第一部:銀龍の覚醒 霧の海の底で(2)
「……まあ……。空から、お客さまが、降ってくるなんて……。一体、何百年ぶりの、ことかしら……?」
その、鈴を転がすようで、しかし、どこか古びた響きを持つ声は、幻想的な光に満ちた森の、不思議な静寂に、溶けていくようだった。
勇三郎は、はっと我に返り、警戒心をむき出しにして、その小さな人影を睨みつけた。魔獣ではない。だが、この、あまりにも異質な空間に、人がいるということ自体が、異常だった。
「……お前は、誰だ?」
勇三郎が、かすれた声で問いかける。
フードの奥の人影は、驚いたように、ぴくり、と肩を震わせた。
「あら、まあ。警戒なさらないで。わたくしは、あなた方に、害をなすつもりは、毛頭ありませんわ」
その、ゆったりとした、古風な口調。フードの奥から、好奇心に満ちた、大きな瞳が、こちらを覗いているのが見えた。
「わたくしは、この森の、番人、とでも、言っておきましょうか。……それよりも、あなた方こそ、一体、何者ですの?その身にまとう魂の光……。日の国の、ものではないようですけれど」
その言葉に、勇三郎は息を呑んだ。この小さな少女は、セリナが、氷の国の人間であることまで、見抜いているというのか。
「……答える義理は、ない」
勇三郎が、警戒を解かずにいると、少女は、くすくす、と楽しそうに笑った。
「ふふ、怖い、怖い。……ですが、その、腕に抱えた、銀色の……。その子の魂の輝きは、なんだか、とても、懐かしい匂いがしますわ。……遥か、遠い昔に、一度だけ、会ったことがあるような……」
少女の視線は、勇三郎の腕の中で、静かに眠る、テクノへと注がれていた。
その時だった。
「……勇三郎様……?」
セリナが、うめき声と共に、ゆっくりと、その瞼を開いた。
「……ここは……?わたくしは……」
「セリナ!気がついたか!」
勇三郎が、彼女へと駆け寄る。その動きに、フードの少女が、再び、びくり、と体を震わせた。
「……まあ、まあ!なんて、気高い魂の光……!氷の龍の、愛し子……!そのようなお方が、なぜ、こんな、地の底に……」
少女は、セリナの魂の本質を、一目で見抜いたかのように、驚きの声を上げた。
「……あなたは、一体……?」
セリナが、まだ朦朧とする意識の中で、問いかける。
フードの少女は、しばらく、セリナと、勇三郎の腕の中のテクノとを、興味深そうに見比べていたが、やがて、くるり、と背中を向けた。
「……お話は、後ですわ。あなた方、ひどい怪我と、消耗をなさっているようですし。……それに、その、銀色の子も、魂の揺りかごの中で、深く、眠っておられる。……わたくしの、家へ、いらっしゃいな。傷に効く、薬湯くらいは、ご馳走できますわよ」
少女は、そう言うと、有無を言わさず、光る苔の絨毯の上を、トテトテ、と、奥へと歩き始めてしまった。
その、あまりにもマイペースで、そして、掴みどころのない態度。
勇三郎と、ようやく意識を取り戻したセリナは、顔を見合わせた。
この謎の少女についていくべきか、否か。
だが、彼らに、他の選択肢はなかった。この幻想的な森で、どこへ行けばいいのかもわからない。そして何より、この少女は、テクノや、セリナの正体について、何かを、知っている。
「……行くしかない、か」
勇三郎は、覚悟を決め、セリナに肩を貸すと、その小さな背中の後を、追った。
少女の家は、森の、ひときわ巨大な、光るキノコの、根元をくり抜いて作られた、不思議な家だった。
中に入ると、外の幻想的な光景とは裏腹に、そこは、驚くほど、生活感に溢れていた。壁には、乾燥させた薬草が、所狭しと吊るされ、小さな木の机の上には、読みかけの、分厚い本が、何冊も、積み上げられている。
「さあ、どうぞ、お掛けになって。すぐに、お茶の用意をしますわ」
少女は、そう言うと、フードを、そっと、脱いだ。
その下に現れたのは、夜空のように、深い、藍色の髪と、星々のように、きらめく、金色の瞳を持つ、人形のように、整った顔立ちの、少女だった。年の頃は、セリナと同じくらいに見える。だが、その瞳の奥には、何百年、あるいは、それ以上の時を、生きてきたかのような、底なしの、叡智と、そして、どこか、物悲しい、諦観の色が、宿っていた。
「……わたくしの名は、ルナ、と申します」
ルナと名乗った少女は、優雅に、一礼した。
「――この、『忘れられた庭』の、最後の、番人ですわ」




