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銀龍のテクノ  作者: 銀獅子
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第一部:銀龍の覚醒 成人の義(1)

カッコウの鳴き声が、朝の静寂を優しく揺らす。


開け放した窓から吹き込む風は、夜の間に湿った土の匂いと、芽吹き始めた若葉の青い香りを運んできた。階下からは、とん、とん、と小気味よい包丁の音と、薪がぱちりと爆ぜる音。そして、心を落ち着かせる味噌の香りが漂ってくる。


その全てが、**間原勇三郎まいはら ゆうざぶろう**の心を、穏やかな充足感で満たしていく。


「……もう、三年か」


寝台から身を起こしながら、誰に言うでもなく呟いた。


三十四年の無味乾燥な人生が、光の渦に呑まれて唐突に終わりを告げ、この世界で「間原勇三郎」として目覚めたのが十二歳の時。あれから三年。今では、前田健太として生きた日々の記憶は、時折見る不思議な夢のように、現実感を失いつつあった。


モノクロームだった世界は、ここにきて初めて鮮やかな色彩を得たのだ。


着慣れた麻の服に袖を通し、階下へ向かう。ギシリと鳴る階段は、この家が重ねてきた年月の証だ。窓の外には、朝靄の中に浮かび上がる故郷の村の風景が広がっている。


**イズミ村**。それが、勇三郎の故郷の名だ。


日の国の辺境、雄大な森と山々に抱かれたこの村は、百数十年前に勇三郎の曽祖父にあたる初代様が、荒れ地を切り拓いて作った開拓民の村だと祖父から聞いている。国の隅々にまで、日の国を守護する光龍様の御加護が行き渡るようにと願いを込めて。今ではすっかり豊かな村になったが、辺境であることには変わりなく、時折、森の奥から現れる魔獣の脅威とは常に隣り合わせだった。


「おお、起きたか、勇三郎」


居間に入ると、大きな食卓の前に、岩のような体躯の祖父・**間原猛次郎まいはら たけじろう**が座っていた。短く刈り込んだ白髪、日に焼けた肌に深く刻まれた皺。厳格そのものの顔つきだが、勇三郎に向ける目には、不器用な優しさが滲んでいる。


その足元には、猛次郎の魂獣である大きな灰色の犬、**ワダン**が静かに座っていた。


「おはよう、じっちゃん、ワダン」


勇三郎が声をかけると、ワダンは賢い目でちらりとこちらを見上げ、尻尾を一度だけ、ぱたん、と床に打ち付けた。それが彼の朝の挨拶だった。


「うむ。さあ、食え。今日はお前にとって、生涯で最も重要な日になる。腹が減っていては、己の魂とも向き合えん」


猛次郎が顎で示した食卓には、湯気の立つ白飯と、焼き魚、そして具沢山の味噌汁が並んでいた。勇三郎が六つの頃――まだ前田健太の魂が宿る前に両親を亡くしてからは、ずっと猛次郎がこうして食事の支度をしてくれている。


勇三郎の両親は、この村の誰からも尊敬される立派な魂術使いだった。九年前、村を大規模な魔獣の群れが襲った際、二人は村人たちを守るためにその身を盾にして戦い、命を落とした。だからこそ、猛次郎は残された唯一の肉親である勇三郎を、時に厳しく、しかし海のように深い愛情で育ててくれたのだ。


味噌汁を一口すする。出汁の深い味わいの中に、山菜のかすかな香りがした。


「……今日の味噌汁、母さんの味に似てるな」


ぽつりと呟くと、猛次郎は動きを止め、ふっと遠い目をした。


「……そうか。お前の母さんは、出汁に隠し味でこの季節の山菜を入れるのが、好きでな。お前がそう言うなら、そうなのかもしれん」


それ以上は何も言わず、猛次郎は無骨な手で自身の椀を持ち上げた。その横顔に浮かんだ寂しさを、今の勇三郎は痛いほど感じ取ることができる。


食事を終え、居住まいを正した猛次郎が、真っ直ぐ勇三郎を見据えた。


「勇三郎」

「はい」

「浮かれるなよ。今日はお前が十五になる、『**成人の義**』の日だ。国を挙げての祝いの日ではあるが、ただの祭りではない。お前の魂が形を成し、生涯を共にする相棒――**魂獣こんじゅう**が現れる。お前がこれまでどう生きてきたか、その魂の在り方が、白日の下に晒される日でもあるのだ。心して臨め」


「うん、わかってる」


緊張に、ごくりと喉が鳴る。


魂獣。犬だろうか、それとも鷹だろうか。じっちゃんのワダンのように、言葉を交わさずとも心を通わせられる、賢い相棒がいい。前世では感じたことのなかった、未来への確かな期待と、少しの不安が胸を満たす。


猛次郎は、そんな勇三郎の心を見透かしたように、ふっと口元を緩めた。


「ワシがワダンと出会った日も、こんな晴れた朝だった。魂と魂が初めて出会うあの瞬間は、生涯忘れられんぞ。お前にとっても、忘れられない一日になる」


「あとで、蓮と仁が迎えに来るって」

「ふん、紅鷹家の仁と、蒼牙家の蓮か。揃いも揃って落ち着きのない奴らだが、お前にとっては良い友だ。三人で、立派な魂獣をその身に宿すがいい」


猛次郎が満足そうに頷く。


親友たちの顔を思い浮かべ、勇三郎の口元が自然とほころんだ。


きっと、素晴らしい一日になる。


誰もがそう信じて疑わない、晴れやかな春の朝だった。


この日、この時を境に、自らの運命が、そして世界の理さえもが、大きく軋みを上げて動き出すことを、まだ誰も知らなかった。

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