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銀龍のテクノ  作者: 銀獅子
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第一部:銀龍の覚醒 旅の支度(1)

間原家には静かな夜が訪れていました。いつもなら囲炉裏を囲んで他愛ない話をする時間ですが、今夜は祖父と猛次郎が黙々と旅の準備を進めています。猛次郎は使い込んだ革袋に干し肉やパンを詰め、麻袋には薬草や火打石といった旅の必需品を揃えていました。その背中は、いつもより少し小さく見えます。


勇三郎は、与えられた小さな鞄に替えの服を畳んでいました。そのありふれた作業が、不意に前世の記憶の扉を叩きます。


(……出張の準備、か)


前田健太だった頃も、こうして鞄に荷物を詰める夜が何度もあったことを思い出します。しかし、その中身は寸分違わずアイロンがけされたワイシャツ、磨き上げられた革靴、そして分厚い資料の束でした。行き先は無機質な会議室とホテル、目的は会社の利益。感情も意志もなく、ただ決められた役割をこなす空っぽの作業だったのです。


しかし、今は違います。畳んでいるのはごわごわした手触りの麻の服、鞄の隙間には万が一のための包帯。そして何より、この旅の目的は会社の利益ではありません。


「ゆうざぶろう、これは何?キラキラしてる!これも、持っていくの?」


不意に腕の中からテクノの声がしました。テクノが小さな前足で示しているのは、勇三郎が幼い頃に川で拾ったただの石英の欠片です。


「それは、いらないよ、テクノ。荷物は、本当に必要なものだけじゃないと」


勇三郎が苦笑いしながら言うと、テクノは「……そっか。ごめんね」と悲しそうな思念を送ってきました。


そのあまりにも純粋な反応に、勇三郎は胸を締め付けられます。そうだ、この子を守るため。そして、自分のために馬鹿な決断をしてくれた親友たちと、この村を守るため。


(失くしたくない。……絶対に)


初めて抱いた焼けるように熱い感情。それは恐怖と、そして奇妙な高揚感を伴って、勇三郎の心を強く満たしていました。


---


その頃、仁もまた道場の庭で木刀を振るっていました。満月が、汗の滲む彼の横顔を青白く照らしています。


「はっ!せいっ!てりゃあ!」


荒々しい気合と共に、空気を切り裂く音が響きます。しかし、その動きはいつもの伸びやかさを欠き、どこか焦りが感じられました。


(くそっ……ダメだ、全然集中できねえ!)


木刀を握る手に、ギリッと力が入ります。討伐隊、国の反逆者、死地。一つ一つの言葉が、鉛のように重いのです。


「――当たり前でしょ!あんたの剣、恐怖で鈍ってるもの!」


頭上を旋回していた紅羽から、呆れたような魂の思念が突き刺さります。


「うるせえ!怖くなんか、ねえよ!」


「嘘つき。でも、まあいいわ。あんたは、ただ前に進むことだけ考えなさい。背中は、この私が見ててあげるから」


相棒からのぶっきらぼうな、しかし絶対的な信頼の言葉。仁の心に再び闘志の火が灯りました。そうだ。怖いのは、俺だけじゃない。勇三郎は、もっと怖いはずだ。


(俺にできることは、なんだ?小難しいことは、蓮に任せりゃいい。俺にできるのは……あいつの隣で、一緒に刀を振るうことだけだ。あいつが前だけ見て進めるように、背中を守ってやることだけだ!)


仁は再び木刀を握り直しました。迷いは、もうありません。恐怖を振り払うように、彼は夜の闇に向かって、ただひたすらに剣を振り続けました。


---


一方、蓮は自室で、使い慣れた短剣を黙々と研いでいました。月の光が、研ぎ澄まされた刃に反射して、冷たい光を放っています。彼の心は、仁とは対照的に、驚くほど冷静でした。しかしそれは、凪いだ水面の下で激しい潮流が渦巻いているかのような、静かな興奮状態だったのです。


(龍……。間原勇三郎。……面白いことになった)


彼の野望にとって、勇三郎は危険なイレギュラーであり、同時にまたとない好機でした。


「主よ」


静かに、しかしどこまでも気高い魂の声がしました。傍らに佇んでいた蒼が、その賢い瞳で、主の心をじっと見つめています。


「貴方のその野心、素晴らしいもの。ですが、友への情という“揺らぎ”が、その刃を鈍らせると、危惧しておいでか?」


「……お見通しか、蒼」


蓮は、研ぐ手を止めずに答えます。


「ですが主よ。硬いだけの鋼は、強い衝撃で容易く折れる。真の強さとは、強さと、しなやかさを併せ持つもの。……この旅は、貴方の魂が、真の『王の器』たるかを試す、良い機会となるでしょう」


相棒からのあまりにも的確な言葉に、蓮はふっと息を吐きました。打算だけではありません。勇三郎は、数少ない、蓮が心を許した友人だったのです。彼が理不尽に殺されるのを、黙って見過ごすことなどできるはずもありませんでした。


(お前の力が、この停滞した世界を変える鍵になるというなら……俺は、その隣で最強の矛になってやる。お前が示す道を、誰よりも速く切り拓いてやる)


研ぎ終えた短刀の剃刀のような切れ味を指先で確かめながら、蓮は静かに、しかし燃えるような決意をその胸に刻み込むのでした。

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