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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
愛とバッジ
24/34

ソフィア4と少女

「良かったっす」

 男は誇らしげな顔でソフィアに言った。


「何が良かった、ですか。あんなことまでして……」

 ソフィアは目に涙を浮かべながら答えた。


「あれは仕方なかったんすよ、演出上」

「仕方ないなんて言葉で片付けないでください!」


 ソフィアは感情的に言葉を吐いた。


「酷すぎます。あんな悲しい、最後。何も死ぬことなかったですよ。自分を犠牲にして助けるなんて、残された女の子が可哀想……」

「ほら、これで涙拭いてくださいっす」


 男は自然な動作でハンカチを出した。


「ありがとうございます」


 ソフィアは渡されたハンカチで涙を拭う。優しい柔軟剤の香りがした。


 ソフィアは男に連れられ、映画を見に来ていた。身体で払えと言われた時にはどうなることかと思ったが、男は純粋に映画を観たかったようだ。


 何十年も前の映画。ノスタルジアの名物の一つである復刻映画。こういった類の映画はここでしか観ることができない。


 ソフィアは正直、早く終わってほしいと思っていた。犯人を見つけ出さなければならないという焦燥感がソフィアの心を支配していた。


 そんなソフィアの内心など知るはずもない男は、楽しそうに、そして時折ソフィアに無邪気な笑顔を向けて上映を待っていた。


 荒い映像が流れた。その瞬間にソフィアは見る気がそがれた。綺麗な映像、ましてやホログラムで立体的に見ることができる今の時代。にも関わらずなぜわざわざ画質の荒い映像を観させられているのか。


 冒頭の10分、ソフィアは惰性で観ていた。


 だがどうだ。気がつけばソフィアは笑っていた、応援していた、ドキドキしていた、泣いていた。時間を忘れ、映画の世界に入り込んでいた。


 もう一度見たい。あの冒頭10分、惰性で見ていた自分に代わって、もう一度。


「泣きすぎっすよ」

 男は揶揄うように笑った。

 憎めない笑顔だった。


「あなただって泣いていたじゃないですか」


 ソフィアの言葉通り、今は澄ました顔をしている男も上映中泣いていた。


「泣いてないっすよ」

「泣いてました」

「泣いてないっす!」


 お互い目を真っ赤にしたまま見つめ合う。

 どちらともなく笑い出した。


「でもほんと良かったっす。この映画観るのずっと憧れだったんすよね」

「憧れ?」


 ソフィアは鼻を啜りながら質問した。


「そうっす。つい最近まで、ある事情があって来れなかったんすよ。でもようやく夢が叶ったっす」


 そんな大袈裟な、とソフィアは笑いながら返す。


 男も笑いながら何か言うだろうとソフィアは予想した。


 だが男はソフィアの予想に反して真面目な表情だった。赤く染まった空を眩しげに見つめている。


「それに一緒に観に来るはずだった大切な友達を自分の為に――ってなんでもないっす。無理矢理付き合わせて申し訳なかったっす。ありがとうございました」


 無理矢理なんて、とソフィアは言いかけたが、自分の中の何かが邪魔をして口にすることはできなかった。


「それじゃあっす」

 男はさっぱりとした顔で手を振る。


 このまま別れてしまっていいのか。もう会えないのではないか。ソフィアは自らに問いかける。


「あの!」

 ソフィアは呼び止めた。


 男はキョトンとした顔でソフィアを見る。


 ソフィアは呼び止めただけで、話す内容など何も考えていなかった。頭を高速で回転させる。


「名前!」

 思いついた勢いのまま、ソフィアは口にした。

 言葉が跳ねる。


 しばらくの間の後、ああ、と頷きながら男は片方の眉をあげた。


「シックスっす。お嬢さんは?」

「ソフィアです」


 ソフィアは少しの間を置いてから答えた。


「ソフィア……良い名前っすね」

 男――シックスはソフィアの名前を噛み締めるように言った。


「……ありがとうございます」

 シックスの口から自分の名前が出てきたことにソフィアは驚き、顔を赤くした。


 この場所が、ノスタルジアが、常に夕日で照らされていて良かったとソフィアは初めて思った。


 二人とも無言になる。会話が続かない。


 ソフィアの頭の中で様々な言葉が溢れ出る。


 ――もう少し話していたい。

 ――もっと名前を呼んでほしい。

 ――あなたのことを知りたい。


 しかしソフィアがそれらの言葉を実際に口にすることはなかった。


「それじゃあ、またっす」

 シックスはソフィアから目を背けながら言った。


「ええ……また」

 ソフィアは名残惜しさを言葉に乗せて、シックスと別れた。









「何描いてるんすか?」


 少女は男の問いを無視する。見知らぬ男に声をかけられても、反応してはいけないと知っていた。


「これはお花で、これは犬、これはライオン、これは焚き火? で、これは……なんすかね」


 少女は聞こえないふりをした。ひたすら絵を描き続ける。


「……お母さん?」


 男の言葉に、少女はハッと顔を上げる。目が合う。灰色の瞳の男が笑顔でこちらを見ていた。少女はすぐさま視線を絵に戻した。


「俺も描いていいっすか?」


 男の声に、少女はゆっくりと頷いた。


「ありがとうっす」


 少女は恐る恐るチョークを差し出す。男はそれを嬉しそうに受け取った。


 チョークが硬い土に削られては新しい絵を生み出す。

 ノスタルジアの落ちない夕日は、少女に時間を忘れさせた。


 何個もの絵が生み出されたところで、少女は男が描いている絵に視線を向けた。


 少女を含めた三人の画家の絵。


 どう見ても、男の絵が一番下手だった。


 だが男は絵の上手い下手など全く気にしない様子で、鼻歌を歌いながら楽しそうに絵を描いていた。


 その姿を見た少女もまた、笑顔になった。


「あの子達と遊ばないっすか?」


 男が絵を描きながら聞いてきた。少女は遠くで遊ぶ子供達に目をやり、首を横に振った。


「絵を描いてる方が楽しいっすもんね。俺もずっと一人で色々やってたっす」


 少女は男の言葉を黙って聞いていた。


「でも案外、他の人と何かやるのも楽しいもんすよ。色々な発見があって。もし少しでもあの子達と遊びたいっていう気持ちがあるなら、一歩踏み出すことをオススメするっす」


 少女はじっと自分の手を見つめる。


「世界は自分が想像しているよりも遥かに広くて、面白くて、楽しいっすよ。それを分かち合える人がいれば、なおさら最高っす」

「わかちあえるひと?」


 少女はたどたどしく口にした。

 男は少女の言葉に特別反応するでもなく、絵を書き続ける。


「そうっす。それは他人でも、知り合いでも、友達でも、恋人でも、家族でも、誰でもいいっす。分かち合える人がいれば、楽しいことは増えて悲しいことは減るっす。すごくないっすか?」


 男は絵を描いている手を止め、自慢げに言った。


「お兄さんには、わかちあえるひと、いるの?」


 少女は男の灰色の瞳を見つめた。


「いる、正確にはいた、っすね。唯一無二の友達が。俺が勝手に思ってるだけじゃないっすよ。向こうから友達って言ってくれたっす。髪と目の色以外は全く似てないっすけど、一緒にいるだけですごく楽しかったっす」


 男は何か思い出すような顔をした。


「それに今日初めて、友達以上になりたい、どんなことがあっても守りたい、って思える女性と会ったっす。面白いんすよ。映画館内で嗚咽混じりに号泣するんすから。見た目とのギャップに笑いそうになったっす」


 今までで一番の笑顔。その顔に少女はどことなく疎外感を抱いた。モヤモヤとした何かが少女の中で渦巻く。


 それを振り払うために少女は立ち上がろうとした。だが男が続け様に口にする。


「それにこうして絵を描く友達もできたっすから。本当に今日は良い日っすね」

 さも当たり前のように、男の口から紡がれた。


 少女が何かいうよりも先に、男はチョークを置いて立ち上がる。


「自分に蓋をしない。それが友達を失った、さらに何もかも失う予定の、人生の先輩からのアドバイスっす」


 男は口笛を吹きながら去っていった。


 少女は絵を描こうと再びチョークを握りしめる。


 男が描いていた絵が目に入った。

 赤い炎を取り囲む、複数の人間やヒューマノイドが描かれていた。皆笑顔で手を繋いでいる。


 少女はチョークを置いた。立ち上がる。一歩一歩足を進める。ザクザクと立てる足音が少女の頭に響く。笑い事や叫び声が次第に大きくなり、そして、ピタリと止まった。


 近くで遊んでいた子供たちが、少女のことを見ていた。

 少女は手をもじもじとさせる。


 夕日は変わらない高さで少女を照らす。どれだけ時間が経っても日が落ちることはない。


 少女が諦めかけた時だった。


「一緒に遊ぶ?」


 優しい言葉に、少女は大きく頷いた。


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