第一部:銀龍の覚醒 世界の掟(2)
「――逃げるのではない。我らから動くのだ。お前の魂の正しさをこの国の天に直接問い質しに行く」
祖父猛次郎が告げたのはあまりにも無謀で途方もない賭けだった。
「首都へ……? じっちゃん、何を……。討伐隊が来る前に自ら死にに行くようなものじゃないか!」
「黙れ!」猛次郎の檄が飛ぶ。「討伐隊を編成しこの辺境の村に到着するにはどれだけ早くとも十日はかかるだろう。その前に我らが先んじて動くのだ。――首都へ向かい日の国の最高権威者であらせられる光龍様の巫女――通称『姫』様に直に謁見を願い出る!」
光龍の巫女。それはこの国で光龍の神託を受けその絶大なる力を代行する唯一無二の存在。国王ですらその意向を無視することはできないとされているまさしく生き神だ。
「姫様に事の次第を全てお話しお前の魂獣が『災龍』にあらずというお裁きをいただく。掟は絶対だ。だがその掟を作られた龍ご自身の御心ならばあるいは……。姫様のお言葉であればたとえ古来の掟であろうと討伐の命令を覆すことができるやもしれん。……いやそれに賭けるしかないのだ」
それはほとんど狂気の沙汰だった。一介の村人がましてや『災龍』を宿した疑いのある者が国の最高権威者に会うなど通常であれば天地がひっくり返ってもありえない。
「無茶だ……そんなことできるはずが……」
「無茶を通して理を覆すのだ。他に道はない」
猛次郎は強い決意を込めて言い切った。
「お前がこの村に留まれば待つのは確実な破滅だ。だが自ら動けばそこに僅かながらも活路が開けるやもしれん。……どちらを選ぶ?」
選択肢など初めからなかった。自分のせいでこの村が大切な人々が破滅するなど絶対に受け入れられない。たとえ万に一つの可能性だとしてもそこに賭ける以外の道は勇三郎には残されていなかった。
腕の中でテクノが不安げに勇三郎の顔を見上げている。その瑠璃色の瞳は澄み切っていて何の邪気も感じられない。こんなにも小さく温かい命が国を滅ぼす災いであるはずがない。
(俺が……俺がこの子を守らなくて誰が守るんだ)
前世では何かを守るために必死になったことなど一度もなかった。だが今は違う。守りたいものがここにある。
「……行くよ、じっちゃん。俺、行く」
腹の底から絞り出した声はまだ少し震えていたがそこには確かな意志が宿っていた。
「俺のせいでみんなが不幸になるなんて絶対に嫌だ。俺が姫様に会いに行く。そしてテクノが災いなんかじゃないって証明してみせる」
その決意に猛次郎は深く力強く頷いた。
「それでこそ俺の孫だ」
その時だった。
「――俺たちも行くぜ」
家の扉が勢いよく開け放たれそこに仁と蓮が立っていた。息を切らせているところを見ると猛次郎に連れられて家に戻ってからずっと心配して様子を窺っていたのだろう。仁の肩には紅羽が蓮の傍らには蒼が主と同じように真剣な眼差しでこちらを見ている。
「仁、蓮……お前たち聞いていたのか」
猛次郎が咎めるような声を出すが仁は一歩も引かなかった。
「当たり前だろ! こんな面白そうなこと見逃せるかよ!」
「……面白そう、ではない。死ぬかもしれんのだぞ」
「だからだよ!」
仁はいつものおどけた表情を消し真摯な目で勇三郎をそして猛次郎を見据えた。
「親友がたった一人で死地に乗り込むって時に家で指くわえて待ってるようなダチだと思われたんなら心外だぜ。違うか、蓮?」
「……ああ。それにこれは勇三郎だけの問題じゃない」
蓮が静かに言葉を続けた。
「村が『災い』の汚名を着せられるなら俺たちも同罪だ。ならば運命を待つより自ら切り拓く方を選ぶ。それに……」
蓮は勇三郎の腕の中にいるテクノに怜悧なしかしどこか好奇の色を浮かべた瞳を向けた。
「……龍を宿した魂術使いがこれからどんな面白いものを見せてくれるのか。この目で見届ける義務が親友としてはあるだろうからな」
二人の言葉に勇三郎の胸が熱くなった。恐怖も不安もまだ消えたわけではない。だが一人ではない。そう思うだけで心の底から力が湧いてくるようだった。
猛次郎はそんな三人の姿をしばらく黙って見ていたがやがて諦めたようにしかしどこか誇らしげにふっと息を吐いた。
「……好きにしろ。だが、行くからには生きて帰ってこい。三人揃ってだ。いいな?」
その言葉は彼らなりの最大限の激励だった。
こうして三人の若者の世界の理に抗うための長く危険な旅が幕を開けた。
夜明けと共に故郷に背を向ける。
それはもうただの村の少年としての人生の終わりを意味していた。
三人の少年と三体の魂獣。
彼らはこの日この瞬間からこの国の法から追われる逃亡者となりそして世界の運命をその若き肩に背負うことになったのだ。