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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
愛とバッジ
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ストレイⅤ

「お前確か、イノルグ、だったよな」


 ストレイの問いかけにイノルグは何も答えない。

 高い背を猫背にし、蛇のように長い腕をプラプラと揺らす。緋色の瞳の焦点は彷徨い、生気のない唇はひび割れていた。


 正常な状態ではないということは明らかだ。それは肉体的にも、そして恐らく、精神的にも。


 ストレイがイノルグと会ったのはたった一度。ヒューマノイド研究所近くの路地裏だけだ。

 だがそれでも直感的に、何か根本的な部分でイノルグが変わったとストレイには思えた。


 リコもイノルグの異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。ストレイの後ろに隠れた。警察服に隠れた小さな肩が震えていた。


 滅多なことには動じないリコが怯えているという事実にストレイは緊張感を高めた。


「どうやって手錠を外した? 素直に話せば見逃してやらないこともない。俺は善良な警察官だからな」


 ストレイはいつも通りに話した。今までの経験上、ここで弱腰になってはいけないと知っていた。もし弱腰になれば相手に主導権を握られてしまう。


 だがイノルグはやはり何も答えなかった。


 商店街を歩く人々がストレイ達を避けて歩いていく。流れる川の水が石を避けるように。

 川の水たちは先へ先へと流れることに必死で、石などただの障害物としか思っていないようだ。その石が本当は川の水をも蒸発させる温度を持っている、にも関わらず。


 ――イノルグの異常さがわからないってのか。それとも見て見ぬふりをしているのか。どちらにせよこいつはどうにかしないと危ない。


 緋色の瞳が震え、小刻みに動いた。痙攣しているようだった。


 おおよそ人間の動きではない。

 ストレイはイノルグの胸に視線を向けた。以前はつけていたはずのバッジが無くなっていた。


「バッジはどうした? あの時返したはずだが」


 痙攣した緋色の瞳がストレイに向けられた。


「何か言ったらどうなんだ」


 イノルグの緋色の瞳が上空に向けられた。人工的に作られた夕日が、変わらない高さでそこにはあった。


「太陽は――」


 イノルグが口を開いた。

 活気のいい商店街の中で、かろうじて聞こえる声。


「太陽は、どうして、燃えている?」


 声を出すことすら億劫だと言わんばかりに、イノルグはボソボソと呟いた。久しぶりに話したのだろうか。水分が足りていない声だった。


「どういう意図の質問だ?」


 ストレイはイノルグの真意を探る為に、それに加え、答えがわからないということを誤魔化す為に質問を返した。


「意図がわからないと質問には答えないのか? あんたの奥さんは、意図がわからなくても答える、答えるだろう、いや、答えた、か」


 ――()()()


 イノルグの口から出てきた言葉。出てくるはずのない言葉。

 ストレイは身体が燃やされたような気がした。


「……イノルグお前、一体何をした?」


 ストレイは恐る恐る口にした。何が起きたのか知らなければならない。例え信じ難い事実だとしても。


「質問できる立場だと?」


 イノルグはストレイを見下すように笑った。


 前に会った時とは真逆の立場。

 あの時研究所に行かなければ。あの時この男を捕まえていれば。

 ストレイは奥歯を噛み締めた。


「もう一度聞く。太陽は、どうして、燃えている?」


 イノルグの緋色の瞳は相変わらず痙攣し、上空に向けられている。側から見ればボーッとしているようにしか見えない。


 今からでも捕まえることができるのではないか。

 ストレイの頭の中をよぎる誤魔化し。現実逃避。


「さあな俺にはわからない。教えてくれよ。ずっと前から知りたかったんだ」


 知りたかった、というのは嘘だ。本当はどうでもよかった。そんなことよりも()()()のことを早く知りたかった。だが焦ってはならない。焦れば焦るほど相手に見透かされ、何も聞き出せなくなる。


「愛。愛だ。太陽は愛で燃えているんだ」

「愛?」


 イノルグの乾燥した口から出てきた突拍子もない単語。ストレイは思わず聞き返した。


「あの大きな球体は全て愛でできている。全てを燃やし尽くす愛で。愛が愛を燃やしてまた新たな愛を生み出し、その愛が愛を燃やす愛を生み出す。愛が世界を照らすんだ。愛が世界を」


 愛と口にするたびに、イノルグは恍惚の表情を浮かべた。

 愛に酔っているようにしか、ストレイには見えなかった。


 それがストレイは無性に腹が立った。本来であればこのまま気持ちよく話させるべきなのだが、本当の愛を知ったようなイノルグの口ぶりが、ストレイには我慢ならなかった。


「ハッ。何が愛だよ。くだらねえ。そんな安っぽい言葉使うなよ」


 ストレイは吐き捨てるように言った。


「あんたみたいな奴にはわからないだろう。本当の愛を知らないあんたには」

「お前も本当の愛なんて知らねえだろ?」

「ああ。負け惜しみもここまでくれば気持ちが良い」

「お前が言う愛とやらは、一緒に住んでたヒューマノイドのことだろ?」


 イノルグの痙攣していた瞳が止まった。


 これから言うことはただの腹いせだ。捜査とは関係ない。だがストレイは言わずにはいられなかった。


「あの後お前のことを調べたんだよ。俺も一応は警察なんでな」


 上空に向けられていた瞳が降りてきた。


「お前、そのヒューマノイドに逃げられてるじゃねえか。必死に語る愛とやらに、逃げられてるじゃねえか」

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