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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
爆発と解放
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リベリオd

 集中力が切れたリベリオは、休憩をするために立ち上がった。


 後ろの女性をチラリと覗くと、3時間前に声をかけた時と変わらない姿勢で作業をしていた。一切リベリオを気にする素振りを見せない。リベリオは声をかけようか迷ったが、邪魔をしてはいけないなと考え何も言わなかった。


 入った時と同じく扉の前に立った。入る時も、そして出る時も認証が必要だ。何者かわからない声を聞きながら廊下に出る。


 廊下の電気は室内より数段階明るさが下がっていた。そのせいで網膜が上手く機能しない。リベリオは暗順応を待たずに歩き始める。


 立ちくらみにも似た不快感。リベリオは目頭のあたりを押さえ、目を瞑った。


「もう休憩か」

 他人を威圧するような声がリベリオの耳に入ってきた。


 リベリオにはその声だけで誰だかわかった。目を開けるなと本能が訴えかけてくる。だがそれには従えない。自分には従えない。

『義務』に決定権を預けてきた故の結果。


 リベリオは自分の気持ちを押し殺す。瞼を持ち上げる。

 目の前にいたのは、やはりプロタゴだった。酒でも飲んでいるのか、顔が赤い。


「こっちは研究所の運営で忙しいってのに。数時間の作業で一仕事した気になるとは、これはこれは立派なことで」

 嫌味を存分に含んだプロタゴの言葉。


 リベリオは自分という存在を引っ張り出された。無理矢理自分と向き合わされる。無になることを許してくれない。


「何か言ったらどうだ」

 何の反応もないリベリオに苛立ったのか、プロタゴがリベリオの肩を押してきた。


 リベリオはよろめく。


 少し遅れて酒の匂いがリベリオの鼻を刺激した。本当に忙しいんですかと、リベリオは口にはせずに問いかけた。


「なんだ? 言いたいことでもあんのか?」

 表情に出てしまったのか、プロタゴは威圧するようにリベリオに詰め寄ってきた。


 酒に犯された空気の膜がリベリオを包む。


「いやいや、まさか。そんなことあるわけないですよ。プロタゴさんのことはいつも尊敬しています」

 リベリオは機嫌を取るように笑いながら、心にもないことを口にした。知らない誰かが話しているようだと内心嘆いた。


「いつもいつもヘラヘラしやがって。むかつく野郎だな。まあ、お前みたいな空っぽの奴にはお似合いの顔だが」

 ハッハッハとプロタゴは1人で汚く笑った。


 廊下に笑い声が響いた。

 唾が飛ぶ。

 綺麗な廊下がプロタゴによって汚されていく。

 廊下も、空気も、心も、平気で汚していく。


 しばらく笑った後、プロタゴは呼吸を整えるように息を吐いた。


「何見てんだよ。早く戻れよ。お前がそうやって気持ち悪い笑みを浮かべている間も、他の奴らは頑張ってるんだ」


 もう刺せるところが見えない針山に、容赦なく突き刺さる。


「そうですよね。わかりました」

 リベリオは決して反論せずに、少しでも早く会話が終わるような言葉を選んだ。


 プロタゴはリベリオにわかるように舌打ちをし、鼻を鳴らしながら気だるそうに歩いて行った。



 プロタゴが見えなくなったところで、リベリオはため息をついた。

 何が正解かわからない。何に従うべきかわからない。

 道が揺らぎ始める。


「あの……」


 このままで良いんだという自分と、このままではいけないという自分。答えは出ない。モヤモヤとした感情が胸の中で渦巻く。


「あのー」


 引き摺り出された自我は、これでもかと波のない海を荒立て、泳ぎ方を知らない無垢な青年を溺れ――。


「あの!」


 突然声をかけられたリベリオは身体をビクリと反応させる。その人物はいつの間にか目の前にいた。


 呼吸の仕方を忘れる。


 口は空気を吸い込もうとしているのに、うまく肺に行き渡らない。呼吸は浅くなり、今まで経験したことのないほど鼓動が高鳴る。心臓のドクドクという動きが顔にまで伝わって、赤くなっていくのがリベリオにはわかった。


 ――綺麗だ。


 今まで見てきたどんな人間、どんなヒューマノイドよりも、綺麗だった。

 触れれば取りこまれてしまいそうな艶やかで黒く長い髪。瞳は、雨上がりの桜のように輝き、見たものを掴んで離さない。

 さらに完璧なパーツは計算されつくしたように配置され、美しさと同時にどこか儚さも漂わせる。


 世界に選ばれ、愛され、生きることを許されていた。


 リベリオは、見ているだけで自分という存在の卑しさを突き付けられた気がした。


 女性が首を傾げる。

 その動作を見てようやく、リベリオは女性に見惚れていたことを自覚した。


「ああ、すみません」

 リベリオは慌てて謝った。


「どうして、何も言い返さなかったの?」


 女性の言葉に今度はリベリオが首を傾げた。


「さっき男の人と話したよね? 何も言い返さなかったのは、どうして?」

 女性は整った眉に皺を作っていた。


「えーと、プロタゴさんとの会話ですか。……これは恥ずかしいものをお見せいたしました」

 リベリオは苦笑いを浮かべながらポリポリと頬を掻いた。


 リベリオの態度に、女性はムッとしたような顔をした。


「なんで笑うの? プロタゴさん? の時の会話でも笑ってたよね?」


 咎めるような女性の問いに、リベリオは思わず言葉を失う。そして苦笑いをし続けるか、真剣な顔に戻すか迷い、結局苦笑いをしたまま表情を固めた。


「何故って言われても……」

 リベリオは迷いを声色に乗せた。


「笑う場面だったの?」


 今度は純粋な疑問のようだった。声のトーンはリベリオを馬鹿にするでもなく、見下すでもない。本当にわからない、そんな雰囲気だった。


「笑う場面ではないですけど……」

 とリベリオは変わらず顔に苦笑いを張り付けたまま首を触った。


 女性は表情を変えずにじっとリベリオを見つめてきた。

 リベリオはその視線に耐えられなくなって下を向き、叱られている子供のようにチラチラと上目遣いで女性を見た。


「よくわからないけど、君の笑い方は、その……気持ち悪い」


 女性の言葉がリベリオにグサリと刺さる。5分も経たない内に、2回も笑い方が気持ち悪いと言われたリベリオは、笑みを貼り付けることすら出来なくなった。


「そ、そうですよね。気持ち悪いですよね。いや本当に申し訳ない。こんな気持ち悪い顔で」

 リベリオは肩を落とし、とぼとぼと歩き出した。


「待って! そういうことじゃなくて! 気持ち悪いと言うのは、なんというか、君の顔と感情がチグハグで、一致してないっていう意味!」

 焦ったように言う女性。


 リベリオは立ち止まる。


「でもそれ、気持ち悪いってことには変わらないですよね?」

「……」


 女性は何も答えない。答えないことが答えだった。

 リベリオはさらに肩を落として歩き始めた。


「ま、まって! 違う! それに今は気持ち悪くない!」


 リベリオは立ち止まってゆっくりと振り返る。


「つまり、さっきは気持ち悪かったということでは?」


 墓穴を掘った女性は目をあちこちに彷徨わせる。桜色の瞳の奥で天井の光が乱反射した。


 その焦る姿は、どこにでもいる女の子のようだった。

 リベリオは自然と笑いが込み上げてきた。


 リベリオの笑っている顔を見た女性は安堵したような微笑みを浮かべ、次に怒ったような表情をした。


「……もしかして、からかってる?」

「バレました?」

「うん、バレバレ」


 女性は可愛らしく腕を組み、得意げな顔をした。胸が強調される。バッジは、ついていなかった。


 だがそんなことはどうでも良い。次々に変わる表情をずっと見ていたい。終わりのない欲望が、リベリオの中で産声を上げた。


 リベリオが女性に心惹かれていると、突然、女性はハッとした表情で言う。


「ってこんな立ち話場合じゃないの!」


 何事かとリベリオは緊張で身体を強張らせた。


「どうしたんです?」

 リベリオは努めて平静を装って聞いた。


「ここから逃げないと」

「逃げるって一体」

「爆発。ここは後10分で爆発するの」

「は?」


 リベリオは素っ頓狂な声を上げた。


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