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シガレッツブルーム  作者: 相木秋人
嘘と欺瞞
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プロローグ

 様々な国から集められた酒が、自慢するように明るく照らされている。


 田舎の寂れたバー。酒を作るカウンターを除けば10畳ほどの大きさ。客はくたびれたコートを着た男が一人。フードを深く被り、カウンター席に座っている。


「ラフロイグ」


 男は無精髭まみれの赤い頬を動かしながら口にした。

 その声に反応したマスターが嫌な顔一つせず酒を出した。


 綺麗な琥珀色だった。


 男はグラスを持ち、手首でくるくると回す。氷とグラスがぶつかる涼しげな音とともに、鼻を突き刺すピートの香りが辺りを漂う。


 男はその匂いに顔をしかめながら酒を口にした。独特で強烈な香りが口の中に広がる。深い睡眠の中を無理やり起こされたような、脳を直接殴られたような、そんな感覚に男は見舞われた。


 男はしばらくその感覚に酔った後、ポケットから煙草を取出した。ラフロイグの濃厚で研ぎ澄まされた味を安物のタバコで消し飛ばす。


 正常な身体を異常にする行為。生きている、と唯一認識できる瞬間。


 男は、普通の人間であればしない、狂ったような恍惚の表情を浮かべた。


 バーの扉が開いた。


「どうもどうもこんばんは。隣良いですか?」


 男は声が発せられた方に視線を向けた。そこには奇妙な格好をした人物が立っていた。


 長身痩躯の身体を包む黒のスーツ。よくなめされた黒の手袋。左胸には、ピエロの装飾が施された黒のバッジ。肌を露出している部分は一切ない。しかしそんな服装がどうでもよくなるほどの特徴をその人物は持っていた。


 電子レンジ。


 本来頭があるはずのそこには、代わりに電子レンジがつけられていた。タバコの灰が落ちそうになり、男は慌てて灰皿で消した。その間に、電子レンジは失礼失礼と言いながら男の隣に腰かけた。


「お前、どっちだ?」


 男は頭の電子レンジと、胸につけられたバッジを交互に見ながら問いかけた。


「どっちって?」


 電子レンジの扉が男に向けられた。スーツよりも濃い黒で、扉のガラスが染められている。


「言わなくてもわかるだろ」

「言わなきゃわかんないですよ」


 男は押し黙った。いきなりのヒリついた空気に、マスターは困惑しているようだった。


「あれですね、あなた熟年離婚するタイプですね」

 電子レンジの軽い言葉。


 男は激しい苛立ちを覚え、

「だからヒューマノイドか人間か、どっちだって聞いてんだよ」

 吐き捨てるように言った。


「もちろん人間ですよ。ほら」


 電子レンジは胸のバッジを見せつけてきた。


「それならなんだよその頭は」

「ああ、これですか。かっこいいでしょ。あなたも取り替えたらどうですか? 便利ですよ」


 答えを用意していたかのように電子レンジは答えた。


「もっと丸くて、目と口と鼻があったらな」


 男は無精髭で囲まれた口を動かし、馬鹿にしたように鼻で笑った。


「それもう人の顔じゃないですか」


 電子レンジは闊達に笑った。扉がパカパカと開閉された。


 男は中を覗き込もうと、フードに隠れた瞳を光らせる。だがその開き加減は絶妙で、中を窺い知ることはできない。


「マスター、この方と同じのください。いやあ、それにしても凄い事件でしたね。まさかヒューマノイドが暴走するなんて」

「……ああ。そうだな」


 あからさまに話を逸らされた男はぶっきらぼうに答えた。酒で口を湿らせる。最初に飲んだ時の衝撃は、既に薄れていた。


「しかもヒューマノイドの国を作ろうとするなんて、手に負えませんよ。あなたもあれでしょう? ヒューマノイドが怖くてこんなところまで逃げてきたんでしょう?」


 ――逃げてきた。


 その言葉を聞いた男は口角を下げた。

 テーブルに置こうとしていた酒をもう一度口に運ぶ。勢いのあまりむせ返りそうになる。

 それを涙目になりながら必死に押さえ込む。


「でも私はね、これでよかったんじゃないかとも思うんですよ。ぞんざいな扱いをされているヒューマノイド、あれはもうかわいそうで見てられなかった。いくら反撃しない従順な人形だとしてもですよ? 罵倒を浴びせたり、殴るなんて、そんなの許されるはずがない。それを考えれば、今回の事件もしょうがないのかなあって」


 丁度話が途切れたタイミングで、マスターが電子レンジに酒を出した。


 電子レンジはありがとうと言いながら受け取った。そしておもむろに、黒い手袋をしたままの指をグラスの中に突っ込み、ぐるぐると回し始めた。


「それに生まれたときから『義務』を課すなんて、なんだかなあって思ってたんですよね。人間様は自由に生きて、ヒューマノイドは不自由を強いられる。あまりにも人間が強欲すぎますよ。こうなったのもある意味では定められた運命、いや、人間の『義務』なのかも」


 電子レンジは何がおかしいのか、口元ーーと思われる部分を手で押さえて笑い始めた。電子レンジの扉がカタカタと揺れた。


「気持ち悪いやつだな。酒が不味くなる。独り言なら家でしてくれ」


 男は言い放ち、タバコに手を伸ばした。箱の中身は、いつの間にか残り数本だけになっていた。


「またタバコですか?今さっき吸ってたばかりじゃないですか」

「うるせえな。どうしようと俺の勝手だ」


 男はタバコを乱暴に取出し、箱をテーブルにたたきつけた。


 グラスが割れる音がした。どうやら、驚いたマスターが磨いていたグラスを落としたようだった。


 男は、ばつの悪い顔をしたが、謝りはしなかった。


 代わりに電子レンジが申し訳ないと言いながらカウンター内に入り、マスターと一緒に破片を片付け始めた。そして電子レンジが耳元で何かささやくと、マスターはそそくさと外に出て行ってしまった。


「ちょっと急用ができたみたいです」


 明らかな嘘。しかし男は何も言わなかった。


「ええと、何の話をしていたんだっけ。そうだ、思い出した」


 電子レンジはカウンター内で勝手に酒を作り始めた。

 ラフロイグは一口も飲まないまま。


「ヒューマノイドってお酒を飲むと思いますか?」

 電子レンジは先程のことなど無かったように、飄々とした態度で男に問いかけた。


「……それのどこがさっきの話と繋がっているんだ?」

 男はその態度に毒気を抜かれ、呆れたように返事をした。


「まあまあ、いいじゃないですか」

 電子レンジは作った酒を自分の前に置いた。


「じゃあタバコは吸うと思いますか?」

「さあな。どうでも良い」


 男は言葉とは裏腹に、身体を少しだけ前のめりにさせた。


「私は酒とタバコこそ人間が人間たる所以だと思うんですよ。機械には嗜好品を理解できない」

「人間様も、なんでわざわざ金払って寿命縮めるかなんて理解してねえよ」


 男は自嘲気味に笑った。

 グラスの中に入った氷が、溶けて鳴いた。


「もし、タバコも酒も好きなヒューマノイドがいたら、面白い、と思いませんか?」


 確かに一瞬、面白そうだと男は思ってしまった。しかしすぐさま頭を振って、誤魔化すように答えた。


「そんなのあり得ない。もし、そんな世界になったら人間は終わりだ」 

「へえ……あなたはそう考えるんですね」


 含みのある声色だった。

 しばらく沈黙が場を支配した。


「世界を作る為に必要な3つの材料」


 その言葉は電子レンジから唐突に発せられた。


「孤独、愛、そしてタバコ。足りないのはさて、どれでしょう」

 電子レンジがグラスを掲げた。


 男は訝しげな表情で電子レンジを見つめた。


「見てないで真似ぐらいしてくださいよ」

「お前、頭おかしいな」


 男は変わらず電子レンジを見つめ続けた。

 電子レンジのグラスが元の位置に下ろされた。


「ええ、おかしいですよ。見た目通りにね」

 電子レンジは頭を、チン、と鳴らしケタケタと笑った。


 ――むかつく野郎だ。


 男は半分残っていた酒を一気に呷り、立ち上がった。


「ちょっとちょっと、待ってくださいよ。もう少し話しましょうよ。ほら、今日は何杯でも奢りますよ」


 まるで自分の店のように振る舞う電子レンジ。


 誰がこれ以上話すかと、男は店を出ようとした。


「これもありますよ」


 電子レンジの言葉に、男はチラリと視線を向けた。電子レンジが一本の酒を手にしていた。なぜそんなに高い酒がこの店に置いてあるのか。


 シングルモルト、シェリー樽、30年。


 男はしばらく逡巡した後、タバコの本数を確認した。無言で席に座り直した。


「素直じゃないんですから」


 男は電子レンジの言葉を聞き流した。


 電子レンジが勝手知ったる軽快な動きで酒を作り始めた。


「ところでどうしてここに? やっぱり逃げてきたんですか?」


 グラスの中に丸い氷が入れられ、カランと音を立てた。


 その音に背を押され、男は重い口を開けた。


「俺はヒューマノイドに家族を殺されたんだ」

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