ブラーシュ家と妖精
五日後。
普段より気合いを入れて身なりを整えたアリシアは、父親のドナと弟のリュカと共にブラーシュ家へとやって来た。
目的はもちろん婚約についての話し合いだ。
「ここがブラーシュ家かぁ」
「昼間に見るとやっぱり大きいねぇ」
到着早々、ドナとアリシアは馬車の中からブラーシュ家の屋敷を見上げ、ポカンとした顔でそう言った。
アリシアは先日のパーティーで来てはいるものの、昼と夜では印象が違う。
明るい中で改めて見たお屋敷は、歴史を感じるとても立派な造りだった。
ほわー、と父娘が揃って口を開けていると、
「二人共、顔を戻して戻して」
とリュカからほんのり注意を受けた。
そうだった、と二人は頬を摘まんで軽くぐにぐに揉んで表情を元に戻す。
「母様がついて行けって言った意味がよく分かるよ」
そう言ってリュカは小さく息を吐いた。
実は今日、本当はリュカは来なくても良かったのだ。
けれど母ドロテが、アリシアとドナだけではどうしても不安だと言うので、リュカが付き添いでついて来てくれたのである。
「父様、姉様、今日は本当にしっかりしていてね。同じ領主と言えど、ブラーシュ家の方が実際の立場は上なんだからね?」
「大丈夫だよ、リュカ。父さん、今日だけは気絶しないとドロテと約束したからね!」
「ええ、そうよ! 私も踏ん張るからって母様と約束したからね!」
「父様、姉様……気絶しないのが普通なんだよ……?」
アリシアとドナがリュカを安心させようとそう言ったが、逆に頭を抱えられてしまった。
二人が「あれ?」と首を傾げながら馬車を降りると、ブラーシュ家の執事が出迎えてくれて、三人は屋敷の中へ入る。
そうして応接間へ案内してもらうと、そこでブラーシュ夫妻とクロードが待っていてくれた。
「ようこそ、ダンヴィルの皆さん。今日はご足労いただき、ありがとうございます」
「いえいえ、その事に関しては、こちらがお願いした事ですので」
ブラーシュ夫妻の言葉にドナは笑顔で首を横に振った。
そうなのだ。元々ブラーシュ家の方々は、ダンヴィル家の方へ来てくれるつもりでいたのだ。
しかし今のダンヴィル領は『妖精の里帰り』で大変な状況で、彼らを十分に持て成せる自信がない。だからその旨を正直に説明した上で「そちらへお邪魔したい」とお願いしたのである。
そうしてアリシア達はブラーシュ領を訪れた。
馬車の窓から見たブラーシュ領は、あちこちで妖精達が楽しそうに飛び回っている。
それを見ながらアリシア達は「また会いたいね」「戻って来てくれるといいな」「戻ってきたらお帰りなさいパーティーでもしようね」と話していたのだ。
まぁ、それはともかく。
そんな調子で挨拶を交わしながら、アリシア達はそれぞれ席に着いた。
ふかふかと座り心地の良いソファーに腰を下ろした時、アリシアの目の前にシャボン玉みたいな光の玉が現れてポンッと弾け、中から妖精が現れた。さらさらした金髪をリボンでまとめた少女の姿をした妖精だ。彼女はアリシアをじーっと見た後、ニコッと笑う。アリシアもつられて笑い返すと、妖精はそのままクロードのところへ飛んで行った。
「やっぱりそうだ! クロード! クロード! この子ならいいよ! あたしが保証してあげる!」
「こらミアキス、彼女に失礼でしょう」
「あいつに邪魔されない内に、早くちゅーしちゃって、結婚しちゃおうよ!」
「ちゅー……!?」
ミアキスの言葉に動揺してクロードの眼鏡がずれる。
アリシアも一瞬遅れて、言葉の内容を想像して顔が真っ赤になった。ドナとリュカは目を丸くしている。
落ち着いているのはブラーシュ夫妻だけだ。二人は苦笑しながら、
「驚かせてしまって申し訳ありません。その……まずは事情を説明しますね」
と婚約を打診した理由を話してくれた。
その内容は概ねアリシア達が考えていたものと同じだった。
先ほどの妖精――ミアキスはクロードが生まれた時から一緒にいる妖精なのだそうだ。ミアキスはクロードの姉を自負し、彼の成長を見守るとともに、悪い虫がつかないように張り切っていたらしい。
そうしてクロードは成長し、やがて結婚を考える歳になると、幾つもの家からクロードに婚約の打診が来たそうだ。
王族からも信頼が厚く、優秀な魔法の腕を持つブラーシュ家の人間だ。それはそうだろう。
しかし、来る者すべてをミアキスが見て「この子はだめ!」と追い返し続けているのだそうだ。
「だって、みーんな下心いっぱいなんだもん! クロードはお坊ちゃんなんだから、直ぐに騙されちゃうよ! あたしが守ってやらないとねー!」
ブラーシュ夫妻が話すそばで、ミアキスが腰に手を当てて得意げに言う。クロードは少し恥ずかしそうに頭を抱えていた。
クロードに大人びた印象を受けていたアリシアだが、その様子を見てちょっと可愛い――もとい微笑ましいと思ってしまった。
「それでね! この間のパーティーであんたを見たの! 何か良さそうだな~って思ったのよ。仲間から魔法も貰っていたし! クロードも楽しそうにしていたし! それで今日実際に見て確信したわ、この子なら大丈夫だよ! だから早くちゅーして!」
「ミアキス、ミアキスそれは分かりましたから。お願いですから、少し静かにしていてください……」
「クロードって本当に奥手だよね!」
「この場合、奥手がどうとかそういう話じゃないのですよ……」
胃が痛そうな顔でクロードが言うと、ミアキスはしぶしぶと言った様子でクロードの肩にすとんと座った。
クロードは気まずそうな顔でアリシアを見ると、
「こういうわけなんですよ……」
と言った。弱り切った様子のクロードに、アリシアはふふ、と小さく笑う。
「クロード様とミアキスちゃんは仲良しなんですねぇ」
「ええ、まぁ……ははは……。それで話は戻しますが、そういう事情で婚約を打診させていただいたのです。突然の事で驚いたでしょう、申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらず。私も結婚相手を探しておりましたから、いただいたお話はとても嬉しいです。ですが……」
アリシアはそこまで言うとドナの方へ顔を向ける。ドナは頷くと、アリシアの言葉を継いでダンヴィル家の事情を話し始めた。
妖精の里帰りでダンヴィル領は苦しい事。だから例え結婚したとしてもブラーシュ領にメリットが少ない事。そしてアリシアが次の領主となるためクロードには婿入りという形をお願いしたい事。
そういった事情を包み隠さず話すと、ブラーシュ夫妻は「大体の事情は存じております」と頷いた。
「確かに現状のダンヴィル領は大変でしょう。ですがあなた方はずっと妖精と良い関係を築いていた。それはダンヴィル領の農作物に出ています」
「ダンヴィル領のネコイモや野菜、果物は美味しいと、うちの領の者達にも、そして妖精にも、とても評判だったのですよ」
「妖精にもですか?」
「そうよ! すっごく美味しかった! あんた達が大好きだから仲間が張り切って、いーっぱい力を注いだのがよく分かるよ!」
ブラーシュ夫妻の言葉に、ミアキスが両手を挙げて教えてくれた。
妖精から美味しかった、大好きだ、と言って貰えてアリシアは胸がいっぱいになるのを感じた。それはドナやリュカも同じらしい。ドナなんて少し涙ぐんでいた。
アリシア達が良かったね、とお互いに笑い合っていると、クロードがとても優しい表情になっているのに気が付いた。アリシアと目が合うと彼は、
「妖精を想い、妖精に想われている。それは我がブラーシュ家にとって、とても大事な意味を持つ事なのです。そしてミアキスがアリシアさんなら大丈夫だと言ってくれた。私もあなたとならお話が合いそうだなと思ったのです。あのパーティーで見せていただいた魔法もとても美しく、心が踊りました」
「クロード様……」
「私はもっとあなたや、ダンヴィル領の事を知りたい。……もしご迷惑でなければ、私と婚約していただけないでしょうか?」
クロードは胸に手を当ててそう言った。アリシアの胸がどきりと鳴る。
アリシアはドナとリュカを見た。二人は頷いてくれる。
だから。
「こちらこそクロード様がご迷惑でないなら、どうぞよろしくお願いいたします!」
アリシアがそう答えると、クロードは嬉しそうに笑い、ブラーシュ夫妻はにこにこ微笑み、そして。
「やったー! クロードおめでとー!」
誰よりも妖精のミアキスが喜んで宙を舞い踊り、キラキラした光を降り注がせたのだった。