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造花令嬢の婚約  作者: 石動なつめ
第五章 造花令嬢と妖精の祝福
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エヴァン領のブリギット


 その日、ダンヴィル領は灰色の空から小雨が降っていた。

 アリシアは雨が好きだ。けれども今日の雨は見ているとどこか心がざわざわする。

 こういう時は昔からあまり良くない事が起こるのだ。

 何もないと良いんだけどなと思いながら、アリシアはテーブルの上に置かれたハンカチを見た。このハンカチはマクリル領のジョゼからのお礼の品だったりする。


 アリシア達がマクリル領を訪れてから二週間。マクリル領の養蚕は以前と同じ――とはまだ行かないが見事に復活した。

 マクリルシルクの量的には直ぐに大きな注文を受けたりは出来ないが、その中で出来る範囲の内容で他領との取引が再開したのである。

 あれから何度かジョゼと話をしているが、会うたびに表情が明るくなっていた。そして一番最初に出来たマクリルシルクで作ったハンカチを、アリシアとクロードに贈ってくれたのだ。

 白く光沢のあるマクリルシルクのハンカチは美しく、手触りも良く。何よりジョゼの気持ちが嬉しかった。

 ハンカチには妖精を模した刺繍が施されている。ジョゼが「クロード様とお揃いです」と言ってくれた。お揃いらしい。その事を思い出して、アリシアの頬に熱が集まる。


「お揃い……えへ……」


 同年代の恋愛話からそういう話を聞いて、以前からお揃いに憧れがあったアリシアは、こっそりと喜んでいる。

 クロードも「お揃い……」と呟く声が嬉しそうに聞こえたので、嫌がられてもいなさそうだった。

 まぁそんな調子でマクリル領は持ち直し始めた。それと同時に、件の事件についての情報も集まって来ている。


 集まった情報から判断するに、マクリル領は冤罪の可能性が高い。

 まずジョゼの兄ロイスの件だ。

 アリシアとクロードが服役しているロイスに話を聞いてきて、例の証言をした者達を調べて行くと、どの人物もブリギットと親しくしていたりエヴァン領に借りがある家の者達ばかりだった。

 話を聞こうとしたが、そちら側の者達からはダンヴィル家は現状で()に見られている。なのでブラーシュ家の方から探りを入れて貰うと、どうやらブリギットにそう証言するように頼まれたらしい、という話が出て来た。惚けようとする者が多かったが、中には当時の事を反省し、後悔している者もいて、そちら側からするりと話を聞き出す事が出来たようだ。

 

 続いて妖精の里帰りの一件だが、ミアキスが妖精達から情報を収集してきてくれた。

 マクリル領の妖精達は未だ怖がってはいたが、ミアキスの判断を信じた妖精の王アルベリヒの言葉で勇気を出して当時の事を話してくれたようだ。

 胸元に蝶のタトゥーのある男の話をすると、何人かの妖精は目撃していて「そう言えばあの時の二週間くらい前に来た人だよね」と言っていた。

 そしてマクリル家の人間達が自分達を守ろうとしてくれていたかもしれない、と伝えると「……うん。優しかった、もんね」「だから悲しかったの。もしかして、私達を捕まえようとしたの、違ったのかな」とも言っていたそうだ。

 冤罪である事さえ分かれば、妖精達の信頼も取り戻せそうである。

 

 その鍵になるのが『タトゥーの男』だ。

 ミアキスが作ってきてくれた似顔絵は、三十代半ばくらいの糸目の男だった。

 それを元にダンヴィル領とブラーシュ領で協力して捜索が始まっている。

 そうするとどこから聞きつけてきたのか第二王子のローゼルがやって来て「僕も手伝ってあげるよ~」なんて言い出した。

 微妙に信用出来ない気持ちで返答に困っていると「兄上とミモザから、アリシア嬢とクロードが困っていた時は、お詫びのつもりで死ぬ気で手伝えって言われたんだよねぇ」なんて肩をすくめていた。どうやら相当怒られたらしい。

 ただ以前に彼の本心をちらっと聞いたアリシアは、信じても良いのではないかなと思ったので、家族に許可を取った上でお願いしたのである。

 まぁ面倒な相手との貸し借りは早めにゼロにしておいた方が良い、という打算もあるにはあったのだが、そこは内緒だ。


 そんな事情で、妖精の里帰りの一件に関する調査は一気に進んでいるというわけだ。

 状況的には良い方向にだ。

 だから嫌な予感がするのは妙だなとは思うのだけれど。


「……気のせいよね、たぶん、うん」


 そういう事にしたいとも思いつつ、アリシアは時計を見上げる。もうそろそろクロードがやって来る時間だ。

 クロードを迎えるためにアリシアは部屋を出た。

 廊下を歩き階段を降りて行くと、エントランスの方で何やら話し声が聞こえてきた。

 揉めているような雰囲気だ。


「わたくしが会いに来たと言うのですから、はいどうぞ、と笑顔で受け入れるのが普通ではなくてっ?」

「普通ではないのでお帰りください」

「何ですの、その態度! 可愛い顔をしているのに、やはりアリシアさんの弟らしく小生意気ですのね!」

「そうですか、お帰り下さい」


 珍しくリュカが冷えた声で淡々と対応をしている。

 客人に対してリュカはいつも穏やかで冷静に会話をしているが、あまりに失礼であったり、好意的に思っていない相手の時はこうなる事がある。

 まぁ相手の言葉を聞く限り、その両方だろうなとアリシアは察した。

 エントランスが見える位置まで来ると、リュカが二人の来客に対応をしている姿が見えた。

 立っているのは二十代のドレスを着た女性と、三十代後半くらいの色付きの眼鏡をかけた従者風の男性だ。

 その女性の方にアリシアは見覚えがあった。

 軽くウェーブのかかった金の髪に、金の瞳。美しいながらも気性の激しさがそのまま顔に出た彼女は、ダンヴィル領の隣にあるエヴァン領の人間、ブリギット・エヴァンである。


「ブリギット様。これは一体、何の騒ぎですか?」


 アリシアがそう呼び掛けると、彼女はバッとアリシアの方へ顔を向ける。


「やっと出て来ましたのね、アリシアさん。わたくしを待たせるなんて、良い度胸じゃない」

「姉様、この人来たばかりだから」


 リュカはハァ、とため息を吐いて訂正する。どうやらそうらしい。

 するとブリギットは目を吊り上げて、


「待った事には変わりありませんわ!」


 なんて言い出した。まぁ、一時間でも一秒でも『待った』と言えば、それはそうとしか言いようがないのだが。

 あまりに自分勝手な言い分にアリシアは『これはローゼル様の方がマシ……』なんて思ってしまった。

 両親が不在の時に限って、騒ぎが起きるのは止めて欲しい。そんな事を思いながらアリシアは階段を降りて二人の元へ歩く。

 ローゼルやジョゼと違って、中へ通すと面倒なくらい長居されそうなので、ここで対応しようと思いながらアリシアは口を開いた。


「それで、何のご用事ですか?」

「領地の事よ。あなた達、落ちぶれたマクリル領に協力したのでしょう?」

「マクリル領は落ちぶれたわけではありませんが、そうですね」

「なら、エヴァン領のためにも働きなさい」

「はい?」


 突然何を言っているのかと、アリシアは直ぐに理解出来ず聞き返す。リュカも呆れて半眼になっていた。

 そんな二人の様子を呆けていると思ったのか、ブリギットは不満そうに腕を組む。


「聞こえなかったのかしら? エヴァン領に協力しなさいと言ったのよ。マクリル領だけ助けて、エヴァン領だけ放置するなんて不公平じゃなくって?」

「はぁ、お断りします」

「…………何ですって?」

「お断りします。ええ、協力はいたしません」


 アリシアはスッパリそう返した。

 するとブリギットの顔が怒りでみるみる赤く染まっていく。


「何て失礼なの!? このわたくしが手伝いなさいと言っているのよ? 聞こえなかったの!?」

「聞こえておりますが、他領に助けを請う態度ではありませんし、その必要性も感じませんでしたので」


 再度はっきり断ると、リュカも「同感です」と大きく頷いた。

 もちろんアリシアだって、マクリル領の状況を見ているので、エヴァン領の領民に関しては心配な気持ちは確かにある。

 けれどもエヴァン領の領主一族への不信感と、ブリギットの今の態度を目にして協力しようとは思えない。


「な、な、な……! 信じられませんわ! 聞いた、ダレル!?」


 ブリギットはぶるぶる震えながら、背後に立つ従者に声を掛けた。

 ダレルと呼ばれた従者は「聞きました」と頷く。


「こうしてお嬢様が領民のためにお願いしているのに、実に人でなしかと……」

「ええ、その通りですわ! この人でなし!」

「貶す言葉だけポンポン出て来る……」


 リュカがげんなりした顔で呟いた。

 言うに事欠いて人でなしである。エヴァン家の礼儀作法の教育は一体どうなっているのだろうか。こちらの方が信じられない、である。

 良くない事はどうやらこれだったようだ。

 ぎゃあぎゃあと騒ぐブリギットを前に、どうやって帰って貰おうかなぁなんて考えていると、彼女達の後ろのドアが勢いよく開き。

 少し焦った様子でクロードとミアキスが飛び込んで来た。


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