ミモザの考える婚約
「うええええん、お父様酷いのだわ! わたくしが! わたくしがクロードの事大好きなの知っているのにぃ……!」
「そんなに目をこすると痛くなっちゃいますよ、ミモザ姫様」
「うええええん、何か泥棒犬が一番優しいぃ……!」
あの後、ミモザはわんわんと泣き出してしまった。
後から追いかけて来た彼女の従者の女性も、あわあわと焦った様子でミモザを見ている。
何とか涙を止めたいなと、アリシアはミモザの顔をハンカチでそっと拭きながら考える。
そして、そうだ、と片手で『造花魔法』を使い、小さな花を作り始めた。ミモザの瞳と同じ金色の花だ。
「ミモザ姫様、ほら、見てください。お花ですよ」
そう言いながら造花を見せると、ミモザは少しだけ顔を向け「……きれい」と呟いた。
ミモザはしばらくそれを見つめた後。今度は涙に濡れた金の瞳でじい、とアリシアを見上げて、ぎゅう、と抱き着いて来た。
(おや? 私は嫌われているのでは?)
そう思いながらクロードを見上げると、彼は申し訳なさそうな顔で「まだまだ甘えたい年頃なんですよ」と声は出さず口の動きだけで教えてくれた。
アリシアの記憶が正しければミモザはまだ十歳だ。自分の弟のリュカがしっかりしているので忘れがちだが、そのくらいの子供なら甘えたいのも当然である。なのでアリシアはそっとミモザの頭を撫でてみる。
「わたくしが先にクロードが欲しかったのに……」
「欲しかった、ですか?」
「そうよ! クロードは格好良いから、色々お着替えさせたり、一緒にパーティーに行ったりしたかったの……」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながらミモザは言う。
あれ、とアリシアは思う。もしかして『欲しい』の意味合いが、恋とかそういうのとは違うんじゃないかと思ったからだ。
そう思いながら話を聞いて行くと、
「わたくしの代わりに嫌いなもの食べて欲しいし、わたくしにいじわるする人を追い払ってほしいし、代わりにお勉強もしてほしいし……」
……何だかちょっと雲行きが怪しくなってきた。
弟と同い年の子の恋心が可愛いな、なんて思っていたアリシアも少し嫌な予感がし始める。
ちらり、とクロードを見上げると、彼は遠い目をしていた。
ああこれは、と思いながらアリシアはミモザと視線を合わせる。
「ミモザ姫様はクロード様の事がお好きなんですよね」
「うん、そうよ! くれるの?」
「あげるとかあげないとかの話は、人権問題になってしまいますので、そうではなくて。もしミモザ姫様がクロード様と婚約したら、クロード様の代わりに嫌いなものを食べたり、お勉強をしたりしますか?」
「どうしてわたくしがするの? そういうのはわたくしのために相手がしてくれる事でしょう? だってお兄様がそう言っていたわ!」
きょとんとした顔でミモザは首を傾げた。
なるほど、原因はそちらかとアリシアは理解する。
「ミモザ姫様、今からちょっとだけ厳しい事を言いますね。実はそれは婚約者がする事ではないのです」
「ええ!?」
アリシアが言うと、ミモザは心底驚いたような顔になる。
「だってお兄様は、そういう事もあるねって言っていたのよ! 違うの!?」
「それは特殊なケースなのです」
「特殊なケース……!」
がーん、
とミモザはショックを受けた顔になり、クロードを見上げる。彼はゆっくりと頷いて「特殊です」と言った。
「少なくともそれは、相手の成長を妨げる事になりますので、私はしませんね」
「成長を妨げる……? ねぇ泥棒犬……じゃなくてアリシアさん、そうなの?」
「そうですね。勉強は自分が色んな事を知ったり、出来るようになるためにするものですし。嫌いなものは我慢してまで食べる必要はないですけれど、どなたかにお食事に招かれた時に嫌いなものを残すと失礼になる事があるので、多少は頑張った方が良いかなと私は思いますね」
「…………」
アリシアがそう話すと、ミモザはポカンと口を開ける。それから目をぱちぱちと瞬いて、困ったように眉尻を下げて「……そうなの」と呟いた。
「……婚約とか結婚って、どういうものなの?」
「そうですねぇ、うーん。まぁ政略とかメリットとかデメリットとか、そういうお話はありますけれど。でも一番は……そうですね。私はお互いを尊重し合って一緒に生きて行く事かなって」
「尊重……」
頭の中に両親を想い浮かべながらアリシアは話す。ミモザは少しの間、思案するように黙ってから「……あの」とアリシアとクロードに呼び掛けた。
「はい」
「あのね、あの……泥棒犬なんて言って、ごめんなさい。クロードも迷惑かけて、ごめんなさい」
それからミモザはアリシアとクロードに向かってそう謝った。
暴走しがちだが、基本的には素直な子らしい。
アリシアはにこにこ笑って、
「いえいえ、大丈夫ですよ。謝ってくださって、ありがとうございます」
とミモザの頭を撫でた。クロードもホッとした様子で「はい、大丈夫ですよ」と頷く。
二人に微笑まれたミモザは少しだけ頬を赤くしながら、もう一度アリシアに抱き着いて来た。
これはもしかして懐かれたのだろうか、そう思っていると、
「ただいまー! ねー、ちゅーしたー!?」
と出かけていたミアキスが帰って来た。
彼女はパタパタと背中の翅を羽ばたかせながら、元気にそう言って応接間に入って来ると、その光景を見て目を丸くした。
そしてミモザを確認した瞬間、
「あー! あんた、何してるのー! クロードはもう婚約したんだからね!」
なんてミモザを指さしてそう大きな声で言った。
ミモザは顔を上げると「あー! 出たー!」と同じようにミアキスを指さす。
「し、知っているもの! 婚約がどういうものか、わたくしが勘違いしてたって分かったもの!」
「そうよ! あんたはクロードのこと、玩具とかそういう感じで……え? 分かったの?」
「わ、分かったもの。……ちゃんと謝ったもの」
「ええ!?」
ミモザの言葉にミアキスは目を丸くしてクロードとアリシアの方を見る。
二人揃って頷いて見せるとミアキスは「ええー?」と驚いた顔になった。
「そうなんだ。……じゃあ、クロードの事、もう引っ張り回そうとしない?」
「しないわ! ……ごめんなさい」
ミモザはそう言ってミアキスにも謝った。
ミアキスは腕を組んで「ふーん」と呟いてしばらく黙った後、ニコッと笑う。
「なら、許してあげる!」
「え?」
「ちゃんと謝ったし、もうしないならいいよ! あたしもごめんね!」
「う、うん……!」
明るく言うミアキスに、こくこくとミモザは頷いた。
こういうサッパリしたところは実に妖精らしい。
そんな事を思いながらアリシアがクロードを見上げると、彼もにこりと笑い返してくれた。
「ありがとうございます、アリシアさん。私だけではいつもと同じ事になってしまうところでした」
「いえいえ、お役に立てたなら光栄です。いつぞやのお返しができましたね!」
「ふふ、そうきましたか」
「はい。お互い様ですねぇ」
この間のパーティーを思い出しながら、そんな話をしていると。
ミアキスとミモザ、それから彼女の従者の視線が向けられている事に気が付いた。
何だろうかと二人が揃って首を傾げると、
「ちゅーの気配……? あたし達、席を外す……?」
「しません!」
「どこにそんな雰囲気がありましたかね!?」
真顔のミアキスにそう言われ、二人揃って顔を赤くしたのだった。