ちょっと厄介なお話
それから二週間後。
そんなこんなでクロードと婚約したアリシアは、何度かブラーシュ家を訪れていた。
婚約したと言えど、まだお互いの事はほとんど何も知らない状態だ。結婚も二年後――アリシアが二十になってからという話でまとまっている。
なのでそれまでの間、お互いの家を行き来しながら交流を深めつつ準備を進めて行こう、という事になったのである。
というわけで今日はアリシアがブラーシュ家にお邪魔する日だ。
アリシアがやって来ると、まずは妖精のミアキスが飛びついて来る。
どうやらとても気に入られたようで、ミアキスはアリシアにべったりだ。肩に座ったり、膝の上に座ったり。とにかくアリシアのそばにいて、にこにこ笑って話をしてくれる。
アリシアは妖精が大好きなので嬉しいなぁと思っていると「ミアキスがすみません」とクロードに謝られた。
「いえいえ! 私、ミアキスちゃんも妖精も大好きなので!」
「ですがほぼミアキスとの交流になってしまって……」
「あー! もしかしてクロード、妬いてるのね! そうなのね!」
「それはまぁ、そうですね。だって私が婚約者ですから。私もアリシアさんとお話がしたいです」
肩をすくめるクロードに、ミアキスが口に手を当ててにやにやと楽しそうに笑う。
二人のやり取りにアリシアは少し照れた。
妬いている、とか、実際にそこまでは行っていないだろうなとはアリシアも思う。
婚約者同士と言えど、恋とか愛とかそういうのが芽生える前の状態なのだ。
けれど肯定してもらって、お話がしたいと言われれば、アリシアだってやっぱり嬉しい。なので、えへ、と笑っていると、その顔をクロードに見られて微笑まれてしまった。
「んふふふ! それじゃあ、あたしはちょっと出かけてくるね! 仲良くしててね! 何なら見てないからちゅーしてても良いよ!」
「あ、こら、ミアキス!」
「じゃーねー!」
相変わらずのちゅーを推しながらミアキスはパッと姿を消した。
残されたアリシアとクロードの間に、何とも言えない空気が漂う。
お互いに顔を見て、若干気恥ずかしい気持ちになりながら、
「と、とりあえずお茶にしましょうか」
「そ、そうですね!」
と淹れて貰ったフルーツティーをいただく事にした。
今日はリンゴの紅茶だった。甘酸っぱい香りを楽しみながら一口飲んでアリシアは、ほう、と息を吐いた。
ダンヴィル領で採れるリンゴの紅茶とはまた違った美味しさがある。
これ好きだなぁとアリシアが楽しんでいると、
「ところでアリシアさん、先日のパーティーで絡まれていたジェイムズ・ターナーとはその後、どうですか?」
クロードはそんな事を聞いて来た。少し心配そうな眼差しだ。
アリシアはティーカップを置くと、
「はい、大丈夫です。クロード様と婚約出来たおかげで、パーティーに参加する必要もほとんどなくなりましたし。あの時はありがとうございました!」
と答えた。まぁ必要がないかどうかと言えば、そうでもない。
情報収集や交流のためにはある程度は参加する必要があるが、今のところは母のドロテが厳選したものだけで大丈夫だ。
ジェイムズに限ってはパーティーなどに参加しなければ顔を合わせる事はないので、そういう意味では安心である。
そんな事をクロードに言うと彼はほっとした顔になった。
「良かったです。あの時の様子は普通ではありませんでしたからね。毎回そうなのですか?」
「腕を掴まれた事は初めてでしたけれど、大体はあんな感じですねぇ」
「なるほど……」
顎に手をあててクロードは呟く。少し思案しているようだった。
「元々は彼と婚約を?」
「する手前で妖精の里帰りがありましたから、破談になりましたねぇ。……正直に言うと、その事だけは里帰りに感謝しています」
アリシアがそう言えば、クロードは「そうですね」と小さく頷く。
「お互いに婚約で大変でしたね」
「そうですねぇ。ふふ、でもミアキスちゃん、良い子ですよね」
「そうですね。ですがあれはお節介とも言うのですよ。……まぁ実はそれだけでもないのですが」
するとクロードは目を伏せてそう言った。
おや、とアリシアは首を傾げる。
「何か他に理由があったのですか?」
「ええ、その。アリシアさんにはお話しておきたいと思っていたのですが……公にはなっていませんが、少々厄介な婚約の打診が来ていたのです」
「厄介ですか」
「ええ、厄介な相手です。どちらかと言うと、その方の後ろにいらっしゃる方に問題があるのですが……。ミアキスが『ぜったいにダメ!』と強く拒んでくれていたのですが、なかなか諦めてくれなくて。それで先日のパーティーを開いて、婚約をお願い出来そうな相手を探していたのですよ」
クロードはそうも話してくれた。
名前はまだ聞いていないが『その方』とクロードが言う辺り、立場のある相手のようだ。それもブラーシュ家が断りにくいような。
そう考えると相手は限られてくるけれど……とアリシアが考えていると、ふと、遠くからバタバタとこちらに向かって走って来る音が耳に届いた。
ついでに「お待ちください!」「今は来客中です!」なんて慌てふためく声も聞こえる。
何だろうかとアリシアが思っていると、クロードの顔が若干強張った。
「まさか……」
「クロード様?」
どうしました、と聞こうとしたその瞬間。
応接間のドアが勢いよく開き赤毛の少女が飛び込んできた。
「その婚約、ちょーっと待ったぁー!」
歳はリュカよりも下だろうか。アリシアが目を丸くしていると、クロードが強く目を閉じこめかみを指で押さえた。
少女は部屋を見回しアリシアを見つけると、キッと目を吊り上げる。そしてびしっと指さした。
「あなたがわたくしからクロードを奪おうとする泥棒猫ね!」
「猫というかどちらかと言うと犬に例えられる事が多いですねぇ」
「なら泥棒犬!」
自分でツッコミを入れておいて何だが、言い直すんだとアリシアは思った。
そうしているとクロードが立ち上がり、アリシアを庇うように前に立つ。
「何をしにいらっしゃったのですか」
「クロード、酷いわ! わたくしと婚約してくれる約束だったのに!」
「そのようなお約束は一切しておりませんよ、ミモザ様」
クロードは小さく息を吐いてそう言った。
彼の口から出た名前にアリシアは聞き覚えがあった。
確かその名はマルカート国王の末の姫君だったはずだ。
「あの、失礼ですが……もしかしてミモザ姫様ですか?」
「ええ、そうよ! 驚いたかしら!」
アリシアが聞くと、少女はふふん、と胸を張ってそう答えた。
王族を詐称するのはかなり重い罪に問われるので、間違いはなさそうだ。
初めてお会いしたなぁと思いながらアリシアは立ち上がり、スカートの裾を摘まんで挨拶をする。
「お初にお目にかかります、ミモザ姫様。ダンヴィル家のアリシアと申します」
「え! えっと、あの、えっと……初めまして。ミモザよ、よろしくね」
この流れでアリシアが普通に挨拶をしたので、ミモザは面食らった様子だったが、ひとまず返してくれた。
あれ、意外と良い子なのでは、とアリシアが思っていると、ミモザはハッとした顔になり「そうじゃなくて!」と首を横に振る。
「いい事、アリシアさん! クロードとの婚約の約束は、わたくしの方が先だったのよ! わたくしの婚約の話の決着がついてからがルールというものなのだわ! 順番を守っていただけるかしら!」
「と仰られても、私達はもう婚約していますよ」
「え?」
クロードの言葉にミモザは目を丸くする。そして直ぐには言葉の意味を理解できなかったようで、首を傾げた。
「ええと、婚約、した……?」
「はい、つい先日、しっかりと。陛下にもご報告して、お祝いのお言葉をいただいております」
「…………」
クロードが一言一句はっきりとそう言うと、ミモザはこれでもかというくらい目を見開き。
そしてぷるぷると震え、
「さっ、詐欺なのだわーッ!」
と叫んだのだった。