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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
愛とバッジ
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イノルグ①

 

 イノルグにとってソフィアは母のような、そして、恋人のような存在だった。共働きの両親に代わって、イノルグが生まれた時から育ててくれたソフィア。


 イノルグがまだ言葉を話せなかった時も、自分の未来は輝いていると信じて疑わなかった時も、思春期を迎え何もかもが嫌になり罵声を浴びせた時も、イノルグが実家を出て一人暮らしを始めた時も、ソフィアはイノルグと一緒にいてくれた。どんな時も支えてくれた。荒れた大地を覆う、緑色の優しい瞳。それを向けられるだけでイノルグは自然と勇気が湧いた。


 ヒューマノイドなのだから当たり前だと周りは言った。だが違う。ソフィアは他のヒューマノイドとは違う。


 そこには明確な愛があった。イノルグにだけはそれがわかった。



 ソフィアの誕生日――ソフィアがイノルグの家に来た日を誕生日とした――イノルグはソフィアに告白することを決めた。告白の結果どうなろうと構わなかった。修正することは可能なのだから。


 友人からも、そして両親からも、当然反対された。だが周囲の反対が、むしろ愛を燃え上がらせた。冷静さという酸素を燃焼させる愛の炎。それは小説の主人公のような高揚感をイノルグに与えた。



 ソフィアの誕生日当日、夕方。

 イノルグはスーツのポケットに手を入れ、四角い箱の感触を確かめた。


 必死に貯めたお金で買った。イノルグが想像していたよりも遥かに高かった。

 お昼ご飯は抜き、どうしてもお腹が空いた時にはパンを一個。節約生活のお陰で、ソフィアの誕生日にはなんとか間に合った。


 予約した高級なレストラン。人間だけが行き交う大通りに面していた。いつもなら決して行くことはない。

 値段はパン一個の何倍だろうか。10倍、100倍、いや1,000倍に近かった。


 だがそんなお金を払ってでもいいとイノルグには思えた。ソフィアの為ならいくらだって払える。ソフィアを喜ばせたい。それは、損得勘定を抜きにした無性の愛。



 イノルグは時計を確認した。

 少し早く着いてしまった――今日は別々に行こうとソフィアに提案し、ソフィアは喜んで納得していくれた――。


 邪魔にならないように店の外でソフィアを待った。

 入っていく人々は皆当たり前のようにレストランに入っていった。身につけているものは、イノルグから見ても高いということが一目でわかった。


 自分は浮いていないだろうか。急に不安が込み上げてきたイノルグは近くに鏡がないか探した。隣の店のショーウィンドウ、そこに映る自分の姿を見ながらイノルグは身だしなみを整えた。


 生まれつきの赤色の髪。朝早く起きて、清潔感が出るようにジェルで整えた。ーー何度か失敗した。


 クローゼットの中で埃をかぶっていたスーツ。引っ張り出してきて、嫌々クリーニングに出した。ソフィアに使うお金は惜しく無かったが、自分にお金を使うのは勿体無かった。


 派手すぎず、地味すぎない、どのシーンでも使える革靴。1週間前にこれでもかと磨き、昨日さらに磨いた。その甲斐あってツヤツヤと光っていた。


 右腕につけた時計。ソフィアがイノルグの誕生日に買ってくれてから、肌身離さず常につけていた。スーツや靴に比べると安く見えるかもしれない。だが値段以上の価値があった。この時計だけは外せなかった。


 イノルグが身につけていた物は決して高価ではなかった。それでも他の客達と比べても決して見劣りはしなかった。



 イノルグは時計を確認した。

 約束の時間まで後10分。期待で胸が膨らんだ。心臓の音が外に漏れ出ていないだろうか。イノルグは辺りを見回した。それが杞憂だとは分かっていても、緊張でそうせざるおえなかった。高そうな服に身を包む人たちはイノルグを気にすることなく歩いていた。幸い、音は聞こえていないようだ。


 イノルグは時計を確認した。

 既に約束の時間を過ぎていた。ソフィアに連絡しようかと悩んだが、ここで待てないようでは男としてダメだと自分に言い聞かせた。太陽がゆっくりと沈んでいった。


 イノルグは時計を確認した。

 1時間以上経っていた。橙色の街灯が辺りを照らしていた。陽が完全に落ちたせいで肌寒い。イノルグは手を擦った。


 イノルグは時計を確認した。

 ソフィアがくれた、時計を確認した。何度も家の方向に目を向けた。ソフィアが来るとすればあの方角のはずだ。綺麗な緑の髪を風で靡かせて歩いてくるはずだ。


 イノルグはポケットに手を入れた。

 時計は確認しなかった。まばらな人通りが、時間を教えてくれた。


「お客様」


 イノルグは声がした方を向いた。レストランの店員のようだった。


「はい、なんでしょう」

「大変申し訳ございませんが、本日はもう閉店でして……」

「ああ、もうそんな時間ですか。あと少し、もう少しで来ると思うんです」

「そうですか……しかしこの時間ですし、流石に来ないかと。家であなた様の帰りを待っていらっしゃるかもしれませんよ」


 店員は嘲笑うような表情を一瞬だけ見せ、すぐに隠した。


 イノルグは店員の言葉に返事をせず、家に帰った。


 当然のようにソフィアはいなかった。何故、どうして、あれだけ準備したのに、裏切られた。


 風呂に入った。

 まだ顔は洗っていないのに、頬は濡れていた。それを誤魔化すために、何度も、何度も何度も何度も顔をお湯で洗った。

 長時間外気に晒されていたせいで、燃えるように熱かった。


 風呂から出てタオルにくるまった。

 ソフィアはよくこうしていた。イノルグは思い出すように真似した。


 お腹は減っていたが、何かを口にするような気分にもなれず、布団に入った。いつもより広かった。久しぶりに広々と使えるのに、イノルグは全く嬉しくなかった。


 目を閉じた。思い浮かぶのはソフィア。いつも一緒だったソフィア。緑色の瞳に緑色の髪。


 トントンと玄関の扉を叩く音が聞こえた。イノルグは飛び起きた。


――ソフィアだ、ソフィアだ、ソフィアだ、ソフィアだ。

 

 どこに行ってたのか、理由は後だ。まずはソフィアに会いたい。ソフィアを抱きしめたい。ソフィアを感じたい。愛を、感じたい。


 イノルグは勢いよく扉を開けた。


「ソフィア!」


 イノルグの目の前にいたのはしかし、ソフィアではなかった。



 

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