「姉より妹のほうが可愛い」と婚約破棄されましたが、その妹は王太子殿下を心底嫌っています
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ゆるっとふわっと設定も多いと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。
きらびやかなシャンデリアの光が、大理石の床に跳ね返って夜会の会場を白々しく照らし出していた。
建国記念夜会の最中、耳障りな甲高い声が静寂を引き裂く。
「ヴィクトリア・オルコット公爵令嬢! 私は貴様との婚約を破棄し、ここにいる可憐なフロランスを新たな婚約者とすることを宣言する!」
声を張り上げたのは、我が国の第一王子であり王太子のユリウス殿下だった。
彼の長い指先が、私の妹であるフロランスの細い肩を抱き寄せている。
「姉であるお前は、いつも冷淡で実につまらない女だ。フロランスのように、私を立てて愛らしく微笑むことすらできない。王太子の妃にふさわしいのは、お前ではなくこの愛くるしいフロランスだ!」
周囲の貴族たちが息を呑むのが分かった。
しかし、私はただ優雅に扇をパタパタと動かし、悲劇のヒロインを演じるためにほんの少しだけ眉をひそめてみせた。
内心では、拍手喝采を送りながらガッツポーズを噛み締めていたのだけれど。
ユリウス殿下は、決して何もできない無能というわけではなかった。
誰かが用意した台本を朗々と読み上げること。定められた席で、彫刻のように美しく微笑むこと。引かれたレールの上を、さも自分の力で歩いているかのように偉そうに闊歩すること。
その三つに限って言えば、嫌味ではなく、拍手を送りたくなるほどにお上手だったのだ。
非の打ち所のない気品に満ちた立ち姿、涼やかな青い瞳、速度と抑揚のある大衆を魅了する朗らかな声。
彼はただそこに立って微笑むだけで、誰もが「神に愛された次期名君」と錯覚した。
彼に政治的な才覚など爪の先ほどもないことや、他人の痛みなどこれっぽっちも理解できない空っぽの脳みそであることを知っているのは、私と、裏で手綱を握る国王、王妃、そして彼の失態を揉み消してきた数名の上級貴族だけだ。
王家は彼の無能をとうに把握した上で、私という『影の代行者』を彼の隣に置いた。
私さえ先回りしてすべての障害を潰しておけば、あの男は死ぬまで立派な『見せかけの名君』でいられたのだから。
彼が公衆の前で口にする華やかな演説はすべて私が夜を徹して推敲したものであり、彼がそつなくこなした他国との事前折衝はすべて私が事前に相手の懐を掴んで平らにならしておいたものだ。
それらを全て「自分のカリスマのおかげだ」と本気で信じ込んでいるのだから、ある意味では幸福な頭のつくりをされている。
私の前に立ち、怯えるように小刻みに震えているフロランスが、悲しげに目に涙を溜めて、私を見上げてきた。
「お姉様……」
その震える声が、会場に小さく響き渡る。
今にもこぼれ落ちそうな大粒の涙を瞳に湛えたフロランスは、本当に悲痛そうな顔で、もう一度小さく「お姉様……」と呟いた。
その様子を見たユリウス殿下は、さもフロランスが私に怯え、遠慮しているのだと都合よく解釈したらしい。
彼は得意げに胸を張り、より一層強くフロランスの細い肩を抱き寄せた。
「大丈夫だよ、フロランス、恐れることはない。冷酷な姉の視線など気にするな」
抱き寄せられた瞬間、フロランスの喉から「うぅ……」と小さく苦しげな呻きが漏れた。
ユリウス殿下はそれを、姉への遠慮から来る悲痛な声と受け取ったらしい。いっそう優しく彼女の頭を撫でながら、甘くささやき続ける。
「もう自分が思うように振る舞っていいんだよ。誰に遠慮する必要もない。私の腕の中こそが、君の居場所だ」
まるで悲劇の少女を救い出した高潔な英雄のような笑みだった。
フロランスは抱き寄せられたまま、じっと私の目を見つめてきた。
「……よろしいのですか、お姉様?」
私は手にしていた扇をそっと閉じ、口元に上品な笑みを浮かべて頷いた。
「お好きになさい」
その瞬間、フロランスの瞳から涙がすっと消え失せた。
次の瞬間、フロランスはユリウス殿下の腕を、まるで汚物でも振り払うかのような凄まじい勢いで叩き落とした。
あまりの力強さに、ユリウス殿下が「おっと……」とよろめく。
「フロランス? どうしたのだ?」
困惑するユリウス殿下から数歩距離を取り、フロランスはドレスの袖で自分の両肩を何度も、念入りに、嫌悪感を隠そうともせずにゴシゴシと拭った。
さきほどの「うぅ……」という呻きは、悲痛な涙などではなかったのだ。
このしつこくまとわりつく男に触られたことに対する、耐え難いほどの生理的嫌悪感。それが彼女の本音だった。
そして「よろしいのですか」という問いは、「このしつこくまとわりつく男を、拒絶してよろしいですね?」という、私への最終確認だったのである。
それまでの可憐な表情を完全に消し去ったフロランスは、底冷えするような冷ややかな視線を殿下に向けた。
「お姉様を公衆の面前で笑うような、頭の中が空っぽで『つまらない』男の妃になんて、死んでもなりません! これ以上近づかないでください、汚らわしい!」
凛とした、しかし容赦のない声が夜会の会場に響き渡った。
ユリウス殿下が口を半開きにして呆然と立ち尽くす。
「聞き取れませんでしたか? 私は、お姉様の爪の垢にも及ばないようなあなたを、心底軽蔑していると申し上げたのです。そもそも、私に宛てて送られたあの中身のないラブレターや贈り物は、すべてお姉様の許可を得て裏の暖炉で燃やしておりました。暖を取るのには多少役立ちましたけれど、本当に不愉快でしたわ」
会場のあちこちから、こらえきれないといった風な失笑と、ひそひそ話が漏れ聞こえ始めた。
「え、王太子殿下の片思いだったのか?」
「妹君は姉君を裏切る気など最初からなかったのだな」
「それにしても、つまらない男、か。確かに彼がそこまで言われるのも……」
ユリウス殿下の顔が、赤から白へとみるみるうちに変色していく。
青ざめたまま彫刻のように固まっているユリウス殿下を見つめながら、私は心の中で深いため息をついた。
彼がなぜ、これほどまでに盛大な勘違いをやらかしたのか。その理由は、この数ヶ月の彼とフロランスの追いかけっこにある。
フロランスがユリウス殿下を嫌悪していたのには、十分な理由がある。
お姉様である私がどれほど身を削って彼の公務を支えているかも知らず、傲慢に見下し、少しも大事にしないその不実な態度が、フロランスにとっては心の底から『生理的に無理』だったのだ。
そのため、殿下が公爵家を訪れるたびに、彼女は裏口から脱走したり、庭園の生け垣の隙間に身を隠したりして、文字通り必死で逃げ回っていた。
しかし、おめでたい脳みそをお持ちの殿下は、自分が拒絶されているとは夢にも思わなかった。
フロランスと会えない理由を「ヴィクトリアが嫉妬に狂い、私と会わせないようにフロランスを部屋に監禁しているのだ!」と、勝手に悲劇の物語として解釈したらしい。
そうして殿下は周囲の取り巻きに「ヴィクトリアは冷酷で、妹を虐げ、私から遠ざけている」と言い触らし、社交界に「姉妹の不仲説」をばらまいた。
姉妹でその都度周りには「そのような事実はございません」とやんわり否定していたのだが、おめでたい殿下の耳と脳には、都合の良い妄想しか届かなかったようだ。
今日の婚約破棄は、彼にとって「魔女の監禁から囚われの姫を救い出す」栄光の瞬間のはずだったのだ。実に滑稽な話である。
「フ、フロランス……嘘だろう? 君は、姉にいじめられていて、私を求めていたはずだ……!」
ユリウス殿下が情けなく声を震わせ、一歩踏み出す。
しかし、フロランスは素早く私の背後に回り込み、殿下から完璧に身を隠した。
「近寄らないでと言ったはずです。お姉様、あの男の指が一本でも私に触れたら、今度こそこの手で――」
背後から聞こえる妹の物騒な呟きを、私は扇で口元を隠して優雅にいなす。
そこへ、会場の奥から重々しく、しかし恐ろしいほどの威圧感を孕んだ声が響いた。
「ふむ、実に見事な一人芝居だな、ユリウス」
ざわついていた会場が、一瞬にして凍りついたかのように静まり返る。
貴族たちが慌てて道を開け、頭を下げるその先から現れたのは、我が国の最高権力者――国王陛下だった。
陛下は冷徹な眼差しで、その場に立ちすくむユリウス殿下を見据えた。
「ち、父上……ご覧に、なって……?」
「ヴィクトリア嬢、まず王家を代表して謝罪しよう。そして、これまで我が愚息の無能と失態をすべて裏で揉み消し、支え続けてくれた多大なる貢献に、心から感謝する」
陛下はユリウス殿下を完全に無視し、私に向けて深く頷いた。
「陛下、もったいないお言葉でございます。私は実につまらない女だと、たった今殿下に切り捨てられたばかりの身にございますが」
その謝罪がもう少し早ければ、私のいくらかの睡眠時間は救われていたでしょうね、とは言わないでおいた。
私が扇を閉じ、淑やかに一礼すると、陛下は冷たく鼻を鳴らした。
「つまらないのは我が愚息の頭のほうだ。ヴィクトリア嬢、そなたの言う通り、今回の婚約破棄を王家として正式に認めよう。我々王家は、そなたの献身に甘えすぎた。愚息だけでなく、私にも責はある。これ以上、我が国の未来を支えるべき優秀な公爵令嬢を、この無能の『後始末役』として都合よく縛りつけるわけにはいかない」
「父上! 何を仰るのですか! ヴィクトリアはいつも冷淡で、私を少しも敬おうとせず――」
「黙れ、この愚か者が!」
陛下の怒号が夜会の会場を揺るがした。ユリウス殿下はビクリと肩をすくめ、息を呑む。
「お前が台本を忘れた公務で、誰が裏で火消しをしたか知らぬとでも思ったか? お前が事前折衝で無礼を働いた他国の使節を、誰が裏で説得し、均しておいたと思っている? すべてヴィクトリア嬢の働きだ。彼女を失ったお前に、明日からの公務が一つでもこなせると本気で思っているのか!」
「そ、それは……」
ユリウス殿下は何も言い返せず、視線を泳がせる。
「己の無能を知らず、婚約者の妹につきまとい、挙げ句に公衆の面前でこのような不祥事を起こすなど、我が国の王太子にはふさわしくない。ユリウス、お前を本日、この瞬間をもって王太子位から廃する。明日からは王族としての公務も権限も失い、自分の無力と向き合うがよい」
国王陛下の冷酷な宣告が、会場全体に響き渡った。
ユリウス殿下は、顔面を蒼白にし、膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
姉妹の絆も、未来の妃も、周囲の信頼も、そして自らの輝かしい地位すらも、彼はこの一夜にしてすべて失ったのである。
国王陛下の宣告は一時的な怒りなどではなく、翌日には正式に王太子位の剥奪が発令された。
ヴィクトリアという完璧な「盾」を失ったユリウス元殿下には、もはや任される公務そのものがなかった。
◇
夜会から一ヶ月が経ち、公爵家の庭園には爽やかな初夏の風が吹き抜けていた。
新たな王位継承の最有力候補として、これまでは男子優先の継承法の壁に阻まれて日陰に置かれていた、極めて聡明な第一王女殿下が立てられ、その下にはまだ幼いながらも類稀なる才覚を示す第二王子殿下も控えている。見栄えだけの後継者が退いたことで、王国の未来はかつてないほど明るいと社交界は沸き立っていた。
ユリウス元殿下は、今では王都の端にある小さな別邸に幽閉され、誰も見舞う者のない孤独な日々を送っているらしい。
一方、私とフロランスは、公爵家のテラスで優雅なティータイムを楽しんでいた。
「お姉様、このスコーン、とっても美味しく焼けましたわ。はい、どうぞ」
フロランスが愛らしい笑みを浮かべ、私の皿にスコーンを載せてくれる。
あの日、夜会の会場で見せたドレスの袖で自分の体をゴシゴシと拭っていた凄まじい嫌悪感の塊は、今の彼女からはとても想像できない。
「ありがとう、フロランス。あなたとこうしてゆっくりお茶を飲むのも、本当に久しぶりね」
「ええ! お姉様が、あの無能の仕事をおひとりで抱え込まなくて良くなったおかげですわ。私、本当に嬉しいです!」
そっと紅茶を口に運びながら、私は心からの安らぎを感じていた。
かつては夜遅くまで他人の書類仕事を押し付けられ、不始末の処理に追われる日々だったが、今では私の時間はすべて私のものだ。
公爵令嬢としての義務は果たすが、他人のハリボテを支えるための無駄な労力は一切必要ない。
「本当ね。これからは、誰の顔色を窺うこともなく、私たちの好きなように暮らしましょう」
「はい、お姉様! 私、一生お姉様のお側を離れませんわ!」
嬉しそうに微笑む妹の頭を優しく撫でながら、私はただ、穏やかな風の音に耳を傾けていた。
これからは、私たちが私たちの人生の主役として、穏やかで贅沢な日々を紡いでいくだけだった。
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