第一部:銀龍の覚醒 最初の森(3)
森の夜は昼間とは全く違う顔を見せていた。
月明かりは高い木々の葉に遮られ、地面に届く光はまだらだ。
無数の虫の声が、まるで寄せては返す波のように途切れることなく響き、時折遠くで響く正体不明の獣の鳴き声が、否応なく肌を粟立たせる。
そんな闇と喧騒の中にあって、三人が囲む焚き火の存在は絶対的な安心感を与えてくれた。パチパチと薪が爆ぜる音、揺らめく炎が照らし出す狭い空間だけが、文明の光が届く世界の全てであるかのようだ。
「……それにしても、見事だったぜ、勇三郎」
串に刺した魚を豪快に頬張りながら、仁が切り出した。アドレナリンがようやく落ち着いてきたのか、その顔には先程までの興奮の代わりに純粋な感嘆の色が浮かんでいる。
「俺なんて、あの森喰いのネバネバを見た瞬間に、どうやって斬りつけりゃいいかしか頭になかったからな。まさか、刀も使わずに倒す方法があるなんて夢にも思わなかったぜ」
「偶然だよ。たまたま、地形がこっちに味方してくれただけだ」
「謙遜すんなって!」
仁は、がははと笑うと、隣に座る勇三郎の肩を強く叩いた。その衝撃で、勇三郎の膝の上でうたた寝をしていたテクノが、びくりと体を震わせる。
『びっくりした……!』
子供が怯えるような感情がダイレクトに伝わってくる。勇三郎は、まるで幼子をあやすように、テクノの小さな背中を優しく撫でた。
『……でも、このお魚、おいしいね。さっきの、勇三郎の理屈のおかげ?』
「はは、まあ、そんなところだ」
テクノの無邪気な思念に、勇三郎が笑って応える。その時、それまで黙って火を見つめていた蓮が、静かに口を開いた。
「……勇三郎。その『理屈』とやらは、再現性があるのか?」
「え?」
「つまり、同じような状況、同じような地形があれば、お前は何度でも同じ現象を起こせるのか、と聞いている」
その問いは、仁の素朴な疑問とは全く質が違っていた。蓮の瞳は、まるで獲物を前にした狩人のように、鋭く、そしてどこか冷徹な光を宿している。彼は、勇三郎の知識を、一つの「技術」として、その有効性と限界を見極めようとしていた。
「さあ……どうだろう。条件さえ揃えば、たぶん……」
「条件とは何だ?必要な道具は?発動までの時間は?……お前のその力は、我々が首都にたどり着くための、あるいは、生き残るための強力な武器になる。ならば、その特性は正確に把握しておく必要がある。使えるカードは、全てだ」
蓮の言葉に、勇三郎はごくりと喉を鳴らした。
(……すごいな、蓮は。もう、次の戦いのことを考えてる)
勇三郎が考え込んでいると、彼の傍らに、いつの間にか蓮の魂獣である蒼が歩み寄っていた。その賢く澄んだ瞳が、じっと勇三郎を見つめている。そして、ふわり、と彼の魂に直接、警告のような思念が流れ込んできた。
『その力、使い手を誤るな。知恵は刃だ。時に、持ち主すらも傷つける』
蒼の言葉は、まるで勇三郎の心を見透かしているかのようだった。
結局、その夜はそれ以上、話が進むことはなかった。仁は早々にいびきをかき始め、蓮もまた、思考の海に沈むかのように黙り込んだ。勇三郎は、最初の見張りを買って出た。
燃え続ける焚き火のそばで、膝の上のテクノの寝息を聞きながら、彼は静かに夜空を見上げる。木の葉の隙間から見える星々は、ごく普通の美しい星空だ。
(……だが、あの魂獣が現れた時の、あの電子基板のような空は、一体なんだったんだろう……)
テクノは、本当に、この世界の生き物なのだろうか。勇三郎が、そんな根源的な問いに思考を巡らせていた、その時だった。
『……ゆうざぶろう……』
眠っていたはずのテクノの体から、温かい光と共に、一つの映像が勇三郎の脳裏に流れ込んできた。それは、言葉よりも鮮明なイメージだった。
――果てしなく広がる、光の格子。電子の星々。その中心で、巨大な影が蠢いている。それは、計り知れないほど大きな、銀色の龍の姿だった。その龍が、ふっと息を吐くと、一つの光の雫がこぼれ落ちる。その雫が、凄まじい速度で光の格子を突き抜け、どこかへ向かっていく――
「……っ!」
思わず、息を呑む。今のは、間違いなく、テクノの記憶だ。テクノは、あの巨大な銀の龍から生まれた、分身のような存在なのだ。そして、自分をこの世界へ導いたのも、おそらく、あの巨大な龍。
(なぜ……?一体、何のために……?)
謎は深まるばかりだ。だが、一つだけ確かなことがある。この小さな相棒は、自分と、そしてこの世界の根源的な秘密を繋ぐ、唯一の鍵なのだ。
勇三郎は、テクノを胸に抱きしめた。その小さな心臓の鼓動が、自分のものと重なり合う。冷たい森の夜気の中で、二つの孤独な魂は、確かに一つになっていた。この世界の誰も知らない秘密を共有する、たった二人の共犯者のように。




