第一部:銀龍の覚醒 天覧試合への道(1)
橘が道場を去った後、宿坊の一室は重い沈黙に包まれていた。
三日後に始まる天覧試合はあまりにも突然で過酷な唯一の活路だった。
「……やるしか、ねえってことか」
仁が絞り出した声はいつもの快活さを失い緊張に強張っていた。
「ああ」と蓮が応じる。
「だが問題は山積みだ。俺たちの手の内は橘殿にほぼ知られているが敵の情報は皆無だ。三日間でやれることは限られている」
彼の頭脳はすでにこの絶望的な状況をいかにして覆すか、そのための計算を始めていた。
その夜から彼らの短いしかし濃密な準備期間が始まった。
仁は日の出前から木刀を握りひたすらに素振りを繰り返した。彼の剣は荒削りだがその一振り一振りには仲間を守るという強い意志が込められ、太刀筋は日を追うごとに鋭さを増していく。
蓮は部屋に閉じこもり仁や勇三郎から聞いたこれまでの戦いの記録を、紙の上に徹底的に洗い出していた。敵の動きや自分たちの連携、魂術の消耗度などあらゆる情報を分析し、この寄せ集めの隊が強者たちを相手にいかにして戦うべきかその最適解を模索し続けた。
セリナもまた無力な王女であることから脱却しようと必死だった。彼女はフィーナと共に自らの魂術《氷結の囁き》の限界とその新たな可能性を探っていた。それは戦闘のためではない。仲間を援護し敵の足を止め勝利への僅かな隙を作り出すための彼女だけの戦い方だった。
そして勇三郎はテクノとの対話に全ての時間を費やしていた。
遺跡での覚醒を経てテクノの魂は力強さを増し、その思念はより明確な言葉となって勇三郎の心に届くようになっていた。
『勇三郎、あの黒い虎すごく強かった。僕もあんな風になれるかな』
「なれるさ。お前は龍なんだからな」
勇三郎は相棒を励ましながらもその力の未知数さに言い知れぬ不安を感じていた。この力は一体何なのか、どうすれば自在に使いこなせるのか。その答えはまだ見つからない。
そうして予選前夜、彼らの元を再び橘が訪れた。
「……良い顔つきになったな。少しは武人らしくなった」
橘は部屋の中央にどかりと腰を下ろすと四人の顔を満足げに見回した。
「お前たちに渡しておくものがある」
彼が差し出したのは四枚の木札、天覧試合への出場者名が記された参加証だった。
そしてもう一つ、一枚の古い地図。
「これは……?」
蓮がその地図を訝しげに受け取る。
「……嘆きの山脈の古地図だ」
橘のその一言に全員が息を呑んだ。
「お前たちが山の国で炎の国の軍と遭遇したという話は、すでに俺たち神殿の上層部にも伝わっている」
橘の声が低くそして重くなった。
「炎の国は本気だ。我が国の密偵からの報告によれば奴らは大規模な軍を国境付近に集結させている。……おそらく三月もすれば本格的な侵攻が始まるだろう。日の国は存亡の危機にある」
国家間の戦争。そのあまりにも巨大で冷徹な現実。
「……なら俺たちは試合どころじゃ……!」
仁が声を荒らげる。
「だからこそ試合なのだ」
橘の鋭い声が仁の言葉を遮った。
「お前たちが山でザグラムの部隊を退けたことは事実だ。だがそれはまぐれかもしれん。お前たちの本当の力はまだ未知数だ」
橘の視線が勇三郎とその腕の中のテクノを射抜いた。
「俺は確かめなければならん。お前のその龍が本当に国を滅ぼす『災龍』なのか、それともこの国を炎の国の脅威から救う『神の刃』となり得るのかをな」
「……俺たちが戦の駒になるってことかよ」
蓮が冷ややかに呟く。
「そうだ」
橘はそれを一切否定しなかった。
「これはお前たちの魂の正しさを証明するための戦いであり、同時にこの国がお前たちという『刃』の切れ味を試すための戦場でもある。……勝て。そして巫女様への謁見の権利をその手で掴み取れ。さすればお前たちの運命も、そしてこの国の運命も変わるやもしれん」
橘はそれだけを告げると再び静かに立ち去っていった。
後に残されたのは一枚の古い地図と、そして自らの運命がもはや個人的なものを遥かに超え、国家の存亡という巨大な奔流に呑み込まれてしまったというあまりにも重い事実だった。




