天狗舞の章 第三話『妣と禍つ魂』
「それでは次のニュースです。ネオトキオ大統領官邸ホワイトタワーにて行われるデックスマン大統領との会談に備え、八島公威陛下がセントラルシティに入られ――」
「あ、コラ、勝手に消すんじゃない!」
祖父の宮司、辰衛門に咎められながらも、関心なさげにテレビのつまみをオフにしたまま、漆黒の髪を流す頭をかきながら、アヤメはキッパリと言い放った。
「だって、お祖父ちゃん、集中してくれないじゃない」
そう、珍しくバイトが休みであるにもかかわらず、御名神神社の長い石段を登りきり、祖父のもとにやってきたアヤメの目的はただ一つ。今朝方彼女の胸元に置かれていた――らしい――緋色の勾玉が何物であるかを調べてもらうためであった。
だが、先程からテレビをつけてみたり、高校生活の話を聞かせろなどと、まっすぐ緋色の勾玉をみてくれないのであった。
「まさか――わざわざ夜中にあたしの家まで来て上がりこんだ挙句、寝室に侵入してきたんじゃないでしょうね!」
「ほほぉ~まだ青臭いぺったんこな胸には興味ないのぉ~
ネオトキオから来た――梨花ちゃんじゃったかの? あのお嬢ちゃんくらいの大きい乳になったら添い寝してやってもいいがのぉ~」
この助平ジジイ――と一番気にしている事をいいのけた祖父にギラリとした目で睨みつけるが、それを見てすら全く動じず、呵呵とばかり笑っていた。
アヤメではまだまだ役者が足りないということだ。
それに幾分翳りを含ませた表情を見取ると、辰衛門は居住まいを正し、ここ数年見せたことのない真面目な面持ちでアヤメに向き直った。
「アヤメよ。お前は今幸せか?」
一瞬、何を質問されたのか理解できずにいた。おかげで果てしなく長く感じる一分間の後に、一言だけどうにかつぶやけた。
「たぶん、ね」
アヤメは、この御名神神社の分家である水上家の娘。両親はともに一介の公僕で、神社とは全く関係のない仕事に携わっていた。ただ、昔から――御名神のために――という言葉を繰り返し伝えられ、また習い事の一つでもと言う理由で神社に奉納する舞を年上の従姉とともに習わされたことから、この御名神神社と縁が深いのだと言う事を自然と学んでいた。だが、ある日を境に様々な事が起き始めていた。父親が出張先で事故にあい他界。仲の良かった従姉は高校卒業と同時にネオトキオに留学。気丈に振舞う母は昼夜関係なく呼び出される部署に変わりゆっくりと話せる時間が取れなくなる。あまり良いとはいえない人生になりつつあったが、この祖父がバイトと称して神社に毎日来させてはあれやこれやと世話を焼いてくれるようになった。
セクハラさえ除けば、確かにアヤメはこの祖父によって救われていたのだ。
「お祖父ちゃんのおかげでね」
とまでは気恥ずかしくて云えなかったが、辰衛門は二三度頷くと、アヤメが今日来た目的について返事をしてくれたのだった。
「それは庇の――妣の勾玉というてな。いわゆる御守りというやつじゃ。わしが――一瞬いいよどんだが――お前の母さんにくれたものじゃよ。
大切にするといい――」
この祖父にしては珍しく、遠い目をしていた。そのため、アヤメは静かに頷くことしかできなかったのだった。
その日の午後、例の如く梨花・エリスンと待ち合わせ、環状線で神代学園から二駅ほど先にある郊外大型ショッピングモールであるジョイフルにいた。
そしてそのフードコートにあるカフェ、グラセル・コーヒー。ネオトキオから進出してきた大手のカフェで、帝都まで轟く――というかひんぴんにテレビコマーシャルに出てくるマスターハンター、ジョニー・グラッセンの名を勝手に店名に使ってその名を知らしめ、さらにその噂を聞きつけたジョニーが豪快に許したということで一躍有名になった――名店の帝都支店の一つである。
その注文カウンターに並びながら、アヤメと梨花は先の御守り――庇の勾玉の話をしていた。
「――ヒ――って、護るって意味でしょう?」
梨花のジパングマニアぶりが再び炸裂し、なんでそんな細かいことを知っているのと質問するより、外交官の娘はそこまで教育をうけてるのかしらと自己完結させ黙ってうなずいた。
「庇というよりは庇護ね。かばいまもること。でもね――御名神に伝わる庇はもっと深い意味があるのよ」
一瞬迷って、アヤメは御名神の庇について話し始めた。
「御名神の庇は妣。
妣ってね、女性にしかない力の事をいうの。ハハノチカラともいって……」
「ダージリンティーとチェリーパイ一つずつ。ねぇ、アヤメはなににする?」
いつも神社で話しをするとあの助平ジジイに邪魔されるからせっかく――と思わないでもなかったが、さっぱりとした性格の持ち主でもあるアヤメである。はいはい、とだけいうとキャラメルフラペチーノを注文し、いつもの如く梨花に身体が冷えるとか、脂肪分が多いのといわれつつも、断固としてフラペチーノ系から変えずに注文してのけた。しっかり貸し出しのブランケットは忘れずに持っていたが。
「ん~美味しいっ! やっぱりこの時期はチェリーパイよねぇ~」
無邪気に舌鼓を打つ梨花はうっそりと言ったが、それとは対照的にストローをくわえたアヤメはつまみあげた勾玉を明かりに照らしながら難しい顔になっていた。
「アヤメっ! 眉間のシワが消えなくなるわよ~」
うん、とこたえるが、意識はその勾玉から離れない様子をみやり、梨花は先程遮ってしまった話題を再び出してみる事にした。
「で――御名神のヒって何なの?」
「おう、俺も聞きたいなぁ――」
「――!――」
三度の闖入者により話は遮られたが、驚きとその声の主が誰かわかったため、自分の興味はことごとく彼に持っていかれてしまった。
「先輩」
「オイオイ、赤貧勤労少女がこんな店で油売ってていいのか――って、毎日ここに来てる俺がいうのも何だけどな」
すらりとした長身。その体躯に乗った整った顔立ち。デザイナーズの眼鏡をかけているが知的さをアピールするものではなく、自然とおさまり違和感は見せない。非対称にカットされた黒髪は更に彼を特徴的にさせていた。そう、いわゆる目立つ風貌というものであった。
「ヒドイですよ、真木先輩。別にあたしは貧乏じゃありません――祖父の手伝いをしてるだけですっ!」
笑ってスマンといい、自然とアヤメたちのテーブルに椅子を寄せてきたのは、真木伸司。アヤメらの一つ上の学年の先輩である。その目立つ風貌と――理由があって――彼女らよりも三歳ほど年上であることから、プリンスと呼ばれていた。しかし、そう呼ばれることに傲慢な態度を取るでもなく、誰に対しても対等に、そして屈託なく話をすることから、真の意味で神代学園の王子であった。
「それにしてもアレだよな――アヤメの巫女姿って、俺一度も見せてもらったことがないんだけど。やっぱり、神社に行かないと見せてくれないよな――」
「当たり前じゃないですか。あれは仕事着なんですから。というか――梨花の前でそんな話していいんですか? だって梨花とは――」
「え? 別に私はかまわないけど――」
あえてそう言わせるかの会話の展開に少々うんざり気味な声になったアヤメであったが、当の梨花はあっけらかんと何のことか分からないふうに――実際わかってはいなかったのだが――言い放っていた。
「そっか――やっぱりアヤメにもそう思われてるのか――がっかりだな。でも不思議だよな。いつも二人と会ってるのにアヤメとの噂にはならないよな」
「そりゃぁ――なんといってもプリンスにはクイーン、でしょう?」
そう、もう一人の綽名を持つ学園生がここにもいた。梨花は学園唯一の留学生であり、学年は違えど神代学園のプリンスと並び称される美貌の持ち主である。それに加えて控えめながらも強い意志と周囲に人を寄せ付けない雰囲気からクイーンと、密かに、しかしまことしやかに呼ばれていたのだった。プリンスといつも話しているから付き合っているのでは? という尾ひれがついていたが。もっとも梨花自身はそのことを全く意識していなかった。それこそ、クイーンって誰? とすら今たずねてきたほどだ。
「兎に角、あたしの出る幕なんてかけらもあるはずないじゃないですか」
「そういうものか――まぁいいか。変な噂ばかりが勝手に一人歩きするってところで、なんだかアヤメとクイーンには共感が持てる――って感じかな」
言って人差し指を立て、ひらひらさせていた伸司であったが、ぴたと止めるとアヤメに向かってテーブルに身を乗り出した。
「で? その妣ってやつを教えてくれよ」
言われてふぅと一息つくと、静かにアヤメは話し始めた。
これは祖父から聞いた話なんだけど――と前置き、御名神の妣について話し始めた。
本来、妣の力とはハハノチカラと呼ばれ、ジパングに伝わる神話にひんぱんに出てきていた。それはいつも形を変えており、櫛であったり今回の勾玉であったりと、女性が身につける装身具のそれであった。そしてそういった装身具を男性が身につけることで通常では得られないような力を得ていたというのだ。それは、そもそもが女性には男性を守り庇護する力をもっているとされ、その妣の力は装身具に宿り、所持者を加護したというのだ。過去の戦時中、死地におもむく兵士は恋人の陰毛を弾除けの御守りとして持っていたとの話もあった――もっとも最後の件は先輩を前にして言葉にすることはなかったが。
「へぇ――じゃぁ、俺がもし戦に出るような事があれば、何かくれよ――って駄目か?」
「だ~か~らっ! 梨花からもらってくださいって」
「え~でも、私、ほらジパングの血は半分だけだし。むしろ私もアヤメから何かもらいたいな~」
そうして、じょじょに話はいつもの他愛もないものとなり、あっという間に太陽が山並みに差し掛かり、空を茜色に染め始めていた。
環状線に乗った三人はそれぞれ別々の駅で降りていく。アヤメひとりが最後まで乗っていたが、不意に思い立ち、御名神神社に続く天狗山口前駅で下車していた。
「なんで――」
なんで、母は勾玉をあたしの胸元に置いただけで起こしてくれなかったのだろう、と朝方の事に思いを馳せていた。ここ一週間程まともに面と向かって話をしていないことが手伝っているのも事実だろう。二人暮らしであるにもかかわらず、母の仕事が具体的にどんなものかもわからない。ただ毎日忙しく、アヤメが寝ている間に帰ってきてまた出て行っている。そういったどこかしら欠落した環境が今のアヤメの――寂しいという――感情を形作っていた。だが、庇の勾玉と祖父から聞いて、いくぶんそれは満たされたところがあったのもまた事実であった。
百八段の長い階段を上りきった頃、夕焼けは夕闇へと移り、朱色の鳥居にすすの様な闇がまとわりつき始めていた。
「…………」
鳥居をくぐったその時、アヤメは射抜かれたような感覚に陥る。
何者かにみられている――背筋から冷たい汗が一筋垂れ、全身を一瞬の悪寒が走った。
瞬間、弾かれたように鳥居の天辺を見上げると、みっつの影がアヤメを見下ろしている事に気付いた。
しかし、それが先日の猫たちであると認識するより早く、境内に大きく、暗くうごめくものが現れ、次第にその闇が二体の巨大な――身の丈三メートル程の人の姿をとりはじめ、咆哮とともに闇を吹き払い、実体をあらわとした。
現れたのは一対のつがいの――禍々しい魂を持つ者である妖怪――鬼の姿であった。
猫たちの見下ろす境内の中、アヤメは初めて世の中に存在する怪異と対峙したのだった。
(つづく)