ストレイII
ストレイが見たのは、手を伸ばしながら落ちていくリコの姿だった。
ストレイはすぐさま駆け寄り、崩壊した穴を覗き込む。崩れ落ちた衝撃で砂埃が舞ってよく見えない。
「大丈夫か!」
返事はない。ストレイは必死に声をかけ続ける。
「リコ! 大丈夫か! 返事しろ! おい! リコ!」
最悪の事態を想像したストレイは、内蔵を握りしめられているような感覚に苛まれた。
救助隊を呼ぼうとした時だった。
「大丈夫ですよぉ」
下からアホっぽい声が聞こえてきた。ストレイはいつのまにか止まっていた呼吸を再開させる。
「今助けるからそこで大人しくしておけ!」
「だから大丈夫ですってぇ! ストレイさんも早く降りてきてくださいよぉ!」
「何言ってーー」
「傷一つない人間が倒れてますぅ! これは良い手がかりになりますよぉ!」
リコには珍しい興奮気味の声。ストレイは近くに丈夫そうな鉄筋の柱を見つけると、その強度を確かめるように何度か殴った。そこにベルトから伸びるひもを巻き付け、スルスルと下へ降りていく。
「見てくださいこれぇ!」
リコは自慢するようにストレイへ見せつけた。
桜色の髪の女性。肌は細雪を思わせるほどに白くきめ細かい。その肌を一段と際立たせるために編まれたであろう黒色のドレスは、何者かが女性を祝福しているようだった。左胸には桜色のバッジが付いており、上下に動いていることで、生きていることがかろうじて分かった。
顔は整っていて眠っている姿すら品がある。宙に舞う砂塵と降り注ぐ光とが合わさって、ストレイには神聖なもののように見えた。
思わず跪きそうになったストレイは自らの頬を叩いた。ポケットからタバコを取出し火をつける。肺へ流れ込んでくる砂塵と一緒に煙を吸う。
「なんでまたタバコ吸いはじめてるんですかあ?」
リコが呆れたようにストレイを見た。
「自分が何者か確認する為だ」
「なんですかそれぇ。早くこの人起こしてくださいよお」
ストレイはタバコを口に咥えた。両手を開け、倒れている人間の横につく。起きろと肩を揺さぶろうした時だった。
「あなたが触れて良いような方ではありません」
瓦礫の奥から何者かが歩いてきていた。瓦礫が作り出す影のせいで顔がよく見えない。
コツコツと耳障りの良い音が鳴るたびに、ショートカットの髪が揺れる。
降り注ぐ太陽が徐々に影を取り去る。
真っ先にストレイの目に入ったのは緑色の髪だった。
鮮やかなその髪は、すくすくと育った若葉を彷彿とさせた。
左右対称の整った顔は、綺麗なのだが、その鉄仮面のような表情に感情はなく、冷たい。服は女性特有の身体の美しさを強調させる、緑色のボディースーツを着ていて、上から白の外套を羽織っている。
そして足元で子気味良い音を鳴らすのは、やはり、ヒールだった。
「リコ、お前の言う通りみたいだったな」
「なにがですぅ?」
「女の子はいつだってお洒落したい、ってやつだよ」
ストレイは立上がり、寝ている女の前に出た。いつでも動けるよう体勢を取る。
「誰だお前」
ストレイはタバコを口に咥えたまま女に問いかけた。
女は何も発しない。
崩壊して吹き抜けになった天井から、風が下へと降りてくる。肌寒さすら感じる冷たい風。風がストレイの咥えているタバコの灰を連れ去る。
それが合図となった。
女が駆ける。
速い。
ーーヒール履いてるんじゃねえのかよ。
一気に距離を縮めてきた女は空気を抉るような蹴りを放った。
ストレイは細く長い足に目が釘付けになりながら、すんでのところで避ける。
遅れやってきた白色の外套が女の身体を隠す。
外套から足が飛び出してくる。
女の蹴りは全てストレイの顔面を狙っていた。
ストレイはそれを、時には首だけで躱し、時には手で払う。
避けたときに代わりに蹴られるタバコの煙が、その威力を物語っていた。
蹴りだけでは倒せないと女は判断したのか、今度は蹴りに加えて拳を交え始めた。流れるような動きに、ストレイには踊りを踊っているようにも見えた。
尚も女の攻撃は止まらない。一拍の間もなく次から次へと攻撃が繰り出される。
とはいえストレイも戦闘のプロだ。反撃しようと思えばできた。だがしなかった。
ーー女には手を出さない。
ストレイの心の内を知ってか知らずか、女は次第に大ぶりの攻撃へと切り替えてきた。
ヒールが地面に食い込む。軸足に体重が乗る。上半身が大きく捩じられる。
空気が割れた。
鋭いヒールのつま先がストレイの鼻をかすめていた。
ーー前言撤回。
ストレイは意識を切り替える。
女は蹴った方の足を軸足にし、後ろ回し蹴りを放ってきた。
ヒールの踵が迫ってくる。
「だって持ちやすいんだもん」と言った奥さんの声が蘇る。
ストレイは踵を、その細い棒を、掴んだ。
緑色の髪から覗く女の表情からは驚愕の二文字が浮き出ていた。
ストレイはタバコを咥えたまま、不敵な笑みを浮かべ、女ごと踵を持ち上げ、地面に叩きつけた。
ストレイの手に折れた踵が残る。
女の口から声にならない声が出た。
泣いてくれるなよとストレイは念じる。
手に残ったヒールの踵投げ捨て、ポケットから手錠を取り出した。女の両手を拘束する。
女は無表情のままだった。
「お前、ヒューマノイドだな? 誰の差金だ」
ストレイは乱れた髪をかきあげながら問いかけた。
女は何も答えない。
「答えないか、あるいは答えられないのか。まあどっちでも良い。あの人間は一体何者なんだ?」
ストレイは倒れている桜色の髪の女性に目を向けた。
女は何も答えずに俯いた。
「これもだんまりか……仕方ない。博士に頼んで見てもらうしかないな」
ストレイの言葉を聞いた途端、女は僅かに動揺を見せた。
「秘密にしたい情報でもあるのか?」
ストレイの問いに女はコクリと頷いた。
「……随分と素直だな。だが尚更野放しにすることはできない」
女は再び俯いた。ストレイはその動きにどこか違和感を覚え、屈むようにして女の顔を覗き込む。
女は左目をチカチカとさせていた。
「誰と通信している!」
ストレイは女を止めようとしたが、間に合わなかった。
女は両手の手錠を引きちぎって破壊した。その行動にストレイは反射的に後ろに下がる。
しかしその行動は結果的には間違いだった。
女は自由になった両手で自らの頭を横から掴むと、そのまま、押し潰した。バキバキという音共に、顔の原型がわからなくなるほど粉々になっていく。
その光景を目の当たりにしたストレイはしばらく動けなかった。
最後にはだらんと腕が垂れ下がり、女は動かなくなった。
「わけわかんねえな」
ストレイは頭部が粉々になっている女を呆然と眺める。
「すごかったですねえ」
間延びした声が聞こえた。いつもはイラつくのそ話し方も、今だけはストレイの心を落ち着かせてくれた。
「どこにいたんだよリコ」
瓦礫の影からリコが姿を現した。
「死んじゃうと思って遠くで見てましたあ」
詫び入れる様子もなくリコは手を振っている。
「お前ってやつはまったく。まあいい。この人間どうするか」
ストレイは視線を動かした。
桜色の髪の女は気持ちよさそう寝ている。
「どうするも何も保護するしかないですよぉ」
リコが声を弾ませながら言った。
面倒なことに巻き込まれたなとストレイは頭を抱えた。
タバコの煙があてどなく彷徨う。




