天狗舞の章 第二話『勾玉をくわえた猫』
帝都から電車で一時間ほど離れたのどかな田園風景が広がる土地、神代シティ。ジパングを二分する大江戸と帝都――その近代化を推進する帝都側ではあるものの、もともとが他国と一線を画した文化を持っていた国である。未開発、開発途上の土地は未だ多い。その一つがこの神代シティであった。
そしてその中央に位置する央山。大山や王山等と呼ばれることもあるが、一番世間で有名な呼び名は天狗山である。由来は至極簡単で、この山にある御名神神社で天狗舞という舞が伝承されているからであった。
「で――アンタがその伝承者なわけ?」
巫女のお仕着せを着て上機嫌な梨花に対して、アヤメは両腕についた小さな沢山の爪痕に絆創膏を貼りながら憮然とこたえる。
「違うわ。それはあたしのお姉――従姉が伝承者なの。
あたしは分家の娘。伝承は本家の長子のみにされるってわけ。
Do you understand?」
「はい、はい。
まったく、ジパングはそういった伝統ごとがハチメンドウクサイ……だっけ?」
「七面倒臭い、ね」
何処でジパング風の表現を覚えてくるのかとアヤメはかぶりを振ったが、何処までいってもポジティブな梨花を見てようやく機嫌をなおしてきつつあった。
「まぁ、とにかく、あたしはスペアよスペア。
天狗舞、嫌いじゃないんだけど、人前で踊るってのがねぇ~」
「あはははは――」
本当に、救われる……そんな事を思いながら、アヤメは屈託なく笑う梨花を穏やかに眺めていたのだった。
しかし、そんな穏やかな時間もアヤメの祖父の闖入であわただしいものへと移っていったのだった。
「なんじゃ~もう着替えは終わりか~」
鼻の下を伸ばしながら神官服の老人が大げさに襖を開け放った。
「ネオトキオの女学生が来とるというから急いで来たというのに、サービス悪いのぉ」
この老人こそアヤメの祖父、御名神辰衛門。この御名神神社の宮司である。この助平丸出しの後退した頭部を持つ祖父の血を継いでいると思うとうんざりしてしまうアヤメであった。しかし、今は先の仔猫の方がアヤメにとってもっとも気になることであったため、祖父の発言は完全に無視されていた。
「猫は?」
「おう、大丈夫大丈夫。
さっきアヤメを十分引っかいたからのう。元気なもんじゃよ。
薄めた山羊の乳をがぶがぶ飲んで寝てしまったわい」
ほっと胸をなでおろすアヤメと梨花であった。
「でも、梨花がいてくれてホント良かったよ。じゃなきゃ、牛乳をそのままあげてたわ」
「ふふ~ん、感謝しなさい! 猫好きは伊藤じゃないのよ」
伊達ね、とツッコミは忘れず二人は立ち上がる。そして辰衛門に連れられて行った先はなんと売店のカウンターの中であった。
「あれ? どういうこと? 猫は?」
「うん、ジジイに騙されたね」
「何をぶつぶついっておるんじゃ。神代学園の美人をみんなお待ちかねじゃぞ。
さぁ、稼いだ稼いだ!」
パンパンと拍手を叩かれ、売店の開店となった。
「おぉ! いいね~」
「梨花さ~ん! 似合ってるよ~」
「よっ! 勤労赤貧少女! 今日も絵馬を買うから、明日デートしてくれ~」
ある意味、ここ数年のお賽銭はアヤメに向けて投げられたといっても過言ではない神社の盛り上がり方であった。どこから聞きつけたのか、神代学園の制服以外にも他校の制服の男子が混ざっているほどに、黒山で汗臭い人だかりとなっていた。
「ったく、こぉら! 男子ども!
あんまり騒ぐと破魔矢を向けるよ!
神様に迷惑だから静かに並んでっっ!」
「う~わぁ~
アヤメ、人気あるねぇ~」
かくて、今日のバイト、という名の戦場が幕を開けたのだった。
哀れな仲間の犠牲とともに……
「つ、疲れた~
なんだか、知らない人達がたくさん私の写真を撮っていってたけど、大丈夫かしら」
少し不安を口にした梨花であったが、それに疲労困憊のアヤメはテーブルに突っ伏しながらこたえる。
「大丈夫、大丈夫。
あいつ等、基本的に人畜無害。ただの野次馬根性丸出しのガキよ、ガキ」
まぁね、と梨花も同意し、薄暗くなりつつある窓の外を見やった。
すると、カシャカシャと窓ガラスの外から小さな音が鳴り続けているのに気付き、梨花は身をこわばらせた。
「何か、いるよ。アヤメ――」
呆けていたアヤメもさっと身構え、眉間にしわ寄せつり気味の目をさらに吊り上げながら梨花にしぃと人差し指を口に当て、そろそろと窓に近寄ると一気に窓を開け放った!
「だれっ!」
返ってきたのは、泣き声が一つだけであった。
「んなぁーう」
「また猫?」
そう、そこにいたのはこげ茶と茶、グレーの三色タビーの長毛の猫と、全身闇色で金目だけが夕闇に光る黒猫の二匹であった。
そして不思議なことに、その二匹は開いた窓から素早く室内に入り込み、襖を器用に開けると一直線に先の仔猫のもとに走っていったのだった。
しかし、そうとは知らない二人は慌てて侵入された失敗を取り返すために二匹を追ったのだった。
「ま、待ちなさいっ!」
「ちょっと、アヤメ待って。てゆうか、無理に追いかけるともっと逃げるわ~って聞いてない~」
かくて、突如勃発した追いかけっこはいつの間にか二対三となり、神社の中を右へ左への大事となってしまっていた。
「追い詰めたわよ~」
御神体が納められた本殿の扉が開いており、その御神体の前にアヤメたちが来たとき三匹の猫はいなかった。
いや、正確には、アヤメ達が見下ろしている床には一切見つけることが出来なかっただけであった。そう、彼らは、数段高い位置に座する御神体を囲むようにともに鎮座していたのだった。
「ば、罰当たりなことしないでっ!」
いうと、一目散に本殿から逃げ出し、今度は鳥居を越えて森の中に消えていったのだった。
「いったい、なんなのよ~」
安堵のため息を漏らし、二人は長いバイトの時間と別れを告げ、岐路に着くのであった。
その夜……
アヤメは不思議な夢を見た。
アヤメは何者かに見下ろされていた。
眩しい、網膜が焼かれるのではないかと思うほどに光が痛い。
それとは対照的に黒い影が彼女を覗き込んでくる。交互に、三人がかわるがわるアヤメの顔を見るのだった。
彼らは何事かつぶやいているが、アヤメにはその言葉が人の声、言葉として認識できないでいた。
そして、ゆっくり影の一人が手を伸ばし、頬に当ててくる。
「冷たい」
声にならない声をあげ、抵抗しようとしたが、他の二人がそれをさせてくれない。
黒くて冷たく、しかしやわらかいその手は、ゆっくりと彼女の口を開けさせていった。
そして、この白と黒しかない世界に唯一の色となる緋色の玉の様なものを口に放り込まれた。
「いやぁっっ!」
抗うことも出来ず、体内で脈打つ何かがアヤメの身体を別な何かに変えていくのを感じる事だけを許され、感覚がこの白と黒の世界全体を覆いつくし、自分の身体と三体の何かを見下ろしながら昇っていく。
そして白い境界に触れたと思った瞬間、アヤメは目を覚ました。
朝日の眩しい明日が今日となり、寝ていたはずなのに疲れきった身体を不快に感じていた。それをゆっくりと起こし、改めてカーテンの隙間から覗く朝日をみやったとき、胸元から緋色の勾玉が輝きながら布団からすべり落ちるのを見つけた。
「なに? これ?」
夢の中身は一切忘れ去っていた――
(つづく)






