第一部:銀龍の覚醒 四人の覚悟(2)
「……皆様。わたくしに、考えがございます」
絶望的な沈黙を破ったのは、セリナの、か細くも、凛とした声だった。三人の視線が、一斉に彼女へと注がれる。その瞳には、もはや王女としてのか弱さはなく、自らの運命を、そして仲間たちの運命を、その手で切り拓こうとする、強い意志の光が宿っていた。
「ですが、それには、皆様一人一人の、お力が必要です」
彼女の言葉に、三人は、顔を見合わせた。そして、誰からともなく、力強く頷いた。
セリナは、一度、深く息を吸い込むと、揺れる渓谷の激流を、まっすぐに見据えながら語り始めた。
「この渓谷を、わたくしたちの力で、繋ぎます」
「繋ぐ……?どうやって」
蓮が、現実的な問いを投げかける。
「まず、仁様と紅羽様の《天眼》で、この渓谷の対岸で、最も頑丈で、なおかつ、ロープを固定できそうな大木か、岩の突起を見つけていただきます」
「おう、それならお安い御用だ!」
仁が、即座に応える。
「次に、蓮様と蒼様の《神速》。わたくしが、この山に自生している中で、最も強靭な『鉄カズラ』の蔓を複数、編み上げて、一本の長いロープを作ります。その一端に、勇三郎様が何か、重りになるものを結びつけてください。そして、蓮様が、そのロープを持って、対岸の目標地点まで、駆け抜けるのです」
その、あまりにも無謀な提案に、仁が息を呑んだ。
「無茶言うな!蓮の《神速》は、確かに速えが、あんな、ほとんど垂直な崖を走り抜けられるわけ……」
「……いや、できるかもしれん」
仁の言葉を遮ったのは、蓮自身だった。
「蒼の脚力なら、ほんの数秒、壁を垂直に駆け上がることも可能だ。問題は、その後。空中で、正確に、目標地点にロープを投げ込めるかどうか。一度でも失敗すれば、我々は激流の藻屑だ」
全員の視線が、蓮に集まる。その顔には、極度の緊張と、しかし、不可能ではないと判断した、戦略家としての冷静な光が宿っていた。
「そして、最後が、わたくしの役目です」
セリナは、続けた。
「無事に蔓の橋が架かったとしても、それだけでは、全員が渡るには、強度が足りません。そこで、わたくしの《氷結の囁き》を使います。蔓の橋に、何度も、何度も、冷気を吹き付け、氷の層を重ねていく。そうすれば、やがては、人が渡れるほどの、強固な『氷の橋』が、完成するはずです」
壮大で、そして、あまりにも繊細な連携を必要とする作戦。
一人でも欠ければ、一瞬でもタイミングがずれれば、全てが崩壊する。それは、彼らの絆そのものが試される、究極の賭けだった。
「……面白い」
勇三郎が、ふっと笑みを漏らした。
「まるで、前世でやった、プロジェクトチームみたいだ」
「ぷろじぇくとちーむ?」
聞き慣れない言葉に、セリナが首を傾げる。
「ああ。それぞれの専門家が、自分の役割を果たして、一つの大きな目標を達成するんだ。――仁が『目』となり、蓮が『脚』となる。セリナが『創造主』で、俺は……そうだな、全体の工程を管理して、危険がないかを確認する、『現場監督』ってところか」
勇三郎の、どこか楽しげな例えに、場の緊張が、ほんの少しだけ和らいだ。
「よし、決まりだ!やってやろうぜ!」
仁の快活な声が、渓谷に響いた。
作戦は、すぐさま実行に移された。
まず、仁と紅羽が、空高く舞い上がった。
『仁!対岸の、十時の方角!崖から突き出た、黒い岩がある!その根元に、古い松の木が根を張っているのが見えるか!?あそこなら、強度は十分だ!』
「おう、見えたぜ!最高の場所だ、紅羽!」
次に、セリナとフィーナが、驚異的な集中力で、鉄カズラの蔓を探し出し、編み上げていく。その手つきは、王女とは思えぬほど、力強く、そして迷いがなかった。
勇三郎は、その蔓の端に、近くに落ちていた、先端が鉤爪のようになった岩を、解けないように、しかし、投げた時にバランスが崩れないように、絶妙な結び方で固定した。
そして、ついに、運命の瞬間が訪れる。
蓮が、完成したロープの端を、その肩に担いだ。彼は、蒼の首筋を一度だけ、力強く叩いた。
「……行くぞ、蒼。俺たちの、最速を見せてやれ」
『ああ。主の魂、確かに預かった』
「――《神速》!」
蓮と蒼の体が、淡い光の粒子と化し、轟音と共に、崖の壁面を駆け上がった。それは、もはや重力を無視した、奇跡の光景。蹄が、垂直の壁を、まるで平地であるかのように、力強く蹴り上げる。
『蓮!風が強い!少し、右へ!』
仁の、魂の叫びが、蓮の脳裏に響く。
蓮は、空中で、わずかに体勢をずらすと、全身のバネを使って、目標地点へと、ロープを投げ放った。
放物線を描いたロープは、吸い込まれるように、黒い岩と、松の木の根元へと絡みついた。
ガキン!という、確かな手応え。
「……やった……!」
誰からともなく、歓声が上がる。
だが、まだ、気は抜けない。
「セリナ!頼む!」
「はい!」
セリナが、蔓の橋のたもとに立ち、両手を、そっと差し出した。
「フィーナ、心を一つに。――《氷結の囁き》」
彼女の白い指先から、純白の、しかし、魂を凍らせるほどの冷気を帯びた息吹が、放たれ始めた。その冷気は、蔓の一本一本に、丁寧に、そして、確実に絡みつき、きらきらと輝く、薄い氷の膜を作り出していく。
それは、希望の光景だった。絶望的な渓谷に、四人の仲間たちの力だけで、一本の、美しくも儚い氷の橋が、架かっていく。そのきらめきは、彼らが自らの手で運命をこじ開けた、奇跡の証そのものだった。




