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第四話『過去話』



 庭へ到着すると悠人の予想した通り、菜乃葉の姿があった。悠人は予測通りに菜乃葉が来てくれた事が嬉しかったが、顔に出す事はせずそのまま菜乃葉へ話し掛ける。


「合宿終わったばっかなのに来るんだ」


 来る事は想像出来たが、遊びとはいえ二泊三日という合宿の後に庭へ来るのはやはり普通ではないだろう。


 今では菜乃葉という人物を知っているからこそ理解しているが、一般的に見たら菜乃葉の行動は常軌を逸している。


「だって、この空間があたしの癒しだもん」


 悠人の問い掛けに菜乃葉は何もおかしい事はないといった風に笑顔で返答する。いつもの菜乃葉だった。


「てゆうか、悠人くんだって来てるじゃん」


 菜乃葉は悠人の方に顔を向けてそう指摘してきた。


 悠人は庭の為に来ているわけではないが、今は話を合わせておこうと口を開き「花に水でもやろうと思ってね」と言葉を返した。


 菜乃葉は特に表情を変えず悠人の方を見てくるだけだ。どうやら今の返しに違和感はなかったみたいだ。


 悠人はどのタイミングで話を切り出そうか考えていると菜乃葉は突然何かを思い出した様に「あ!」と大きな声を上げ始めた。


「悠人くんごめんね!」


「は?」


 突然の菜乃葉の謝罪に流石の悠人も驚く。


 菜乃葉は顔の前で両手を合わせ謝罪のポーズをとり、いつもなら上がっているはずの眉根は下がっている。


「急に何?」


 悠人は見当もつかず何のことかと問い掛ける。


 すると菜乃葉は目尻に皺ができるほどきつく瞑られた目を薄らと開けながら謝罪の詳細を述べてくる。


「昨日の夜、あたし失礼な事言って怒らせちゃったでしょ」


 それを聞いて悠人は昨晩の出来事を思い出す。そういえばそんな事があった。


 あの時こそは確かに菜乃葉の言葉で気分が悪くなったが翌朝を迎えて、大した事はなかったと冷静に物事を考えていた。


 菜乃葉自身も悠人の態度に苛立ったからこそあんな言葉を放ったのだろうと思えば、昨晩の事は何の事はない。


 菜乃葉が昨日の話を蒸し返す事は性格上ないだろうし、悠人も昨日の事を話題にするつもりはなかった。


 そう思っていたので今のこの状況に悠人は正直、狼狽えていた。


「悠人くんて、女の子と接する事少ないって東くんて子に聞いたのを思い出して謝らなきゃって思ったのよ……!」


 内心動揺した悠人を前にして菜乃葉はそれに気付く事なく昨日の話を続けていく。


 悠人は顔には出さないが、予想外の出来事に頭の思考回路が止まり、菜乃葉の謝罪をただただ見ていることしか出来ずにいた。


「やってもない事を勝手に決めつけられるのは嫌よね……ごめんね!」


 この時悠人は菜乃葉の知らない一面を垣間見た気がした。菜乃葉は揉め事の後に謝罪をする様な人間ではないと思っていた。


 悠人は菜乃葉が好きではあるが、そういう人間性的に問題がありそうな所もきちんと分析はしていたつもりだ。だが、まさか改まって謝罪をされるとは思いもよらなかった。


「…――別にいいよ」


 悠人は菜乃葉の姿勢を見習い、自身の非も認めた。


 菜乃葉の謝罪を目の当たりにして彼女の大人な対応に感銘を受けたからだ。勿論、口には出さないが。


「まぁオレも悪いとこあるし……そこはごめんね」


 すると菜乃葉も悠人の謝罪に驚いたのか「あ、うん…」とだけ言葉を返すと呆気に取られた様な顔を見せる。悠人は限界を感じ、自宅へ戻る事にした。


 身体を反転させ、菜乃葉に背を見せると「じゃ、オレ帰るから」と言葉を告げる。


「え!? 花に水あげるんじゃなかったの!? もう帰るの!?」


 それは当然の質問だ。質問嫌いの悠人でもこの問い掛けには納得をする。だが、庭に留まる気はなかった。


「……菜乃葉が来ると思ってなかったから。代わりにあげといて」


 言わなくても菜乃葉ならそうするだろうと思っているが、他に言い訳が思いつかなかった。菜乃葉が来ると思ってなかったのは嘘であるが、この状況であの話ができるとは到底思えなかった。


 悠人は振り向くこともできずそのまま足を進める。

 悠人の顔は気が付けば熱を帯びていた。


 普段から無表情な悠人が不釣り合いに頬を赤く染めているのは、鏡を見なくとも分かっている。


 先程の菜乃葉の態度が悠人には思いもよらない出来事で、悠人は菜乃葉への気持ちを改めて再認識したのだ。


 それが柄にもなく顔に出てしまい、とても菜乃葉には見せる事ができなかった。


「それはいいけど……」


 菜乃葉は背後からそう呟き妙な沈黙が流れるが、悠人は沈黙を破る様に足早に庭を去っていった。




 翌日は平日のため学校だ。夏休みは近いが、その前にテスト返却がある。


 しかし悠人の考えるべき事はテストではなかった。合宿の最終日、菜乃葉に打ち明け損ねた話をいつするべきかで悠人は頭を悩ませていた。


 タイミングを見計らってはいるが、話そうと思ったら菜乃葉が帰ってしまったり、祖母に買い物を頼まれ帰らざるを得ない状況などが続き、結局一週間が経った。




 土曜日の朝、悠人は庭へ向かうとちょうど門のところで菜乃葉と出くわした。


 菜乃葉は何やら慌てた様子で悠人の方を見る。急用でも出来たのだろうか。


「何帰るの?」


 悠人は率直にそう尋ねると菜乃葉は焦燥感に駆られたような顔をして額には汗を流していた。そしてその表情を変える事なく悠人の問いに答えた。


「いや霧吹き忘れちゃって、取ってくる!」


 いつもより慌てふためいた姿に何があったのか気になっていた悠人だが、その答えを聞いていつもの菜乃葉だと思い改める。


 霧吹きは園芸を嗜む者には必須とも言えるアイテムだ。植物の葉に吹きかける事でほこりを取ってあげるためである。


 それを行う事で植物は光合成をしやすくなるのだが、菜乃葉は律儀にもこの広い庭の植物たちにそれを行うつもりらしい。


 いや、何度かそうしている所を見た事はあったが、わざわざ自宅に戻ってまでしたいと思うその執念に悠人は感服した。


「……家まで?」


 そう問い掛けると菜乃葉は困惑した表情で答えた。


「そりゃ家にしかないし…」


 どうやら菜乃葉に霧吹きをしないという選択肢は存在しないようだ。一日くらい霧吹きをやらなくともバチは当たらないだろうに。


 そんな事を考えながら半端呆れる悠人だが、菜乃葉のその異質な行動を見て自分の気持ちを再認識する。


――――そんなところも好きだけど


 そう思いつつも悠人は菜乃葉へ遠慮のない言葉を投げる。


「凄い執念だね」


 この感想自体は本心だ。悠人は菜乃葉が好きだと分かっても態度を変えようとは思わなかった。


 それは、彼女に悟られないようにする必要があるからだ。そして、照れ臭いという気持ちも少なからず持っていた。


 悠人の返しに菜乃葉は怒るわけでもなく当然のような顔をして言葉を返してきた。


「だって! 霧吹きしてあげたいんだもん!!」


 大事な事だと付け加えながら話す彼女の姿は如何に植物を大事に思っているのかがよく分かる。


 悠人は目の前で閉ざされた門をキィ……と鳴らしながら開けて中に入るとそれに気付いた菜乃葉は後退りして悠人から一定の距離をとる。


「まあ取りに帰る必要ないよ。オレも一応持ってるし」


 そう告げながら足をすすめて庭の奥の方へ向かう。庭の隅に霧吹きを置いてあるからだ。


 菜乃葉が庭へ来るようになってから悠人も庭の手入れに関心を持ち始めた。


 以前はそんな心の余裕などなかったが、今は違った。菜乃葉の存在が悠人を変えたのである。


 庭の隅に置いてあると菜乃葉に伝えてそのまま向かおうとすると菜乃葉のとある一言で悠人は思わず足を止めた。


「悠人くんも何だかんだで庭に優しいよね」


「は?」


 菜乃葉はそう言うと普段庭で寛いでいる時のような笑顔を見せてエヘヘと笑った。


「うれしいなぁ仲間がいて」


 それは珍しい光景だった。菜乃葉が悠人に対して笑顔を見せる事はほとんどなく、いつも見ていた笑顔は植物や庭に対する笑顔ばかりだ。


 菜乃葉が普段から悠人に見せる表情は、悠人が良好な態度をしないためか怒ったり訝しむような顔ばかりだった。


 こんな風に悠人の目を見て笑顔を見せるのは珍しい事だった。そのまま笑みを崩さず菜乃葉は言葉を続ける。


「最初は一人がいいなーって思ってたけど、なんか今は誰か他にいた方が楽しいっていうか……あとね! あたし霧吹き持ってる仲間は悠人くんが初めて!!」


 無邪気な笑顔でそう言う菜乃葉の顔を直視するのは悠人には簡単な事ではなかった。再び頬が赤く染まるのを感じる。


 顔には出したくなかったが、こればかりは抑制できるものでもなかった。


「あたしこれからは悠人くんの事、植物仲間として認識するね!」


 ふふっと笑いながらウインクする菜乃葉の笑顔に耐えきれなかった悠人は目線を下げる。そして、心中である決心をした。


「……オレもだよ」


「え」


「アンタがこの庭に来てくれてよかった」


 悠人は一呼吸置いてすぐに菜乃葉に目を合わせ直す。もう大丈夫そうだ。


 気持ちを切り替えた悠人はこの庭の事情を、毎日飽きる事なく通い続ける女子高校生――菜乃葉に話す決心を固めた。




 菜乃葉に全てを話した。


両親が亡くなった事。悠人の父親が不倫をしていた事。それが理由で母親が自ら命を絶った事。


 この城は昔悠人が住んでいた家だという事。この庭だけは――――思い入れがある事。


 悠人が城ではなく、庭に拘る理由はこの庭だけが唯一家族との思い出の場であるからだった。


 悠人はいつも喧嘩の絶えなかった両親の記憶が殆どではあるが、苦い思い出だけではなかった。


 この庭で家族三人笑顔で過ごした記憶も確かに存在したのだ。


 そしてそんな記憶はこの庭だけであった。悠人にとってこの庭は幸せだった頃の大切な場所なのだ。


 悠人の両親は決して富豪というわけではなかった。にも関わらず一般の家庭には到底手を出せないこの大きな城に住めた理由は父親が株で大儲けしたからだった。


 しかし父親はその時に城の購入で全ての財産を使い果たしていたので父親の遺産はほとんど残っていなかった。


 悠人が今生活できているのは母方の祖母のお陰だ。裕福とは言い難い生活だが、祖母一人で悠人の面倒をみてくれている。祖母は悠人にとって恩人だった。

 

 今は祖母とマンションで暮らしている事も菜乃葉に説明した。話を聞いた菜乃葉は驚いた表情を見せたが、同時に悲しそうな顔もした。


 悠人は本心から同情はいらないと告げたが、こんな話を聞いた菜乃葉が同情するのは何となく予想していた。菜乃葉らしいと思う。


 菜乃葉と初めて接触した日の事も打ち明けた。計画的に待ち伏せをして、どんな奴か知ろうとした事。


 悠人は菜乃葉に対する第一印象を馬鹿正直に期待外れであったと告げたが、その後すぐに今の心境も伝えた。


 はじめはムキになっていた菜乃葉もその悠人の言葉で静かになった。


「菜乃葉でよかった」


「この庭を好きになってくれたのがアンタでよかった」


 これは悠人の嘘偽りのない本音だった。菜乃葉が好きだからという気持ちだけではない。


 菜乃葉を好きでもそうでなくとも悠人はこの梅宮菜乃葉という人物に感謝をしていた。彼女がいたから悠人の心は救われたのだ。


 菜乃葉としては何も事情を知らず、ただ植物が好きだからこの庭に訪れただけの事だ。それは最初から分かっているし今後もそれで良い。


 ただ、それが偶然であろうとこの庭に来てくれた事が悠人にとってどれ程大きな意味を示すのか、それは悠人本人にしか分からない事なのだ。


 菜乃葉は今後も来てくれるだけで良い。これも紛れもない本心であった。


 悠人は全てを話し切り、安堵した。


 そして最後に付け加える。この事も菜乃葉に知っていてほしかった。


「この話……誰にでも話すわけじゃないよ。アンタだから話したんだ」


 事実、悠人の過去を知っている人物は祖母と洋一だけだ。


 悠人の両親がいない事を知っている者も少なくないが、自殺や不倫などの複雑な事情については知られていなかった。


 当時は興味本位で野次馬が集まったこともあったが、全て祖母が対処していた。祖母の尽力で口外を防いだのだ。


 そのため三年経った今では悠人の過去の真実を知る者は祖母と洋一だけと言っても良い。


 悠人が己の過去を話し終えると菜乃葉は傷付いたような顔をして「ごめんね」と悠人に言った。


 そして同時に悠人の両肩に自身の手を添え、そのまま悠人をそっと抱きしめた。


 菜乃葉の腕に力はなく、優しい抱擁が悠人に温もりを与える。


「こんな悲しい話させてごめんね…」


 菜乃葉の声は掠れていた。こんな声を聞くのははじめてだった。悲痛な表情をしているのが声を聞いただけでよく分かる。


 菜乃葉がそれ以上何かを言う事はなかった。


 悠人はただ静かに悠人を抱きしめる菜乃葉の身体に腕を回すとそのまま菜乃葉を抱き締めた。


 無意識に力は少し込められていた。人気のない広い庭で二人だけが静かに佇んでいた。





第四話『過去話』終



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