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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
愛とバッジ
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イノルグ③

 ――ソフィアだ、ソフィアだ、ソフィアだ、ソフィアだ。


 イノルグは勢いよく扉を開けた。


「ソフィア!」


 イノルグの期待とは裏腹に、玄関の前に立っていたのは黒いスーツを着た坊主頭の男だった。背が高く、胸板が厚い。スーツの上からでもわかるほどの太い腕は、リンゴすら握り潰せてしまうだろう。それに加えて人相も悪い。人を殺したことがある、と言われてもイノルグは納得できた。


「イノルグさんですね?」


 男は顔に似合わず、丁寧な口調で話しかけてきた。何度も修羅場をくぐり抜けてきたような、余裕を持った話し方だった。


 玄関の外では雨が降っていて、男のスーツにはまだ雫の跡が残っていた。


「……誰だあんた。今は忙しいんだ」


 期待を裏切られたイノルグは、男を拒絶するように答えた。今はこんな男を相手にしている暇はない。


「失礼。私はこういう者でして」


 男は自らの左胸に手を当てた。厚い胸板で存在感が薄くなっていたバッジから、逆三角形の形でホログラムが映し出された。写真と、名前、所属が記載されている警察手帳だった。


 名前 クマミチ

 所属 ヒューマノイド対策課


 ――どうして警察が?


 イノルグが目を細めて警察手帳を確認しようとしたところで、クマミチはもう一度左胸に手を当て、ホログラムを消した。ついで、とでもいうようにクマミチは肩の雫を払った。


「あなたが先程名前を呼んだ、ソフィアというヒューマノイドについてお伺いしたいことが」


 クマミチはイノルグの方へと、大きな足を一歩踏み出した。黒の革靴に乗っていた雫が飛んだ。玄関が濡れた。


「ソフィア……ソフィアを知っているのか。彼女は今どこに」


 イノルグは縋るような思いで口にした。どんな些細な情報でも知りたかった。もう6時間以上、ソフィアと会っていない。


「ええ、知っています。ですがお答えする前にご同行を――」

「そんな回りくどいことせずに早く教えろ」


 イノルグはクマミチの迫力にも屈しなかった。ソフィアのことで頭がいっぱいだった。


「今日はもう待ちくたびれた……ずっと待っていたのにソフィアは来なかった。いや、来れなかったに違いない。ソフィアが約束を破ったことは今まで一度も無いんだから。必ず理由があるはずだ。必ず」


 イノルグは赤色の髪の毛を掻きむしった。ソフィアが自分のことを裏切った。そう考えただけで頭がどうにかなりそうだった。


「落ち着いて。確かに君の言う通り、ヒューマノイドには来れない理由があった」


 頑なにソフィアのことを、ソフィア、と呼ばないクマミチに、イノルグは腹が立った。


「その確認をしたくて君のところに来た。だから私の質問に答え――」

「ほら、思った通りだ。ソフィアが俺との約束を破るはずが無い。そんなことは、あり得ない」


 杞憂だった。勘違いだった。裏切られた、なんてことは思い込みだった。緊張の糸がほぐれたイノルグは、玄関に座り込んだ。


 告白のタイミングを逃したが、ただそれだけのことだ。ソフィアと一緒に居ることが出来るならば、それでいい。またソフィアと暮らして、タイミングを見計らって、今度こそ最高のシチュエーションで告白すればいい。


「ソフィアを迎えに行かなきゃ」


 イノルグはまだ見ぬ未来を想像しながら質問した。


「それは許可できない」


 クマミチはため息混じりに口にした。イノルグの相手をするのが面倒だと主張するようだった。


「君のヒューマノイドは、君から逃げたんだ」


 クマミチのしわがれた声が、静かな雨の音と一緒にイノルグに届いた。

 イノルグは顔を上げた。天井に付いている自動反応の常夜灯が、クマミチの顔に影を作っていた。


「君のヒューマノイドは国外逃亡を計ろうとした。当然捕まり、今は取り調べを受けている」


 口の中に涎が溜まった。イノルグはそれを飲み込むことが出来なかった。


「それで君に聞きたいことがある。このバッジは君のかね?」


 クマミチがバッジを見せてきた。

 赤色の、炎の刻印が入ったバッジ。わざわざ第一都市まで赴いて特注で作ったものだ。


「ヒューマノイドはこれをつけて出国審査を受けた。人間のフリをして、だ。こんなことは前代未聞だ」


 クマミチは、無い髪の毛をかき上げるような仕草をし、途中で自分が坊主だったことに気が付いたのか、そのまま自らの頭を二度叩いた。


「ヒューマノイドがただ逃げるというならまだしも、人間のバッジを奪って、それも、国外へ逃亡しようとした。こんなこと……ヒューマノイドの存在自体が揺らぎかねない。ヒューマノイドは人間に従うという前提で我々の国に存在している。それが従わないというのであれば、ヒューマノイドは我々にとって不必要だ。そもそも人間とヒューマノイドなんて区別する方法はバッジしかないのだから、バッジを奪うという発想は我々にとって脅威であり、敵だ。これはそういう問題なんだ」


 イノルグはクマミチの言っていることが理解できないでいた。

 茫然自失の状態でクマミチのことを見上げ続けた。


「まあ、運が無かった、ということだな」


 クマミチはイノルグではなく、遠くを見ながら口にした。

 外の雨は降り止まない。それどころか激しさを増していた。


「ソフィアは今どこに?」


 イノルグは掠れた声で問いかけた。


「あ? ああ。そろそろ取り調べが終わって、プレーリードッグ本社に移されるころか」


 イノルグは立ち上がった。


「ようやく話を聞いてくれる気になったか」


 クマミチを無視して部屋のほうへと向かう。


 クローゼットの中から動きやすい服を選ぶ。

 赤色の線が入った黒の長袖と長ズボン。カーキ色のコート。


「わざわざ着替えなくてもいいんだが」


 イノルグはクマミチの話を無視して準備を進めた。

 その態度に腹が立ったのか、クマミチの声が一層低くなった。


「相手がヒューマノイドだから私は何も言わない。だがもし同じことを人間にすれば、私は間違いなく君を逮捕するだろう」


 荷物は最小限に。バイクのカギと、ソフィアに渡すはずだった箱をコートのポケットに入れ、イノルグは玄関に向かった。


「まったく……最近の若者は何考えてるかわからないな」


 クマミチは上半身をそらし、後退した。大きな体で占領されていた玄関に道が出来た。

 イノルグはぶかぶかのスニーカーに足を入れた。入れた瞬間イノルグの足ぴったりに調節された。


「まずは君とヒューマノイドの今までの関係性、それからーーっておい! 待て!」


 イノルグは玄関から飛び出した。


 雨が体を打ち付ける。

 クマミチが鬼のような形相で追ってくる。


 駐輪場に止めていたバイクに飛び乗る。カギを差し込む。


 黒光りしたバイクに、まるで生き物が血液で身体を満たすように、赤い線の光が灯った。


「待たないか!」

 クマミチの声。


 イノルグは、ハンドルを握り、アクセルを全開にした。

 雨のせいで地面とタイヤが擦れ、キュルキュルという甲高い音が鳴った。


 後輪から水しぶきが激しく飛んだ。

 バイクに身体を持っていかれないよう、イノルグはバランスを取りながらバイクを発進させた。


 向かう先はプレーリードッグ本社だ。

 オメンタムで地図を浮かびあがらせる。


 遠い。物理的にも、心理的にも。

 イノルグは焦る気持ちと、ソフィアへの愛を燃料にしてバイクを走らせた。


 不自然なほどに整備された住宅街。

 暗がりの空は、人々を家の中へと押し留めていた。

 イノルグは速度を緩めずに駆け抜ける。


 後方からサイレンの音が聞こえた。

 クマミチが追いかけてきているのだろう。


 イノルグはさらにアクセルに力を加えた。

 カーブでも速度は緩めない。

 車体を地面すれすれにまで傾けた。火花が散った。


 幹線道路に差し掛かる。


 入り口に、道を塞ぐようなかたちで警察車両がジグザグに止められていた。

 ゲートの上に設置された掲示板には大きな文字で通行止めと書かれている。


 イノルグは小さく舌打ちをした。


 車両の前には警察官が5人立っていた。真ん中には腕を組み仁王立ちしている男。

 警察帽をかぶっている。

 ニヤニヤとした口元だけが、掲示板の光で浮き上がっていた。

 通れるものなら通ってみろ、とでも言わんばかりの態度。


 後ろからはまだサイレンの音が鳴り響いていた。イノルグはチラリとサイドミラーを覗き込んだ。

 複数の赤の点滅。数が多くなっていた。


 後ろには逃げられない。

 イノルグは前だけを見据える。

 速度を上げた。


「止まりなさい!」


 イノルグが諦めて投降すると思っていたのだろう。

 マイクで拡張された焦りの声がイノルグに届いた。


 イノルグはアクセルを全開にしたままだ。

 男の顔がはっきりと見える距離にまで近づいた。

 男の目が大きく見開かれる。


「止まれ!!」


 男は、焦った顔で、張り詰めた声で、叫んだ。


 イノルグはそれでも全速力で進み続けた。


「止まってくれ!!!」


 イノルグは上半身を持ち上げた。前輪が浮く。

 流線型の形をした警察車両。イノルグはそのボンネットめがけて突っ込み、飛んだ。


 太いタイヤが、見えない道の上を高速で回転した。

 警察官たちは口を開け、イノルグのことを見上げていた。


 その呆けた顔を後目に後輪から着地した。

 地面とタイヤが擦れた叫び声と、強い衝撃がイノルグを襲った。


 イノルグは全身のバネを使って衝撃を吸収する。


 叫び声は消えていた。代わりに、後ろから車の衝突した音が聞こえた。


 空にも届きそうな急勾配の坂。

 イノルグは重力に逆らって、天に向かって、愛を取戻すために、走った。

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