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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
愛とバッジ
28/34

ストレイⅣ

 「ストレイさんどこに行ってたんですかぁ?」


 映画館の前で、ご機嫌な様子のリコが、ストレイに問いかけた。


「ああ、ちょっとバーにな。昔行ったところに似てたんだ」

「勤務中にお酒を飲むだなんて、ストレイさんも偉くなりましたねぇ」

「勤務中に映画を観てるやつに言われたくねえよ」

「そうそう、そうなんですよぉ。久しぶりに映画を観たんですけどぉ、すごく面白かったですよぉ」

「なにが、そう、なんだよ」

「こういう映画は100本観てアタリが1本あるかどうかなんですぅ。それを年に数回しか観ないリコちゃんが見つけた、もはや奇跡ですよぉ。ストレイさんとリコちゃんが出会えたくらいの奇跡ですぅ」

「……年に数回しか観ないのに、その100本っていう数字はどこから出てきたんだ?」

「ストレイさんとリコちゃんが出会えたくらいの奇跡ですぅ」


 反応したら負けだ、とストレイはタバコを吸う。


「ストレイさんとリコちゃんが出会えたくらいの奇跡ですぅ」


 吐く。


「ストレイさんとリコちゃんが――」

「何回言うんだよ聞こえてるよ。聞こえてて流してんだよ」

「相変わらずストレイさんは素直じゃないですねぇ」

「今のは素直とかそういう問題なのか?」

「でもリコちゃんは憂鬱ですよぉ。これから先99本はハズレを観ないと……ああ」


 リコは大袈裟に泣くふりをした。


「お前は確率の勉強からした方が良い」


 リコは小さな子供のように唇を尖らせた。


「でもこの前の映画は面白くなかったので実際には後98本ですね」

「殺し屋が出てくる映画か?」

「そうですぅ。よくわからない会話がずっと繰り返されてぇ、どこが面白いのかリコちゃんにはさっぱりでしたよぉ」

「まだまだ子供だな」


 ストレイは頭が2個半下のリコを見下ろす。


「誤魔化そうとしても無駄ですよぉ。ストレイさんもぉ、実はどこが面白かったのかわかってないんじゃないですかぁ」


 リコは不敵な笑みを浮かべた。


「そういうところが子供だって言ってんだ」

「見た目は子供でも頭の中は大人ですぅ」


 リコは黄色の髪の毛を大袈裟にかきあげた。サラサラとした髪の毛の隙間から、夕日がリコの頬を照らす。

 幼さの残る、ふくらみのある頬だった。


「熟れたトマトみたいだな」

「どういう意味ですかそれぇ」


 リコは唇に人差し指を当て、小首を傾げた。

 ()()()も、よく同じ仕草をしていた。あざとさを隠さないその姿が重なった。


「大人なら自分で考えろ。答えが無いものに答えを見つけるのが大人だ」


「そんな屁理屈聞きたくないですぅ」とリコが両手を振り回して暴れ出した。


 ストレイはそれを無視して商店街の方へと視線を投げる。


「それで、あいつはなんなんだ。熟れたトマトか、それとも青いトマトか」


 リコは振り回していた両手をピタリと止め、ストレイと同じ方向を見た。


「ピンク色のトマトっていう可能性もありますねぇ」


 二人の視線の先。バンビーナが八百屋の前で突っ立っていた。




 ストレイが名前を呼んだあと突然起き上がったバンビーナは、一言も話さず、視線をキョロキョロと彷徨わせた。その姿は、ストレイには、まさに、赤子のように見えた。


 バンビーナは周りを確認した後、ある一点を見つめて止めた。その先はストレイだった。それ以降、バンビーナはストレイに雛鳥のようについてきた。




 ――今は八百屋に夢中のようだが。


 道の真ん中には路面電車が走り、両サイドには今では珍しい四角い車が走っている。

 そしてその両端に人やヒューマノイドが歩く道、テントを張って出店をしているところもあれば、きちんと立てた店もある。いたるところで古びた看板が出ていて、立体で凸凹としている。


「あいつは何やってんだ?」

「さぁ?」


 バンビーナは店先に並ぶリンゴを手に持ち「トマト」と口にした。


「ボケてるんですかねぇ……」

 流石のリコも、苦笑いを浮かべずにはいられないようだ。


「ああ。恐らく、真面目にボケてる」

 ストレイはバンビーナに近づいた。


「これはリンゴだ。リ、ン、ゴ。わかるか?」

「赤くて丸いものはトマト」


 バンビーナは無表情で答えた。胸についた桜色のバッジが、夕日で赤く染まっていた。


「どこで学んだのかは知らないがそれは間違いだ。赤くて丸くて――」


 ストレイはバンビーナからリンゴを奪い取り齧ってみせた。


「――甘いのがリンゴだ」


 無精髭に囲まれた口をゆっくりと動かす。


 店番をしている初老のヒューマノイドが「ちょっとお客様」とストレイを咎めた。


 ストレイはリコに目配せをし、オメンタムでお金を支払わせる。


 リコは「ストレイさんに顎で使われてますぅ」と口にした。ストレイはバンビーナを真似て、無表情でリコを見つめる。


「赤くて丸くて甘いのがリンゴ……」

 バンビーナは言葉を反芻させた。


「そうだ。食べれば大抵のものは判別がつく」


 ――赤子がそうしているように。


 ストレイはリンゴをもう一口齧り、適当に頷いた。


「あれは甘い?」

 バンビーナがストレイの後ろを指差した。


 ストレイは振り返る。その方向には赤くて丸い、夕日が浮かんでいた。


 ストレイは迷い、答えに窮し、「人による」と小さく口にした。


「ストレイさん適当すぎますよぉ」

「間違ってはないだろ。甘い記憶を思い出す奴もいれば、苦い記憶を掘り起こされる奴もいる」

「そういうことじゃなくてぇ。でもこうしていると、なんだか私たちの子供、みたいですねぇ」


 突然のリコの発言にストレイはリンゴを喉に詰まらせた。


「ゴホッ、ゴホッ。なんだよ、お前、急に、何を言い出すのかと思えば、そういうことは冗談でも言うなよ」


 リコは何も答えずに、頬を赤くしながら、えへへ、と照れた笑みを浮かべるだけだった。


「まあ、そうだな。確かにそういう可能性もあったかもしれないな」

「ストレイさんが急にデレましたぁ! これはリコちゃんに陥落する日も近いかもしれないですねぇ」

「それはない」

「でもストレイさん」


 リコは改まったような顔をした。


「なんだよ」

「私はいつでもストレイさんと一緒、ですからね」


 いつもの口調ではなかった。その話し方は、ほんの僅かに()()()と似ていた。


「はいはい」


 ストレイは気恥ずかしさから、適当に聞き流した。


 リコと戯れてあっていると、バンビーナが別の方向を指差した。


「あれは?」


 バンビーナはやはり表情を動かさなかった。


「どれだ?」

 ストレイは指差した方向を追う。


 赤くて丸い、目。緋色の瞳。


 どこかで見たことのある顔。ストレイの頬を殴った男。捕まえていたはずなのに忽然と姿を消した、人間、だった。



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