表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀龍のテクノ  作者: 銀獅子
15/258

第一部:銀龍の覚醒 森の奥で(1)

イズミの森の深奥は、昼なお暗い。幾重にも重なった木々の天蓋が太陽の光を遮り、湿った土と腐葉土の匂いが立ち込めている。三人は、王都騎士団の斥候たちが遺した血痕と、不自然に折られた枝を頼りに、道なき道を進んでいた。その歩みは、先程までの街道歩きとは比べ物にならないほど、慎重で、緊張に満ちていた。


「……おかしい」


先頭を行く蓮が、不意に足を止めて低く呟いた。彼の魂獣である蒼も、警戒するように耳をぴんと立て、しきりに鼻を鳴らしている。


「何がだよ、蓮?」

仁が、腰の刀に手をかけたまま問い返す。

「静かすぎる。……鳥の声一つしない。虫の音さえもだ。まるで、この森の一角だけが、死んでしまったかのように」


蓮の指摘に、勇三郎もはっと息を呑んだ。確かに、先程まで絶え間なく聞こえていた森のざわめきが、いつの間にか完全に途絶えている。自分たちの息遣いと、落ち葉を踏む音だけが、不気味なほど大きく響いていた。


(まずい……。これは、前世で見たドキュメンタリーの光景に似ている。強力な捕食者が縄張りにいる時、他の生き物たちは息を殺して気配を消す。この先にいるのは、森喰いのような下級の魔獣なんかじゃない。もっと、格上の存在だ)


勇三郎の思考を裏付けるかのように、襟元に隠れていたテクノが、これまでで最も強く体を震わせた。


『勇三郎……!来る……!たくさん……!鉄と、血と、そして……もっと冷たくて、いやらしい匂い……!』


テクノから流れ込んでくる恐怖の感情は、もはや純粋な怯えだけではなかった。そこには、明確な「敵意」と、ぞっとするような「悪意」が混じっていた。


直後、上空を旋回していた紅羽が、警告を告げる鋭い叫び声を二度、三度と響かせた。

三人が身構えた、その瞬間――。


茂みの中から、それは現れた。

カラスのような漆黒の羽毛、しかしその体躯は狼ほどもある。赤く爛々と輝く目が三対、合計六つあり、鋭く湾曲した嘴からは、じゅるり、と粘性の高そうな黒い液体が滴り落ちていた。それが、一匹、二匹ではなかった。ざっと見ただけでも、十匹以上の群れ。


「な……んだ、あいつらは……!?」

仁が、愕然とした声を上げる。見たこともない魔獣だった。


「……『影鴉かげがらす』。古文書でしか読んだことのない、凶悪な魔獣だ。群れで行動し、知能が高く、影に潜んで獲物を狩るという……。なぜ、こんな辺境の森に……!」

蓮の声に、かつてないほどの焦りが滲んでいた。


影鴉たちは、三人を包囲するようにじりじりと距離を詰めてくる。その動きには、森喰いのような単純な食欲だけではない、獲物を弄ぶかのような、狡猾で残忍な意志が感じられた。


そして、三人は見てしまった。

包囲網の中心、小さな開けた場所で、影鴉たちが何かに群がっているのを。それは、紛れもなく、騎士団のものと思われる鎧の残骸と、そして――


「……生存者がいる!」


勇三郎が叫んだ。

影鴉の群れの向こう側、巨大な樫の木を背にして、一人の少女が立っていた。年は、自分たちと同じくらいだろうか。騎士団のものらしき、しかし体に合っていない大きな革鎧を身につけ、銀色の髪を振り乱し、折れた剣を必死に構えている。その足元には、雪のように真っ白な、子犬ほどの大きさのイタチに似た魂獣が、傷つき、ぐったりと横たわっていた。


少女は、絶望的な状況にもかかわらず、その瞳に宿る強い光を失ってはいなかった。彼女は、傷ついた相棒を守るため、たった一人で、この死の群れと対峙していたのだ。


「グギャアアアッ!」


一匹の影鴉が、痺れを切らしたように甲高い鳴き声を上げ、少女へと飛びかかった。

「させっかよ!」


誰よりも早く動いたのは、仁だった。

「応ッ!」という気合一閃、彼は大地を蹴り、影鴉の群れへと一直線に突っ込んでいく。


「紅羽ァ!空から目を潰せ!」

『キィィィ!』


主の檄に応え、紅羽が空から急降下する。その鋭い爪が、少女に襲いかかろうとしていた影鴉の顔面を切り裂いた。


「仁!突出するな!」

蓮が叫びながら、蒼と共に仁の側面へと回り込む。蒼の俊足は、複雑な地形をものともせず、影鴉たちの攻撃を紙一重でかわしながら、その包囲網に亀裂を入れていく。


(くそっ!昨日、何もできなかった俺とは違う!)


仁は、がむしゃらに刀を振るった。恐怖はあった。だが、それ以上に、守るべき者を見捨てて何もできなかった自分への怒りが、彼を突き動かしていた。勇三郎の奇策、蓮の頭脳。それらが活きるのは、自分が、この身を盾にしてでも前線を支えてこそ。その一心で、彼は次々と襲い来る影鴉の嘴と爪を弾き返していく。


だが、敵の数はあまりにも多すぎた。そして、何より、影鴉たちの動きは連携が取れていた。まるで、一人の指揮官に率いられているかのように。


「まずい、キリがない!」

蓮が、敵の攻撃をいなしながら叫ぶ。

その時、勇三郎の目に、あるものが映った。群れの少し後方、他の影鴉よりも一回り大きく、頭部に傷のある個体が、直接戦闘には加わらず、不気味な鳴き声で他の個体に指示を送っている。


(あいつが、リーダーだ!あれを叩けば、この統率は崩れる!)


だが、どうやって? リーダーは巧みに距離を取り、仁と蓮の攻撃範囲の外にいる。

勇三郎は、周囲の状況を必死で観察した。ぬかるんだ地面、所々に生えている粘性の高い樹液を出す木、そして、騎士たちが遺したであろう、金属製の矢尻や壊れた武具の破片。


(粘液……金属片……火……。そうだ、あれなら!)


前世の記憶が、閃光のように脳裏を駆け巡る。キャンプでやった、原始的な発火方法。そして、化学の授業で習った、金属粉末の燃焼。


「テクノ!」

『!』

「手伝ってくれ!あの木の粘液と、地面に落ちてる金属の破片を集めるんだ!」


勇三郎の明確な意志を受け、テクノが襟元から飛び出した。彼は、勇三郎の意図を完全に理解したわけではないだろう。だが、主の「これをやる」という強い決意と、鮮明なイメージが、テクノの魂に直接流れ込んでいた。

テクノは、その小さな体からは想像もできないほどの俊敏さで地面を駆け、粘液と金属片を前脚で器用に掻き集め始めた。


「蓮!仁!もう少しだけ時間を稼いでくれ!五秒、いや、三秒でいい!」

「無茶を言うな!」

「やってやるよ!」


蓮の悲鳴のような声と、仁の決意に満ちた声が重なる。

勇三郎は、集められた粘液に金属片を混ぜ込み、それを大きな葉で包むと、腰に下げていた火打石を取り出した。


(頼む、間に合ってくれ……!)


火打石を強く打ち合わせる。飛び散った火花が、金属粉を混ぜ込んだ粘液に着火した、その瞬間――!


閃光。


まるで太陽が地上に落ちてきたかのような、眩い光と、パァン!という破裂音。それは、マグネシウムが燃焼する時に似た、強烈な閃光だった。

視界を焼かれた影鴉たちは、一斉に悲鳴を上げ、その動きを止める。特に、光に慣れていない森の闇の中で、その効果は絶大だった。リーダー個体も、例外ではない。


「今だァッ!」


勇三郎の絶叫が響く。

この好機を、二人の親友が見逃すはずがなかった。


「喰らいやがれェェッ!」

仁の刀が、閃光に怯んだ影鴉の一体を、胴体から真っ二つに切り裂く。

「――終わりだ」

蓮の突きは、音もなく、リーダー個体の心臓を正確に貫いていた。


リーダーを失い、未知の攻撃に恐怖した影鴉の群れは、蜘蛛の子を散らすように、あっという間に闇の中へと逃げ去っていった。


後に残されたのは、血と獣の匂いが立ち込める中、荒い息を繰り返す三人の少年と、三体の魂獣だけだった。


「……はぁ……はぁ……。やった、のか……?」

仁が、へたり込むようにその場に膝をつく。

勇三郎は、すぐさま銀髪の少女の元へと駆け寄った。


「おい、大丈夫か!しっかりしろ!」

少女は、全身に切り傷を負い、鎧は見るも無惨に引き裂かれていた。だが、その瞳は、まだ意識を保っている。彼女は、ゆっくりと顔を上げ、勇三郎の顔を、そしてその後ろに立つ蓮と仁の顔を、ぼんやりと見つめた。


「……あなた、たちは……」

か細い声で、それだけを呟くと、彼女はぷつりと糸が切れたように、勇三郎の腕の中へと崩れ落ちた。

その傍らで、傷ついた白いイタチの魂獣が、最後の力を振り絞るように「きゅぅ……」と悲しげな鳴き声を上げ、主の体に寄り添って、同じく意識を失った。


静寂が、再び森を支配する。

三人の旅は、騎士団の壊滅という、さらに深い謎を抱え込むことになった。彼らの運命の歯車は、もはや誰にも止められない速度で、加速を始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ