あの“裏の顔”が現れているのかもしれない。
そんな風に思う。
人種差別がこの世界に横行しているのは今更説明するまでもない。アジア人を馬鹿にする釣り目のジェスチャーを、軽い気持ちでやる人々の動画は未だによく見かける。嬉しそうな顔で、他人を傷つけている。西欧社会では有色人種を動物園に入れていた事があった。どうやら彼らは有色人種を猿の一種だと認識していたようだ。もちろん、虐待や不公平な賃金支払いなど、似たような事例は枚挙に暇がない。
しかし、じゃ、そんな事をやる連中が悪魔や極悪人なのかと言えばもちろん違う。立場が変われば黒人だって黄色人種だってきっと似たような事をやる。実際、白人の奴隷だって存在していた。あまり有名じゃないが、日本にだって白人の奴隷がいたという記録が残っている。難破した船の白人を捕えて、奴隷として扱っていたのである。
多分、人間が他人を奴隷化する時、その人間の中では他人を非人間化している。それは或いは奴隷側も同じなのかもしれない。奴隷達も自らの主達を人間ではなく、悪魔か何かだと思っていたのじゃないだろうか? だから……
ある日、こんなニュースが流れた。
梨農家の梨が大量に盗まれてしまったというのだ。犯人は恐らく外国人ではないかとネットで騒がれていた。
俺は怒りを覚えた。
そして、こんな事をやる連中の後頭部には、きっと“裏の顔”が現れているはずだとそう思った。
だけど、そこでふと気が付いたのだ。俺の後頭部に何か気配がする。恐る恐る俺は手をやってみた。目がある。口がある。“裏の顔”がある。
“ああ、そうか”と、俺は思った。俺は盗みを働いた外国人達を、きっと人間だと思っていなかったのだ。
冷静になる。
考えるべきなのは、彼らが犯罪を行った背景だ。梨農家から盗んだ梨の価値は、犯罪のリスクに見合うものだったのだろうか? とてもそうは思えない。梨の金額は全部で200万円ほどだったらしい。一人当たりなら、もっと金額は少ない。なら、どうして彼らは泥棒をしてしまったのだろう?
……搾取されているからじゃないか?
多重派遣。その他の過酷な低賃金労働。日本人にも犠牲者がいるが、外国人にも犠牲者がいる。もしも、多重派遣の中抜き業者がいなくなり、彼らが本来貰うべき労働賃金を受け取れていたなら、果たして彼らは犯罪を行っていたのだろうか? まずは彼らをモンスター化する前に、その点を改めるべきじゃないのか?
そこで俺は自分の後頭部に再び手をやってみた。さっきまであった目や口が消えていた。
ホッと安心する。
多分、安い労働力としてしか、外国人達を捉えていない政治家や官僚達の後頭部には、きっとこの裏の顔があるのだろう。




