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愛する人への手紙

掲載日:2025/12/11

 ねずみ色の重たげな空を眺めながら、アネットは今日もまた窓辺に佇む。


 朗らかな春の日も、凍てつく冬の日も、彼女がここで待ち続ける理由はただひとつ――遠い戦場にいる恋人からの便りを受け取るためだ。


「お待たせしました。今日もお手紙が届いていますよ」


 扉の向こうに現れたのは、新緑色の制服がよく似合う、笑顔の郵便配達員オリバーさん。

 雨の日も雪の日も、丁寧に傷つけないように、「ご無事でありますように」と手紙を差し出してくれる。そんな彼のささやかな心遣いに、アネットはいつも感謝していた。


「本当に……いつもありがとうございます」


その夜。

彼女は蝋燭の揺れる明かりの中で便箋を広げ、静かに言葉を綴った。


『拝啓 木枯らしの季節となりました。最近は悲しい知らせが続いています。母さんの体調が思わしくなく、お医者様には長くないと告げられました。暗い話をするつもりではなかったのに、ごめんなさい。でも、こんな苦しみはきっと些細なもの。戦場で痛みや飢え、寒さに耐え忍ぶ兵士たちの方が、ずっと辛いはずです。ルカ、はやくあなたに会いたい。心から愛をこめて アネット』


 手紙をしたためていく内に、彼への想いが膨らみ涙が頬を伝う。


 戦時下の街は灰色で、人々の笑顔は消え去り、希望は薄れて――。そんな中、彼との手紙だけが、暗い生活に射し込む一筋の光のようだった。


「お願いします。どうか、彼に届きますように」


――


 季節がひとつ巡ったある日。

 オリバーは郵便局でいつものように配達物を仕分けていた。


「ミラーさん宛……ミラーさん宛……」


 機械的に手を動かしていた彼は、ふと動きを止める。差出人欄にはルーカス・グレイの名はない。代わりに記されていたのは――「陸軍第五師団」。


 オリバーの心臓が嫌な予感を告げる。

 我慢しきれず、彼は局長に尋ねた。


「この手紙……内容を教えていただけませんか」

「規則違反だぞ」

「分かっています。でも……」


 局長はオリバーの表情を見て、溜息をついた。

「ルーカス・グレイ伍長は二週間前に戦死した。最後の手紙も、その封筒に入っている」


 世界が音を失った。


(……亡くなった?)


 脳裏にアネットの顔が浮かぶ。

 窓辺で手紙を抱えて微笑むあの姿が。


 もし彼女が真実を知ったなら――。


 オリバーは封筒を握り締めたまま、局の裏手へと足を運んだ。黒い海が唸り声を上げ、海風が吹き抜け、手の中の封筒が微かに揺れる。長い沈黙の後、彼はそれをそっと胸ポケットにしまい込んだ。


 その夜、オリバーは自室で封を切った。


『愛するアネットへ

 明日、大きな作戦がある。もしかしたら、これが最後の手紙になるかもしれない。

 アネット、君と出会えて本当に良かった。

 君と過ごした日々は、僕の人生で一番幸せな時間だった。もし帰れなくても、どうか泣かないでほしい。君には幸せになってほしい。僕はいつも君のそばにいる。

              愛をこめて ルーカス』


 ――


 翌日。

 オリバーはアネットの家を訪れた。


「オリバーさん!手紙が来たんですか?」

「ええ」


 彼が手紙を手渡すと、アネットは弾むように封を開く。


『愛するアネットへ

 こちらは相変わらずだが、僕は元気にしている。君からの手紙は何度も読み返しているよ。君が作ったパイの話を読んだら、無性に食べたくなってしまった。あと少しだ。あと少しで君の元に帰れる。その日を楽しみに今日も頑張るよ。愛をこめて ルーカス』


 それは、オリバーが書いた嘘の手紙だった。

 彼はルーカスの筆跡を研究し、書き方の癖を覚え、彼女の恋人になりきって手紙を書く。


 罪悪感はあった。

 けれど、手紙を読んでほころぶアネットを目にすれば、胸の痛みも次第に薄れていく。


 アネットは毎回、丹念に返事を書き、季節の小さな贈り物を添えた。春には桜の花びら、夏には朝顔の押し花、秋には紅葉、冬には松ぼっくり。


 便箋にはリスや小鳥の可愛いらしい絵が描かれており、思わず笑みが零れてしまう。


 オリバーはそっと目を閉じ、便箋の匂いを胸に吸い込んだ。いつも彼女と出会う時にふわりと薫る柔らかな匂い。香水か。それとも彼女特有のものだろうか。


 ――


「お手紙が来たんですね!」


 玄関先でアネットが春の陽射しのように笑う。

 オリバーは頷き、彼女の掌に手紙をそっと置く。


 帰り際、いつもの窓辺に視線を向けると、彼女と目が合い、手を振ってくれた。その姿に自然と頬が緩み、オリバーもまた手を振り返す。


 そうだ、何を迷う必要がある。

 オリバー、お前の使命はただひとつ。

 彼女の笑顔を守ること。


 オリバーはこれからも、戦場から届くはずのない秘密の手紙を、アネットの窓辺へ送り続けるのだ。

 

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