ストレイⅥ
「ソフィアは、逃げてなんかない! 俺は、愛に、逃げられてなんかない!」
イノルグは彷徨わせていた瞳をストレイに向けた。その瞳には幾分か怯えが混ざっていた。
「お前はヒューマノイドを愛してたんじゃない。お前の愛には相手が存在しない。お前は自分のことしか愛していない」
まるで自分のことのように、ストレイは、すらすらと口にできた。
「俺はいつだってソフィアの事を考えていた! ずっと待ち続けていたあの時だって! あんたみたいな奴に否定される筋合いはない!」
「否定するつもりはない。ただ、お前が愛を語るなよ。本当の愛ってのは見返りを求めないんだよ」
ストレイは無精髭に隠れた頬を、夕日で赤くした。
「俺だって――」
イノルグは声を詰まらせる。
「俺だって見返りを求めてたわけじゃない! だから、ソフィアの為なら、愛の為なら、いくら金をかけても惜しくなかった! これが、これこそが愛だ!」
自らが発している言葉で、自らを説得しているように、ストレイには聞こえた。
「いいや違う。お前自分で言ってるじゃねえかよ。ソフィアの為、愛の為って。それは見返りを求めていることと同じだろ? 本当の愛ってのは何かの為なんて考えないんだよ。身体が勝手に動く、そういうもんなんだよ」
「黙れ! あんたに俺の愛の何がわかるって言うんだ!」
もう何を言っても無駄だな、とストレイは呆れた。聞く耳をもたないとはまさにこのことで、このまま話し続けても埒が明かない。
さっさとイノルグを捕まえて、奥さんに何をしたのか聞き出そうとした。
「聞いたぞ」
イノルグが短く発した。
先ほどまでの、冷静さを欠いた話し方ではなかった。
これから何か重大なことを話そうと、勿体ぶっているようだった。
「なんだよ」
ストレイはイノルグを睨みつけた。
やはり奥さんに何かされたのではないかという焦りが、声を尖らせた。
「あんた、シーザー、なんだってな?」
「シーザー?」
ストレイが想像していた言葉ではなかった。
「野菜にでもかけるのか?」
誤魔化しながらストレイは笑った。
「どうすればソフィアを殺したあんたに復讐できるのか考えてたんだ。そうしたら、あいつが教えてくれたんだ」
「あいつって誰だよ。そもそも俺はヒューマノイドを処分なんかしていないが」
「お前が殺したんだろ! 研究所で!」
「研究所……研究所。ああ。あの緑色の髪のヒューマノイドか?」
言いながらストレイは、研究所で戦闘し、ヒールを折ったヒューマノイドのことを思い出した。
「マルクスの言う通りだ。やっぱりお前が殺したんだな」
「いや俺が直接やったわけじゃない。勝手に、自分で、頭を潰したんだよ」
「嘘をつくな! でもこれで納得した。だからあの路地裏の時も独りでぶつぶつと喋ってたんだな」
「路地裏の時?」
「ずっと独りで喋ってただろ。まるで誰かと話しているみたいに」
「何言ってんだお前。あの時はリコと喋ってただろ。なあ、リコ」
ストレイは振り返った。
「リコ?」
ストレイの言葉は誰にも届かない。
「おいリコはどうした」
ストレイはバンビーナに問いかけた。今すぐにでもこの不安を消し去りたかった。
バンビーナは首を傾げただけで何も答えない。ストレイの言っていることが理解できないとでもいうようだった。
「いい加減目を覚ました方がいいぞあんた。奥さんを失ったショックで妄想を生み出してるんだろ。マルクスから聞いた」
――奥さんを失ったショック?
「……何言ってるんだ。俺の奥さんは生きているし、それに、リコも存在して――」
ーー本当か? 公園でタバコを吸っていた時も、路地裏でイノルグを捕まえようとしていた時も、研究所で緑の髪の女と戦った時も、リコはいたか? そもそも、俺は、リコとバディなんて組んでいたのか?
「あんたみたいなヒューマノイドに、愛が理解できるわけないだろ」
「俺が、ヒューマノイド?」
「いまさら何言ってるんだあんた。だからバッジもつけてないんだろ?」
ストレイは自らの左胸を見た。そこには、確かに、バッジはついていなかった。
ストレイは震える手でタバコを取出した。
自分が何者なのかを確かめなければならない。
火をつけようとする。
カチ、カチ、とライターは音を鳴らすばかりで一向に火が付かない。
――つけ、つけよ。
カチ、カチ、カチ。
音だけが独り虚しくなり続ける。
「なんなんだよ!」
ストレイはライターを投げ捨てた。中から透明の液体が漏れる。
「あんたはヒューマノイドだよ」
イノルグの言葉がストレイの中で渦巻く。
「俺は、人間、なんだ。それが『義務』なんだ」
ストレイは『義務』に身を預けた。




