第一部:銀龍の覚醒 総攻撃の号令(2)
「――空を、飛んでみないか?」
勇三郎の、静かだが、狂気の欠片を宿したその一言は、総攻撃の号令がもたらした絶望的な空気を、一瞬にして、奇妙な静寂へと変えた。
「……はあ?」
最初に、その静寂を破ったのは、仁だった。彼は、ぽかんとした顔で、勇三郎と、彼が指差す、遥か眼下の奈落とを、交互に見比べた。
「飛ぶって……お前、本気で言ってんのか?俺たちは、鳥でも、トカゲでもねえんだぞ!」
「……勇三郎。説明しろ」
蓮が、短く、しかし、有無を言わせぬ響きで促した。彼の瞳は、勇三郎の正気を疑いながらも、その言葉の奥にある、万に一つの可能性を、探ろうとしていた。
勇三郎は、崖の縁に立ち、下から吹き上げてくる、強い上昇気流を、その体で感じながら、語り始めた。
「あの崖に生えてる、『風受け傘』。あれを、使うんだ。あの傘は、驚くほど軽くて、丈夫だ。そして、この崖には、常に、強い風が、下から上へと吹き上げている。つまり……」
「……つまり、その傘で風を受け、木の葉が舞い落ちるように、この崖から滑空しろと、そう言うのか?」
蓮は、勇三郎の言葉の意図を、瞬時に理解した。そして、その顔に、呆れと、そして、ほんのわずかな、感嘆の色を浮かべた。
「……成功率は、限りなくゼロに近い。風の強さ、傘の強度、俺たちの体重、その全てが、完璧に噛み合わなければ、ただの、集団自殺だ」
「でも、ゼロじゃないんだろ!」
勇三郎は、強く、言い返した。
「このまま、ここにいても、犬死にするだけだ!だったら、俺は、その、限りなくゼロに近い可能性に、賭けたい!」
その、魂からの叫び。
その時、背後の、山の斜面から、最初の、炎の国の兵士が、その姿を現した。距離は、まだある。だが、時間は、もう、残されていなかった。
「……へっ。面白え!最高に、イカれてやがるぜ!」
仁が、腹の底から、笑った。
「どうせ死ぬなら、でっかく飛んでからの方が、マシってもんだ!やってやろうぜ!」
「……わたくしも、皆様と、一緒なら」
セリナもまた、覚悟を決めた、力強い瞳で、頷いた。
「よし、決まりだ!」
作戦は、即座に開始された。
「仁!蓮!あの、一番でかい風受け傘を、根元から切り倒せ!時間は、ないぞ!」
「おう!」
仁と蓮が、それぞれの魂獣と共に、崖の中腹へと飛び降り、刀と、蒼の脚力を使って、巨大な風受け傘を切り倒していく。それは、直径が五メートルはあろうかという、巨大な、キノコだった。
「セリナ!勇三郎!蔓だ!そいつを、体に結びつけるための、ハーネスを作るぞ!」
「は、はい!」
勇三郎とセリナは、近くの鉄カズラの蔓を引きちぎり、前世の記憶を頼りに、体を固定するための、簡易的なハーネスを、必死に編み上げていく。
『仁!敵が、第二陣が来たぞ!もう、こっちに気づいてる!あと、三分も持たない!』
上空から、紅羽の、悲鳴のような思念が、響き渡る。
時間は、ない。
四人は、それぞれの風受け傘に、ハーネスを括り付け、それを、背中に、背負った。それは、あまりにも、粗末で、頼りない、即席の翼だった。
彼らは、崖の縁に、横一列に並んだ。
眼下には、雲さえも下に見える、奈落の底。
背後からは、死を告げる、鉄の足音。
「……いいか!」
勇三郎が、叫んだ。
「飛んだら、絶対に、手を離すな!風を、体で、感じろ!上昇気流を、捕まえるんだ!」
四人は、互いの顔を見合わせた。恐怖、興奮、そして、仲間への、絶対的な信頼。その全てが、入り混じった、最後の、一瞬。
「――飛べぇぇぇぇっ!」
勇三郎の絶叫を合図に、四つの小さな影は、ためらうことなく、嘆きの山脈の頂から、どこまでも広がる、青い、大空へと、その身を、躍らせた。




