ストレイⅣ
「ストレイさんどこに行ってたんですかぁ?」
映画館の前で、ご機嫌な様子のリコが、ストレイに問いかけた。
「ああ、ちょっとバーにな。昔行ったところに似てたんだ」
「勤務中にお酒を飲むだなんて、ストレイさんも偉くなりましたねぇ」
「勤務中に映画を観てるやつに言われたくねえよ」
「そうそう、そうなんですよぉ。久しぶりに映画を観たんですけどぉ、すごく面白かったですよぉ」
「なにが、そう、なんだよ」
「こういう映画は100本観てアタリが1本あるかどうかなんですぅ。それを年に数回しか観ないリコちゃんが見つけた、もはや奇跡ですよぉ。ストレイさんとリコちゃんが出会えたくらいの奇跡ですぅ」
「……年に数回しか観ないのに、その100本っていう数字はどこから出てきたんだ?」
「ストレイさんとリコちゃんが出会えたくらいの奇跡ですぅ」
反応したら負けだ、とストレイはタバコを吸う。
「ストレイさんとリコちゃんが出会えたくらいの奇跡ですぅ」
吐く。
「ストレイさんとリコちゃんが――」
「何回言うんだよ聞こえてるよ。聞こえてて流してんだよ」
「相変わらずストレイさんは素直じゃないですねぇ」
「今のは素直とかそういう問題なのか?」
「でもリコちゃんは憂鬱ですよぉ。これから先99本はハズレを観ないと……ああ」
リコは大袈裟に泣くふりをした。
「お前は確率の勉強からした方が良い」
リコは小さな子供のように唇を尖らせた。
「でもこの前の映画は面白くなかったので実際には後98本ですね」
「殺し屋が出てくる映画か?」
「そうですぅ。よくわからない会話がずっと繰り返されてぇ、どこが面白いのかリコちゃんにはさっぱりでしたよぉ」
「まだまだ子供だな」
ストレイは頭が2個半下のリコを見下ろす。
「誤魔化そうとしても無駄ですよぉ。ストレイさんもぉ、実はどこが面白かったのかわかってないんじゃないですかぁ」
リコは不敵な笑みを浮かべた。
「そういうところが子供だって言ってんだ」
「見た目は子供でも頭の中は大人ですぅ」
リコは黄色の髪の毛を大袈裟にかきあげた。サラサラとした髪の毛の隙間から、夕日がリコの頬を照らす。
幼さの残る、ふくらみのある頬だった。
「熟れたトマトみたいだな」
「どういう意味ですかそれぇ」
リコは唇に人差し指を当て、小首を傾げた。
奥さんも、よく同じ仕草をしていた。あざとさを隠さないその姿が重なった。
「大人なら自分で考えろ。答えが無いものに答えを見つけるのが大人だ」
「そんな屁理屈聞きたくないですぅ」とリコが両手を振り回して暴れ出した。
ストレイはそれを無視して商店街の方へと視線を投げる。
「それで、あいつはなんなんだ。熟れたトマトか、それとも青いトマトか」
リコは振り回していた両手をピタリと止め、ストレイと同じ方向を見た。
「ピンク色のトマトっていう可能性もありますねぇ」
二人の視線の先。バンビーナが八百屋の前で突っ立っていた。
ストレイが名前を呼んだあと突然起き上がったバンビーナは、一言も話さず、視線をキョロキョロと彷徨わせた。その姿は、ストレイには、まさに、赤子のように見えた。
バンビーナは周りを確認した後、ある一点を見つめて止めた。その先はストレイだった。それ以降、バンビーナはストレイに雛鳥のようについてきた。
――今は八百屋に夢中のようだが。
道の真ん中には路面電車が走り、両サイドには今では珍しい四角い車が走っている。
そしてその両端に人やヒューマノイドが歩く道、テントを張って出店をしているところもあれば、きちんと立てた店もある。いたるところで古びた看板が出ていて、立体で凸凹としている。
「あいつは何やってんだ?」
「さぁ?」
バンビーナは店先に並ぶリンゴを手に持ち「トマト」と口にした。
「ボケてるんですかねぇ……」
流石のリコも、苦笑いを浮かべずにはいられないようだ。
「ああ。恐らく、真面目にボケてる」
ストレイはバンビーナに近づいた。
「これはリンゴだ。リ、ン、ゴ。わかるか?」
「赤くて丸いものはトマト」
バンビーナは無表情で答えた。胸についた桜色のバッジが、夕日で赤く染まっていた。
「どこで学んだのかは知らないがそれは間違いだ。赤くて丸くて――」
ストレイはバンビーナからリンゴを奪い取り齧ってみせた。
「――甘いのがリンゴだ」
無精髭に囲まれた口をゆっくりと動かす。
店番をしている初老のヒューマノイドが「ちょっとお客様」とストレイを咎めた。
ストレイはリコに目配せをし、オメンタムでお金を支払わせる。
リコは「ストレイさんに顎で使われてますぅ」と口にした。ストレイはバンビーナを真似て、無表情でリコを見つめる。
「赤くて丸くて甘いのがリンゴ……」
バンビーナは言葉を反芻させた。
「そうだ。食べれば大抵のものは判別がつく」
――赤子がそうしているように。
ストレイはリンゴをもう一口齧り、適当に頷いた。
「あれは甘い?」
バンビーナがストレイの後ろを指差した。
ストレイは振り返る。その方向には赤くて丸い、夕日が浮かんでいた。
ストレイは迷い、答えに窮し、「人による」と小さく口にした。
「ストレイさん適当すぎますよぉ」
「間違ってはないだろ。甘い記憶を思い出す奴もいれば、苦い記憶を掘り起こされる奴もいる」
「そういうことじゃなくてぇ。でもこうしていると、なんだか私たちの子供、みたいですねぇ」
突然のリコの発言にストレイはリンゴを喉に詰まらせた。
「ゴホッ、ゴホッ。なんだよ、お前、急に、何を言い出すのかと思えば、そういうことは冗談でも言うなよ」
リコは何も答えずに、頬を赤くしながら、えへへ、と照れた笑みを浮かべるだけだった。
「まあ、そうだな。確かにそういう可能性もあったかもしれないな」
「ストレイさんが急にデレましたぁ! これはリコちゃんに陥落する日も近いかもしれないですねぇ」
「それはない」
「でもストレイさん」
リコは改まったような顔をした。
「なんだよ」
「私はいつでもストレイさんと一緒、ですからね」
いつもの口調ではなかった。その話し方は、ほんの僅かに奥さんと似ていた。
「はいはい」
ストレイは気恥ずかしさから、適当に聞き流した。
リコと戯れてあっていると、バンビーナが別の方向を指差した。
「あれは?」
バンビーナはやはり表情を動かさなかった。
「どれだ?」
ストレイは指差した方向を追う。
赤くて丸い、目。緋色の瞳。
どこかで見たことのある顔。ストレイの頬を殴った男。捕まえていたはずなのに忽然と姿を消した、人間、だった。




