第一部:銀龍の覚醒 成人の義(4)
時が止まったかのようだった。
篝火の爆ぜる音さえも遠のき広場を支配していたのは千人を超える村人たちの息を呑む音だけが重なった奇妙な静寂。祝福と歓声に満ちていたはずの空気は張り詰めた氷のように冷え切っている。誰もが神聖な円の中心で呆然と立ち尽くす少年と、その足元で瑠璃色の瞳を瞬かせているありえない存在から目を離せずにいた。
村人たちの視線が針のように突き刺さる。それはもはや期待や羨望の色ではなかった。
畏れ、不信、そして根源的な恐怖。
伝説上の存在が目の前に現れたというのにそこには歓喜のかけらもなかった。
その意味をまだ十五歳の勇三郎でさえ肌で理解してしまっていた。
(……やっちまった)
前世の記憶を持つ精神が冷静にしかし絶望的に状況を分析する。これは祝福されるべき奇跡ではない。秩序を破壊するあってはならない「異常」なのだ。
硬直する勇三郎の元へ最初に駆け寄ってきたのは親友たちだった。
「すげえ……勇三郎、お前、龍を出しやがったのか!?」
目を爛々と輝かせ興奮を隠そうともしないのは仁だ。彼は自分の肩に舞い降りた鷹に一度視線を送るとその燃えるような赤い羽に負けないほどの情熱で勇三郎の背中をバンと叩いた。
「どうなってんだよ! なあ、こいつ、本物の龍だよな!?」
「……静かにしろ、仁。今はそういう状況じゃない」
仁を制したのは蓮だった。彼は自らの傍らに寄り添う青毛の馬のたてがみを静かに撫でながらその怜悧な瞳で周囲の村人たちの反応と、そして広場の隅で微動だにしない猛次郎の姿を観察していた。
(まずいことになったな。国に二柱の龍は、災いの兆し。これは祝福ではない、死刑宣告だ)
蓮の冷静な分析が勇三郎の混乱した頭に突き刺さる。
その時仁がふと我に返ったように自分の肩にいる鷹を見つめた。
「そうだ、名前だ。じっちゃんが言ってた。魂獣は主が名を呼んで初めて、その絆が結ばれるって」
彼は誇らしげに鷹を腕に乗せるとその赤い羽を優しく撫でた。
「燃えるような赤い羽……よし、お前の名は『紅羽』だ! 今日から俺の相棒だ、よろしくな!」
『キィィッ!』(当然でしょ! あんたを最強にするのは、この私よ!)
仁の力強い声に応えるように紅羽は誇らしげに一声高く鋭い鳴き声を上げた。主従の間に確かに絆が生まれた瞬間だった。
蓮もまた隣に立つ青毛の馬へと向き直る。その気高い瞳を見つめ静かに語りかけた。
「その毛並みは、夜の湖のように深い青だ。そして、その魂は風のように速い。……お前の名は『蒼』。俺を、頂へと運んでくれ」
蒼は応える代わりにそっと蓮の体にその顔を擦り付けた。『フン、お前にその覚悟があるのならな』というどこか尊大でしかし絶対的な信頼を込めた思念が蓮の心に流れ込む。言葉はなくとも二人の魂が繋がったことは明らかだった。
二人の姿に勇三郎はわずかに我に返る。そうだ、名前。自分の目の前にいるこの小さな相棒にも。
彼がおそるおそる膝を折って視線を合わせると小さな銀龍はてちてちと歩み寄り何の警戒心もなく彼の伸ばした指先にこてんと頭を乗せてきた。温かい。生きている。その小さなぬくもりが凍りついていた勇三郎の心をほんの少しだけ溶かした。
(俺の……相棒)
どんな名前をつけようか。そう考えた時勇三郎の脳裏に再びあの電子基板の星空がよぎった。この世界の理から外れた自分だけが見た異質な光景。そしてその中心から現れたこの小さな命。
俺と同じ、外から来たのかもしれないお前。この世界の技術とは違う何かを秘めている気がするんだ。
「――お前の名は『テクノ』。これからよろしくな、相棒」
『きゅる!』
勇三郎の言葉に銀龍――テクノは嬉しそうに一声鳴き主の手にすり寄った。その瞬間テクノの体から淡い銀色の光が溢れ二人の魂が確かに結ばれたことを示した。
だがその光景を祝福する者は誰もいなかった。
「――勇三郎」
背後から地を這うような低い声が響いた。振り返るとそこには鬼のような形相をした祖父猛次郎が立っていた。その顔から表情は一切消え瞳の奥にはこれまで見たこともないほどの深い絶望と、そして鋼のような決意が宿っていた。
「じっちゃん……」
「……立て。そして、そいつを懐に隠せ。誰にも見せるな」
猛次郎はそれだけを告げると有無を言わさぬ力で勇三郎の腕を掴み人々の間を割るようにして歩き出した。困惑する蓮と仁、そして「災龍だ」と囁きながら畏怖の視線を向ける村人たちを残して。
祝福の祭りは終わった。
勇三郎の腕の中でテクノが不安げに「きゅぅ……」と小さな鳴き声を上げた。その声は彼の耳にだけ響いたのではない。魂の繋がりを通じて彼の心に直接響き渡った。
それはこれから始まる長く厳しい運命を前にした少年と龍の最初の悲痛な叫びだった。