あなたの事が大好きです
妖精の宴が終わったのは、しばらく経ってからだった。
妖精達と一緒に穏やかに話をしたり、美味しい料理を食べたり、年齢によってはお酒を飲んだり。
その間、ブリギットは一度も近づいて来なかった。アルベリヒやミモザ達がこちらの輪に混ざっていたというのもあるが、やはり大勢の前で妖精の王から恋人としてお祝いをされたのが、一番の理由だろう。何か言いたげな視線は向けられたが、途中でローゼルと何か話した後、ぴったりとそれが無くなった。何を言われたのか分からないが、あのブリギットが青褪めていた辺り、彼女にとって喜ばしい内容ではなかったのは確かだろう。
するとあちこち回って遊び回っていたミアキスが「近い内に家ごとごっそり領主交代するんだって」と言っていた。
ぎょっとしているとミアキスの声が聞こえたのか、ローゼルがやってきて事情を教えてくれた。
どうやらエヴァン領はこの三年、ほぼ何の改善もせずに過ごしていたらしい。
エヴァン領は元々裕福な領地だったので何とかなっていたのだろうか――なんて思っていたが、どうやらギャンブルや投資で失敗し、その蓄えが半分近くなくなっていたらしい。
お金目当てに妖精を狙ったのも、マクリル領に目をつけたのも――ブリギットは単純にロイスを狙っていただけだったが――その辺りが絡んでいたようだ。
まぁそれでもよく三年保ったなと思ったが、そこは残ったエヴァン領の者達が必死で働いていたからだそうだ。
王族は妖精の里帰りに絡んだ三領地の動向を、ずっと見ていたらしい。
その中で改善しようと動いたのはダンヴィル家とマクリル家の者達。エヴァン家のブリギットや罪を逃れた彼女の親族達は、そんな状況にも関わらずほぼ何もしていなかったと報告が上がった。
そこへ今回、妖精の里帰りの原因となる事件の真相が解明されたため、王族はエヴァン家に見切りをつけたのだそうだ。
「頑張っているようだけど、そろそろエヴァン領の領民達の生活がたち行かなくなりそうな頃だからね。けれども領主一族が改善しようとする様子はない。という事で、エヴァン家から領主の資格をはく奪する事になったんだ。ま、君達に近づかない事を条件に、一年間だけはある程度は生活の保障をするつもりだから、その間に身の振り方を考えるようになるんじゃないかな」
それで少しは自分達の事を客観的に見られるといいね、ともローゼルは言っていた。
今まで何の苦労もなく生活をしてきた者が、生活水準を変えるのは難しいとは思うが、やらなければ困るのは自分達である。直ぐには無理だろうけれど、一年の間に必死になるだろう。
そんな事を考えていると、
「あ、ちなみに僕が領主になるから。お隣さん同士よろしくね」
なんて、とんでもない事を言い出した。
「ろ、ローゼル様がですか?」
「うん、僕です。いやぁ、君達とお隣さんなんて嬉しいな~」
「…………」
いやだ、と言葉にしなかったのは褒めて貰って良いかもしれない。
クロードも複雑な表情をしているので、同じ様な事を思っているのだろう。
二人揃って微妙な顔になってしまったが、それを見てローゼルは楽しそうに笑っていた。
相変わらずこの王子は面倒な趣味をしている。
まぁそんな調子で妖精の宴は終わり、それぞれが宿泊する部屋へ案内され始めた頃。
アリシアとクロードは二人でバルコニーに出ていた。
空にはぽっかりと丸い月が浮かんでいる。
「何だか色々ありましたねぇ」
「そうですね。こんなにたくさんの出来事が起こる日はそうそうないですよ」
眼鏡を押し上げながらクロードが苦笑する。
確かに、とアリシアは思った。
クロードと婚約してから色々な事があったが、今日ほど情報量が多い日はない。
中でも一番印象に残っているのは、やはりアルベリヒから魔法を贈られた事だった。
口づけで起こる祝福の魔法。
あれはとても綺麗で、優しくて、そして――――ドキドキした。
アリシアはそっと唇を指で触れた。
(まだ感触が残っている気がする……)
ミアキスから「ちゅーだよ!」とよく言われて意識していたものの、実際にしたのは初めてだ。
思い出すと顔が熱くなってくる。
「アリシアさん、どうしました? 顔が赤いですよ?」
「あっ、いえ、えっと! ……えっと、その、さっきの事を思い出してしまって」
「さっき?」
「魔法の」
口づけとか、ちゅーとか、言葉にするのが恥ずかしくて。
短く答えてはみたがクロードには伝わったらしく、彼も照れたように頬を赤くしていた。
「そ、そうですか。……あの、えっと。……その、ですね」
「はい」
「その、先ほども言いましたが、初めてで。……下手ではありませんでしたか?」
そして少し不安そうな色の目をしたクロードにそう聞かれた。
アリシアは大慌てで首を横に振る。
「いえ! いえ、そんな事、ぜんぜん! 私も初めてでしたし、その! ……その、えっと、すごくドキドキ、しましたし……」
もじもじとしながら、最後は少し小さな声になりつつも答えると、クロードはホッとしたように微笑んだ。
「良かった。……私もとてもドキドキしました。心臓の音が外へ聞こえてしまうのではないかというくらいに」
「私もです。やっぱり人前でああいう事をするのは緊張しますね」
「そうですね。出来れば、二人きりの方が良いです」
クロードはそう言いながら、少し真面目な顔でアリシアを見下ろしてくる。
見つめられてアリシアの心臓が再びドキリと鳴った。
「あの、アリシアさん。……今、もう一度、あなたに口づけても良いでしょうか? 誰かに促されるのではなく、ちゃんと自分の意志で、そうしたいのです」
真剣な眼差しでそう言われ、アリシアの顔が真っ赤になる。
誰かに頼まれたからではなく。その場の空気でするのでもなく。
クロード・ブラーシュとしてアリシア・ダンヴィルとキスがしたい。
その言葉が嬉しくて、アリシアは「も、もちろんです」と言いながらこくこく頷いた。
クロードは嬉しそうに微笑むと両手でアリシアの頬を包み、ゆっくりと顔を近づけて来る。
アリシアが瞳を閉じると、少ししてクロードの唇が自分のそれに当たる感触がした。同時に祝福の魔法が起こるのも分かった。
口づけは、ほんの短い時間だった。
けれどもアリシアには先ほどよりも長く感じられた。
唇が離れるとともに目を開くと、そこにはまだクロードの顔がある。彼は慈しむような眼差しをアリシアに向けて、
「アリシアさん、大好きです」
と言った。今まで聞いたクロードの声の中で一番優しく、そして甘い声だ。
アリシアは頬を包むクロードの手に自分の手を合わせながら、
「私も大好きです、クロード様」
と微笑んで言って。
そうしてお互いに笑顔で見つめ合っていると、
「ねぇ、今、ちゅーの気配がしたよっ!」
程なくしてミアキスが飛んできて「見たかったー!」なんて言っていた。
やや遅れて他の妖精達もやって来ては同じような事を言っている。
妖精達は本当にちゅーが大好きなようだ。
だけれども。
「ダメですよ、しばらくは私だけが独り占めです。ね、アリシアさん」
「そうですね。ふふ。はい、しばらくは独り占めです」
口の前に人差し指をたてて、内緒のポーズをしながら、アリシア達は笑う。
口づけをすれば祝福の魔法でそういう事は周囲に分かってしまうし、妖精達はこうしてやって来るだろうけれど、それでもしばらくは二人だけがいい。
素敵な魔法だとしても、やっぱり人前は恥ずかしいし、何よりもアリシアもクロードもこういう関係は初めてだ。
だからしばらくはお互いに独り占めである。
妖精達が「よーし、それならがんばるぞー!」なんて良く分からない気合いをいれているのを見ながら、アリシアとクロードは笑い合ったのだった。
END
お読みいただき、ありがとうございました!




