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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
爆発と解放
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リベリオf

 

 目まぐるしく変わる廊下。身体は空気を押しのけて進む。空気も負けじと、服を、髪の毛を押し返してくる。

 天井の光はまるで一筋の線のように行き先を示し、リベリオを導く。


 自分の未来もこんな風に変わっていくのだろうかと、リベリオはそんな思いを馳せながら駆け抜ける。


 途中、作業室で後ろに座っていたはずの女性とすれ違った。


「お疲れ様です! もうすぐここから出られますよ!」


 え? という言葉にならない声が後ろから聞こえてきた。

 イタズラをした時のような感覚が、リベリオの中に蘇る。


 ――いつ以来だろう! こんなにワクワクしてるのは!


 他にも数人とすれ違ったが、その度にここから出られると伝えた。皆不思議そうな顔でリベリオを見ていた。数分後にはその顔がどう変化するのだろうかと考えただけで、リベリオは笑いを隠しきれなかった。


「なんだか楽しそう」


 後ろを走る黒髪の女性が声をかけてきた。外ではしゃぐ子供を慈しむような声だった。


「そりゃ楽しいですよ! ありがとうございます!」


 このまま有象無象として終わるはずだった自分が、何者かになれそうな機会をくれて。


「お礼を言うのは私のはずだったのに」


 女性は嬉しそうに、言った。


「もうそろそろで出口に着きますよ!」


 長い長い廊下を走り抜け、駆け上がった先に、大きな黒塗りの扉があった。世界と世界の繋がりを閉ざす扉。

 リベリオは荒くなった息を整えながらゆっくりと近づいた。


 ねえ、と女性が声を発した。


「さっき言ってた君が大切にしたいものってなに?」


 リベリオの背後。リベリオが握り締めている、暖かい手の持ち主。からかわれているのが声だけでわかった。

 顔が赤くなる。これは走ったせいだとリベリオは必死に自分に言い訳をする。


「さあなんでしょうね」


 リベリオは誤魔化しながら、手を強く握りしめた。ふふっという溶けるような含み笑いがリベリオの耳に届いた。


 リベリオはそれを感じ取りながら扉に触れた。冷たい。

 分厚い扉。何かを守るようにそびえ立つ扉。どうやって開けるのだろうか。リベリオは女性を見た。


「あと少しで警備システムが爆破されて、それと同時に扉が開く。そういう手はずになっているの」


 協力者を示唆する女性の言葉。

 大きな組織なのだろうか。目的は一体何なのだろう。

 リベリオは疑問を口にはしなかった。聞けなかったのではなく、今聞くべきことではないと直感的に思った。


 女性は名残惜しさを感じさせない様子で握っていた手を離し、こめかみに持っていった。

 オメンタムで時間を確認しているようだ。


 リベリオは手に残った暖かさを逃がさないようにそっと手を閉じた。


 カチ、カチ、とリベリオの頭の中で時計の針が進む音がする。

 普段ならただ過ぎ去っていくその一秒一秒が、今は重みを感じた。


「時間よ」


 女性は顔を上げた。


 いよいよだ、とリベリオは大きく深呼吸した。


 ーーここから始まるんだ。輝く世界が待っているんだ。


 リベリオの決意に呼応したように女性が凛とした笑顔を見せた。

 見せて、そのまま待った。


 待った。


 しばらく待った。


 そしてついに、待てど暮らせど、何も起きなかった。


「え? あれ? どうして?」


 先ほどまでの格好良かった姿はどこへやら、女性は慌てたように辺りを見回した。


「何か手違いがあったんですかね」


 リベリオはフォローするように口にし、頬を掻いた。


「そんなはずはーー」

 

 女性が言い切る前に耳をつんざくような警報音が鳴り響いた。

 リベリオは身体をビクリと反応させる。


「これが扉の開く合図なんですね」


 リベリオは期待に胸を膨らませながら尋ねた。

 だがリベリオの期待とは裏腹に、女性はその綺麗な顔を曇らせていた。


「違う。違うわ。そもそも、警備システムの爆破に成功していれば、警報音すら鳴らない」


 ーー警報音すら、鳴らない? それならこの音は一体。


 女性は細い顎に手を当てなにやら考え込み始めた。

 その間にも時間は刻一刻と過ぎていく。

 警報音が急かすように鳴り響く。


「はあ、はあ、ようやく、追いついた」


 声が聞こえた。汚くへばりつく声。


 ーーああ。もう、聞きたくなんかなかったのに。


 リベリオは恐る恐る視線を向ける。

 プロタゴが息を切らしながら近づいてきていた。


 先程の高揚感は薄れ、恐怖心と罪悪感がリベリオの心を侵食し始める。

 脈は乱れ、背中から汗が吹き出し、身体はガタガタと震えた。


「その扉はもう開かねえ。電力源を切ったからな。どんな小細工をしようと無駄だ」


 プロタゴは鼻を鳴らし、自慢するように言った。


「リベリオお前さっき調子乗ったこと言ってたけどな、逃げられるわけねえだろ。お前みたいな奴は、自分の道なんか選べない」


 リベリオの心の中にドロドロとしたものが流れ込む。


「お前がここから出たところで生きていけるわけがない。お前みたいな空っぽの奴は何もできやしない。一生をここで費やして無意味に死んでいけ!」


 それはすぐに消えることのない呪いのように、リベリオを縛り付け、思考を停止させ、その場にとどまらせようと引き摺り込んでくる。一度ハマると抜け出すことはできない。蟻地獄のように、もがけばもがくほど絡め取られる。


「あなたリベリオっていうのね」


 リベリオの心に、無理矢理別の世界が入ってきた。


「私はサクラ。世界に満開の花を咲かせてほしいという意味で名付けられたの」


 その世界はリベリオとは違って輝いている。


「だから貴方の世界にも花を咲かせて見せるわ」


 サクラは微笑んだ。


 別世界の微笑みだ。


「何をやっても無駄なんだ」


 誰かが言った。


「やっぱり僕には、自分の道を歩くことなんかできない。プロタゴさんの言うとおり。僕みたいなやつが『義務』を捨てるなんて間違ってた」


 一体誰が口にしているのだろう。


 顔を上げれば、プロタゴが満足げな表情で手をこまねいている。

 促されるまま、プロタゴの方へと足を進める。


 ねえ、と鋭く尖った声がリベリオの足を止めさせた。


「決めるのは誰? 訳のわからないことを言っている声の主? 私? それとも、自分自身? 誰がなんと言おうと、君は、君が信じる道を選べばいい」


 突き放すような、それでいて全てを包み込むような、優しい声色だった。


「僕は、僕は……」


 唾が喉に引っかかって上手く喋れない。必死に唾を飲み込む。


 すぐそばには、いつもの、その場を誤魔化すための、ヘラヘラとした笑いが置かれている。

 今すぐにでも使ってしまいたい衝動に駆られる。


 ーー決めるのは誰?


 リベリオは振り向いた。

 桜色の瞳が訴えかけてくる。


 ーー君の人生は輝いてる?


 吊り上がってしまいそうな口の端を力ずくで引き締めた。


「僕は、自分の人生を輝かせたい」


 言えた。


 言った直後、口の端が吊り上がった。

 これは直らない癖なんだなとリベリオは内心呆れた。


 だがもう自分を隠した、ヘラヘラとした笑いではない。

 心の底からの笑顔、のはずだ。


「そう」


 サクラは静かに頷くと扉の前に立った。


 何をしようとしているのか。リベリオには理解できない。

 プロタゴの言う通り電力が切れているならば開くはずがない。

 一体何を。


 サクラは思い切り右手を引いた。

 その独特な立ち姿は、シックスと見た映画に出てきた、往年のボクサーを思い出させた。


 右手を引いて引いて、そして、扉を殴った。


 破壊音が鼓膜を震わせる。

 外の光が刺す。

 その光は眩しすぎて、リベリオはすぐには目を開けられない。


「一緒に行きましょ」


 後ろからは何やら怒鳴り声が聞こえる。

 まだ目が慣れていない中、手を引かれ、導かれた。

 少しずつ目が光を捉え始める。


「おめでとう。あなたは今日から自由よ」


 外の世界は、光り輝く満開の桜が咲き誇っていた。


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