第一部:銀龍の覚醒 天覧試合(9)
その信じがたい事実を、誰一人受け入れられないまま、ただ時間だけが止まっていた。
練兵場を支配する完全な沈黙を破ったのは、審判の、震えを帯びた声だった。
「しょ、勝者、間原勇三郎!」
その声が引き金となり、観客席は爆発したかのような熱狂と、そして何よりも大きな混乱の渦に包まれた。
「馬鹿な! あの海斗様が負けた!?」
「今のは一体なんだ? 魂術を使ったようには見えなかったが……」
「あの小僧、ただ者ではないぞ!」
賞賛と疑念と畏怖が入り混じった無数の声。
そのすべてが、試合場の中央に立つ、一人の名もなき少年に注がれていた。
勇三郎は、ただ静かに一礼すると、仲間たちの元へ戻ろうとした。
だが、その背中に声がかけられる。
「……待ちな」
振り返ると、そこにいたのは腹部を押さえながらもゆっくりと立ち上がった海斗だった。
その顔に、敗北への怒りや屈辱の色はなかった。
代わりにそこにあったのは、生まれて初めて面白い玩具を見つけた子どものような、純粋で、どこか危険な好奇の光だった。
「……あんた、最高だ」
海斗はにやりと人の悪い笑みを浮かべ、勇三郎の耳元で囁く。
「……気をつけな。この試合、“観客”は、地上にいる奴らだけじゃないぜ」
それだけを言い残し、海斗は集まってきた神殿兵たちに連れられるようにして、雑踏の中へと消えていった。
その謎めいた言葉の意味を測りかねていると、仁が勢いよく勇三郎の肩を掴んだ。
「すげえ! すげえじゃねえか、勇三郎! あの孔雀野郎をぶっ倒しやがった!」
「……見事だった。だが、一体、何をした?」
蓮もまた、その冷静な瞳の奥に隠しきれない興奮を宿して問いかける。
彼らの賞賛に、勇三郎はただ、力なく笑うしかなかった。
テクノの力を使った代償は、前回よりも確かに軽い。
だがそれでも、魂の深い部分がじりじりと削られていくような、不快な疲労感が彼の体を支配していた。
その夜、宿坊に戻った一行を、セリナが温かい薬湯で出迎えた。
「皆様、お疲れ様でした。勇三郎様、お体は……」
彼女の心からの気遣いが、勇三郎のささくれだった心を優しく癒していく。
「……ああ、大丈夫だ。ありがとう」
セリナは予選の間、ただ仲間たちの勝利を祈ることしかできなかった。
だがその無力感は、彼女を確かに成長させていた。
彼女は戦えない。だが、戦う仲間たちを支えることはできる。
傷の手当て、食事の準備、そして何よりも、疲弊した彼らの心を癒すこと――それが、今の彼女の“戦い方”だった。
「それにしても、あの海斗という男……」
セリナは心配そうに眉をひそめた。
「彼の最後の言葉、わたくしにはどうしても気になります。……まるで、空から誰かが、我々を見ているとでも言うような……」
その何気ない一言。
だが、その言葉に、勇三郎と蓮ははっと顔を見合わせた。
――空から、見ている。
その言葉が、二人の頭の中で、一つの恐ろしい可能性と結びついた。
彼らが、あの“嘆きの山脈”の頂から飛び立った、あの日。
彼らを追ってきたのは、翼を持つトカゲの群れだけではなかった。
その、遥か上空。雲の、さらに上。
誰も気づいてはいなかった――ただ一人、紅羽の神の視点を持つ仁を除いて。
蓮が仁へと鋭い視線を向ける。
「……仁。あの時、何か見えなかったか?」
「……あの時……?」
仁は必死に記憶を探った。
そして思い出したかのように、その顔を青ざめさせる。
「……ああ……。そういえば、見えたぜ。雲の、ずっと、ずっと上に……一つの、赤い、星のようなものが、光っていたのを……」




