ソフィア5
「まさか私がこんな感情を抱くなんて」
シックスと別れたソフィアは、商店街の脇道で頭を抱えていた。
自分はブロードの命令を聞くただのヒューマノイドなのであって、それ以外のことは不要のはずだった。
それがまさか恋に現を抜かしているとは。
ーー恋?
これが恋なのかすらもわからない。ただ、シックスと離れたくなかったということだけは確かだった。
以前ニコは、ソフィアのブロードへの感情は愛なのではないかと問いかけてきた。
この感情は愛に似たようなものなのだろうか。愛、とは一体何なのだろうか。
オメンタムで検索をしてみる。ある教えでは、見返りを求めず慈しむと定義されていた。
見返りを求めないという点では、確かにブロードへの感情は間違っていないのかもしれない。
ヒューマノイドとして『義務』を全うするというのは、見返りを求めない行為であり、そういった意味では間違ってはいない。
間違ってはいないのだが、どこか違うのではないか、とソフィアは疑問に思った。
この考え方では、全てのヒューマノイドが主人を愛しているということになる。
ーー勘違いする人も多そうですね。
ふと、赤い炎が頭の中でよぎった。頭のなかが燃やされているような感覚に苛まれる。
その炎は身体へと燃え移る。身体が溶けてしまいそうなほどに熱い。
近くにあった井戸水で顔を洗う。
キイキイと音を立てながらポンプを動かす。
天日干しされていた桶に水を溜め、手で掬う。
燃えかけていた身体の中が鎮まっていく。熱が取り払われていく。
止まり切れなかった水がぽたぽたと桶に落ちる。
桶に落ちた水は、すでに中に入っていた水と合わさって、どれが今落ちた水なのかわからなくさせた。
顔をふくものを、とソフィアはポケットからハンカチを取り出した。
と同時に、あっ、と声を出す。
シックスのハンカチだ。
返しそびれていた。申し訳ないと思いつつも、ソフィアはハンカチで顔を拭った。
シックスの優しい香りがまだ残っていた。
ソフィアはその香りが消えない内に、ハンカチ越しに、ほんの少しだけ呼吸した。
それを咎めるように、視界の端に電話マークが点いた。ニコだ。
ソフィアは丁寧にハンカチを仕舞った後で、電話に出た。
「もう、遅いですよぉ。ソフィアちゃん。何してたんですかぁ?」
「いえ、なにも」
ソフィアは感情が表に出ないよう、短く返した。
「私はですねぇ、さっきまでお昼寝してましたぁ」
ニコが、電話越しにあくびをしたのが分かった。
正確な情報を与えず呑気に昼寝をしていたとは、とソフィアは文句を言いそうになったが、すぐさま自身の行動を省みた。
状況が状況だったとはいえ、結果だけを見れば少女と絵を描いて、シックスと映画を観ていただけだ。ニコよりも寧ろ悪いのではないか。
「仕方ありません。そういうときもあると思います」
「あれぇ? なんだか雰囲気違いますねぇ? 何かいいことでもありましたぁ?」
鋭いニコの質問に、ソフィアは内心動揺したが、それを自分への嘘を使って隠す。
「いえ。それよりも、犯人の手がかりは何か見つかりましたか?」
「誤魔化すところが余計に怪しいですぅ」
「本当に何もありません」
「むー。いつものニコちゃんだったらぁ、質問攻めにするんですがぁ、今は諦めますぅ」
「何かわかったんですか?」
「研究所を爆破した方なら特定できましたよぉ。今リストを送りますぅ」
「本当ですか。お願いします」
ソフィアは、今度は驚きを隠さなかった。
防犯カメラは破壊され、バックアップデータも消されていたはずだ。
それをこの短時間で修復したという事実に、流石ブロード様が選んだ方だ、とソフィアは素直に感心した。
「今送りましたぁ」
視界の端にメールマークが表示された。開く。
何かの間違いかと、スクロールをし、落とし、再起動もさせた。
だが送られてきたデータが変わることはなかった。
「……本当にこの方が、犯人、なのですか?」
ソフィアは質問しながら、しかし、口はそれを拒んでいた。
このまま電話を切って、何もなかったことにしたかった。
だが、自らの中にいる監視の目がそれを邪魔した。
『義務』がソフィアの本心の邪魔をした。
「そうですよぉ。カメラにもばっちり映ってますからねぇ。灰色の髪のヒューマノイド。名前は、シックス、ですぅ」
ニコのその声は、とても嬉しがっているように、ソフィアには聞こえた。
ヒューマノイド研究所を爆破させた犯人がシックス。
映画を一緒に観ようと誘ってきたヒューマノイドがシックス。
初めて他人の前で泣いてしまった相手。
優しくハンカチを渡してくれた相手。
もう少し話していたい、もっと名前を呼んでほしい、あなたのことを知りたい、そう、願った――。
その結果が。
やはり、感情は、不要だ。
「知り合い、なんですかぁ?」
「いえ。知りません」
ソフィアは『義務』に答えさせた。
「あとぉ、これは不確かな情報なんですがぁ」
「何でしょう」
ソフィアは身構えた。もうこれ以上シックスの話など聞きたくない。
「バンビーナを連れ去った犯人がぁ、そこで暴れる予定みたいですよぉ」




